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Papa WembaとViva la Musica (1977-1987)

Papa Wemba/ Viva la Musica:
Mwana Molokai; The First 20Years
(2CD's, Stern's SYCD3019-20, 2004)

http://www.sternsmusic.com/

CD 1:
Mere Superieure (Papa Wemba)
Telegramme (Simarro Massiya)
Aina (Pepe Kalle)
Loni (Papa Wemba)
Analengo {original} (Papa Wemba)
Lefeka Mandungu (Wendo Kolosoy)
Matebu (Papa Wemba)
Bukavu Dawa (Papa Wemba)

CD 2:
Malimba (Papa Wemba/ Hector Zazou)
Kitida (Papa Wemba)
Esclave {original} (Papa Wemba)
M'balumuna (Traditional)
Adidas Kiesse (Papa Wemba)
Victime de la Mode (Papa Wemba)
Jingle Amina (Papa Wemba)
Mi Amor (Papa Wemba/ Koffi Olomide)
Mama (Papa Wemba)

 「Papa Wemba」と「Viva la Musica」・・・この名前は、コンゴが世界に誇る、アフリカン・ミュージックの代名詞である。Papa Wembaの本名は「Shungu Wembadio」といい、1949年に現在の東カサイ州のテテラ人の村「ルベフ」に生まれている。彼のヴォーカリストとしての素養は、母親が冠婚葬祭の儀式などで歌う歌い手であったことや、彼自身が教会の合唱団やボーイスカウトに参加していたことなどによって育まれたものらしい。

 彼が本格的に音楽活動を始めたのは、厳格だった父が亡くなった1966年以降のことである。初めは幼なじみのLita Bemboが率いていたStukas Boysの練習に参加していたらしいが、1969年に、Manuaku Waku、Evoloko Jocker、Nyoka Longo、Mavuela Somoらとともに「Zaiko Langa Langa」の結成に加わったのがプロとしての活動の第一歩であったという。「Zaiko」でのWembaの活躍はめざましく、自らをElvis Presleyになぞらえて「Jule Presly」と称し、その後の彼の特長である、あの甲高いシャウト唱法や、アニマシォン(かけ声)など彼のスタイルを確立する。

 このことからもわかるように、彼は非常にロック的な男であった。Zaikoは、当時若い世代の旗手としてその規模が拡大の一途を辿っていたが、1974年、遂にWemba、Evoloko、Bozi Boziana、Mavuelaが脱退し、より一層ロック的なバンド「Isifi Lokole」を結成するに至る。しかし、それもほどなく「Yoka Lokole」と「Isifi」に分裂し、ここに「キンシャサ・ロック」のビッグ・バンが始まる。

 オフィシャル・ホームページによると、Wembaが「Viva la Musica」を結成したのはは1977年とされている。特徴的なのは、彼は従来の職業的ミュージシャンの常識を越えて、自らの生き方、スタイル、信念を実現するために一種の共同体を創設し、そこを志のある若いミュージシャンに開放したことである。彼の父は厳格な男で、幼少期の彼には音楽をやる自由などなかったということだが、その経験がロックへの傾倒、アフリカ的因習を打破して個人的な自由を手に入れること、そしてそれを若者たちに解放する事へと駆り立てたようである。共同体の名前は「モロカイ」といった。これは、キンシャサのマトンゲ地区にあるその所在地を囲む5つの通りの名前のイニシャルから取られている。その後、彼はこの理想郷を基盤に活動し、そこから若手が多く育っていく。

 さて、「Viva la Musica」の変遷は、そのメンバーの移動などにより、だいたい3つの時期に分けられる。「第一期」は、1977年の結成から1982年頃までで、歌手にEmeneya Kester、Koffi Olomide、Kisangani Esperant、Jadot le Cambodge、Pepe Bipoli、Djuna Djanana、Gina Efonge、Fafa de Molokai、Debabaなどが在籍した時期である。私は、「Viva」の絶頂期はまさにこの時期と考えている。音楽的にロックであり、様々な個性のぶつかり合いから生み出される多様な楽曲、楽章、フレーズ・・・最もスリリングで、何が起こるかわからない、型にはまらない面白さがあった。その後、1981年の「Langa Langa Stars」結成、1982年の「Victoria」結成などのために、多くのミュージシャンが去った。特に「Victoria」結成時には、レギュラー的立場のミュージシャンが大挙して脱退し、バンドは一時的に活動休止を余儀なくされた。この時期の音源は、1980年以降については整理・復刻が進んでいるが、1970年代のものは進んでいないのが実情である。おすすめは、なんと言っても「大分裂」を起こす直前の1982年で、曲によっては、確かに演奏しているのはViva la Musicaだが、まだ産まれぬ「Victoria」が胎内で演奏しているかのような、興味深い曲が多い。

 「第二期」は、Victoria結成のために、ミュージシャンをごっそりいかれた後、Wembaが体勢を立て直して活動を再開した1982年頃から、ヨーロッパへ拠点を移す1987年頃までである。メンバーとしてはFafa de Molokai、Lidjo Kwempa、Maray Maray、Lusyana、Reddy Amissi、のちになってFatakiやStynoが活躍する時期である。世間一般の評価としては、この時期が最も充実した時期であるとされている。それは全くその通りで、パワー、アレンジ、楽曲の厚さ、醍醐味と、どれをとっても申し分ない。かつての破天荒な勢いは幾分影を潜め、その後のワールド・ポップ路線へ収束していく以前の、混沌と秩序のせめぎ合いが大きな魅力である。Emeneyaが引き起こしたような大分裂劇はもう起こらない。Wembaをトップに頂き、あくまでその旗の許に発揮される様々な個性・・・その筆頭は、詩人であり哲学者でもある摩訶不思議な歌手Lidjo Kwempaの存在や、甘い美声でザイール女性たちの心を奪ったというLusyana Demingongoであろう。彼等の個性は、演奏力の完成されていたこの時期のVivaあってこそ、輝き得たものだと思える。

 「第三期」は、拠点をヨーロッパへ移し、本格的にインターナショナルなグループとして飛躍していく時期である。ここから先は「Viva」の歴史というよりも、Wembaのワンマン的な歩みと考えた方が良い。この大移動に際して、キンシャサに残された大量のミュージシャンの中から、Maray Marayの「Rumba Ray」などが生まれている。また、音楽環境の格段の向上によって、メンバーやパトロンによる企画ものの駄作が大量にリリースされたのもこの時期である。しかし、1993年の「La Nouvelle Generation」の結成によって、Lidjo、Lusyana、Fataki、Fafaほかバック陣まで含めてメイン・メンバーがごっそりやめてからは、Wembaは、よりインターナショナルな路線を鮮明に打ち出したユニット「Molokai」(当初は「Papa Wemba's International Band」と称していた)に活動の重点を移すようになり、「Viva」は一時的に有名無実化する。

