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T.P.O.K. Jazzの1970-80年代...老舗が奏でる豪快で繊細なアフリカン・ルンバの織物

Franco: Special 20e Anniversaire du Tout Puissant O.K. Jazz 1956-1976 (CD, Sonodisc CD50382, CD50383, 1989 re-issued)

Liberte (Franco)
Matat ya muasi na mobali ekoki kosila te (Franco)
Melou (Wuta Mayi)
Voyage na Bandundu (Ndombe Opetum)
Kamikaze (Youlou Mabiala)
Nzete esololaka na moto te (Michael Boyibanda)

Baninga tokola balingaka ngai te (Checain Lola Djangi)
Seli-ja (Josky)
Salima (Michelino)
Tosambi bapeji {bapesi} yo raison na quartier (Franco)
Bokolo bana ya mbanda na yo malamu (Franco)

 T.P.O.K. Jazzで何を初めに推薦するかといえば、このアルバムである。これが好きになれなかったら、T.P.O.K. Jazzは別に聞かなくてもよかろう。これは結成20周年を記念して制作されたアルバムで、混沌の中の絹の手触りのようなアフリカン・ルンバで全編埋め尽くされている。曲調は幾分ゆったりめだが、音楽の「心・技・体」、すなわち楽曲・演奏力・録音状態すべてが最上の品質であり、彼らを代表する名盤である。ロックの好きな人には、少し不向きかもしれない。これは、もともと同タイトルの2枚組のLP(Sonodisc 360.082/ 83)として発売されていたもので、CD化に際して分けられた。収録曲、時間ともLPそのままなのでまずはお薦めする。これ以上何もいうまい。とにかく見つけて聴くべし。全く同一のジャケットで「Matata ya...」のみ重複するLP「Authenticite, Vol. 5」(Sonodisc 360.103)もあったが、これはシングルを途中で切って短縮して6曲詰め込んだにも関わらず、ノーカットの時間表記をしたひどい代物で、音質も悪くLPを探索する人は要注意。曲や演奏そのものは良い。そのLPの他の収録曲はバラバラにCD化されたが、そのうち何曲かは下記に紹介した。

 さて、T.P.O.K. Jazzとは、1956年にFrancoとあだ名されるLuambo Makiadiが結成した、コンゴを代表する超大オルケストルである。Franco存命中のほとんどの時期は、彼らの国名は「ザイール共和国」であったが、ここでは「コンゴ」で統一しておくことにする。結成当時は単にO.K. Jazzと名乗っていた。正式名称は、「Le Tout Puissant Orchestre Kinois de Jazz」という。O.K. Jazzの名は、その結成期に彼等が活動の本拠としていたO.K. Barの名に由来し、バーの名はそこの経営者Oscar Kashamaのイニシャルをとったものらしい。彼等はGrand KalleのAfrican Jazzと人気を二分するまでになり、キンシャサ・ジャズを代表するオルケストルとなった。そこでFrancoは読み方をOrchestre Kinois(キンシャサのオルケストル)と変え、1971年に当時のザイール共和国のモブツ大統領が打ち出した「伝統回帰(Authenticite)政策」に便乗する際に、「Tout Puissant(全能の)」という頭文字をつけた。

 T.P.O.K. Jazzは、アフリカ全土でも最も息の長いオルケストルのひとつである。そのため、リリースされたシングル、アルバムなどは膨大、関わったミュージシャンやそのセッションものまで見ていくと、音源は星の数ほどあって実数を把握することすら難しい。もちろん私が所有しているのはその一部に過ぎない。そのなかで何を紹介するか。様々な意見があるだろうが、もはや独断で厳選するより他はない。なお、T.P.O.K. Jazzの知る上で大変重要なサイトを二つ紹介しておきたい。このページを書くにあたって、大いに参考にさせていただいた。これら二つのサイトの主催者に心からの敬意を表したい。

 http://www.asahi-net.or.jp/~xx3n-di/
 トップページから「DISCOGRAPHIES」→「DISCOGRAPHY OF FRANCO & OK JAZZ」をクリックすると、T.P.O.K. Jazzについての、おそらく完璧なディスコグラフィーにアクセスできる。曲名インデックスのほか、初出当時のシングルの番号と、それらを収録したLP、さらに再発されたCDの変遷を追えるようになっているので、重複を最小限に抑えながら彼らの曲を多く集める事が出来る。曲に関するコメントはないが、資料価値は絶大。

 http://www.ma.ccnw.ne.jp/zoiyoi/
 「Franco」を捜してクリックすると、前者とは違って、膨大な音源の中から筆者厳選のおすすめ盤について、大変思い入れのこもったコメントを読む事が出来る。私の選んだものとはだいぶ違うので、両者を比較することにより、より見識を広げる事が出来るであろう。特に、録音にまつわる裏話が研究資料によって調べ尽くされており、結成からFrancoの死まで、まさに大河小説のように、読み物としても存分に楽しめる。こちらは再発されたCDを基準に書かれているので、これから集めはじめる人の良き道しるべとなるであろう。

 アフリカ音楽の古い音源は多かれ少なかれ同じと思われるが、コンゴ音楽シーンでは1980年代半ばくらいまでは、45Tドーナッツタイプのシングル盤での流通が主であった。従って、長い曲はAB面に曲を分割して収録されている。CDなどの表記で、タイトルの次に「1 & 2」などと書かれているのがそれである。こういうものを聞くと、曲の途中で一旦フェイド・アウトし、少し戻ったあたりから続きがフェイド・インしてくる。こうしたシングルは、現地に多数あるエディシォンから発売されていて、シーンの隆盛にしたがって、ヨーロッパ資本のレコード会社が版権を買い取り、順次数曲ずつをまとめてLP化していった。その際、厳密に収録順ではなく、買い取った版権ごとにまとめる傾向にあったため、同じLPに異なる時期や編成の曲が収録されていたり、本来関連しているはずの複数の曲が、関連のない別の曲と組み合わされて別々にLP化されたりしている。さらにCD化されるに際しても販売戦略上の観点からか、名曲をわざと分散させたり、目玉として同じ曲を複数の編集盤で使う傾向があり、レア曲を手に入れようと思うと、既に持っている曲とランダムに重複して行く事になる。なお悪い事に、作曲者、年代などが時として記載されておらず、また曲名すらあやふやであり、アルバムにタイトルがないか、ほとんどは同じタイトル、つまり「Franco & Le T.P.O.K. Jazz」などと書かれているだけで区別がつかない。くわえて、ジャケット写真を無関係なところから持って来たり、固有番号が表紙と中身で違っていたり、同一ジャケットの中身違い、同一内容のジャケット違いに、単なる中身違いまで加わっていたりして、全く方針の一貫しない困乱した編集盤が多く生産された。また、曲を途中で切ったり、真ん中を落として繋いだりと、音楽に対する誠意を欠いたものも大変多い。この状況をなんとかしようとして、ベスト盤のようなシリーズが刊行されはじめても、なにせ曲が膨大で権利関係も複雑なために大抵途中で頓挫し、買い取られた版権が再びランダムに譲渡されてしまうことになる。T.P.O.K. Jazzの場合、その版権の大部分を握っていたフランスのSonodisc社とNgoyarto社が近年倒産し、版権はバラバラに売却されたと聞く。体系的な再発はまだないようなので、2007年現状では、これらの音源は流通在庫と中古市場から見いだすしか方法はない。このような事態が、今から探索しようとするファンに多くの苦労を与えるのであるが、唯一の指針は、ジャケット写真でもアルバム・タイトルでもなく、曲名なのである。従って、上のhttp://www.asahi-net.or.jp/~xx3n-di/の存在意義は果てしなく大きい。なお、探索の便宜のため、同一曲に通称や別名がある場合と、明らかな誤植は、収録盤の表記に続いて、{ }で追記する事にした。

 さて、T.P.O.K. Jazzは、すごいすごいという噂ばかりが先行して、一体何がどうすごいのかさっぱりわからず、気紛れにジャケ買いしてみたらLP2枚組が全編Francoの説教だったり、また「組曲」というタイトルに惑わされて買ってみたら、これまたLP2枚組が全編同じメロディの繰り返しだったりしたのでとっとと売り飛ばし、こんなもの二度と買うまいと心に誓った時期がある。しかしT.P.O.K. Jazzというのは、いわばコンゴの国民的オルケストルであって、ということは、つまりコンゴのさまざまな政治的経済的そして歴史的局面に於いて、コンゴのありとあらゆる階層の人々、ことによったら国外にいるコンゴ人たちの、多種多様な欲求に応える必要があった。たとえばエイズの流行があれば、「エイズに気をつけろ」という歌が、広大なコンゴのどんな民族の老若男女にもわかるように、くりかえしくりかえし、言葉を変え譬え話を交え、猥談も交えながらいわば口説き節のように、または河内音頭のように、延々と説き聞かせる必要がある。それもコンゴの音楽の重要な役割だからである。こういうことは、日本人の常識ではとても計り知ることの出来ないことなのだが、これを大らかに受け止めて面白がるくらいでないと、この摩訶不思議なオルケストルを味わうことは難しい。そのような遊び心を持ってすれば、アフリカ音楽に関する日本人一般のイメージは払拭され、その豊かで情感の深い、さらに彫りが深く混沌とした、まさに清濁合わせ飲んで悠然と流れる大河「コンゴ」のように、その魅力的な宇宙に病み付きになるであろう。T.P.O.K. Jazzこそが、世界一のアフリカ音楽オルケストルだと私は思う。探索して値打ちのあるこのオルケストルの魅力を、是非知っていただきたい・・・とはいっても、私とて、その魅力に開眼し、その事情を理解できるようになったのは、長年ルンバ・ロックを聴き続けて、いい加減あきた頃であった。幸いにして、今はCDによる復刻という一定の篩にかけられているので、余りにも特殊な目的のために作られたアルバムに当たるということは先ずない。ここでは、彼等の音楽を時期によって大きく4つの傾向に分け、お奨め盤を絞り込んで行きたいと思う。なお、私の所有している音源の大半はLPであるが、なるべく各種資料を調べてCD化されているものに直して紹介するようにした。CD化されていないものについては、特に断ってLPの状態で補足した。

