ルンバ・コンゴ...穏やかで豊かなアフリカン・ヒーリング...非ロック系ルンバ・リンガラの名盤
Jacques Sarasin avec Wendo Kolosoy: On the Rumba River
Papa Wendoこと、Antoine Wendo Kolosoyは、誠に残念な事に2008年7月28日にキンシャサ市内の病院で亡くなった。享年83歳であった。Papa Wendoは「Soukousの父」 (Soukousとはコンゴ風のルンバ音楽を総称して指す言葉)と呼ばれ、その声はビロードに例えられ、世界に「ルンバ・コンゴ」の美しさと楽しさと気品を伝え続けた、コンゴを代表する名歌手である。私は1989年と1991年にキンシャサを訪れたが、その頃は存在すら知らなかった。わずかにPapa Wemba率いるViva la Musicaをバックに歌った「Bato ya Maswa」と「Efeka Mandungu」という、Vivaにしては風変わりな2曲 (1982年) が知られていたのみである。当時のザイール人たちの口の端にも上らなかったほど、忘れられた存在であった。
彼の生まれは現在のBandundu州Mayi-Ndombeである。両親は早くに亡くなり、彼は生活のために教会で歌ったり、なんとボクサーになったり、コンゴ・ザイール河を往来する交易船の技術者や歌手として働いた後、1941年頃にレオポルドヴィル(現キンシャサ)に移り住み、音楽を始めた。当時のレオポルドヴィルではキューバ音楽が大流行していて、彼も流しのミュージシャンとしてバーや通りで演奏するようになる。1948年、彼にとっての初めてのレコーディング「Bana Yango Congo」は、コンゴにおけるコンゴ人の最初の録音になった (Zonophone Records Congo)。そして同年NgomaレーベルのNico Jeronimidisに見いだされ、翌年録音された「Marie-Louise」が大ヒットし、彼の人気を決定づけることになる。1950年には、彼は自分のバーを持つ。このバーから「ルンバ・コンゴレーズの母」といわれるJoseph Kabasseleが育ち、1953年にはAfrican Jazzが結成される・・・。この当時の録音は、この項で後述する「Ngoma; The Early Years, 1948-1960 (CD Popular African Music:PAMAP-101) 」というCDに遺されている。1960年にコンゴがベルギーから独立したあと、彼は初代大統領のPatrice Lumumbaと親交を持ったが、その後クーデターで政権を取ったMobutu大統領とは距離を置き、表向きの音楽活動をやめてしまった。その後およそ40年近く沈黙を続けたが、1997年にMobutu政権を倒したLaurent Kabila大統領の援助で奇跡的な復活デビューを遂げた。
いかなリンガラ・ポップスのファンにも、近年まで知られていなかったはずである。40年近くも沈黙を続けたことについて、Wendo自身は、政治がらみのごたごたを音楽に持ち込まれたくなかったからだと言っている。生まれたばかりの若い国や、政権の変わったあと再出発する国が、国威発揚や外貨獲得などのために音楽を政治的に利用する事は、アフリカではごく一般的である。10年ほど遅れて活動を始めたFrancoことLuambo Makiadiが、時のMobutu大統領の政策にちゃっかり乗って国の広告塔の役割を演じ、互いに利用し合って大いに繁栄したことは、別項にて詳述した通りである。かたや「Soukousの父」とまで賞賛されながら失意のうちに音楽をやめたWendo、40年ものブランクがあるとはいえこのまま生涯を終えてしまって良いものか、そうした心の迷いに思わぬところから援助の手が差し伸べられて、欲が動かなかったはずがない。その2年後に発表されたCD「Wendo Kolosoy: Marie Louise」 (後述) のジャケットに映った彼の不敵な笑みは、その心中を如実に物語っているのではなかろうか。
それはさておき、このDVDは、彼が活動を再開してから後の事を彼自身が演じて見せた作品である。撮影は2004年であるので、2005年5月に半身の麻痺で入院する直前である。冒頭に、キンシャサと港町マタディを結ぶ鉄道の列車が、ゆっくり走ってきて通過して行く映像が流される。ボロボロの客車の窓や屋根に鈴なりの乗客を乗せ、実に重たげにゆるゆる走るその様は、まさに混沌と不条理の国コンゴを象徴するようである。1992年に撮影された彼の記録映画「Tango ya Ba-Wendo(ウェンドたちの時代)」のエンディングが、この列車の走り去る風景であった。監督が冒頭にこのシーンを選んだのは、まさしく前作を継承する意図があったからに違いない。しかし、前作では主にインタビューによって「ウェンドたちの時代」を再構成しようとしているのに対して、この作品では、それを当事者自身が演じているのが面白い。
「何故仕事をしない、いつまでもエラそうにふんぞり返ってても、腹の足しになんかなりゃしないよ」と口汚くののしる女を無視して、木陰で昼寝を決め込むWendo、しかしその脳裏には、自分がいにしえのバンド「Victoria Bankolo Miziki」を従えて、その真ん中で歌っている映像が、夢のごとく現れては消えるのである。BGMに現れるのは、なんと同時期に作品化されたDVD「Jupiter's Dance」のJupiter Bokondji率いる「Okwess International」が演奏する「Bana ya Kongo」。奇しくもギミックである事を露呈するカットではあるが、しかし同じキンシャサに根城を構え、キンシャサ・スタイルで演奏し続ける事に誇りを持つアーティストの代表曲が流れているところに、今のキンシャサの苦悩と底力を垣間みる思いがする。サックス・プレイヤーが熱くルンバを奏でる無音の映像がひとしきり緊迫したあと、いよいよWendoは、かつての仲間に呼びかけるべく立ち上がる・・・筋立てとしては、永年活動から遠ざかっていたキューバのソンの演奏家たちが再会し、遂にはカーネギー・ホールを満杯にする「Buena Vista Social Club」と同じであるが、そこはキンシャサ風に全てがゆっくりと土臭く、涙ぐましくも晴れやかに進むのである。私にとっては懐かしいキンシャサの街路、コンゴ人たちの動きや表情、そして交わされるリンガラ語・・・そしてミュージシャンにとってはありがたい豊富な練習風景の映像・・・演奏家の指遣いや息遣いが手に取るように映し出され、どうすれば演奏できるのかわからなくてヘッドホンを抱え込んでいた当時が懐かしい。Wendoやその時代を遺すドキュメンタリーであると同時に、その世代のコンゴやアフリカのミュージシャンたちの演奏の仕方をきわめて精緻に遺した作品としても、他にないほど大きな価値がある。特に、今なお健在の親指ピアノ奏者Antoine Moundandaが川を渡ってBrazzavilleからやってくる、そして旧知の仲間に迎えられて練習場所へ入って行く様子は圧巻、心温まり、音楽がすべてを和ませ、喜ばせ、躍動させる瞬間である。そうして盛り上がり行く場面とは裏腹に、かつて生活のために生業にしていたボクシングを見るWendoの厳しい表情が映し出され、エンディングは、難破し、朽ち果てて、放置されたフェリーの残骸に埋まるコンゴ河を眺め、苦々しい表情で吐き捨てるように放たれる言葉である・・・