 初めに紹介するCDは、ロンドンでネットラジオを運営しておられるVincent Luttman氏によるアンソロジーで、選曲が良く音質も良い事から、初めて彼等の音に接する方にはお薦めしたい。サブ・タイトルにあるように、彼等の活動開始からほぼ20年間の曲を選んである。名曲を中心に編集すると、それまでに復刻された音源と重複する事になるし、かといってレア音源にこだわると一般に受け入れられにくい。このアンソロジーは、永年彼等の音を追い続けた我々のような者も知らなかった名曲、知っている曲であっても別のバージョンなどが選ばれている。また「Viva」に限らず、Wembaがヨーロッパ進出を果たし、世界的なミュージシャンに成長していく過程において録られた、外国人ミュージシャンとの様々なコラボレーションまで含まれていて、コアなリンガラ・ポップス・ファンだけでなく、幅広いリスナーにも充分アピール出来る内容になっている。僕は後半はちょっとお手上げやねんけどね・・・

 CD 1は、主に「第一期」の最も混沌とした濃い内容の「Viva la Musica」である。特に1曲目 「Mere Superieur」は、結成当初の彼等の看板的名曲であり、これを過去に復刻したCDの配給元がいずれも倒産している事から、おそらく他では入手は難しいと思う。次の「Telegramme」 は、「T.P.O.K. Jazz」の名ギタリストSimarro Massiyaの曲で、過去にLPで一度復刻されただけで、CD収録は初めてである。これを知った頃にはクレジット・ミスだと思っていたのだが紛れもない事実であった。次は「Empire Bakuba」のPepe Kalleの名曲で彼もコーラスで参加している。「Aina」とは女の名前だが、Pepe Kalleの柔らかな声とWembaの激しいシャウトのコントラストが素晴らしい。次の「Loni」も初復刻である。この曲のライセンスを持っていたのは「Rumba Ray」を世に出したAntabelで、彼自身がなかなか世に出られなかったために、この曲も永らく埋もれていた。約5年以前に「Editions Antabel」からPepe KalleやZaikoの曲と混じった編集盤でCD化された事がある。次の「Analengo」 は、いわずとしれたPapa Wembaの名曲中の名曲だが、「VISA 1980」からLP化されたものとは別バージョン。次の「Lefeka Mandungu 」は、なんと「Rumba Congo」の生みの親Wendo Kolosoyの曲をカバー。Wendoの声が若くて張りのある事。元歌は地味な弾き語りにヨーデルが映える素朴な歌だが、WembaとWendoのデュエットのあと、「第一期」Viva特有の重く激しいセベンに突入する (原盤はMOL117, 1982)。ちなみに同時期、Wendoの「Bato ya Masuwa」も録音されている (原盤はMOL118, 1982)が、こちらはセベンなしの軽めの歌曲で、ふたりのデュエットがひたすら美しい。ここまでは「Viva la Musica」大分裂以前の音源である。最後は「第二期」の安定を確実にした名曲、実にまったりとしたLusyanaの甘い声で始まる1983年の「Bukavu Dawa」で締めくくられている。 

 CD 2は、「第二期」からインターナショナルなシーンに飛躍していく「Viva la Musica」や、それとは別に結成された「Molokai」その他の演奏が中心になる。1曲目「Malimba」は、フランスの前衛音楽家集団「Z.N.R.」のメンバーHector ZazouとPapa Wembaとのコラボレーションで、あの「Konono No.1」を世に出した「Crammed Discs」からマキシ・シングルで出たもの (Maxi45T, CRAM023, 1983) である。リンガラ・ポップスとは全く異なる、タイトな打ち込み風リズム・セクションに柔らかめのコンガ、生ギターや管楽器が絡む凝った演奏で、クラブ・ミュージックのはしりみたいなもんでしょうな。Wembaの声がなかなかいい味出してます。そのシングルのB面は同曲のインストゥルメンタルのダブ・バージョン「Dansez le Malimba」。これは、熱心なアフリカ音楽ファンからも、熱心な耽美派チェンバー・ロック・ファンからも惨々に酷評された不運な作品だったが、私は好きですな。次の「Kitida」は・・・このへんから私は彼らへの関心が薄れていったので、よう知らんのですわ。次の「Esclave」は、1986年に「L'esclave」というタイトルでGitta Productions からLPとして作品化された (GIP004) もののタイトル曲のオリジナル・バージョンで、この頃からWembaのインターナショナル戦略が顕著になりはじめる。これと「Adidas Kiesse」の演奏はViva la Musica。「M'balumuna」は、コンサートの余興などにさらっと出される民謡のワン・フレーズで、Kasai州の方へ行くと、村々で火を囲んで遊びがてら子供が歌ってたりする。情景描写的なクリップ・・・このアンソロジーでは、私はこの辺までが限界で、以後の曲はノー・コメント。ごめんなさい。

 


「第一期」1977年-1982年頃

La Naissance de l'orchestre Viva la Musica de Papa Wemba;
1977/ 1978 au Village Molokai, Vol. 1 (CD, Ngoyarto NG026)

Mere Superieure (Papa Wemba)
Bokulaka (Papa Wemba)
Mabele Mokonzi (Papa Wemba)
Zonga-Zonga (Papa Wemba)
Diana (Rigo Star)
Ebale Mbonge(Papa Wemba)

 「第一期」Viva la Musicaデビュー当時の録音集である。初期のVivaは楽に聴けるような音楽ではない。もともとKinshasaの「Time Production」から出た一連のシングルが彼等のデビューとされていて、これらを収録した「Special Molokai (SM001, 1977)」という現地盤LPがあった。33回転でノージャケット、収録曲は、A面が順に「Mabele Mokonzi」・「Lisumu ya Zazu」・「Bokulaka」、B面が「Mere Superieure」・「Ebale Mbonge」・「Mama Wali」の6曲で、全曲Papa Wembaの作曲とある。セベン付きの曲を片面3曲ずつ収録するのは時間的に困難なので、「Mabele Mokonzi」・「Bokulaka」と「Mere Superieur」の他は、後半をフェイド・アウトしてある。このうち「Lisumu ya Zazu」と「Mama Wali」は「Yoka Lokole」の曲で、確かにLPのラベルには、作曲者に「Shungu Wembadio」の名はあってもオルケストル名の記載はない。後にSonodiscから「Merveilles du passe: Congo- Zaire Best of 1970 (Sonodisc CD36547)」で、全尺CD化されている。それを聴くと、明らかにこの2曲だけ雰囲気が異なり、確かに「Yoka Lokole」の演奏である。

 上のCDは、企画としてはこれを復刻したものだが、その2曲のかわりに、「Zonga-Zonga」と「Diana」を収録してある。特筆すべきは、「Bokulaka」という曲で、これはRigo Starのファズ・ギターに載せてWembaがソウルフルに歌うスロウなバラードで始まる。あまりにも朗々と歌い上げるのが寧ろ滑稽なほどであるが、笑っている間に突如として全速のセベンが始まり、マイナー・コードを交えながら急展開、一瞬のブレイクのあと弾け飛ぶようなダンス・パートに一変する。ここで聞かれるRigo Starのファズ・ギターは筆舌に尽くしがたく、同じ時期に録音された若き日のBongo Wendeの名曲「Kalidjogo」とならんで、これで人生を棒に振った人が続出した。そのBongo Wende、ここではひたすらリズム・ギターに徹しているが、セベンの後半でゴージャスなアコンパ・ソロを聞かせている。アフリカ音楽を目指す目指さないに関わらず、特にギタリストはこのギターを良く聴いてほしいですね。リズムの取り方、崩し方、ための出し方フェイントのかまし方、全てがここに凝縮された入魂の演奏です。