 では彼らの歴史を見て行こう。詳細はhttp://www.ma.ccnw.ne.jp/zoiyoi/を参照されたし。まず、1956年の結成から1970年までを仮に「第1期」とする。この時期は、主にキューバ音楽に影響された短い歌曲が中心である。彼等は、当時主流だったスペイン語で歌われるルンバをそのまま演奏するやり方を良しとせず、独自のアフリカ的センスの上に立って演奏しようとしていた。そこにFrancoの独自の個性が既に表れているのだが、それは余っ程゜このジャンルのものが好きでないと違いがわからないほど微妙なものである。また、歌詞の内容が一筋縄ではいかず、掛詞も多く使われていて、言葉が解らないと真の魅力をうかがい知ることが出来ない。それについて書きはじめると大変なことになるし、また読んでくれるひともなかろうから割愛させていただいて、「Tout Puissant」の冠のついた1971年以降のお薦め盤について、時系列にご紹介しようと思う。


 「第1期」1956-1970 割愛


 「第2期」1971-1980

Franco & le TP OK Jazz 1971/1972: Likambo ya Ngana
(CD, Sonodisc CD36581 re-issued)

Likambo ya Ngana (Franco)
Mbanda na sali nini? (Camille Ferruzzi)
Siluwangi wapi accordeon? (Camille Ferruzzi)
Ngai tembe eleka (Franco)
Matata (Franco)
Casier judiciaire (Franco)
Mwasi tata abali sika (Franco)
Tout se paie ici-bas (Franco)
Nzoto na makanisi(Celi Bitshou)
Abanza (Michael Boyibanda)
Nzube oleka te (Youlou Mabiala)
Ngoma nganga (Lutumba Simarro)

 1971年というと、1965年にクーデターで政権の座についたモブツ大統領が、国名を「コンゴ民主共和国」から「ザイール共和国」に改めた年である。大統領は新しい国づくりに当たって、西欧化する事によって国を建てるのではなく、伝統に回帰する事によって国を建てようとした。そして西側諸国ではなく、中国やソ連など、東側諸国との関係を深めて行くが、この事がアフリカ大陸に東西代理戦争を引き起こす一要因になる。大統領は自ら党首を務める革命人民運動(MPR)の一党独裁体制を敷き、国を流れる大河の名前を「ザイール河」と改め、流域諸部族の意思疎通のために生まれた「リンガラ語」を国語と定め、伝統的な布か中国風の人民服の着用を強制するなどした。これを伝統回帰(Authenticite)政策という。それまで一介の人気バンドに過ぎなかったO.K. Jazzは、その宣伝役を以て任ずる、いわばナショナル・オーケストラとしての性格を帯び、「文化」の名の下に行われた国家戦略に加担する見返りに、膨大な資金援助を得たとされている。

 音楽シーンに目を向ければ、もちろん対抗していたのはTabu Ley率いるL'Afrisa Internationalだが、若い世代の台頭も著しかった。1969年にZaiko Langa LangaとStukasは既に活動を開始、既に「キンシャサ・ロック」の萌芽が見られる。非Rock的なグループとしては、Pepe KalleのEmpire Bakuba・Joskyの在籍したContinental・Ntesa DalienstのGrand Maquisards・James BrownのFunkにもろに傾倒したSosolisoなど、対岸のBrazzavilleにはYoulou Mabialaの率いていたKamikaze Loningisa・そしてThu Zahinaなどがあった。百花繚乱である。

 この時期T.P.O.K. Jazzに加入していた重要人物を紹介しておこう。もちろんリーダーはFranco (1938-1989)、本名はLuambo Makiadiといい、クリスチャン・ネームはFrancoisだが、一時イスラムに改宗した時期があってAbubakkar Sidikkiと称していた事もある。Lola-Lo-Langalwa-Djo Pene、Lo-Kanga Lwa-Djo Peneなどの異名もあるようだ。後にLe Grand Maitreなどの称号がつくが、ややこしいからこのページではFrancoで統一しておく。次に最後までFrancoと行動をともにしたギタリストで作詞家、1963年加入のLutumba Simaro、Simaro Massiyaなどの名を持ち、後にLe Grand Poete「詩人」と称されるSimon Lutumba Ndomanueno、混乱するので表記に関わらずSimarroで統一する。彼はこの頃既にFrancoに次ぐ影響力があったといわれており、非常に手の込んだ味わい深い曲を作る人である。個人的にはこの人を追えばT.P.O.K. Jazzの、いやコンゴ音楽の良いとこ取りが最も効率的にできるのではないかとさえ思うくらいである。そして、在籍は短期間だったがFrancoの影武者といわれ、その後アフリカ各地を転々として自分の求めるルンバを弾き続けたギタリストのMoses Fan-Fan。彼のギターは(T.P.)O.K. Jazzのサウンドに新風を吹き込んだ。歌手では、1960年代のコーラスを中心とした曲作りからリード・ボーカリストをフィーチャーする時期への転換期だった。この後を引き継いで行く重要な若手歌手としては、Youlou Mabiala、Michael Boyibanda、Celi Bitshouの名が挙げられる。リズム・セクションとホーン・セクションは言及するときりがないので、申し訳ないが割愛する。この時期、T.P.O.K. Jazzは既に在籍30人以上を数えている。

 さて、大統領のお墨付きという天下無敵の後ろ盾を得たT.P.O.K. Jazzは、堰を切ったようにレコーディングを重ね、名実共に「全能の」(Tout Puissant)オーケストラに成長していく。1960年代にはO.K. Jazzと人気を二分したAfrican Jazzはすでに有名無実、宿敵Afrisa Internationalもこの勢いには勝てなかった。次々にミュージシャンをリクルートし、T.P.O.K. Jazzの演奏には複雑な要素が入り乱れ、国の広告塔として様々な要求に応えることになった。実際面では、それまで単に歌を聴かせていれば良かったものを、国策の実践としての行動を盛り込むよう求められた。すなわち、ダンス・パートとしての「sebene」の確立である。「sebene」とは本来は「間奏」、つまり歌と歌の間の楽器演奏を聴かせる部分の事であり歌の添え物であったのだが、曲に勢いを付け、彩りを添え、ダンスを楽しむ要求から、この部分が複雑化し、長くなり、次第に歌の「間」では足りなくなって、独立した組曲の一部のように、歌のあとに付けられ、延々と演奏されるようになる。本来は、音楽的な楽しみのために発生して来たものだが、T.P.O.K. Jazzの場合、そこに様々な政治的意図が絡んでしまったところに、清濁混沌とした味わい深さが感じられるのである。

 1971年のこのアルバムでは、ギタリストとしてのFrancoが、徐々に歌を中心としたコンゴ風ルンバ音楽から発展して、ギター・ソロ、ギター同士の絡み合い、ホーン・アンサンブルへと、バリエーションを広げて行く過渡期の演奏を聞く事が出来る。過渡期であるだけに、全盛期のT.P.O.K. Jazzに聞かれるような完成されたアンサンブルはまだなく、前世代的な歌曲のスタイルとモダンなダンス・ミュージックが混在している。ドラムセットは使われておらず、リズムはコンガとマラカスという渋さで、このことが却って、曲のスタイルに自由な空気を与えているように思われる。特にアルバムの冒頭から3曲にわたって収録された、コンゴを代表するアコーディオン奏者Camille Ferruzziをフィーチャーした珍しいセレナーデが出色。ルンバ歌曲が全盛であった頃には、このような物悲しいボレーロが多く作られていたが、後年にはほとんど聞かれなくなる。むせび泣くようなアコーディオンのもの悲しさを秘めたアフリカン・ルンバ・・・しかもバックがT.P.O.K. Jazz。こうしたミスマッチな魅力を味わうのも一興。しかしこれは奇麗ごとではなく、伝統回帰政策のプロパガンダのために担ぎだされた事は明白である。なぜならCamille Ferruzziは、African Jazzの普及にかき消されるように、とっくの昔に忘れ去られた全世代の存在だったからである。ともあれ、この時期の録音は、来たるべき長大オルケストルになる前の若武者のような震えが感じられる。聴き込むほどに味わい深い初期「T.P.」O.K. Jazz。音源はEditions Populaires。

 

Franco & le T.P.O.K. Jazz 1972/ 1973/ 1974
(CD, Sonodisc CD36538, 1993 re-issued)

A. Z. Da (Franco)
Assitu (Franco)
Minuit eleki lezi (Simarro)
Zando ya tipo-tipo (Michael Boyibanda)
Lukika (Checain Lola Djangi)