Wendo Kolosoy: Bana ya Papa Wendo (CD, Igloo Monde IGL180, 2007) Bouboul Mabeley a Mama Madjole Djole Mwana ya Moninga Henriette Masembo Tat Nzambe Mama Monique Mama Alobi Bino Bananie Banaya Papa Wendo |
Wendoの遺作となってしまったアルバムである。録音は2004年、ブリュッセルのIglooで行われた。2005年5月に、半身の麻痺で入院する直前である。ここは、次に紹介する"Nani akolela Wendo ?"が録音されたスタジオでもあり、彼のもうひとつの記録映画「Tango ya Ba-Wendo(ウェンドたちの時代)1993」の監督Mirko Popovitchゆかりの地でもある。さて、本作は、これまで旧曲の再演が多かった彼のアルバムとは対照的に、全曲未発表 (たぶん) である。往年の張りのある美声に比べると、むしろ枯れた味わい、少し乱れ気味の音程が、老いてなお音楽に立ち向かおうとするひたむきさと、旧知の仲間とともに楽しんでしまおうとする茶目っ気を引き立てているようにも感じられる。上のDVDとともに鑑賞されると、よりいっそう感慨深い。サポートするメンバーは、ほぼ往年の「Victoria Bankolo Miziki」であるが、バンド名が正式にクレジットされていないところを見ると、既に他界されたメンバーもおられるのかも知れぬ。しかし、それにしても、なんと楽しい音楽であろうか。屈託のない、欲のない、ただひたすらに音楽のために音楽を楽しむという、肩の力の抜けた、軽くておしゃれで、かわいらしくて味わい深い曲がよくこれだけ並んだ事だ。老齢のミュージシャンが演奏しているとは思われぬほど生き生きとしていて、よくまとまっていて、こなれていて、若気の至りなど微塵も感じさせないくせに、驚くほど新鮮である。キューバ音楽がコンゴに逆輸入された頃、植民地であったコンゴでは、それが流行したとはいえ、物心両面での様々な制約を受けたはずである。被支配民族としての制約、表現の制約だけではなく、機材や技術的な制約もあったはずだ。それらをかいくぐって遺された彼等のオリジナル・レコーディングの情感・・・それは、もちろんキューバのソンとも、その後現れる「African Jazz」や「OK Jazz」のような「ルンバ・コンゴレーズ第二世代」の音ともニュアンスが異なる・・・様々な制約により不完全で終わってしまったその独自性の遺影が、艱難辛苦をかいくぐって生きてきた老練の楽士たちによって蘇った、これぞまさしく極上のルンバ・コンゴレーズだと思う。よくぞ遺してくれた。ジャケットの中のWendo、しかし今はその姿がこの世に残された我々への「さよなら」であるように見えるのが残念に思えてならない。
Wendo: "Nani akolela Wendo ?" Botiyaki Ntembe |
1992年、当時のザイールとベルギーの合作による記録映画「Tango ya Ba-Wendo(ウェンドたちの時代)」を制作する過程で、彼の音楽もCDとして遺しておくべきだという意図で実現した作品である。「Ntango ya Ba-Wendo」を象徴する音楽を、あらゆるジャンルにわたって記録するために、広範なミュージシャン達による多様な演奏が収められた。あらゆるジャンルとは、キューバ風のルンバや、それがコンゴ風に咀嚼された初期のコンゴ風のルンバや、コンゴの伝統音楽がルンバによって変容した初期の曲たちである。非常に内容の良いおすすめ盤であり、最近あまり見かけなくなったので、見つけ次第購入されるが良い。演奏しているのは、往年のWendoの時代に活動したミュージシャンたちとともに、Wendo自身の希望によって、T.P.O.K. Jazzのシェフをも務めたDizzy Mandjekuなど、ヨーロッパ在住の腕効きのスタジオ・ミュージシャンが選ばれている。Wendoが亡くなった今となっては、彼の往年のヒット曲が、張りのある声と最も録音の良い状態で遺された、最後の作品と言えるだろう。全曲一貫して、「ルンバ・コンゴレーズ第一世代」独特の匂いのぷんぷんとする名曲名演である。なかでも、オリジナルの遺されていない名曲「Efeka Madungu」は、1982年に生き馬の目を抜く勢いであった全盛期のViva la Musicaをバックに歌った曲であるが、テンポの速い極めてロック的なその演奏とは全く異なって、オリジナルはかくやと想像させるような、じっくりと落ち着いた曲調にWendoの張りのあるヨーデルが響き渡るのが素晴らしい。また「Camille」は、映画のエンディングで、鈴なりの客を乗せた列車がのろのろ動く場面のBGMに使われた哀調に満ちたルンバで、「Camille」とはWendoの時代の名アコーディオン奏者Camille Ferruzziを指していると思われ、おそらくは彼を追悼したものであろう、楽天的な曲調の多いコンゴ音楽にあって、極めて彫りの深い悲しみに満ちた名曲である。さて、この記録映画は、おもに対談によってWendoの音楽観や人生観を描く事によって、往年の彼等の活動した時代とその音楽のありようを浮き彫りにしようとしたものである。しかし、なにぶん全てフランス語で英語字幕も入っていないから、対話部分は断片的な単語をつなぎ合わせてイメージするしかない。主に鑑賞しうるのは、効果的に挟まれた演奏シーンや、キンシャサの街角の様子である。これが撮影されたのは1992年であるから、私が最後に渡航した翌年である。見てきた通りのキンシャサの風景が動画で再生されるのは、個人的に感慨深い。
Wendo Kolosoy: Marie Louise Pepe Kalle |