 「Mabele Mokonzi」は、クレジットではWembaの作とあるが、実は2007年に亡くなったCele le Roiの名曲で、Wemba不在時のViva残留組のコンサートでは頻繁に演奏されていた。本来、ラストが歌に戻るのだが、そこからセベンに再突入する事も可能になっており、乗りに任せて三回転して聴衆を大いに沸かせた事がある。セレ死して名曲を遺す。また楽しからず哉。現地盤LPのジャケットの代わりに挿入されていたチラシ状の印刷物では、この曲をアルバムのタイトルとするほどの不朽の名作である。このLPは、全体としては「Yoka Lokole」臭のぷんぷんと残る名盤。

 ちなみにこの復刻CDはワン・プレスで廃盤となり、後に同じNgoyartoからジャケットを一新し、Koffi Olomideの「Synza」・Papa Wembaの「Aisa na Zoe {version original}」を加えて再発 (CD, Ngoyarto NG108) されるも、これもすぐに売り切れ、そのままNgoyartoは倒産した。かえって中古レコード屋に行けば、LP「Special Molokai」の方を見かける程である。いずれにせよ、初期Vivaのマスト・アイテム。「Bokulaka」・「Mabele Mokonzi」だけでも復刻してほしいものである。

 

L'orchestre Viva la Musica: Papa Wemba & Koffi Olomide,
Premier Duo; 1978/ 1979 au Village Molokai, Vol. 2
(CD, Ngoyarto NG027)

Anibo {Panibo} (Koffi Olomide)
Samba Samba (Koffi Olomide)
Cherie Lipasa (Koffi Olomide)
Bien Aimee (Koffi Olomide)
Elengi ya Mbunda (Koffi Olomide)
Oiseau Bleu (Koffi Olomide)
Ekila Maze (Koffi Olomide 1982)

 Koffi Olomideは、結成翌年の1978年にViva la Musicaに加入した。これは、上のCDの続編で全曲Koffi Olomideの作品集であるが、最後の曲を除いてその初期の録音であり、まだ彼の個性が十分に発揮されたとはいえない。彼のやろうとしている音楽とPapa Wemba率いるViva la Musicaの演奏の現実とでは開きがありすぎた。彼の声は低すぎ、声域も狭すぎるので、彼の歌はWembaの甲高い声にかき消されて沈んでしまうのである。彼の曲調は、マイナー調で落ち着き過ぎ、シックで渋すぎるので、セベンで陽気な展開に差し替えられるのである。そのセベンで、彼はみんなそうするように、Wembaをリスペクとして彼の名を叫ぶのであるが、しかしその声は浮いてしまうのである。ああ、私は心からのKoffi Olomideのファンであるので、それが痛々しくて、このCDを聞き続けるに及ばないのである。しかし、ここに収録されている曲は、特にOlomideの作品として捉えなければ、名曲ぞろいだと言える。特に「Cherie Lipasa」は、この時期のVivaにあって、マイナー調が活き活きと輝き得た稀な曲であろう。

 スイスとフランスに留学経験を持つ彼は、約10歳年上のPapa Wembaをよく慕い、Wembaから「Oh! L'homme idee」と呼ばれた事から、「Olomide」を名乗った。その後、彼はWembaから「Viva la Musica」をいわば借り受ける形で、自分の望むような演奏をしてもらい、その上で歌うようになった。このようにPapa Wembaが、特に有能な歌手にバンドをレンタルした場合、バンドのクレジットとして「Ba la Joie」という名前が使われているが、演奏者はほぼ同じである。Olomideは、1982年のVictoriaの脱退劇その他にも関わらず、かといって正式なメンバーとして常勤する訳でもなく、1985年頃ヨーロッパで継続的な共演者を得るまでは、一定の距離を保ちながらWembaやVivaと付き合っていた。

 上のCD最後の曲「Ekila Maze (1982)」は、そんな中でViva la Musica結成8周年を記念するアルバム (LP, Gillette d'or EQ3193, 1985) に収録された曲であり、他の曲とは時期と性格を異にする。ちなみにこの曲は、その8周年記念アルバムのCD復刻 (CD, Les Editions Plus de Paris EPP02) の際に、Bongo Wendeの「Kalidjogo (1978)」に差し換えられた。1978年を語るCDに1982年の曲を入れ、1982年を語るCDに1978年の曲を入れたのである。わからんことしよるで。Olomideの本領が発揮される「Ba la Joie」以降については、別項「Koffi Olomide」を参照されたい。

 

L'orchestre Viva la Musica: Papa Wemba & Kester Emeneya;
1977/ 1978/ 1980 au Village Molokai (CD, Ngoyarto NG069)

Teinte de Bronze {original} (Emeneya Kester)
Yayi Mambu (Emeneya Kester)
Kalidjoko {Kalidjogo} (Bongo Wende)
Ekoti ya Nzube (Papa Wemba)
La Fleur Betoko (Papa Wemba)
Ata Nkale (Emeneya Kester)
Signorina {Style Fiesta} (Papa Wemba)
Ngambo Moko {Style Fiesta} (Papa Wemba)

 Emeneya Kesterは、Viva la Musicaの創立メンバーの一人である。これも、上のシリーズの続編、タイトルにもあるようにEmeneyaの曲を集めたようにみえるが、全8曲中、Emeneya作はたった3曲で紛らわしいタイトルつけんなよな。もっとほかに入れるべき曲あるやろ、「Dikando」とか「Ngonda」とか「La Runda」とか「Ndembela」とか「Fleur d'ete」とかさあ・・・ちょっと思い出しただけでCD1枚分になるやん。おっと、これらLidjoの曲やったっけ・・・桑原桑原・・・。

 とにかく言いたい事はひとつ。Emeneyaも当時、自分の声と音楽的な志向性を、Papa Wembaの旗の許に繰り広げられるVivaの熱烈なロック路線では、生かし得なかった。それは、ここに収録されている「Ata Nkale」と、彼が後に「Victoria Eleison」を率いて録音し直した同曲 (「King Kester Emeneya & Dindo Yogo: Willo Mondo & La Congolaise」 CD, Flash Diffusion FDB300239, 1994所収) を聞き比べれば良くわかる。何故わざわざ録り直したのか。また、この時期に録音されたPapa Wembaの名曲「Mea Culpa」で、Emeneyaは何故自分のソロ・パートを全コーラス「Alo-Alo-Alo-Alo-Alo-Alo-Alo-Alo-Alo-Alo-Alo-・・・」で通さざるを得なかったのか。

 彼はOlomideのように、Papa Wembaとつかず離れずやっていくような穏健なideeを持ち合わせてはいなかった。1982年に、Viva la Musicaの世界進出のためにPapa Wembaが単身渡欧した隙を狙って、彼はViva la Musicaの主要ミュージシャンをほとんど根こそぎ乗っ取って「Victoria」を旗揚げしたのである。もちろん、これには音楽産業で巨万の富を更に蓄積しようと目論む欲深い陰の大物が後ろで糸を引いていたのだが、まあそれはともかく、この時期の「Viva la Musica」を聴く醍醐味のひとつとして、分裂してゆく「Victoria」のメンバーによる演奏を聴く楽しみがあるのである。それはまるで、まだ産まれ落ちぬ「Victoria」が、「Viva la Musica」の胎内で演奏しているかのようだ。残念ながらこのCDにはそのような曲は収録されていない。それは下に紹介するCD「Papa Wemba/ Clan Langa Langa: Zea 1982 (CD, Sonodisc CDS6921)」に収録された、Koffi OlomideとDebabaのバッキングをしている「Viva la Musica」の演奏に顕著に現れる。