Mabele {Ntotu} (Simarro)
Kinsiona (Franco)
Luka mobali moko (Sam Mangwana)
Monzo (Josky)
Kinzonzi kitata mbenda (Franco)
Muana oyo (Franco)
Mambu ma miondo (Franco)

 このCDは、Sonodiscから1974年に発売された2枚のLP(360.053、360.056)を2in1にしたもの。全曲収録されてはいるものの、残念な事に多くの曲はかなり短縮されている。私はLPで所有しているが、ジャケットはこの次に紹介するCD「Franco: Nakoma mbanda na ngai (CD, Sonodisc CD36571, 1997 re-issued)」の、彼の顔写真を大写しにしたものである。逆にこのCDのジャケットは、1977年に3枚シリーズでSonodiscから発売されたLPのジャケットに使われた時期のステージ写真から流用されているので、ジャケットから収録時期を類推しない方が良い。LPを捜すのが理想的。全てオリジナル音源はEditions Populaires。

 この時期に新規加入した主要メンバーは、まずはL'orchestre Continentalの歌手であったJosky Kiambukuta。彼は、独特の高い澄んだ美声を持ち、次々とリード・ボーカルが歌い継ぐT.P.O.K. Jazzのスタイルを支え、後に2番手の歌手に成長する。Kiambukuta Londaともクレジットされているが、全てJoskyで統一する。次に、アンゴラ人の家系に生まれ、Dr. NicoのAfrican FiestaからFestival des Maquisardsなどを経て加入し、短い在籍後にアフリカ各地から中米までを転々とする、渡り鳥のような名(迷)歌手のSam Mangwana。彼はその後もよく舞い戻ってT.P.O.K. Jazzとセッション・アルバムを残している。そしてもう一人、T.P.O.K. Jazzの情感を特徴づけるベースを弾くようになる若手ベーシストのMpudi Decca、Mpudi Zi Kisalaとも表記されているがDeccaで統一する。音楽シーンでは、1974年に、「キンシャサの奇跡」と言われるMuhammad AliとGeorge Foremanの、ボクシング世界ヘビー級タイトル・マッチが行われ、それを記念して一大ブラック・ミュージック・フェスティバルが開催された。特にFania Allstarsのライブは、既にZaikoを抜けて同士とともにIsifi Lokoleを結成していた若きPapa Wembaをして、Viva la Musica命名のきっかけを与えた。Soki VanguがBella Bellaを結成、NybomaはLipua LipuaからLe Kamaleに移行していた。すでにsebeneは16ビートの"Cavacha"の時代に入っていた。

 内容であるが、出色は「Minuit eleki lezi」、特に後半sebeneに現れる、畳み掛けるようなFrancoのギター・ソロが絶品。まるで前戯から徐々に高まって絶頂に達する性行為のように、sebeneへの段階の踏み方が自然で、絶頂に達したあとの弾けるように果てて行くさまは迫力満点。音色、フレージング、間の取り方、崩し方、Francoらしさがこれほどはっきりと現れたギター・ソロも珍しい。これを聴いているだけでキンシャサの夜が眼前に広がるほど、リンガラ・ポップスの醍醐味を体感できる名曲である。ただしこの曲、シングルからLPに収録されたときに、A面B面を取り違えたらしく、LPでは曲の後半から先に出る。CDでそれが直されたのかどうかは確認していない。6曲目の「Mabele」は、前年新規加入したSam Mangwanaの歌手としての初仕事。作曲は「詩人」Simmaroで、彼の長くて示唆に富んだ詩を持つ曲のスタイルが、この曲でほぼ完成したのではないかと思われる。LPでは11分半あり、sebeneなしの全編ルンバ歌謡で、Sam Mangwanaの甘い声が冴え渡る。「Monzo」は、作曲家としてのSam Mangwana初期の名曲、さらに続くのは、珍しいT.P.O.K. Jazzのフォルクロール3曲、1枚で様々な味わいを持つお薦め盤である。

 

Franco: Nakoma mbanda na ngai
(CD, Sonodisc CD36571, 1997 re-issued)

Nakoma mbanda na mama ya mobali {na} ngai (Franco)
Makaya (Decca)
Boni Nkaka (Youlou Mabiala)
Bena (Ndombe Opetum)
Desespoir (Simarro)
Appartment (Franco)

 このCDは、資料によるとおそらく1970年代中頃に録音された曲集で、出典はEditions Populaires。演奏から判断して、このページの冒頭で紹介した結成20周年記念アルバムと同時期と思われるが、LPにもならなかったレア音源なので、コレクターズ・アイテムと言えるだろう。1曲目の「Nakoma mbanda na mama ya mobali ngai」が非常に良い出来で、この1曲のために買う価値あり。説教じみたお得意のFranco節のあと、ホーン・セクションの滝をかいくぐるかのように、めくるめくギター・ソロが展開される。タイトルはCD表記通りとしたが、リンガラ語としては最後は「...na ngai」と「na」を入れるべきで、実際歌詞もそのように歌われている。さて、2曲目以降は、正直言って1曲目をCD化するために付け加えられたのではないかと思わせる内容である。T.P.O.K. Jazzをあまり好きでないという人に話を聞いてみると、運悪く状態の良くない音源に当たってしまった人が多い。この頃までの彼らの録音は非常にムラが多く、冒頭の「20周年」とこの1曲目のように、アレンジも音の分離もきちんとしていて、聴いているだけで豊かな世界に浸れる音源はむしろ少ないのが実情である。予算の関係や諸般の事情によって、使える機材や設備やオペレーターが大きく変わったのであろう、ひどい音質のもの、声がかすれているもの、リード・ギターやボーカルが抜けていたり、明らかに小さすぎて曲調のわからないものも多い。いったん良い状態の音源になじむと、そうでないものも類推して曲調を想像できるが、逆はそうもいかない。

 私が初めてキンシャサへ行った1989年当時、レコーディング・スタジオといっても、大規模な設備を整えていたのはEditions Veveだけで、ほかはせいぜい8トラックか16トラックであった。その年に現地で私も参加して録音したRumba Rayの「Miranda」は、Studio BobongoというChoc Stars系列のグループが主に使っていたスタジオであったが、16トラックの一発録りであった。二流バンドならいざ知らず、大所帯のT.P.O.K. Jazzがレコーディングにどれだけの設備を要したか、その手配を想像するに、これは誠に不幸な事であったと言わざるを得ない。このCDの2曲目以降は、そういう耳で良く聞けば、大変良い曲なのであるが、いかんせん音が良くない。従って、レア音源を満載したコレクターズ・アイテムなのである。

 「20周年」アルバムを補足説明する事にもなるが、この時期までに新規加入したのは、歌手では、Joskyに続いてL'orchestre ContinentalからMayi Wutatumba、Wuta Mayiで統一、Afrisa Internationalから(Pepe) Ndombe Opetum、ギタリストにThu ZainaからThierry Mantuika KobiとGege Mangaya、Afrisa Internationalから華やかなルックスのリード・ギターMavatiku Vissi、ニックネームのMichelinoで統一。さらにLe Grand MaquisardsからGerrry Dialunganaの加入を得て、まさに万全の布陣となる。いずれ劣らぬ腕利きのギタリストで、この時期の録音でFrancoのかき口説くようなギター・ソロを支え、クールにリズムをキープする彼らのアンサンブルは美しい事この上ない。そうした上に、良好なレコーディング・コンディションが重なって、「20周年」の名盤が生まれたのである。

 

 

Franco & Le TP OK Jazz: Bomba Bomba Mabe "Mbongo" 1977-1978-1979
(CD, Sonodisc CD36545, 1995 re-issued)

Oh Miguel! (Franco)
Sala Lokola Luntadila
 {Tambwe Luntadilla} (Checain Lola Djangi)
Malou o Bijou {Badjekate} (Decca)
Bomba, Bomba, Mabe (Franco)
Navanda Bombanda (Gerry Dialungama)
Libala ya Bana na Bana (Checain Lola Djangi)
Mbongo (Simarro)
Amour Viole (Josky)
Lotambe (Wuta Mayi)

 

Franco et Le T.P. OK Jazz: Souvenirs de Un Deux Trois
(CD, Sonodisc CD36551, 1995? re-issued)

Ba Pensees (Josky)
Ba beau Freres (Franco)
Mace (Simarro)
Bandeko na ngai ya mibali
{Bandeko na ngai ya mibali basundoli ngai} (Franco)
Moleka {Moleka okoniokola ngai ntina?} (Wuta Mayi)
On ne vit qu'un seule fois (Simarro)
Bisengambi (Josky)
Momi (Mayaula Mayoni)

Franco & Le TP OK Jazz: Souvenirs de "Un, Deux, Trois" 1974/ 1978; Radio Trottoir
(CD, Sonodisc CD36556, 1996 re-issued)

Nalobaloba mpamba te (Franco)
Radio Trottoir (Simarro)
Basala la Vie (Wuta Mayi)
Comprendre ngai (Franco)
Fariya (Josky)
Tala ye na miso (Ntesa Dalienst)
Mama na Kyky (Franco)
Azwaka te, azwi lelo (Franco)