Wendoのアルバムをもう一枚。これは1999年にCote d'IvoirのAbidjanで録音された。このアルバムでは、固定メンバーによる、良く練られた演奏を聞くことが出来る。クレジットはされていないが、おそらく彼の専属オルケストル「Victoria Bankolo Miziki」ではないかと思う。非常に心のこもったていねいな演奏であり、Wendoの枯れた魅力が冴え渡る。声の安定性、艶や張りに若干の翳りが聞かれるが、非常に彫りの深い、それでいて心から和める名盤だと思う。私はWendoを、若い頃に一世を風靡して、今はとっくに隠居した気のいいおじいちゃんくらいに考えていたのだが、ジャケット写真を見て驚いた。その眼光の鋭さ、にんまりとした口元に漂う不敵さ、まだまだ一花も二花も咲かせそうなお顔つきである。このアルバムの出た近年、若いMarie-Louiseをゲットしてブリュッセルに移り住んだと聞いたが、はたせるかな、記録映画によって再評価され、Kabila一族という強力なパトロンを得たからといって、ただ浮かれるだけでないところが、やはり老練の身の賢なるところで、きちんと古巣に立ち返って往年の名曲を再演している。Empire Bakubaを率いた巨体の名歌手Pepe Kalleを追悼する悲しげな名曲で幕を開ける本作は、Wendo往年のヒット・ソングを、セッションではなく専属オルケストルで再演しきったところに価値がある。繰り返すが、歌と演奏の心の通ったバランスの妙・・・名作と言える。
Wendo Kolosoyet l'orchestre Victoria Bakolo Miziki: Amba Victoria Apiki Dalapo |
さてWendoのアルバムとしてはもう1枚、L'orchestre Victoria Bakolo Miziki名義の唯一のアルバムである。Marabiというキューバ音楽系のレーベルから出されていて手に入りやすい。内容的には、「再評価」されたWendoが、自らのグループ「Victoria Bankolo Miziki」を率いて活動を活発化させた中での録音であり、前作「Marie Louise」の延長線上と言える。KinshasaのM'eko Soundというスタジオでの録音である。聞き物は、ルンバ・コンゴに於ける親指ピアノLikembeの第一人者であるAntoine Moundandaとのセッションが含まれている事であろう。それ以外は取り上げられているレパートリーも重複し、演奏自体も、老いてなおギラギラとした前作と比べてもあっさりしていて、良く言えば軽い、悪く言えば気の抜けたものであって、特に良いとも悪いとも言えない普通の懐古的な演奏で、ミックスも良くない。
V.A.: El Congo; Rumba Congolaise (CD, Marabi 46805.2, 2003)
Rumbanella Band: El Congo (Kwamy) |
さきのWendoのアルバム「Amba」と同時期に同じスタジオで録音されたものであり、ここでもWendoの枯れた声やAntoine Moundandaとのセッションが楽しめる。しかしなんといってもこのアルバムを特徴づけているのは、Rumbanella Bandという、1986年結成の4人編成の「若手」グループである。お写真を拝見する限り、皆様「若かった」ときはこんなじじむさいこと出来んかったが、いまになってその味がよくわかるようになって来た、という顔をしておられる。同感やね。さきに紹介したJean Boscoが「再評価」されてから、彼のバッキングをつとめていたMadou Lebon Mulowayiを中心に、主に古き良きルンバ・コンゴを新しい環境の中でよみがえらせる事が活動の意図のようだ。このアルバムではルンバ・コンゴ往年の名曲が、現在の録音技術で、かつての雰囲気を十分に生かしつつ、楽しげに生き生きと演奏されている。幾分軽めの仕上がりと言えなくもないが、声やギターの音色、バランス、情感をここまで見事によみがえらせたセンスの良さと努力には脱帽する。おそらく古いルンバへの澱みない敬意がこれをなし得たものと思う。このなかにただ1曲、彼らのオリジナルがある。リード・ギターのKakonde "Serpent" Josephの「Naluki Motungisi」である。曲名はリンガラ語で「私は和解を望んでいる」くらいの意味。歌の内容は、なんとこの世は荒廃しているのであろう、争いのない平和な世の中を、楽しい音楽で捜しに行こうではないか、と繰り返し繰り返し歌っている。ブックレットの英語の解説によると、これは男女の間柄を歌ったものだとなっているが、歌詞の文脈からして、飽くことなく紛争を続ける人類の愚かさを批判しているとしか思えない。そのような内容を、実にハッピーな曲の中で軽く歌うこのセンスこそ、コンゴのルンバの真骨頂である。良い音質でルンバ・コンゴを味わうにはまさにおすすめの1枚。
V.A.: Ngoma; The Early Years, 1948-1960 (CD Popular African Music:PAMAP-101) Wendo: Marie-Luise, 1948 |
「ルンバ・コンゴ」とは、アフリカの中央部にあるコンゴ民主共和国において、キューバからもたらされたルンバ音楽が根付いて独特の変容を遂げたものをいうが、まあそんなことはどうでも良い。この編集盤は、コンゴ独立以前の歌曲集を紹介したオムニバス盤、1948-60年当時にヨーロッパ資本で建てられた現地レーベルのひとつ「Ngoma」に遺された初期の録音を集めたものの復刻第一集である。内容は、ルンバ化される以前のコンゴ音楽で、ポップでありながら非常にアフリカ色が強い。実に穏やかで至福のポピュラー歌謡である。有名どころでは、Wendoはもちろん、Leon Bukasa、Adou Elenga、アコーディオン奏者のCamille Ferruzziなどの当時の曲が登場する。特にWendo: Marie-Luiseは名曲中の名曲で、2バージョン収録されている。伝統音楽をそのまま現代のギターで伴奏したものや、ルンバやサンバを自分たちなりに解釈したもの、演奏家の出身地方によってはっきりと匂いの違う曲など、様々な音楽が演奏されていたことに驚く。大西洋を渡って南米大陸へ伝わったアフリカ音楽の原型を思わせる演奏もあり、ブラジル北東部の音楽に興味のある方などにもおすすめ。聴き込むほどに味わいの増す一枚である。第二集もある(PAMAP-102)。豪華英文ブックレットつき。