 さて、このCDには、Emeneya以外の作による5曲の名曲が並んでいる。なかでもBongo Wendeの「Kalidjoko」は、何人もの連れが、この曲で人生を棒に振ってしまったほどの名曲であって、久しぶりの復刻なので期待して聞いてみたが、残念ながらこれは別バージョンであった。先述した、Viva la Musica結成8周年記念アルバムのCD復刻盤 (CD, Les Editions Plus de Paris EPP02) に収められている方が、その「棒に振った」方であって、こっちはそれほどでもない。「Signorina」は、超希少盤LP (TIP01) からただ1曲の復刻。「Ngambo Moko」は、この時期のVivaには全く珍しい、フィエスタ・スタイル・・・つまり、古風なアフリカン・ジャズ的な演奏で、これは珍しい。ちなみに「Signorina」にも {Style Fiesta} なんて書いてあるけど、これはLPと同じバージョンで、めちゃ激しいロックです。

 

Disco Stock presente Viva la Musica de Papa Wemba:
Beloti 1979-81 (LP, P-Vine: AC10017)

Beloti (Kisangani Esperant)
Dikando (Emeneya Kester)
Libala Makambo (Tonton Buthe)
Amitie (Djodjo)

 さて、リンガラ・ポップスのCD復刻が喧しい中で、なぜこのアルバムが復刻されないのか、それは「世界七不思議」に数えられても決して大げさではない。声を大にしてこのアルバムの存在を世に訴えるのは、このアルバムで人生を棒に振ってしまった私の責務である。なにより「Viva la Musica」が日本に紹介された初めてのアルバムであり、われわれがリンガラ・ポップスに出会ってブッ飛んだ最初の作品であり、非アフリカ圏に体系的にザイール音楽が紹介された初めてのLPだからである。ライナーを見てみると、当時の日本におけるザイール音楽紹介の第一人者、神宮正美氏の、いささか興奮気味の文面が懐かしい。その冒頭に曰く、「これがヴィヴァ・ラ・ムジカを正式に紹介する、アフリカ以外へのデビューでもあるという恐るべき事実。」そのとおり、キンシャサでは、今でもリンガラ・ポップスを体系的に海外に紹介した初めての外国人として、日本人は高く評価されている。この名盤が未だ復刻されていない事は、全く理解に苦しむ。「Beloti」だけでもどこかに収録しろよな、マスター・テープがなかったらP-Vineにあるやつでええやん、もめたらカネで解決せえや、そんぐらいの値打ちのある曲やで。

 その「Beloti」というの作曲者、Kisangani Esperant (クレジットではKinshasa Esperant) は、「Viva la Musica」の創立メンバーであったが、1977年にBipoliやJadot le Cambodgeとともに、一時「Karawa Musica」を結成し、それが頓挫した後Wembaに呼び戻されている。その後Wembaの留守中に、この「Beloti」と「Mbongwana」という曲でヒットを放ったが、1981年に「Zaiko Langa Langa」のEvoloko Jockersが結成した「Langa Langa Stars」に参加した。その後Vivaに復帰したりもしたが、基本的にはソロ活動を続け、1995年に亡くなっている。この曲の素晴らしさは、まさに万死に値する。明るいコーラス、陽気な伴奏、そしてアップ・テンポに展開すると同時に少しマイナー調になり、セベンに入るとメジャーに戻って暴走する。はっきりしててわかりやすく、歌いやすくて踊りたくなる。難しくないし怖くない。「Beloti」命!・・・それに尽きる。Emeneyaもちゃんと歌えてるし・・・いつまで見られるかわからんけど、YouTubeに「Beloti」のテレビ映像がアップされてます。さあ、あなたも人生を考え直してみませんか?

 さて面白いことにこのアルバム、大きくPapa Wembaの写真が扱われているのに、実はWemba抜きのVivaなのである。タイトルも良く見ると、「パパ・ウェンバのヴィヴァ・ラ・ムジカ」とある。何故かというと、この時期Wembaは、Tabu Ley の招きによって、「Afriza International」に在籍していた。その留守を預かるChef de l'ochestreの役目を授かったのがEmeneya Kesterであり、彼の代表曲のひとつ「Dikando」は、実にこの間に録音されている。この曲は「Victoria Eleison」で何度も演奏されているが、ここに録音されている演奏は、他の時期の彼の曲に比べて、ずっと「Victoria Eleison」に近い。こうして個性というものは、鬼の居ぬ間に徐々に形作られていくのである。他の曲も、Wembaの大きくて甲高い声がない分、他の録音とは一風趣を異にしている。これは、素のままの「Viva la Musica」を鑑賞するのには格好のアルバムなのである。彼には申し訳ないが、私は密かにこういうWemba抜きのVivaが好きなのだ。

 

Papa Wemba et L'orchestre Viva la Musica
(2LP's, P-Vine: AC10019/ 20, 1986日本盤のみ)

AC10019:
Rendre a Cesar, ce qui est a Cesar (Papa Wemba)
Ufukutanu (Papa Wemba)
Mukaji Wani (Papa Wemba)
Signorina (Papa Wemba)

AC10020:
Keni ya bolingo (Dyndo Yogo)
Botika Tembe (Eulu ya Claita)
Sina Ndungu (Dyndo Yogo)
Silutadi (Bongo Wende)

 

Time International Production presente Papa Wemba
et L'orchestre Viva la Musica (LP, TIP01, 1981)

Rendre a Cesar, ce qui est a Cesar (Papa Wemba)
Ufukutanu (Papa Wemba)
Mukaji Wani (Papa Wemba)
Signorina (Papa Wemba)

 

Production Authentic Music Zaire presente
Dyndo Yogo et L'orchestre Viva la Musica
(LP, VLM007, 1981)

Keni ya bolingo (Dyndo Yogo)
Botika Tembe (Eulu ya Claita)
Sina Ndungu (Dyndo Yogo)
Ya Gibier (Dyndo Yogo)

 この3 (4) 枚のLPは同時に語られるべきである。先ず上の日本盤は、以下の2枚の1曲を除いてそのまま2枚組に収録したもので、この2枚は頗る付きの稀少盤であり入手は絶望的である。上の日本盤はまだ中古で見かける。その1曲とは、カスレ声の名歌手Dyndo Yogoの「Ya Gibier」であり、この曲は遂に復刻されていない。日本盤には、時期としては「大分裂」後の1983年に録音された、Bongo Wendeの名曲「Silutadi」が、これに代わって収録されている。この1曲だけ他の曲と全く情感が異なるが他で復刻されていないので、正しい音楽鑑賞者はレア度などに惑わされる事なく上の日本盤を購入すべし。その内容は、「Yoka Lokole」の時代の空気感を濃厚に遺した硬質なロック、「第一期」Papa WembaとVivala Musicaの醍醐味が十二分に堪能出来る名曲名演ぞろいである。はっきりいって濃すぎるし八釜しいけどね。CD復刻としては、全8曲中、上に紹介したEmeneyaとのデュオ(CD, Ngoyarto NG69)に「Signorina」、以下に紹介する古巣Zaikoのメンバーを交えて録音された同時期の曲を含むCD (CD, Sonodisc CDS6920)に「Ufukutanu」の、2曲があるのみである (たぶん) 。