 この3枚のCDは、一括りに語られねばならない。というのは、1977年にキンシャサで録音され、Editions Populairesから発売され、のちに「Franco & L'orchestre T.P.O.K. Jazz」というタイトルで(といってもほとんど全部このタイトルだから区別はつかないのだが)、Sonodiscから3枚のシリーズとして発売されたLP (Sonodisc 360.104, 360.105, 360.108)に収録されていた曲の一部が、この3枚のCDにバラバラにおさめられているからである。その3枚のLPは、上の「Franco & le T.P.O.K. Jazz 1972/ 1973/ 1974 (Sonodisc CD 36538)」のジャケットと同じステージの写真が使われていて、この3枚のCDの写真の時期とは全く異なる。T.P.O.K. Jazzは、1978年に初のヨーロッパ・ツアーを敢行し、その「結果」として2枚組のLP「Live Recordings of the Afro- European Tour (LP, Sonodisc 360.114/ 115)を発売した。ところが、これは上の3枚のLPの一部の曲に、同時期に録音されたとおぼしきいくつかの曲を足して少しリバーブで味付けし、全体を拍手喝采で埋め込んだ、明らかな疑似ライブであった。確認できたものはキンシャサでのスタジオ録音と全く同一である。押しも押されもせぬオルケストルが、なぜこのような事に手を染めたのか全く不可解。上の3枚のCDのうち1枚目の「Bomba Bomba Mabe "Mbongo"」は、「Live Recordings...」のC面以外の全曲、C面に収録されていた曲は、元の拍手喝采のない形で、以下2枚のCDに分散して収録されている。Sonodiscはアーティストに敬意を払うというセンスは全く持ち合わせていないらしいが、現状これしか聴く手だてがないのだから仕方がない。理想としてはその3枚シリーズのLPを捜すべきである。特に3枚目(Sonodisc 360.108)には、Ntesa Dalienstの「Lisolo ya Adamo na Nzambe」という、切なくも美しい名曲が収録されていて、これは2006年現在CD化されていない。

 さて、この1977年は、最初に紹介した20周年記念アルバムのゆったりとした世界から、1980年にヨーロッパへ進出する過渡期である。録音技術や設備の不十分さからか、音が非常に混沌としていて、それが却って、キンシャサで膨張を続けるT.P.O.K. Jazzが出口を求めて狂おしく身悶えするかのような、一種異様な凄みを感じさせるのである。複雑な要素が見え隠れし、相矛盾する指向性が音楽の中でうなりを上げる。私はこの時期を、たびたびかかるかけ声から、「En direct de Miguel期」と勝手に名付けている。個人的には最も好きな時期である。音楽シーンに目を転ずれば、Papa WembaによるViva la Musica結成が1977年、キンシャサはロックに沸き立っていたはずである。この3枚のCDを聴くと、明らかにロックに対抗しようとするアンチ・テーゼを聞く事が出来る。なかなか興味が尽きない。この時期に加入した重要人物には、Grand Maquisardsから歌手のNtesa Dalienst、彼は良い曲をたくさん生み出した名作曲家でもある。そして、1957年Leon BoukassaのバックをつとめたMachina Locaにリード・ギターとして加入して以来、2007年現在も活動を続けるコンゴを代表する大御所ギタリストAntoine Nedule Montswat、すなわちPapa Noel。そして、地元サッカー・クラブ出身のギタリストMayaula Mayoni、存在は地味だったが歌曲を歌わせたら見事な才能を発揮するDjo Mpoyがいる。

 1枚目の聞き所は3曲。まずは新人ベーシストDecca入魂の「Malou o Bijou」の滑らかに加速するsebeneであろう。これを聴いて踊りださなかったらダンス・ミュージックは聞かんでもよろしい。疑似ライブの拍手喝采もFrancoのギター・ソロの絶頂にタイミングよく入るので、まあこれは許したろ。Deccaの、歌うかのようなベース・ラインは、その後のT.P.O.K. Jazzの音の重要なキャラクターになっていく。LPではタイトルが異なり「Badjekate」というので注意。次にSimmaroの名曲にして新人Djo Mpoyの歌う「Mbongo」。金の力で人も愛も動くのはどの国も同じと見えて、「金よ、どうしてお前は・・・」と泣きを入れながら掻き口説くのが味わい深い。この後もDjo Mpoyは、主にsebeneのないゆったりとした歌曲でその喉を披露している。

 次のCD「Souvenirs de Un Deux Trois」の出色は、なんといってもSimarroの「On ne vit qu'un seule fois」で、この時期の重々しいT.P.O.K. Jazzの醍醐味を満喫できる代表曲である。リード・ボーカルをとるJoskyの甘い声と重量感ある演奏のコントラストが、いやが上にも風格を感じさせる。Joskyの曲としては、1曲目の「Ba Pensees」が、その後の彼の作る曲のひな形となったと思わせるほど典型的な重要曲。ほかに「20周年」のLPと同じジャケットで出た「Authenticite, Vol. 5」に収録されていた 「Mace」が前半のみ、「Bandeko na ngai ya mibali」が通しで入っている。これらは「En direct de Miguel期」ではなく、ほかの曲より2年ほど古い。少し緩い感じではあるが素晴らしい。しかし、続くWuta Mayiの「Moleka」はライブ録音(LP, Sonodisc360103, 1977)で、スタジオ版「Moleka okoniokola ngai ntina?」(LP, Sonodisc360108, 1977)と比べて、きわめて音質とバランスが良くない。

 3枚目は、LP「Authenticite, Vol. 5」に収録されていた「Radio Trottoir」をタイトルとしているが、聞き所は Joskyの「Fariya」とNtesa Dalienstの「Tala ye na miso」である。「Fariya」はLPではジャケットに「Farita」と表示されているのでLPを探索する人は要注意、「Tala ye na miso」は、Dalienstの、若手らしく伸び伸びとした歌とポップで軽快な演奏が絶品。CD3枚とも、次の「En Colere (怒れる)期」へ至る前夜の、重々しさと軽快さ、激しさと穏やかさの混在する音源を収めている点でお薦めできるが、音が全体に歪みがちで聞き苦しいところが実に惜しい。これで音の分離がもう少ししっかりしていたら、大音響で楽しみたいところだが、誠に惜しいのである。なお、「20周年」を除くと、この時期までのザイールでは、レコードはほぼモノラルであった事を付け加えておきたい。

 


「第3期」1980-1985

 

Franco et le T.P. O.K. Jazz: En Colere; 1979-80
(CD, Sonodisc: CDS-6852, 1994 re-issued)

Tokoma bacamarade Pamba (Franco)
Arzoni (Franco)
Tokabola {Ba-}Sentiment (Josky)
Lokobo {Loboko} (Franco)
Peuch del Sol (Franco)
Ndaya (Decca)

http://www.arzoni.be

 

Franco & Le Tout Puissant O.K. Jazz: En Colere, Vol. 1; 1979-80
(CD, Sonodisc: CDS-6861, 1995 re-issued)

Nabali misere (Mayaula Mayoni)
Mbawu nakorecupere yo (Simarro)
Bolingo ya moitie-moitie (Diatho)
Kufwa ntangu (Gerry)
Meka okangama (Checain Lola Djangi)
Likambo ya moto (Wuta Mayi)

    Franco & Le Tout Puissant O.K. Jazz: En Colere, Vol. 2; 1979-80
    (CD, Sonodisc: CDS-6862, 1995 re-issued)

    Liyanzi ekoti ngai na motema {Mouzi} (Ntesa Dalienst)
    Youyou (Ndombe Opetum)
    Nakopemisa na nani? (Franco)
    Proprietaire (Josky)
    Locataire (Franco)

       1980年は、T.P.O.K. Jazzにとって非常に大きな転機となった年である。FrancoはAfrican Jazzを率いて来たGrand KalleことJoseph Kabasselleとともに、ザイール音楽界の「巨匠(Le Grand Maitre)」の称号を受けた。波に乗って彼はヨーロッパへの進出を目論み、まずは、「先進国」では当たり前のLP時代に向け、レコードの自社配給を目指して「VISA1980」レーベルを立ち上げる。この「VISA1980」と、翌年設立された「Edipop」からは、3年間に36枚ものアルバムが発売されている。まるで月刊誌である。私はこれ以降を仮称「第3期」としている。続いてグループの拠点をベルギーのブリュッセルへ移そうとするが、ふくれあがったメンバーの全員を連れて行くわけにはいかず、精鋭だけを選りすぐる事になる。その際、ヨーロッパ組に選ばれた主要メンバーに、Josky、Dalienst、Deccaと、この年加入したMadilu Systemがいた。Madiluは、その後2番手ボーカリストの地位をJoskyと争うほどになる。そしてキンシャサに残された、あるいは自発的に残ったメンバーの中に、古番頭Simarro、Papa Noel、Boyibanda、Djo Mpoyがいた。当然、商業戦略的にも活動拠点としても、また録音設備の面でもブリュッセルの方が優位であるから、音源の主力はヨーロッパ組のものに偏り、実質的にキンシャサ組は取り残されたような形になる。