もともと「ルンバ」という言葉は、キューバに伝わったアフリカ音楽の要素が、そこでヨーロッパやインディオ達の音楽と混血し洗練されて形成された独特のニュアンスのことであり、主に打楽器と声によって、歌い踊る音楽の楽しみ方のことをいう。キューバ音楽については余り詳しくないが、このニュアンスを持った混血音楽の完成形としての「ソン」が大流行したのが1920年代とされている。それがラジオやレコードによる、音楽的コピー文化の影響を受ける形で、1940年代には既にアフリカの都市部でも聞かれるようになっていたらしい。当然、ルーツの一部にアフリカ的要素を持った音楽だから、アフリカ大陸でも大流行して盛んに演奏されるようになった。ところが、この「ソン」という音楽形式は、それが洗練されてくる過程に於て、実に様々な要素を飲み込んで来た混血音楽であり、それぞれの音楽的手順に敬意を表するあまり、非常に厳密な形式美を追究する音楽になった。これはおそらく、地球上のあらゆる人種が混在し、隣接し、混血する中南米特有の緊張感のなせる業であろう。トレス、トランペット、ボンゴ、マラカスというシャープな音色による緻密な演奏が魅力の音楽であるが、これがアフリカ大陸に渡ると、実にアフリカ的に丸まって、そのモッサリ感、マッタリ感が、ハマると実に癒されるのである。最盛期は1960年代であるが、最近その音楽の魅力が再評価されて、非常に多くのコンピレーションが発売されている。
Jean Bosco: Mwenda wa Bayeke (CD, Mountain Records: MOU-00762, 1988) Pension |
"Mwenda"とあだ名されたJean Boscoは、Wendoと同時代のギタリストである。しかし、その活動歴はずいぶん違っている。Jean Boscoが生まれたのは、1930年のカタンガ州の「イェケ族」の村「ブンケヤ」である。その後、州都ルブンバシで銀行の衛視を勤めたりしながら、バーで歌いはじめ、1950年代の終わり頃からケニアのナイロビ方面へ頻繁にレコーディング・セッションに出ている。自然と彼の歌は、スワヒリ語で歌われることになる。 この頃のセッションで、ヒュー・トレイシーと複数のアルバムを制作したことなどがきっかけで、彼の名声は東アフリカから南アフリカ、コンゴ、ガーナ、シエラレオーネなどへと広がり、1974年にキンシャサで行なわれた、モハメド・アリとジョージ・フォアマンの世界ヘビー級タイトルマッチの際に開催された、一大ブラック・ミュージック・フェスティバルではミリアム・マケバをサポートしている。余談になるが、これに出演したファニア・オールスターズが演奏中に連呼した「ケ・ビバ・ラ・ムーシカ」というかけ声を聞いた若きパパ・ウェンバが、それを後の自分のバンド名にしたというゆかりのものである。 さて、このアルバムは、彼の華々しい活躍とは裏腹に、ギター1本によるシンプルな弾き語りである。ライナーによれば、ここに収められているのは、彼の故郷の部族の民謡、キューバ音楽とそれがアフリカ各地にまいた種、そしてアメリカのフォーク・ミュージックの影響が認められるという。彼はこの録音を終えた後、この作品がCD化される直前に自動車事故で亡くなっている。
Merveilles du Passe, Vol. 1: Hommage au Grand Kalle, Joseph Kabassele et L'African Jazz (LP, Sonodisc360142) Africa mokili mobimba |
「ルンバ・コンゴレーズの母」といわれるGrand KalleことJoseph KabasseleがAfrican Jazzを結成したのは1953年のことだった。彼は、独立前の1940年代から首都レオポルドヴィル(現キンシャサ)で流行していたキューバ音楽を、エレキ・ギター、ドラムス、ホーン・セクションなどの、いわゆるジャズ編成のバンドとして演奏し、その後のルンバのスタイルを確立した先駆者であるといわれている。流しによる酒場や通りで演奏される辻楽師の音楽から、商業ベースに則ったポピュラー音楽へと認知させたことが、彼をして「ルンバ・コンゴレーズの父」といわしめるゆえんである。 African Jazzの最も有名な曲は、"Independence Cha Cha"であろう。これは、アフリカ諸国の独立を協議する円卓会議がブリュッセルで開かれた際に演奏されたものとされている。これが"Cha Cha"とタイトルされていることからもわかるように、African Jazzの音楽は、基本的にスペイン語によるキューバのルンバ、いわゆる「ルンバ・エスパニョル」だった。これに対して、African Jazzの3年後に結成されたFrancoによるO.K. Jazzの音楽は、基本的にリンガラ語で歌われ、アフリカ的ニュアンスによって演奏されていることから、「ルンバ・リンガラ」と呼ばれている。この違いは、相当ハマり込まないとわからないので措くとして、ここでは"Africa mokili mobimba"という、リンガラ語を前面に押し出した名曲を含むレコードを紹介することにした。初出当時は、もちろんEPの時代である。このLPはそれらを編集して後年に出されたものだが、さらに後にSonodiscからほぼ同じデザインでCDとして復刻された(Sonodisc CD36503)。しかしSonodisc社は倒産し、この時代の多くの音源が入手困難になっている。
Merveilles du Passe: Eternal Docteur Nico et l'African Fiesta Sukisa 1967 (LP, Sonodisc360159) Bougie ya motema |
African Jazzが隆盛を極めていたのは1950年代末までで、1960年代にはいると欧米のポップスの大波がアフリカに打ち寄せる。中でもロック、R&B、ファンクの影響がことのほか大きく、悠長なキューバ音楽のブームは過ぎ去ってしまう。この流れの中でAfrican Jazzの勢力も次第に衰え、ついに1963年にオルケストルは崩壊する。African Jazzを支えてきたメンバーのうち、ここに紹介するギタリストのDocteur NicoのAfrican Fiesta Sukisaと、歌手だったTabou Ley率いるAfrican Fiesta National(のちのAfrisa International)、そして別項を立てて紹介するFranco率いるO.K. Jazzが頭角を現わすのである。これらは基本的にはアフリカ的に消化されたキューバ音楽の様々なバリエーションであるといえるのだが、その中で、特に後のロック的要素の芽生えともいえるギターの演奏という面で見ていくと、O.K. Jazzを率いたFrancoと、African JazzのギタリストであったDocteur Nicoが光り輝くのである。