 1枚目から解説する。B面1曲目の「Mukaji Wani」以外の3曲は、ほぼ出だしからアップ・テンポのルンバ・ロック。「Signorina」だけは、幾分情緒的な情感が用いられているが、あとはひたすら力強く暑苦しい演奏が続く。硬質なロックっぽさの中にも、実に緻密で繊細なフレーズ・ワークが聞かれ、波状的に次から次へと押し寄せてくる展開に対応する演奏は息つく暇もない。セベンはほとんど岩風呂状態、蒸し暑い夜に大音響で鳴らせば、「心頭を滅却すれば火もまた涼し」という古い諺をしみじみと実感出来る。ただし近所から苦情が来る事だけはまず間違いない。「Mukaji Wani」は、Wembaの故郷の伝統音楽「Mutuasi」をロック化したもので、同郷の女性歌手Tshala Muanaのポップなそれとはひと味もふた味も違う。我々の演奏するムトゥアシのお手本となった名曲。

 2枚目は、ジャケットを見ての通りDyndo Yogoのリーダー・アルバムという位置づけであるが、音世界は基本的に1枚目と同じ。レコード番号の (VLM007) というのが、ちょっと気になりますな。現地ではこれ以前に7枚ものLPが出ていたのだろうか。内容は、Dyndo Yogoの甘いカスレ声の上からWembaのシャウトが入り、激しいルンバ・ロックへと全速でなだれ込んでいくスタイルがほとんど。Dyndo Yogoは、この年Evoloko Jockerを中心に結成された「Langa Langa Stars」の結成に、「Beloti」の作曲者Kisangani Esperantとともに参加しているから、もしかしたら、両者ともVivaと一緒にいては自分の歌心を発揮し切れないと思って脱退したのだろうか。ちなみにDyndo Yogoは、その後1985年から1990年まで「Zaiko Langa Langa」に加入し、その後ソロ活動、2000年に亡くなっている。LP (TIP01) が全曲Papa Wembaの作である事から、めまぐるしく意表を突いたような展開が多かったが、こちらの4曲はどちらかというとおとなしめで、起承転結がまとまっていて歌を大切にする傾向が強い。

 この時期のメンバーは、歌手にはPapa Wemba・Emeneya Kester・Pepe Bipoli・Koffi Olomide・Kisangani Esperant (Djenga-Ka)・Dyndo Yogo・Jadot le Cambodgeのほか、すでにLidjo Kwempa・Maray Marayが参加している。ギタリストには、Huit Kilos・Bongo Wende・Milosson・Tofolo Tofla・Safro Manzangi、ベースはPinos、ドラムスにPatcho Star師匠とOtis Koyongonda、ロコレにItsharli師匠というのが、メインの布陣であった。日本盤の最後の曲は1983年"Rumba Rock Frenchen"期の録音であり、メンバーもがらっと変わり演奏も大きく異なっている。大分裂後の安定した布陣での、秩序ある演奏であるが、安定している分重厚で凄みがあり、めまぐるしい展開もびしっと決まっている。残留した歌手のLidjo Kwempa・Maray Marayの声がはっきりとフューチャーされているのが初々しい。ただ、この曲を差し替えてまでここに入れたのは不可解ではある。

 

Viva la Musica: Deception (Papa Wemba)
(45T, Time: TIM20, 1978)

 Viva結成当初の録音には、摩訶不思議な感触をもつ名曲が多い。この"Deception"というWembaの曲(Viva la Musica: Deception; comp. Shungu Wembadio; Time: TIM-20, 45T, 1978) も、どうしても取り上げておきたい名曲である。セベンがすごい。4つの循環コードで、流れるように突っ走るスピード感と美しさは、型にはまらない分、奔放で素晴らしい。是非とも復刻して欲しい1曲である。このような埋もれてしまった名曲は、きっとまだまだたくさんあるに違いない。

 

Papa Wemba: La Belle Epoque de l'Orchestre Viva la Musica 1980-83
(CD, Vivid Sound: VAAD-1000, 1991日本盤のみ)

Zou Zou Maya Maya (Tofolo Tofla, 1981)
Sabola milimu mawa (Papa Wemba, 1980?)
Bukavu Dawa (Papa Wemba, 1983)
Mea Culpa (Papa Wemba, 1981)

 初期Viva la Musicaのシングル盤の名曲を復刻しようという動きは、日本では体系的に、原点に忠実に、しかも熱心に行われた。このCDもその努力の結果であるが、残念ながら廃盤になっている。しかし若干の流通在庫もあり、中古でも稀に見かけるので、是非購入されたい。前項の最後で紹介した山崎暁氏が、当時復刻の望まれていた曲を探し当ててCD化したものである。マスター・テープに当たったデータがつけてあり、解説と歌詞、その翻訳まである。こういう仕事は日本人がやると、きちんと作るのだが、作ったあと売り続けるのがうまくいかんのですな。内容は素晴らしく、3曲目を除き大分裂前の名曲ぞろい。なんといっても圧巻は「Mea Culpa」、ソロ・パートの歌い回しの中で、EmeneyaがWembaを暗に批判する歌詞を込めたために、見せしめのために彼のパートは全編「Alo alo alo alo・・・」に置き換えられてしまったという、彼にとっては怨念の曲である。この後、ヨーロッパへ旅立ったWembaの留守中、EmeneyaはVivaの大半のミュージシャンを道連れに造反し、「Victoria Eleison」を旗揚げする。3曲目は分裂後の第二期に属する曲で、新鋭歌手Lusyanaの1983年の甘い歌ではじまる。この時期のViva la Musicaは、実にゆったりとした曲調の中で、現れては消える歌手たちのソロの織りなす綾が、幾重にも重なって誠に美しい。絶対買いですな。

 

Papa Wemba: Liboza - Analengo; 8e. Anniversaire de Viva la Musica
(CD, Les Editions Plus de Paris EPP02)

Nana Effiye (Sangwa Maray, 1985)
Liboza {Liboza na ngai} (Lidjo Kwempa, 1985)
Lozy Bijoux (Kotho, 1985)
Kalijogo (Bongo Wende, 1978)
Analengo (Papa Wemba, 1980)
Aissa na Zoe {bis} (Papa Wemba, 1980)
Mere Superieure (Papa Wemba, 1980)
Ngonda (Emeneya Kester, 1980)

 

Franco presente Papa Wemba a Paris
(LP, VISA1980 FRAN007, 1980)

Analengo (Papa Wemba)
Aissa na Zoe {bis} (Papa Wemba)
Mere Superieure (Papa Wemba)
Ngonda (Emeneya Kester)

 

Ekumany Papa Wemba le Kuru de Kuru avec Koffi Olomide:
Viva la Musica 8e. Anniversaire (LP, Gillette d'or EQ3193, 1985)

Nana Effiye (Sangwa Maray)
Liboza {Liboza na ngai} (Lidjo Kwempa)
Lozy Bijoux (Kotho)
Ekila- Maze (Koffi Olomide, 1982?)