       この「En colere (怒れる)」T.P.O.K. Jazzシリーズ編集盤CD三部作は、そのVISA001-005(004/005は2枚組)の大部分を収録したものである。これを特にお薦めする理由は、この時期の録音は、上り調子で駆け上がって来た彼らの勢いが、そのままの状態で充実した設備と技術キャッチされているからである。これ以降は、音質は良いのだが、どこか飼いならされてしまったようで不満が残る。そのVISA001と002のタイトルが「Vraiment en colere」だったのでこの名がある。ほとんどがパリまたはブリュッセル録音で、ひとつひとつの音自体がクリアである上に分離が非常に良く歪みも少ない。しかし良く聞くと、時として明らかにキンシャサ録音と思われる曲がある。CD表記にも「1979-1980」とあるから、それがヨーロッパ進出後に、残されたキンシャサ組の手で録音されたものなのか、その前に録音されていて、ヨーロッパに持ち込まれたものなのかはわからない。いずれにせよ、キンシャサ直送の熱い音世界が、恵まれた環境の中でダイレクト・キャッチされたのが、この3部作である。まさに絶頂期、歌も演奏も生き生きとしており、音が最も荒々しく、ドラムもベースもヘビー・デューティー。まさに絹の織物のようなリズム・ギターの絡み合いの上に、熱いホーンセクションがギラギラとかぶさり、Francoのギターがめくるめくように舞う。この3枚がT.P. O.K. Jazzのなかでも最もディープな世界で、これが好きな人は、http://www.ne.jp/asahi/fbeat/africa/を参考にして即刻曲名リストを作り、年代を確認したら片っ端から買うべし。LPを探索している人は、まずはVISAの001-009は全部「買い」である。しかしこれ以降、T.P.O.K. Jazzは徐々に勢力が衰えはじめる。音が良くなった事が却って、かつての混沌とした「エグ味」を抜き去り、生活レベルが向上した事が、音楽に対するハングリー精神を奪い去ったと私は見ている。

       さて、1枚目のお薦め曲は、Joskyの「Tokabola Sentiment」である。まさにヨーロッパに上陸した台風が、奔放な勢いを保ったまま駆け抜けるかのような迫力がある。ドラムが暴れるベースが踊る、まさに「怒れる」T.P.O.K. Jazz面目躍如。次の「Lokobo」と表記のある曲は誤植で、「Loboko (手)」が正しい。また最後の曲、Deccaの「Ndaya」は、ぐっと時代の下った1984年、「A l'ancient Belgique」(LP, Edipop 031, 1984)からの収録であって、これだけは情感的にほかの曲とは全く異なり、何故ここに入れたのか意味不明。2枚目のお薦め曲は、Simarroの熱烈なファンの私としては、3枚中たった1曲と寂しいから「Mbawu nakorecupere yo」を選びたい。彼独特の歌詞のぎゅっと詰まった歌が一旦終わって、全く意外な音から重々しく始まるcadenceとsebene、これ以降このような感触はなくなるのである。この2枚目はどちらかというとおとなしめだが、3枚目はかなり重厚。まずは、誰がなんといおうとNtesa Dalienst入魂、文句なしの歴史的名曲「Liyanzi ekoti ngai na motema」別名「Mouzi」を選ぶ。歌いだしの滑らかさ、分厚いホーン・セクションとコーラスのコール・アンド・レスポンスで、次第に加速しながらsebeneになだれ込んで行く疾走感、これを聞いて踊りださないようなやつは・・・。そしてラストの「Locataire」、「こら居候、もう来るな二度と来るな」と悪態をつきまくる実にアクの強い歌で、sebeneに於ける演奏も、豪壮なドイツ製電気機関車のように迫力満点。3枚とも買って値打ちあり。

       

      Franco et le T.P. O.K. Jazz 1980-81
      (CD, Sonodisc CD 8489, 1992 re-issued)

      Nalingaka yo yo te (Franco)
      Pamelo (Diato Lukoki)
      Mindondo Esila (Ntesa Dalienst)
      Coupe du Monde (Ndombe Opetum)
      Fabrice (Franco)
      Wallo (Ntesa Dalienst)
      Ngaliene (Lokombe)

       上の「En Colere」3部作に続く時期の曲集である。前半3曲が「Franco et le T.P.O.K.Jazz a Bruxelles (LP, VISA 009,1980)」の全曲、以下4曲が「Coupe du Monde (LP, Edipop POP 06,1982)」の全曲である。なんといっても「おまえなんか、おまえなんか、おまえなんか、もともと大っキライやったんぢゃ!」と、延々とまくしたてる1曲目が出色、誰のことを指しているかは於くとして、ひたすら同じフレーズを繰り返すリズム・ギターの絡み合いの上に、延々とぼやきが入りまくるのだが、ほどなくシンセサイザーのストリングス音が漂いはじめ、次第次第に夢が現か現が夢か、ぼやきが寝言か寝言がぼやきか、最後は霞がすべてを覆い隠すように曲が終わるのである。私はアフリカ音楽にはまる以前、ひたすらジャーマン・ロックやクラシックの古楽などを愛聴したものだが、これはブライアン・イーノなんかぶっ飛ぶぐらいミニマル・ミュージックの神髄をついている。これを発表して、しかもLPのトップに持ってくるとは、あらためてFrancoの懐の深さに感じ入る次第であった。CDでは10'41に短縮されているが、LPでは21'18もの間、この繰り返しを拝聴できる。もちろんA面1曲である。そしてもう1曲、Ntesa Dalienstの「Wallo」、様々に曲調の変化する複雑な構成の曲が、違和感なくさらっと、しかし軽すぎず、要所要所に分厚いホーンが決めを作るアレンジの妙、そして段取りを踏んで花開く豪快なsebene、悦楽の境地である。このCDは、ヨーロッパに出たてのT.P.O.K. Jazzの様々な可能性が試されている点で、非常にバラエティに富んだ内容になっており、捨て曲はない。

       

      Franco & Le T.P. OK Jazz: Live 79/80/81 dans "Kinshasa Makambo"
      (CD, Sonodisc CDS 6951, 1994 re-issued)

      Kinshasa Makambo (Franco)
      Clemence (Empompo Loway)
      Efonge (Simarro)
      Bokolo Bana ya Mbanda 1 (Franco)*
      Bokolo Bana ya Mbanda 2 (Franco)*
      Nganda tosala Fete (Simarro)
      Dialogue: Lukunku Sampo/ Franco (Tele Zaire)

       ヨーロッパに拠点が移されたとはいうものの、まだ1981年頃までの録音は、十分にキンシャサ臭さが残っている。それはおそらくヨーロッパ進出を目指したほとんどのオルケストルがそうだったように、まずは親分と番頭が先に行って準備をしておいて、十分に財力を蓄えてから本隊が乗り込んだからであろう。当初は、Francoだけがヨーロッパに常時滞在し、コンサートやレコーディングのときだけメンバーが渡欧していたのではないかと思う。このCDは、絶頂期にあったT.P.O.K. Jazzの、数少ないキンシャサでのライブ録音である。Francoの所有するクラブ「Un Deux Trois」と国営放送「Tele Zaire」からの録音と註釈されている。特に出色は2トラックに亘ってて収められている「Bokolo Bana ya Mbanda」である。正式名称は「Bokolo bana ya mbanda na yo malamu」といい、スタジオ録音は、最初に紹介した20周年記念盤に収録されている。曲そのものは、単調なFrancoの説教節なのであるが、そこに入るコーラス隊や演奏陣からの「間の手」が大変面白い。聞いているだけで文句なく楽しい。キンシャサではこのようにライブされていたのであろうと想像できる。2トラックに亘ったのは、別の日に収録されたものも良かったので、二つとも入れちゃったという感じ。とにかく聞いていて楽しい。また、トップを飾る曲は、Franco久々のバラードである。説教節というか、ぼやき満開で、俺の生活、キンシャサの暮らし、そして「世界は、なんてmakambo(問題・トラブル)続きなんだ」と延々とぼやく。リンガラ語に慣れればこれもまた面白い、なにがあったのかは於くとして。そして、華やかなイントロで始まるSimarroの「Nganda tosala Fete」がアルバムを締めくくるが、そのエンディングを上手く重ねて、ちょっとしたおまけがついている。ザイール国営テレビ「Tele Zaire」の音楽専門の人気キャスターLukunku SampoとFrancoの、番組での対話である。Lukunku SampoがFrancoに「もう夜中過ぎてしもた。あと何曲やるんや?」と訊くと、「3曲、いや2曲や」などと答えながら、「週末の番組やし、皆明日は休みやからええよな」「いや、俺のクラブは週末が書き入れ時やし、こんな番組やられたら商売上がったりや」「俺はテレビ仕事やし関係ない」「アホ、こっちは水商売や。シャレならんど」・・・遊び心に満ちたお薦めのCDである。

       同じジャケット・デザインで茶色のCD (Sonodisc CD6859)があるが、こちらはむしろ通好みといえるだろう。これは1981年に設立された「Edipop」から、やはりたて続けに発売された5枚のLP「Le Quart de Siecle de Franco de mi amor et Le T.P.O.K. JAZZ」のVol.1-5 (LP, Edipop POP 01-05, 1981) からの抜粋である。Francoのぼやき当てこすりが炸裂する名曲「Tailleur」を含む。Tailleurとは、すなわち仕立て屋だが、そのはさみで何を切って何を繕うつもりだ? と、当時自分を窮地に追い込んだ大物政治家を糾弾する。よく話題に上る曲だが、それを含めて収録曲そのものは、演奏としては特にお薦めするほどでもないので割愛した。また、キンシャサでのライブ録音をCD化したものとしては、「Franco & Josky, Pepe Ndombe en compagnie du T.P. OK Jazz des annees 70/80 (CD, Sonodisc CDS 6952, 1994)」に4曲のライブが含まれているが、抱き合わせの曲が全てSonodiscのほかのCDと重複するので特に推薦しない。

       

      Franco et le TP OK Jazz: Tres Fache (CD, Sonodisc CDS 6863, 1996 re-issued)