Docteur NicoがAfrican Fiesta Sukisaを結成したのは1963年といわれている。音楽的には、Tabou LeyのAfrican Fiesta Nationalが、ボーカル中心のソウルフルなバンドであったのに対して、African Fiesta Sukisaは、むしろはっきりとしたギター・バンドとして特長づけられる。ここに紹介したレコードは、キンシャサのFM局"La Voix du Zaire/ Chaine Stereo"の「昼の憩い」的な"Ntango ya kala"という番組のテーマ・ソングにもなっていた名曲"Runeme Mama"を含むLPである。残念ながら今のところCD化されていないと思われるので、同じ時期の色違いのデザインを持つCDの番号を紹介しておく(Sonodisc CD36516)。なお、Dr. Nicoのディスコグラフィーについては、http://www.muzikifan.com/に、おそらく完璧な資料があるので、関心のある方は是非ご参照願いたい。
Siongo Bavon Marie-Marie et L'orchestre Negro-Succes Ya Lisambe Bijoux |
さて、Grand Kalle、Docteur Nicoを紹介してTabou Leyに触れたからには、是非ともFranco御大にもご登場願わなければならないところだが、Francoの「T.P.O.K. Jazz」は別項を立てることにして、ここでは弟Bavon Marie Marieが率いたNegro Succesを紹介したいと思う。これは、はっきり言って第二世代の異端児である。私が思うに、彼こそがキンシャサ・ロックの萌芽、と言って過ぎるならば、種であったのではないだろうか。このNegro Succesもギター・バンドである。しかも、Bavon Marie Marieのギターは、とても激しく、ロックっぽい。さらに声が良くて、おまけに顔まで良いのだ。当時のキンシャサのシーンの人気で、たびたび兄を上回り、兄の嫉妬をかったといういわくつきの人物である。私は個人的に、彼の音楽がとても好きだ。コンピレーションが数種類出ているが、内容はこれが最も良い。誠に残念なことに、これを復刻したNgoyartoというレーベルも倒産したので、店頭在庫か中古市場をあさることになりそうだ。
Papa Noel & Adan Pedroso: Mosala Makasi (CD, Yard High YHCD3, 2001) Mbonge |
二本のギターが交差するジャケットの通り、ルンバ・コンゴのミュージック・マスターであり、Grand KalleのAfrican JazzやFrancoのT.P.O.K. Jazzなど、ロック系でない著名オルケストルを渡り歩いた偉大なギタリストであるPapa Noelと、キューバの若手シンガー・ソングライターAdan Pedroso君のデュエットによる夢のコラボレーション。音楽的に兄弟の関係にあるコンゴのSoukousとキューバのSonを、同時に演奏したらどうなるかという企画の面白さもさることながら、自国のギター・ミュージックを愛してやまない二人の、まさに手作りによる音の駆け引き、繊細さ、優しさが一杯に詰まった音の織物である。実験的試みでありながら心温まる上質な演奏記録、往々にして中南米やアフリカの音楽は身体的要素や形式論に終始して、思索という側面からは語られにくい傾向にあるが、このアルバムは、ギターの繊細さをはじめ、音楽の持ついろいろな側面を改めて考えさせてくれ、感じさせてくれる良い作品である。なにより、互いに相手の音に敬意を払い、それに呼応して高まろうとする、音楽の持つ本来の楽しさをステージで実演したこの二人の偉大なミュージシャンに、心からの敬意を送りたい。Papaのギターは、1980年以降のO.K. Jazzのほとんどで聴くことが出来るが、このアルバムでは彼の良く通る美声も聴ける。Papaにとっての初仕事を与えてくれたLeon Bukasaの"Marguerite"を除いて全て二人のオリジナル。それぞれ交互に演奏されるが、Papaがまったりと歌い始めればPedroso君がスパイスの利いたソロを入れ、Pedroso君が展開で鋭く突っ込めば優しくたしなめるようにPapaがボケる。素晴らしいの一言。圧巻は7曲目の"Soukous Son"。その名の通り同じRumbaの流れを汲むコンゴのSoukousとキューバのSonを、なんと同時に演奏する。こういうのをコラボレーションというのだ。コンゴ人はどちらかというと日本相撲協会みたいなもので、自国の伝統に誇り高く異流試合を嫌う傾向が強いが、このような価値ある共演を企画したプロデューサーと、乗った二人のギタリストに脱帽。2000年に行われたInternational Guitar Festivalでのギミックなしのライブ録音。
Kekele: Rumba Congo (CD, Stern's Africa STCD1093, 2001) Mbote ya Pamba |
「ルンバ・コンゴ」というジャンル名まで作ってしまった衝撃のアルバム。キューバ音楽の世界で一世を風靡した「Buena Vista Social Club」(1997年)の成功にあやかった、二匹目のどじょう狙いであることは明らかだが、やってみたら本家をはるかに凌ぐものが出来あがってしまった、というところがコンゴ人らしくて大拍手。参加メンバーは、Loko Massengo・Bumba Massa・Nyboma・Papa Noel・Syram Mbenza・Wuta Mayi・Jean Papy Ramanzaniなど、古き良き1960年代以前のコンゴのルンバを代表する蒼々たる面々が、いわば党派を越えて集結、さらにYves Ndjockというベトナム伝統音楽アンサンブルにも参加したという異才のカメルーン人が音楽監督を務め、一貫してアコースティック・ギターにノー・ドラム・セットという、納得のこだわりである。往年の名曲メドレーもさらっと軽く、現在の技術とアレンジで、しかもちっとも現在臭くないところがさすが。コンゴ人の体臭は、どんなに周りが変わろうとも、ちっとやそっとで変わるものではないことの見事な証明である。2007年現在で、彼らは三作を発表している。二作目「Congo Life」(STCD1097, 2003)では、沈滞するコンゴの若い音楽シーンにカツを入れるかのような、アコースティックでありながら迫力あふれるダンサブルな演奏を、さらに三作目「Kinavana」(STCD1101, 2005)では、なんとキューバ人をバックに、キューバのスタンダード曲をリンガラ語で歌う。ありきたりな伝統回帰に終わらないところもまた、コンゴ人らしくて頼もしい。