 さて、上のCDは、その下の2枚のLP、1980年Francoのプロデュースによるパリ録音のLPと、1985年Viva la Musica結成8周年記念のLPを、1曲を除いてそのまま収録したものである。差し替えられた曲は、Koffi Olomideの「Ekila- Maze」であり、それはこの項の3番目に紹介したWembaとOlomideのデュオ、「L'orchestre Viva la Musica: Papa Wemba & Koffi Olomide, Premier Duo; 1978/ 1979 au Village Molokai, Vol. 2 (CD, Ngoyarto NG027)」に収録された。この曲が作られたのは1982年頃であり、1985年に出たこの8周年記念のLPに入ったこと自体が不自然であった。代わりにCDに収録されたのは、なにを隠そう、多くのファンがこれで人生を棒に振ったという、稀代の名曲Bongo Wendeの「Kalidjogo」である。これこそまさに、われわれが人生を棒に振ったところの、まさしくそのバージョン、CDに救済されて本当に良かったと思う。これを聴いてもっと多くの日本人が人生を棒に振る事を、地球温暖化抑止の観点からも切に望んで止まない。まあ一緒に楽しいしましょうや、ややこしい仕事なんかさあ、別にあんたがどうしてもやらんなんことないねんて、さあほらほら、やめややめや、ぱあっといきましょ、ぱあぁっと・・・

 CDの曲順はリリースされた順とは逆になっている。前半3曲が8周年記念LPからその1985年当時の録音3曲、「Nana Fffye」はMarayのデビュー作、彼独特の哀愁を帯びた曲調は、かつて在籍していたPapa Fiotiの「Ototale Zngala」からの影響。次の「Libonza na ngai」は、クレジットはPapa Wemba作だがLidjo Kwempaの名曲。複雑な構成とかき口説くような歌詞が延々と続く彼の歌の持ち味は既に完成されている。4曲目に人生を棒に振ってもらったあと、ゆっくりと1980年当時、Francoがザイールの音楽を世界に広めようとして、自分の音楽ビジネスのために設立した「VISA1980」レーベルからの名曲の数々をお楽しみいただきたい。

 まずはWembaのコンセールではたいてい演奏される看板曲「Analengo」。これを、大阪ミナミの三角公園にWembaを招いて演奏した経験は忘れられない。この曲は通常のルンバ・ロックの形式にとらわれず、伝統的なリズムをロック的にアレンジした激しいイントロ、印象深いギター・フレーズから始まる。全尺踊るための曲である。オリジナルが、この項最初に紹介したCD「Papa Wemba/ Viva la Musica: Mwana Molokai; The First Twenty Years (2CD's, Stern's SYCD3019-20, 2004)」に収録されていて、そちらの方がこの曲の情感を良く現しているように思われる。「Aissa na Zoe {bis} 」も有名な曲で、これも伝統音楽に取材したもの。途中で見事なマイナー・コード展開で雰囲気ががらっと変わり、激しい曲調に奥行きが与えられている。Kinshasa録音のオリジナルは、一時CD (Ngoyarto NG108) に収録されていたが入手困難。この曲の持ち味である畳み掛けるような激しい乗りは、そのオリジナルの方が数段上である。「Mere Superieure」は、ルンバ・ロックの形式を概ね踏んだ演奏だが、前半はかなりファンキー。続くセベンはこの時期らしく破天荒な弾け方をして終わる。しかしこれも、この項最初に紹介したCDに収録されているオリジナルの方が遥かに良いのである。最後はEmeneya Kesterの名曲「Ngonda」で、ようやくここへきて彼らしいウェットな声質がうまく出るようになっている。

 Francoがプロデュースした「VISA1980」には、いろんなアーティストの録音が遺されているが、総じて音がデッド過ぎ、リンガラ・ポップスらしい音の息吹が足りない。また、このCDでは後半4曲の頭が全て飛んでおり、これは全く敬意に欠けた許せない仕事である。しかし、上のLP2枚と「Kalidjogo」を含むSonodiscの編集盤LP (Sonodisc 360117, 1978) の入手は絶望的である事から、あなたに人生を棒に振ってもらうためにはこのCDをお奨めするより他にないのである。

 

Papa Wemba/ Clan Langa Langa: Evenement 1982
(CD, Sonodisc CDS6920)

Mafiozo (Bimi Ombale)
Sentiment Langa Langa (Bimi Ombale)
Pauvre Diable (Otis Koyongonda)
Ofukutano {Ufukutanu} (Papa Wemba)
ミス・クレジット(unknown)
Okomaki te {Akomaki te?} (Buche Koko)
Melina la Parisienne (Papa Wemba)
Evenement (Papa Wemba)

     

    Papa Wemba/ Clan Langa Langa: Zea 1982
    (CD, Sonodisc CDS6921)

    Zou-Zou Maya-Maya (Tofolo Tofla)
    Bonzenga (Bimi Ombale)
    Milles Soucis (Koffi Olomide)
    Abidjan (Debaba)
    Mimi la Rwandaise (Bimi Ombale)
    Match Nul (Yenga Yenga Jnior)
    Zea {original} (Papa Wemba)

       1982年は激動の年である。Victoria Eleisonの脱退劇だけでなく、Vive la Musicaをはじめとする若手ミュージシャンの演奏力も高まり、同世代のグループ同士の交流も活発になった。これには、若手を育てたい音楽業界からのバック・アップもあり、上の2枚は、そんな流れのメイン・ストリームである「Zaiko Langa Langa」から巣立っていったミュージシャン同士の、いわば交流の記録である。クレジットに「Clan Langa Langa」とあるのは、そういう名前のバンドがあったという事ではなく、バンド名を限定出来ない様々な組み合わせによる録音を集めてあるという意味である。

       まずは1枚目のクレジット・ミスを指摘しておきたい。表記では、5曲目が「Okomaki te」、6曲目が「Melina la Parisienne」のパート1、7曲目が同パート2となっているが、実際には5曲目は全く別の曲であり、聞き覚えはあるのだが未だ探し出せないでいる。6曲目が「Okomaki te」で、これはたぶん「Akomaki te (彼{女}はまだ来ない) 」のミス・タイプでしょうな。で、7曲目が「Melina la Parisienne」の全尺という訳である。