      Tres Fache (Franco)
      Soeto (Josky)
      Coup de Foudre (Ntesa Dalienst)
      Farceur (Franco)
      Tangawusi (Papa Noel)
      Nganda Lopango Batekisa
       {Nganda Tosalaka Fete} (Simarro)
      Nayebi ndenge bskolela ngai (Ndombe Opetum)

       ヨーロッパへ進出したT.P.O.K. Jazzが1982年にフランスの「Maracas d'Or賞」を獲得した・・・というか、実はキンシャサでのSam Mangwanaとのセッション「Co-operation」(LP, Edipop, POP017, 1982)が、「Maracas d'Or賞」を獲得した記念として発売された2枚組LP「Franco et le T.P.O.K. Jazz: Disque d'or et Maracas d'or 1982 (LP, Edipop POP021/ 022, 1983)全曲のCD化である。その賞を獲得したアルバムよりこっちの方が良いと思うので推薦する。ヨーロッパ録音でありながらどこかざらついたキンシャサ感があって、それが非常に新鮮。軽やかでありながら、ドスを効かせるところはしっかり効いている。一曲選ぶとすれば、迷わずNtesa Dalienstの「Coup de Foudre」を選ぶ。まるで戯れる二羽の蝶の舞うように、同じ音質と音域で絡み合う2本のリズム・ギターの織りなす敷物の上を、軽やかに歌うDalienstの声が美しい。そして歌パートとは打って変わって重量感あふれるsebeneが展開する。勢いに乗って全曲一気に録音したと見え、録音状態その他も統一されている。この時期のEdipop盤はどれもすばらしいが、個人的にはこれが最もお薦め。ヨーロッパ進出後、極めて高いテンションのまま突っ走るT.P.O.K. Jazzの演奏が堪能できる。この頃から、キンシャサのアーティストのヨーロッパ進出が始まる。キンシャサでは、Papa Wembaがプロモーションで渡欧中に、Emeneya KesterがViva la Musicaの主要メンバーを引き抜いてVictoria Eleisonを結成、Zaiko Langa Langaからはリード・ギタリストのManuaku Wakuが別れてGrand Zaiko Wawaを、Evoloko JockerがLanga Langa Starsを、そこから別れてBen NyamaboがChoc Starsを結成するなど、まさにキンシャサの音楽シーンは、激しく膨張を続けていた。

       この間、すなわち1981年から83年の間に、Edipopだけで27枚、1983年に新たに設立された「Choc」レーベルからさらに3枚、1枚4曲入りとして単純計算しても毎週1曲は仕上げてレコーディングし、ライブもやっていた事になる。しかも、1975年に脱退したSam Mangwanaとのセッション「Co-operation」(LP, Edipop, POP017, 1982)と、犬猿の仲と思われていたTabu Leyとの二つのセッション「Choc Choc Choc 1983」(LP, Choc 000/001, 1983)・「L'evenement」(LP, Genidia GEN103, 1983)という大きな企画をこなし、その上でさらに新たな自社レーベル「Choc」を立ち上げている。ただ、この辺りを境に、バンドの音が散漫になってくる。上3作がこの時期の代表作とされているが、どうも演奏に集中力がないように感じられる。どこといって悪いところはない。しかし、何か職人芸的な淡々とした演奏になる。この時期敢えてあげるとすれば、LP「Franco et le T.P.O.K.Jazz se Dechainent (LP, Edipop POP018,1982)」に収録されている「Nostalgie」と「Princess Kikou」をあげておこう。この2曲は、そのSam Mangwanaとのセッション「Co-operation」のB面2曲を含むCD「Franco-Sam Mangwana & le T.P.O.K. Jazz, 1982/ 1985 (CD, Sonodisc CDS6854, 1994 re-issued)」(通称「Faute ya Commercant」)に収録されているが、抱き合わせの曲がさほど良くない。

       このように、この頃になると、リリースのペースが速すぎて、それを再録するCDに重複が極端に多くなる。この「Tres Fache」のように、LPのまま1枚ずつ復刻してくれれば何の問題もないはずだが、EdipopとChocレーベルの曲は、バラバラにほかの時期のものと混ぜ合わされてCD化されており、順番に買って行くと同じ曲をいくつも持つ事になる。さらに一曲を途中で切ったり、真ん中を落として繋いだりと、全く作品性を無視した、売るためだけの商品作りがしてあって、これをお薦めする事には抵抗を感じる。ただ、Edipopの20番代くらいまではいずれも素晴らしいので、気長にLPを探索する方が楽しみがあってよいのではないかと思う。

       

      Franco chante "Mamou", 1984/ 1985/ 1986
      (CD, Sonodisc CDS 6853, 1994 re-issued)

      Tu Vois? {Mamou} (Franco)
      Temps Mort (Franco)
      Alita Tshamala (Josky)
      Mehida (Josky)
      Massikini (Josky)
      Limbisa Ngai (Josky)

       さて、そんな中でこの1枚は比較的まとまっていて、良きT.P.O.K. Jazzの味わいが堪能できるお薦め盤である。表記によると1984年から1986年に掛けて録音された事になっているが、実際には、Francoの2曲は「Tres Inpoli」(LP, Edipop POP028, 1984)のB面、Joskyの4曲は、彼をメイン・ボーカルとしてフィーチャーしたLP「Franco presente Josky (LP, Edipop POP025, 1983)」の全曲である。この頃のT.P.O.K. Jazzが面白くないのは、Victoriaの分裂からVeritable Victoria PrincipalやHistoriaが生まれたり、Choc StarsからAnti Choc、Zaiko Langa LangaからZaiko Familia Deiが分裂したりと、シーンの膨張がさらに活発になって、T.P.O.K.Jazzの方に相対的に変化が見られなかった事と、おそらくFrancoの説教節そのものが煮詰まって来たことに原因があったのではないかと思う。親分風を吹かせすぎて周りが萎縮してしまうのか、個人的な妄想が高じて説教が過ぎてしまうのか、歌っている、というか説教している内容はわかるが、音楽としては、ひたすら同じフレーズの繰り返しで抑揚も何もなく、まるで打ち込みのループをバックに説教しているようでちっとも面白くない。その世界の好きな人は、以下に紹介する「Mario」を含むCD「Franco et le Tout Puissant O.K. Jazz (CD, Sonodisc CD8461, 1989 re-issued)」をお薦めする。さて、Joskyの4曲は、おそらく好きなようにさせてもらったのであろう、まるでキンシャサ録音のように、伸び伸びと空気感があって様々な展開もあり、混沌としたかつての彼らの味わい深さもしっかり残っている。特に最後の曲「Limbisa Ngai」は、全く不思議な出だしから始まる、ほかに例えようのない曲で、ひたすら2コードで押しまくる一本調子の歌から、突然弾けたように展開するsebeneが迫力満点。この曲は、このページ末尾で紹介している「MA MA KI」というCDでも別バージョンを聞く事が出来る。

       

      Productions Solfege Universel presente Le poete Simaro Massiya Lutumba: "Maya" l'Album des Albums avec la participation de Carlyto et Pepe Kalle
      (CD, Ngoyarto/ SU15950, 1998)

      Maya (Simarro)
      Tshiala (Simarro)
      Affaire Kitikwala (Simarro)
      Bangaka basi ya bato (Simarro)
      Muya {Mpo na nini kaka ngai?} (Chacain Lola Djangi)
      Verre Casse {Kopo Epasuki} (Simarro)
      Maya 2e. version {Maya Aboyi} (Simarro)

       1983年、当時のザイール共和国キンシャサの対岸、コンゴ共和国の首都Brazzavilleに、当時のアフリカでは最新鋭の設備と技術を兼ね備えたスタジオ「I.A.D. (Industrie Africaine du Disque)」がオープンした。劣悪な条件に耐え忍んで来たザイールのアーティストたちは、こぞってこのスタジオで録音し、数多くの作品がリリースされる事になった。

       1984年にT.P.O.K. Jazzキンシャサ組の番頭だったLutumba SimarroとPapa Noelは、そのStudio I.A.D.でFrancoの許可を得ずに、隠密に自作の曲を録音したといわれている。歌手には、まだ無名だった当時駆け出しのCarlytoが起用され、それぞれ4曲ずつがLP化された。なかでもSimarro入魂の一曲「Maya」はシングル・カットされ、同時に録音されてシングル・カットされた、Papa Noel の「Bon Samaritain」(CD「Papa Noel: Bel Ami; Stern's Africa STCD3016」所収)とともに、その年のキンシャサのチャートの1位と2位を分け合った。Carlytoは歌手の新人賞を獲得、その後Choc Starsで活躍し、名実ともにコンゴを代表する歌手の一人となる。