Tabu Ley & L'Afrisa International: Linda Soleil (CD, Glenn GM312075, 2001) Linda Soleil (Kwami Munsi)
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Tabu Leyは「L'African Jazz」の時代からごく最近まで活動を続けた、コンゴを代表する国民的歌手のひとりである。往々にしてFrancoと並び称せられたり比較されたりするのだが、実は全く異なる個性を持っていて、それは一言で言うならば極めてソウルフルであったということであろう。プロの歌手として活動を始めたのは1954年、Joseph Kabasselle率いる「L'African Jazz」結成の翌年に加入した。しかし1963年「L'African Jazz」は解散、紆余曲折を経てDocteur Nico率いる「African Fiesta Sukisa」と、Tabou Ley率いる「African Fiesta National(のちのAfrisa International)」に分裂する。このうち「Afrisa International」は近年まで活動していたので、1956年に結成され近年まで存続したFranco率いる「(T.P.) O.K. Jazz」のふたつが「リンガラ・ポップス」の黎明期から近年まで活動した、コンゴ音楽の二大巨頭と言われるのである。もっとも1997年のクーデターに際して、Tabu Leyはすっぱりと音楽活動をやめて新政権の内閣に入り、現在は政治家として活動中である。さて、Francoと「(T.P.) O.K. Jazz」については別項に詳述するのでここでは割愛するとして、その音楽性の違いについてのみもう少し書くならば、Francoの音楽はギター・ミュージックが基本であり、特に長大編成になった1971年の「T.P.O.K. Jazz」以降、キューバ風のルンバ、アメリカのジャズに影響を受けながらも、極めてアフリカ的に広がる宇宙があって、システマティックで精緻きわまりない錦のような構成を持ちながらも、火のように燃えるロック、混沌とした呪術的な伝統音楽、時には説教を交えた彼の野太い声をスパイスに、重厚なリズムとホーンを従えた溶岩のような重厚感など、言葉に言い尽くせぬ不可解さが魅力だったのに対して、Tabu Leyの音楽は、基本的に彼の細めの声を生かした掻き口説くようなボーカル・ミュージックであり、伴奏も情緒的なものが多く、よりリズム・アンド・ブルース、ファンクに傾倒した軽やかでおしゃれでポップな感覚に満ちている。アフリカ以外の、いわゆる「ワールド・ミュージック・ファン」からの人気が、Francoと比べて今ひとつなのに対して、コンゴ国内においては、Francoを凌ぐかと思われるほどなのはそのためであろう。当時を知るコンゴ人に話を訊くと、1970年代には、彼は押しも押されもせぬ若者のアイドルで、特にその切ない声は、当時の若いザイール女性をうっとりさせたらしい。Tabu Leyについては、詳細に纏められた資料が極めて少ないので、データをあたることを敢えてせずに、たまたま手に入れた音源の中から、最も好きなこの1枚のCDを紹介したいと思う。時期は、音質から判断して、おそらく1970年代後半から1980年代初頭にかけてと思われる。あるコンゴ人から、この時期、名ギタリストDino Vanguが在籍していたはずだと聞いたから、それとも合致する。いずれにせよ、コンゴ音楽はその10年足らずの間が最も旬だったので、データのあるCDならば、それをたよりに捜されるのが良いと思う。このCDの「Afrisa International」は、極めて緻密なアレンジとメリハリの利いた演奏で極めて良い。「T.P.O.K. Jazz」のような凝ったアレンジや重厚なホーンやコーラスなどの醍醐味は期待できないが、味わい深いTabu Leyの声が演奏に上手く乗っていてお薦め出来る。惜しむらくは、看板の「Linda Soleil」が、レコード盤おこしなのか、音飛びが数回あること、後半の選曲が良くないことである。この時代のコンゴ音楽の復刻版には、このようなロスはつきものと考えて、何枚か同じ時期のものを、曲名の重複に注意しながら集められるが良い。
Verckys Presente Tabu Ley Seigneur Rochereau: Bel Ley (LP, Edition Veve International, EVVI13D) Bel Ley {Mpeve ya Longo} (Tabu Ley) |
コンゴの国民的女性歌手といえば、Abeti Massikini・Tshala Muanaと、ここに紹介するMbilia Belが挙げられる。これは、彼女の初めての録音を含むザイール盤LPである。原盤にデータの記載がないので確定出来ないが、連番から判断して1981年頃、Abeti Massikiniのバック・コーラスを務めていた彼女はTabu Leyに見いだされ、その後国民的女性歌手として出世街道を突き進むのである。写真に見る通り、非常に端正な顔立ちのスレンダーな美女である。このとき若干22歳、Tabu Ley 41歳、親子ほど年齢差のある二人はその後、4年の月日をともに活動し、たぶん4枚のLPを世に出している。そればかりか、子どもも世に出したことが知られたときには、ザイールの女性ファンたちは地団駄を踏んで悔しがったという。Tabu Leyとの蜜月時代のMbilia Bel の代表曲と言えば、1983年発売のセカンドLPに収められた「Faux Pas」であろう。しかし、1985年には「Nakei Nairobi (私はナイロビへ行くわ) 」という決別の歌を残してTabu Leyの許を去っている。この曲がまたええんや。その後、現在に至るまで、多数のアルバムやセッションに参加して、彼女はコンゴのみならず、アフリカの代表的divaのひとりとなった。しかし、私は初録音の「Mpeve ya Longo」をこよなく愛する。それは、人気歌手Abetiのバックから、国民的大スターのTabu Leyに見いだされ、その巨体に抱きすくめられたうら若き女性の心の震えが、手に取るように感じられるからである。バックは「Afrisa International」、精緻なまでのギター・アレンジの上に艶かしいサックスが身をくねらせ、それに絡み付くようにMbilia Belの若々しく伸びやかな声が、ときに恥じらい気味にかすれたりする。そこがたまらんのよね、ヤリよってからにこのスケベじじい!