       1枚目の聞き所は、上の2枚組LPに収録されていた「Ufukutanu」以降の5曲で、特に「Melina la Parisienne」こそは、我が音楽の師「プロフェッサー・ピリピリ」が、タンガニーカ湖をボートで不法越境した時に囚われ、日本人とリンガラ・ポップスの初めての出会いとなったというべき美しい名曲である。印象的なギターのフレーズから始まり、朗々と歌い上げられるWemba節に分厚いコーラスが絡み付く。カダンスへのつなぎと展開、更にセベンへ誘導するHuit Kilosのギターが、めくるめくような陶酔を誘う。同じ音域で呪術的に繰り返す彼のギターは、まさにこの曲でその本領を発揮したと言える。この曲は、セベンのあと一旦歌に戻るが、よくあるように歌の終わりで更にセベンを繰り返す事も出来るようになっていて、このCDでも、エンディングは2度目のセベンに入りかけたところでフェイド・アウトされている。私はKinshasaで、残留組Viva la Musicaが、この曲を三回転させて聴衆を大いに沸かせたのを聞いた事がある。コンセールは朝まで行われるので、こういうアトラクションは結構頻繁にあるようだ。それはKinshasの夜にギターのフレーズが星のように飛び散っていく、この世のものとは思えぬ程の悦楽の時間であった。最後の「Evenement」は多少音が悪いが、セベンにはいると徐々に高まってくる興奮のうねりが、黒い雲のように背後から沸き上がり、全てを覆い尽くすように押し寄せてくる迫力がものすごい。これこそまさに、大分裂前夜の演奏。歌っているのは確かにWembaなのだが、演奏しているのはどう聞いてもVictoria Eleison、もっといえばVeritable Victoria Principalである。聞き終わったあとに、思わず水が欲しくなる。全曲演奏はViva la Musica。

       2枚目も内容が非常に濃い。いきなりVictoria臭のプンプン匂う「Zou-Zou Maya-Maya」で幕を開ける。クレジットではWembaの曲とされているが、実はToflaの曲で、発表も厳密には1年早い1981年。歌のあと粘り強い6/8拍子のリズムに変わり、親指ピアノの裏拍子のように間隙を縫うギターの音色がトリップを誘う。実に細やかなリード・ギターに彩られたセベンは、まさに華麗そのもの。このCDで特筆すべきは、Koffi Olomideの「Mille Soucis」と、Debabaの「Abidjan」が収められていること。いずれもセベンが途中でフェイド・アウトされているが、眼目はその歌にある。両者とも、のちに独特のメランコリックな楽曲と歌で身を立てた実力派の歌手だけに、その片鱗がこの時期既に現れていたことは大変興味深い。特に「Abidjan」では、コーラスで絡むPetit Princeの頭から突き抜けるような高音をHuit Kilosのギター・ソロが引き継ぐあたり、これもすでにVictoria Eleison、いやVeritable Victoria Principalである。ゾッときます。と、ここまでのVivaの曲はKinshasaベースのロックと分裂していくメンバーの音楽性を内包した危ない演奏が聞き所である。それ以外の3曲のバックは「Zaiko Langa Langa」。

       これに対して最後の曲Papa Wembaの「Zea」は異色である。この曲は、彼がインターナショナル路線をはっきり打ち出して成功した最初の曲ではないかと思う。これには実に興味深い二つのバージョンがあって、ひとつはこのCDに収められたKinshasa録音、もうひとつは同年パリへ赴き、現地のミュージシャンとセッションしたLP「Le Grand Maitre presente Papa Wemba Le Kuru Yaka et Les Djamuskets de Paris (LP, Pass01, 1982) 」に収録された。それはのちに、以下に紹介するCD「Papa Wemba et Viva la Musica: Beau Gosse ya Paris,1985 (CD, Ngoyarto EPP20)」に2曲が再録されている。

       「Zea」は、Wembaのイメージとしては、おそらくフレンチ・カリビアンの香り、Zoukのニュアンスを巧みに取り入れ、マイナー・コードや、およそアフリカ人には不得手なテンション・コードを効果的に応用し、ザイール人たちが夢見るヨーロッパの都市生活の、洗練された空気感を醸し出すことによって、先進国人がザイールに持つイメージを変え、ユーロ・アフリカンなエキゾシチズムを定着させ、新しいアフリカン・ポップスの、あるべき方向のひとつを明確に提示する狙いがあったのではないかと思う (たぶんね) 。

       ところがである。この曲がここでどのように演奏されているかというと、曲の指定は難しいテンションのかかったコードであるが、そんなものは耳で聞いて自分に聞こえた通りにしか弾かない・・・というか、よう弾かん奴らである。セベンというと、「いてまえええっ」ちゅうて突っ走るもんやと思うてる奴らである。というか、始まってしもたら、どうしてもヤッちゃうんでしょうな。それがええんですわ。で、一応マイナー・コードは全編指定されてるから守られていて、その涼しげな情感は表現できてる。そないしてバックが折角オシャレなハーモニーを紡ぎ出してる上を、なんと旧来通りの怒濤のセベンがブルドーザーのように突っ走るのである。当然スネアは連打され、コンガが唸り、ロコレが響き渡る。そうなってしもたら、もうヨーロッパでもなんでもない、Kinshasa郊外の赤土の森の中である。Wembaも先頭きって激しいシャウトでアニマシオン入れてるしね。はからずも、そのコントラストが実に見事で、ゾクゾクするほどかっこいい。音楽なんてね、予定調和ほどウソサムイもんもあらへんちゅう見事な証明ですな。でも、改めてよく聴くと、微妙に歌メロとアコンパ・ギターとベースが不協和音になってるし、ときどきメンバーが「??どないすんねん??」て顔見合わしてるのが見えるようで面白い。Wembaはんも新しい事やろ思たら苦労しはりましてんな。で、やっぱりこいつらにはムリやと思うた彼は、はるばるパリまで行って、ヨーロッパで経験を積んだミュージシャンとともに録音し直したとさ。

       その隙にEmeneya Kesterは、歌手のBipoli、Debaba、Petit Prince、ギタリストのHuit Kilos、Tofla、Safro Manzangi、ベースのPinos、ドラムスのPatcho Starを引き連れて造反し、「Victoria (Eleison)」を旗揚げする。彼等のその後については、別項「Victoria Eleison」をご参照ください。Vivaはこの「大分裂」の為に一時的に活動休止を余儀なくされ、新たにLidjo Kwempa、Lusyana、Maray Maray、Fafa de Molokai、Fataki、Redy Amisiなどを歌手としてフロントにすえる「第二期」を迎えることになる。

       この2枚のCDを通して紹介しなかった曲は、1枚目は主に「Zaiko Langa Langa」の歌手を「Viva la Musica」に招いて録音されたもの、逆に2枚目は、Papa Wembaが「Zaiko Langa Langa」へ出向いて録音したものである。通して聴くと非常に内容がバラエティに富んでいて、1982年という時代の息吹が感じられる。実に素晴らしい内容であるが、ここまで読んでもろてなんですけど、このCD、残念な事に発売元のSonodisc社の倒産により、いずれも入手が極めて困難なんですわ。見つけたら店員張り倒してでも買うべし。

       


      「第二期」1982年-1987年頃

      Les meilleurs succes de Papa Wemba, Vol. 1/ 2
      (CD, Mayala FDB300094/95)

      FDB300094
      Petite Gina {autre version} (Papa Wemba, 1985)
      Ma Bijoux (Tshimpanga Pingpong, 1985)
      Sissi (Lusyana Demingongo, 1985)
      M'fumu Yani {M'fono Yami, original} (Papa Wemba, 1985)
      Alangando (Lusyana Demingongo, 1983)
      La Vie Comme Va Bola (Jadot le Cambodge, 1983)
      Ambochila (Boketshu 1er., 1983)