       Francoは、自分の許可を得ない録音をメンバーに厳禁していたというが、手塩にかけて育てて来たつもりの二人に、同時に手を噛まれてしまった格好である。本来ならば、たちどころに刀の錆にしてくれるところであり、事実、過去にはそうなった人もたくさんいたのだが、彼らは罪に問われなかったばかりか、Simarroは翌1985年に、Francoのお膝元Bruxellesで、その「Maya」を、なんとEmpire Bakubaの歌手Pepe Kalleを迎えて録り直しているのである。こんな芸当は一番頭に出来る仕事ではない。しかも、おそらくこのセッションにFrancoは参加していない。歌詞は作り込まれ、アレンジは練り上げられ、演奏への集中力とともに、T.P.O.K. Jazzとしては、およそ考えられない状況のもとに、つまり圧政による緊張ではなく、音楽への指向性という緊張のもとに、このセッションはなされたのではないか。結果的にそれは、オリジナルを遥かに上回る珠玉の出来となった。Carlytoソロ・ヴォーカルによるオリジナルも素朴で良いが、Pepe Kalleの太くまろやかなコーラスを得た事で、一層Carlytoの高音に輝きが出た。若手を立てる古老の余裕か、作り込まれた歌詞の歌い回しにPepe Kalleらしい奥行きが感じられ、この曲の持つべき深みと情感が、見事に表現されたといえよう。ここには混沌の中で最後に光り輝こうとする宝石のような感触がある。私は、この曲この録音こそが、おそらく全リンガラ・ポップスの中でも最も美しいのではないかとさえ思っている。この曲は、Joskyを加えてのトリオ・ヴォーカルで録音された「Kopo epasuki」(割れたグラス、フランス語では「Verre casse」)とともに、「Maya aboyi」(欺いたマヤ、さしずめ「魔性の女、マヤ」)というタイトルで、33Tの12'マキシ・シングルとして、BruxellesのEditions Philo Mbongoから発売された(番号なし)。が、クレジットに「T.P.O.K. Jazz」とは表示されておらず、彼らの公式ディスコグラフィーには含まれていない。

       さて、このCDは、そのときI.A.D.で収録されLP化されたSimarroの4曲と、Bruxellesで録音された2曲、さらにChacain Lola Djangiの「Muya」が収録されている。LP化された4曲については、一聴してわかる事だが、それまでのキンシャサ録音とは、音質が全く一線を画している。当時のザイールだけでなく、アフリカ中からアーティストがレコーディングに訪れたという逸話も理解できる。曲としては、T.P.O.K. Jazzとしては、むしろシンプルな佳曲に仕上がっている。次の「Muya」は、下記に紹介するLP「Attention na SIDA" (African Sun Music ASM001, 1987)」に収録された「Mpo na nini kaka ngai?」と同一曲であるが、LPと比べると音質もバランスも極端に悪く、時期も出典も全く違う。共通点といえば、どちらも公式にはT.P.O.K. Jazz名義ではないという事くらい。わざわざここに入れた理由がわからない。さて、このCDは、「Maya aboyi」すなわち「Maya, 2eme version」この1曲のために買う価値あり。歌詞を下に紹介する。

      "Maya aboyi"歌詞


      第4期 1985年以降

      Franco et le Tout Puissant O.K. Jazz
      (CD, Sonodisc CD8461, 1989 re-issued)

      Mario (Franco)
      Mario, part 2 {Mario Suite} (Franco)
      La Vie des Homme (Franco)
      IDA (Franco)
      Celio (Franco)

       1985年以降のT.P.O.K. Jazzの録音は、よく聴くと良い曲もあるのだが、どれも似たような印象で軽い。長いキャリアを経て熟練し、酸いも甘いも噛み分けてしまった境地が、一種昇華されたような軽さとなって現れるという事はよくあることだが、私はまだその境地に達していないのであろう、どうもこれ以降の彼らの演奏には、思い入れを込める事が出来ないのである。従ってここからは、話題となった彼らの曲を収録したアルバムについて、手短に紹介するに留めようと思う。このCDは、Franco晩年の代表曲、1985年の「Mario」を含む、全編Franco節のぷんぷんする曲集である。「Mario」は「Choc」レーベルの4番、「Mario part.2 (Mario Suite)」は5番から、続く3曲は、T.P.O.K. Jazz結成30周年記念LP「La Vie des Homme (LP, Choc 006, 1986)」全曲である。「Mario」は、「今日も明日もトラブル続き、今日争って明日は和解・・・ああマリオ、俺はもう疲れたよ」と、いろんな意味に取れるぼやきとも説教ともいえぬ由なしごとを、ほとんど変わらない繰り返しの伴奏にのせて、LP片面にわたって延々と語り続ける。展開もsebeneもなく、ひたすら同じ調子で繰り返されるので、代表曲とはいえ、むしろ通好みといえるだろう。ちなみにこの「Mario」、「Mario part.2」のほか、後に「Mario III (Mario Non-Stop)」と「La Response de Mario」と4バージョンある。このCDは、続く3曲いずれもFrancoの作品で、「La Vie des Homme」(男の人生)はFrancoとMadilu、「IDA」はFrancoと若手歌手Malage de Lugendo、「Celio」はDjo MpoyとMalageのデュオという具合に歌手は変わるが、基本的には単調な繰り返しの上に歌が乗る、ひたすらFrancoの繰り返しの世界にのめり込みたい人にはお薦めの一枚。

       さて、これは全く私の想像なのだが、1985年以降の一定期間、T.P.O.K. Jazzのドラムには当時Victoria EleisonにいたDjudjucheが在籍し、あるいはバッキングやアレンジを、Victoria Eleison、少なくともSafro Manzangiがやっていたのではないかと思わせる節がある。VISAレーベル以降のかなりの音源の、伴奏が明らかにそれまでと異なるからである。私とDjudjucheは、ともにPatcho Starを師匠とする兄弟弟子だから、恩師の「手」くらいは聞き分けられるし、のちのキンシャサで、私は常にVictoria Eleisonのメンバーと一緒にいたから、何となく空気で感じる。この期間、彼らがほとんど作品を発表していない事も腑に落ちないし、彼らは肯定も否定もしていないのだが・・・もちろんあくまでも想像ですけどね・・・

       

      Le Grand Maitre Franco et le Tout Puissant O.K. Jazz
      (CD, Sonodisc CD8473, 1990 re-issued)

      Testament ya Bowule (Simarro)
      Vaccination (Simarro)
      Tala Merci bapesaka na Mbwa (Simarro)
      Aminata, nazangi VISA (Simarro)

       このCDは、LP「Le T.P.O.K. Jazz: Special 30 ans par le Poete Simaro et le Grand Maitre Franco (LP, Choc007, 1986)」のCD復刻である。前作「La Vie des Homme (LP, Choc006, 1986)」がT.P.O.K. Jazz結成30周年記念アルバムFranco編とすれば、こちらはヨーロッパ移転後久々のSimarro編ということになる。全曲素晴らしい。特に「Testament ya Bowule」は、宗教的な死生観について問いかける。すなわち、カトリック、プロテスタント、キンバンギスト、イスラム・・・そして、なんと「マヒカリ」でも、人が死ねば魂は肉体を離れて行くべきところへ行く、しかしヤハウェよ、あなたの教えではそうではないという・・・云々・・・とFranco節が展開される。「男の人生」と異なる点は、演奏がかつての70年代T.P.O.K. Jazzの豪快な重量感を残しつつ非常に緻密な音録りがされていて、なおかつFranco節の展開に有機的に合わせて展開されるところである。やっぱりSimarro、素晴らしいの一言。なんといっても、クレジットはされていないが、聴けばはっきりとわかるDjudjucheのドラム (憶測ですよ、あくまで) が支える、波のように寄せては返すグルーブ感と、その間隙を埋め尽くす霧雨のようなプレス・ロール、地を這うようなベースラインと相まって、新たなT.P.O.K. Jazzの「音」が展開されている。コンガのクラッシュ一発ですべてを許してしまえる、この時期の数少ない推薦盤。

       

      Le Grand Maitre Franco interpelle la societe dans "Attention na SIDA" (CD, Sonodisc CDS6856, 1994)

      Attention na SIDA (Franco)
      Mpo na nini kaka ngai? {Muya} (Checain Lola Djangi)
      Naponi kaka yo Mayizo (Milanda Barami)
      Pesa Position na yo (Madilu)
      Mukungu (Gerry Dialungana)

       このCDは、同タイトルのLP (African Sun Music ASM001, 1987)全曲と、LP「A l'ancienne Belgique (LP, Edipop POP031,1984)のB面2曲を収録している。これは、当事渡欧中だったVictoria EleisonがFrancoのバッキングをつとめた1曲目に興味のある人が聴くものであって、特に音楽がどうという事はない。歌詞の内容は書いてある通り、「エイズに気をつけろ」ということがフランス語やリンガラ語などを交えて、延々とFranco節に乗って語られる。後半の2曲は付け足しだが、音楽的にはこちらの方がずっと面白い。しかし、主題を押しのけてまでお薦めしたいとまでは言えない。聞き所は「エイズに気をつけろ」。

       

      Le Grand Maitre Franco et le Tout Puissant O.K. Jazz
      (CD, Sonodisc CD8475, 1990 re-issued)

      J'ai peur (Franco)
      Anjela (Ndombe Opetum)
      Tawaba (Ndombe Opetum)
      Nalobi na ngai rien (Ntesa Dalienst)
      Dodo (Ntesa Dalienst)

       1988年頃の曲集である。この時期の話題としては、音楽シーンではVivaやZaiko系の「ルンバ・ロック」は既に空洞化、Koffi OlomideがQuartier Latinを結成して新風を吹き込み、新興勢力Wenge Musicaが破竹の勢いであった。T.P.O.K. Jazzでは、Afrisa InternationalがM'bilia Belleを起用してヒットしたのを真似たのか、1986年にJollie Dettaという女性歌手を起用して失敗、今度はNanaとBanielという女性デュオを起用して、ある程度話題を呼んだこと。彼女らの歌は、LPでは2枚に分けて、CDでは3枚に分かれて収録されているが、歌唱力の点で今ひとつお薦めする気にはなれない。このCDでは「J'ai peur 」という曲がそれだが、彼女らのヒット曲を次に紹介するので、ここではNdombe Opetumの「Anjela」をお薦めしたい。これは「Testament ya Bowule」以来の、彼ら本来の味わいのある曲で、組曲のように次々と展開する複雑な構成、緻密なアンサンブルと丁寧な録音、Djudjuche (?) のドラム、なんとなく漂うSafro臭・・・音源は「Le Grand Maitre Franco- Pepe Ndombe et le T.P.O.K. Jazz: Attaquent Anjela (LP, Choc012, 1988)であるが、それは「Anjela」がA面、「Tawaba」がB面という33Tマキシ・シングルであった。続く2曲はLP「Franco, Dalienst & OK Jazz: Mamie Zou (LP, African Sun Music ASM02, 1987)のB面2曲。