Bella-Bella des Freres Soki, 1970-1973 (CD, Sonodisc CDS36541, 1994) Tikela ngai Mobali (Soki Dianzenza)
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さてここからは時代が下って、主に1970年代以降に成立した、非ロック系ルンバ・リンガラについて、軽く紹介してみたい。Wendoに始まり、Ngomaレーベル等を中心にした、1940年代起源のミュージシャンのことを「第一世代」と呼び、1950年代Joseph Kabasselleを起源とした、キューバ風のルンバ音楽のザイール化された姿、FrancoやTabu Leyまでを「第二世代」と呼び、1960年代末にStukasに始まり、1988年Wenge Musica結成の前までのロック的な「リンガラ・ポップス」のことを「第三世代」と呼び習わしているが、以下に紹介するアーティストたちは、時期的には「第三世代」に属しながらも、「ロック的なリンガラ・ポップス」とは趣の異なるグループである。かつて、フランスのSonodiscという会社が、こうした音楽性を持つアーティストをコンピレーションしたときに、「Jeunes Orchestres Zairois」という表現で紹介したことがあるので、あるいはそういうくくりがあるのかも知れぬ。もしそういうくくり方が出来るとするならば、その一連の流れを作った最初のグループが、兄であるSoki Vangu (Maxim Soki) と、弟の Soki Dianzenza (Emile Soki) の兄弟が率いた「L'orchestre Bella-Bella」である。このグループからは、以下に紹介するグループが派生、またはミュージシャンが関係していて、音楽的なセンスも非常に近しいものがある。その感触を一言でいうならば、「軽くて上質なトロピカル・ルンバ」とでもいうべきか、ザイールのディープな淵に踏み迷うのではなく、あくまで晴れ渡るアフリカの空をイメージさせるような、ギターがきらきらと輝き、透明感あふれる美しいコーラスが彩り、歯切れの良いリズムが快速で飛ばすという、まったく美しくてわかりやすい、アフリカの新しいルンバ音楽を構築した。そういう意味で、「Jeunes Orchestres Zairois」だったのであろうと思われる。上の復刻CDは、Sonodisc社の倒産で流通在庫か中古市場にあるのみである。その後、シリーズ5枚組で復刻された。2009年2月現在、ここで入手出来るようだ。
Lipwa Lipwa de Nyboma (CD, Sonodisc CD36566)
Amba (Nyboma)
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Nybomaは、おそらくコンゴで最も澄んだ美声の持ち主であり、私は彼の作品がこよなく好きである。彼は、上に挙げたFrandoの弟Bavon Marie-Marieが率いていた「Negro Succes」の歌手としてデビューし、その後「Bella-Bella」に移り、ザイール音楽界の大物プロデューサーVercky'sの目に留まってその傘下に入り、自らのバンド「Lipwa Lipwa」を結成する。これはその時代に録音された音源だが、なにせ日本にはシングルがほとんど入らず、LPも代表曲を集めたものしかなかったので、詳しいデータはわからない。しかし、Nybomaの高い声が良く生かされ、質の良いピースフルなトロピカル・ルンバを実現しているが、演奏は非常に素朴であり、過剰なところのないのが素晴らしい。このCD自体は、なんのデータの記載もないやっつけ仕事だが、まとまって聞けるものはこれと、似たジャケット・イメージで出た次番の「Kamale & Lipwa Lipwa (CD, Sonodisc CD36567)」の2枚しかない。残念ながらSonodisc社の倒産で両方とも流通在庫か中古市場にあるのみであるが、人気グループなのでいつかは復刻されるであろう。
Nyboma et L'orchestre Les Kamale Dynamique (CD, Productions Rigo Masengo RMP304398) Double Double (Nyboma)
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Nybomaといえば「Les Kamale」である。「Kamale」といえば、上でちらっと触れた「Kamale & Lipwa Lipwa (CD, Sonodisc CD36567)」のなかに「Kamale」という「Lipwa Lipwa」の曲が入っていてややこしいのだが、そこを脱退して多分1979年頃に結成されたのが「Les Kamale」である。実はこの「Les Kamale」は活動時期が大きくふたつに分かれていて、さきのCDに入っていたのは、その前期のものである。このあと、Nybomaは西への旅に出て、TogoにいたSam Mangwana率いる「African Allstars」に草蛙を脱いでいるのだが、Sam MangwanaがほどなくCote d'ivoireのAbidjanへ去ってしまったために、残されたミュージシャン、すなわちDizzy Mandjeku (g.) やLokassaya Mbongo (g.) 、Ringo Moya (dr.) 等は、抜けたリード・ボーカルの席にNybomaを座らせることになる。こうしてしばらくは「African Allstars」として活動するのだが、バンド名義がSam Mangwanaのものであったので、古巣のDally Kimokoと、下に紹介するBopol Mansiamina・・・ややこしいことに、彼もまた「African Allstars」のメンバーだったのだが、まあ結構人間関係は良いみたいで、こうしてたぶん1981年、いわば第二次「Les Kamale」、すなわち「L'orchestre Les Kamale Dynamique du Zaire」が結成される。彼等はキンシャサのシーンを離れ、主に録音設備が整い、TogoやBeninなどフランス語圏アフリカ諸国から有能なミュージシャンが多数集まっていたCote d'ivoireのAbidjanで活動した。この動きが、先に触れた「Jeunes Orchestres Zairois」に名を連ねたグループに波及して、ひとつの流れを形成したことから、俗に「アビジャン・リンガラ」と呼ばれたりもする。いわゆる「リンガラ・ポップス」の汎アフリカ的伝播の西の拠点である。一方、東の拠点はナイロビであって、ここには「Bella-Bella」を辞した「Kanda Bongo Man」・「Orchestre Super Mazembe」・「Orchestra Maquis Original」・「Orchestra Makassy」など、キンシャサにルーツを持つミュージシャンたちが、現地のミュージシャンと交流しながら根付いて行くのである。前者は、主にZoukに影響された、おしゃれで軽やかなフレンチ・テイストのアフリカン・ポップスを得意としていたのに対して、後者は、人脈的に「T.P.O.K. Jazz」の流れを汲んでいることから、それよりも重厚で緻密な感触を持っているのが特長である。後者については別項にて後日紹介したい。さて、このCDは、その後期「L'orchestre Les Kamale Dynamique du Zaire」の代表的LP「Double Double」と「Pepe」の2 in 1である。内容は、Nybomaの才能が開花し、万全の自信を持って、しかも軽く構築された、洗練されたトロピカル・ルンバであって、ここに彼の絶頂を聞く事が出来る。ドライブ・デートにも気分ピーカンの真夏のダンス・ミュージック最高傑作。理屈抜き文句なしの熱烈推薦盤。