       

      Le Grand Maitre Franco et le Tout Puissant O.K. Jazz
      (CD, Sonodisc CD8476, 1990 re-issued)

      Eperduement (Aime Kiwakana)
      Mamie Zou (Ntesa Dalienst)
      Je vis avec le P.D.G. (Simarro)
      Flora, Une Femme Defficile (Franco)
      La Bralima et sa Brasserie de l'an 2000 (Franco)
      Osilisi ngai mayele (Josky)

       これも1988年頃の曲集であるが、同一ジャケットで別のCD「Le Grand Maitre Franco et le Tout Puissant O.K. Jazz (CD, Sonodisc CD8474, 1990 re-issued)」、すなわち番号だけが異なりタイトルも発売時期も同じCDが出ている。そちらも悪くはない。注意すべきは、ほとんど同じジャケットで、日本独自の編集盤「ル・グラン・メートル〜ザイール音楽の魅力を探る/2(CD, オルターポップ AFPCD3213, 1991)が出ていること。同じ時期の編集盤だが、選曲・解説ともに「?>_<」て感じで、これは全くハズレ。著名音楽評論家の解説もまるでデタラメ。さて、この「CD8476」はNanaとBanielの女性デュオによるヒット曲「Je vis avec le P.D.G.」がお薦めの理由。Simarroはポップな曲を作らせてもうまいなあ、うまいうまい。「Flora, Une Femme Defficile」は、MadiluがFrancoのように、去って行った女に対する未練たらたらを延々とかき口説く、「恋人がダメなら知り合う前のように友達としてさあ・・・」なんて、向こうの男も言うのかね。歌詞の内容はともかく、NanaとBanielをコーラスに迎え、独特の不安感満点のフレーズの繰り返しに乗せて、Franco節にしては珍しくシンセサイザー入りのsebeneに展開して行くが、これがなかなか良い。「Primus」ビールのコマーシャル・ソング「La Bralima et sa Brasserie de l'an 2000」など、独特の雰囲気を持った味わい深い曲を含むが、徐々に音楽の「アク」が取れ、奥行きのないポップなムード音楽に変質してゆく。

       

      Le Poete Lutumba Simaro et le Tout Puissant O.K. Jazz:
      Coeur Artificiel (LP, African Sun Music ASM003, 1988)

      Coeur Artificiel (Simarro)
      Mangassa (Simarro)
      Sindo na Bruxelles (Simarro)
      Maclebert (Simarro)

       資料を調べてみたのだが、2007年現在たぶんCD化されておらず、晩年のT.P.O.K. Jazzのなかでも好きなLPなので推薦した。病魔に冒されてゆくFrancoを気遣うように、Simarroが作りMadiluが歌うO.K. Jazz・・・ようするにお前はSimarroが好きなのではないかと言われれば、素直に「そうです」と答えたい。なんといってもタイトル曲「Coeur Artificiel」の、ほかのどの曲にも似ていない独特の曲調、分厚いホーンとMadiluのだみ声、同じグルーブを保ちながらリズムの刻みがどんどん細かくなって行って、フレーズもどんどん細かくなって行って、繰り返しながら高みをさまよいつつ、ああ、イクと思わせて風格を保ちながら粋に降りてくる、どうしてもVictoriaに聞こえるんよねえ、たまりませんなあ。

       

      TP OK Jazz: Heritage de Luambo Franco
      (CD, Tamaris TMS90002, 1990)

      Eau Benite (Simarro)
      Hommage a Luambo-Makiadi (Simarro)
      Ladji-Mundele (Simarro)
      Jacquina (Ndombe Opetum)
      Pot Pourri (Simarro)
      Franco Luambo (Simarro)

       Francoが亡くなったのは1989年10月12日、享年51歳であった。当時ヨーロッパ組とキンシャサ組に分かれていたT.P.O.K. Jazzは、Madilu System、Josky Kiambukuta、Simarro Masiyaのそれぞれをリーダーとする三つのグループに分裂した。しかし約1年後に一時的な和解と再結集が実現して制作されたのがこのアルバムである。聞き所は、これでもかというほどの甘く切ないOK艶歌「Eau Benite」であろう。以下、カスタード・クリームから砂糖の粒がはみ出しそうな甘い甘い「オマージュ」の世界が繰り広げられ、まあ一般のリスナーにはお勧めできないが、御大の死後に大同団結したという意味では、記念すべきアルバム。その後オルケストルは、本格的な「のれん」争いがもとで大分裂してしまう。そのなかで生まれたSimarro率いるBana O.K.が最もマシだが、それとてまさに気の抜けたコカ・コーラで、もはや何の興味もわかない。ちなみにジャケットでSimarroが着ているのは、1989年当時のPrimusビールのキャンペーンTシャツ。

       


      番外編

      MAMAKI (CD, Bondowe Production BOP011)

      Bombada Complique (Mayaula Mayoni)
      Papi (Youlou Mabiala)
      Mama na bebe (Diato Lukoki)
      Pardon cherie (Mayaula Mayoni)
      Pongi nazwa te (Mayaula Mayoni)
      Camarade na ngai (Youlou Mabiala)
      Limbisa ngai (Josky)

      A changer Kazaka (Mayaula Mayoni)
      Massivi (Josky)
      Mossese (Josky)
      Ngonda nazwi (Diato Lukoki)
      Lengema (Diato Lukoki)
      Silawuka (Mayaula Mayoni)
      Naregrette Tantine (Masiva)

       2CDである。"L'orchestre le Trio MAMAKI"は、Mayaula Mayoni・Youlou Mabiala・Josky Kiambukutaによって1977年に結成されたトリオである。Mayaula MayoniはT.P.O.K. Jazzに加入する直前、他の二人は加入中であったので、T.P.O.K. Jazzと併存していたと考えられる。1977年といえば、(T.P.)O.K. Jazzは結成20周年記念大事業の翌年である。その豪快で分厚い音世界が完成されて、来るべき1980年代の引き締まった演奏スタイルへと上って行く過渡期にあった。これ以後のT.P.O.K. Jazzの楽曲、特にサポート・ミュージシャンによる曲は、組曲風の複雑な構成をもつ大曲が量産されて行く。その前には様々な試行錯誤があり、様々な要素やアイディアが、様々な取り合わせで試されていた事は想像に難くない。彼らザイールのミュージシャンたちは、よく本隊の他に自分専用、あるいは気の合った者同士の実験的なユニットをもっている。そこで、自分が本隊に提出する曲の構想固めをするのであろう、私も現地でそうしたユニットの練習を何度も見学した。特にその後大曲を量産するJoskyにあっては、そうした「場」は有効であったに違いない。さて、これはそんな完成前のアイディアや実験的な試みがぎっしり詰まったCDであるが、きちんとした体裁を整えた演奏とは言いがたい分、通好みと言えるも知れない。なかでも、CD「Franco chante "Mamou", 1984/ 1985/ 1986 (CD, Sonodisc CDS 6853, 1994 re-issued)」に収録されていたJoskyの「Limbisa ngai」の古い形が特に圧巻。「Mamou」所収の方はかなり整理されているが、こちらは前半が全く異なり、非常に荒削りである。ほかにお薦めの曲は 「Mossese」と「Naregrette Tantine」・・・これらもその後のT.P.O.K. Jazzで取り上げられた名曲であるだけに、曲がどのように練られて行くのかを垣間みるのもひとつの楽しみ方である。非常に味わい深いセットといえるだろう。

        

      Le Folklore de chez nous avec le Grand Maitre Franco (CD, Glenn GM 312084)

      Ya Luna Umbanzili
      Nzenga
      Na Kisoka
      Kukisantu Kikwenda Ko
      Kinzonzi ki tata mbenda
      Kimpa Kisanga Meni
      Kinsiona
      Luvumbu Ndoki
      Sansi Fingomangoma
      Oh Miguel!
      12600 Lettres
      12600 Lettres Debat

       珍しい(T.P.) O.K. Jazzのフォルクロールを集めた編集盤である。後ろの2曲(Edipop POP 032, 1984所収)を除いて、すべてFrancoの出身であるBas-Congo州のフォルクロールであり、主にKi-Kongo(コンゴ語)で歌われている。最もお薦めは「Kukisantu Kikwenda Ko」で、喋りと口笛の独特の雰囲気から始まり、唐突にキツ~~~いコンゴのフォルクロールに突入する。Bas-Congo州の灌木に覆われた赤土の煙と、ガソリンと、タロイモの饐えた臭いと、ココヤシの油の焦げる香りが鼻を突く。この1曲のために買う値打ちあり。かなり古い音源に至るまでよく集めてあるので、彼らのフォルクロールをまとめて聴くにはとても良い。

       


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