The Best Guitarist Vata Mombassa: Vimpi (LP, Papa Disco/ Blues Interactions AC10010, 1984) Kateka (Vata Mombassa)
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日本のBlues Interactions社が1984年にディストリビュートした、一連のアビジャン録音アフリカ音楽シリーズ。その帯のコピーに「このギターのリズムのウネリがリンガラの真髄だ」とある。全くその通り、Vata Mombassaは「リンガラ・ポップス」のギタリストの中で、おそらく最も重要な人物のひとりである。「リンガラ・ポップス」のギターの粋は、リズムギター (この世界ではguitar accompagnement、略して「アコンパ」という) にある。このひとのギターが打ち出すグルーブはまさに絶妙で、キューバ風のルンバをコンゴ風に換骨奪胎したリズムのセンスを、ギター演奏の形で具現し得た最初の人物といえるだろう。この後に続く全てのリズム・ギターは、全てこのひとの奏法を基本にしていると言っても過言ではない。このLPは、まさにベスト・ギタリストVata Mombassaの自作自演曲、キンシャサのしがらみを離れたからこそ実現した音の結晶である。Vata Mombassaは、もとSoki Vangu率いる「Bella-Bella」に属し、そこを脱退してNybomaとともに「Lipwa Lipwa」の結成に参加し、Nybomaが離脱して「Les Kamale」を結成した際に「Lipwa Lipwa」を率いることになる。そして、キンシャサのミュージシャンたちが音楽的環境の良さを求めてAbidjanで録音するようになりはじめた頃に、このアルバムは録音されたものと思われる。原盤にデータの記載がないので詳細は不明だが、同じAbidjanのレーベル「Papa Disco」から「Vata Mombassa: En Colere (LP, ASLP977 {Polygram, Kenya}, 1983) があり、音の状態からしてほとんど同じセットと思われるので、参考までにそのケニア版に記されたパーソネルを載せておく。リーダーはVata Mombassa (g. accomp)・Dizzy Mandjeku (g. solo)・Julios (g. mi-solo)・Dr. NicoのベーシストだったLumingu Puati・Benin人のドラマーDaniel Sagbohan・歌手にLe Petit Bovyという若者がクレジットされている。今から考えてみると、つくづく当時のBlues Interactions社の見識に驚かされる。このようなギターの良さが本当にわかるようになったのは、あまたの彼等の音楽を20年以上も聞きまくり、自分たちでも試行錯誤してライブを重ねた結果、ようやくごく最近だったにもかかわらず、Blues Interactions社は、現地での発売のほぼ一年後に日本版を発売しているのである。しかも、上のようにまさに的を得たコピーをつけて・・・
Sam Mangwana: Galo Negro (CD, Putumayo 140-2, 1998) Galo Negro |
Sam Mangwanaは、1945年Kinshasa生まれのシンガー・ソングライターであるが、実はアンゴラ人の家系に生まれている。そのためか、不思議な物悲しさを感じさせる歌が多い。このアルパムは、彼のそうした側面、独特のアフリカ的郷愁をさらりと表現したものとしてお奨めしたい。彼の芸歴は、18歳頃からDr. NicoのAfrican FiestaやFrancoのT.P.O.K. Jazzにギタリストとして加入し「ギターの魔術師」と呼ばれ、その後ソロに転じてAngolaやMozambiqueなどのポルトガル語圏アフリカ諸国、ひいてはフレンチ・カリビアン諸国からキューバまでを遍歴し、数多くの録音を残している。彼の作品はT.P.O.K. Jazzとのミュージシャンとのセッションものが多いが、特にCote d'ivoireのAbidjanで結成された「African Allstars」が、彼の作品としては代表的なものとされている。しかしここに紹介するアルバムは、ずっと時代を下った1998年のソロである。彼にとっても、Putumayoレーベルにとっても異色の作品と言えるだろう。全編Papa Noelとのコラボレーションで、大掛かりなT.P.O.K. Jazzとのセッションでは得られない身軽さと自由さが感じられ、彼の遍歴した様々な国の音楽的要素が、見事に彼の中で消化されて歌われている。アフリカの外の世界の人が、アフリカをイメージしたフュージョン・ミュージックというものは多数あるが、Papa NoelとSam Mangwanaという、アフリカを代表するような熟練の音楽家がなしえた、汎アフリカ的な良質のフュージョン・ミュージックとしては、他に例をみないのではないか。アフリカン・ヒーリング・ミュージックの美学が大変良い形で引き出されたものとして、このアルバムは高く評価されるべきだと思う。
Fantastic Tchico: Mon Enfant (LP, Maikano/ Blues Interactions AC10012, 1980) Mon Enfant (Tchico Tchicaya)
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Bopol Mansiamina et Orchestre Mode Succes (LP, Innovation 001/ Blues Interactions AC10011) Pitie, Je veux la Reconciliation (Bopol Mansiamina)
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Putumayo: African Party(CD, P276-SL)に「Samba」Samba」が収録
Shama Shama de Mopero: Basaleli ngai Likita, 1971/ 1976 (CD, Ngoyarto NG053) Basaleli ngai Likita (Mopero)
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