      FDB300095
      Miss Bessange (Papa Wemba, 1984)
      Eben (Tchotto Wasureta, 1984)
      Mwana Molokai (Papa Wemba, 1983)
      Eliana (Papa Wemba, 1983)
      Ambro Djeni (Fafa de Molokai, 1983)
      Itshula Pete (Itsharli, 1983)
      Cherie Cathona (Korewa Siranze)

       念のためLPからの対比も年代順に箇条書きにしておこう。

       1対1でうまく繋がった人にはすてきなプレゼントを差し上げます。

       「大分裂」直後の彼等の録音は、その初期LP4枚分をほぼ収録した2枚シリーズのCDが発売されている。わかりやすいというか素っ気ないというか、全く有難みのないジャケットであるが音は良い。CDの収録順で説明するならば、Vol. 1の初めから4曲は、ジャケット右下のLP「(通称) Ma Bijoux, 1985」全曲、続く3曲は左上のLP「(通称) Don Dass, 1983」の頭から3曲で、LPにはもう1曲「Industrie」という曲が収録されていたが捨てられた。Vol. 2は、初めの2曲が右上のLP「La Firenze, 1984」のB面2曲で、A面の2曲は捨てられた。続く4曲は左下のLP「Mwana Molokai , 1983」全曲である。それぞれのCDが、「新・旧」・「新・旧」の組み合わせになっている。

       1983年Kinshasa録音の通称「Alanga Ndo」は、CD1の後半に3曲が収められている。CD1-5曲目はLusyanaの名曲「Alanga Ndo」。のちに発揮される彼の甘い歌唱は充分に熟成していないが、実にまったりとした歌い込みと、それにメリハリを与える複雑な展開は、「第二期」黄金時代の幕開けを予感させる。6曲目「La Vie Comme Va Bola」は、Bilimba Sombele作とクレジットされているが、 Wembaの古き友人でViva創立以来の良きパトロンあり歌手でもあるJadot le Cambodgeの渋さ満点の一曲。年長者らしく、厳かなフォルクロール調で始まる。CD最後は、Boketsu Premierの曲。彼はSwede Swedeという赤道州地方の伝統音楽を演奏するバンドを率いている人だが (別項に関連記事あり) 、ここでは無骨な直球ルンバ・ロックに彼の泥臭いボーカルが乗る。そのまま野趣あふれるマイナー調のカダンスへ、そのコードのままセベンへ展開するところがひたすらかっこいい。ミュートしてないドラムが過激なインパクトを与え、演奏の全体は「第一期」のロックの夜明けを思わせる。ここに取り上げられた3曲は、いずれもWembaが歌っていない分、歌手や演奏のアンサンブルの機微が見事に絡み合っていて聴きごたえ充分。3曲それぞれに異なる味わいがあって素晴らしい。ダンスは、ほぼ「Rumba Rock Frenchen」。

       同じ1983年、当時のザイール共和国キンシャサの対岸、コンゴ共和国の首都Brazzavilleに、当時のアフリカでは最新鋭の設備と技術を兼ね備えたスタジオ「I.A.D. (Industrie Africaine du Disque)」がオープンした。劣悪な条件に耐え忍んで来たザイールのアーティストたちは、こぞってこのスタジオで録音し、数多くの作品がリリースされる事になった。通称「Mwana Molokai」と題されるアルバムも同年ここで産まれた。このアルバムは、それまでと違って格段に音質が良く、実に穏やかなイントロと、甘く優しいボーカル、キーボードの多用など、それまでの彼等の音楽性とは、明らかに異なる広がりを持っている。なかでもFafa de Molokai作曲の「Ambro Djeni 」の、実に安らかな歌謡世界から始まって、穏健で華麗なセベンに展開していくあたり、I.A.D.の高音質も手伝って、「第二期」Viva la Musicaが到達した新しい境地と言える。これはCD2の5曲目に収録されている。CD1後半の、同時期のKinshasa録音と聞き比べてみると面白い。ダンスは「Rumba Rock Frenchen」。

       1984年に発表された「Stervos Niarcos」とのセッション・アルバム、通称「La Firenze」は、単身渡欧したWembaとパリのセッション・ミュージシャンとの録音であり、Viv la Musicaの演奏ではない。全編打ち込みリズムの駄作である。このあと、ザイール音楽にも急速にデジタル楽器が浸透していく。CD2の初めの2曲。

       1985年、Kinshasaで大ヒットした甘い甘いラブ・ソング、稀代の名曲「Petite Gina」を含むLP「Ma Bijoux」は、Brazzavilleの Studio I.A.D.で録音された。音は格段に良く、新しいViva la Musicaの絶頂期を味わうには絶好のアルバムである。名盤だけにCD1前半を使って全曲収録されている。その「Petite Gina」、当時の若手歌手のStynoとReddy Amissiをフューチャーし、暖かく穏やかな歌回しのあと、循環コードを多用した浮遊するようなフレーズによる美しいセベンが続いている。セベンといってもスネアの連打でキレまくるというのでは決してなく、あくまで美しく、切れの良いハイハットとスネアのコンビネーション・ワークが実に巧みで、独特のリズム構成を持っている。これは既に「リンガラ・ポップス」の枠を越え、「ルンバ・コンゴ」の安らぎをベースにした、ザイール音楽が到達し得た独特の境地である。このようなやさしい空気感は、続く「Ma Bijoux」・「Sissi」にも引き継がれ、これら3曲ではWembaは寧ろサポートに回り、若手歌手と演奏陣にすべてを任せている。演奏の細やかな作り込み、歌の文句とのせめぎあい、どれをとっても実に見事。「第二期」Viva la Musicaの、まさに宝石のような音世界である。次の曲「M'fumu Yani」は、一転して伝統音楽にリズム源を求めたもので、これは翌年に「L'sclave」というLP (Gitta Production, GIP004, 1986) で再演され、そちらの方が完成されている。そのアルバムはVivaが演奏しているが、コンセプトは、明らかにインターナショナル路線であり、リンガラ・ポップスとは根本的に異なる仕上がりになっている。ダンスは「La Firenze」。このダンスは初回来日時にも踊られたもので、だいたいこの辺りのレパートリーから、私はリアル・タイムで聞いている。

       「第二期」Viva la Musicaの醍醐味は、それまでの勢い一辺倒の演奏から、ひとつは穏やかで美しいViva風「ルンバ・リンガラ」の大曲、そしてインターナショナル路線を見据えたWembaの個性的な「脱ルンバ」的な曲、そしてKinshasa現地で録音された重厚な本筋の「ルンバ・ロック」と、さまざまな傾向の曲が聴かれる事だといえるだろう。そうした広がりを持ち得た背景には、Papa Wembaというカリスマの独裁の許での安定があり、これらはその上に構築された壮大な楼閣ではなかろうか。「大分裂」により不穏分子がほぼ去り、安定した基盤の許で華麗な世界が築かれた事を、良しとするかしないかで、この時期の彼等の音をどう評価するかが変わってくる。しかし彼等は、陽のあるうちに行けるところまで行こうとしたのである。心技体全てが充実し、ワールド・ミュージック史に遺る名曲が数多く産まれたのもこの時期である。「ルンバ・ロック」という言葉を産んだ新しいダンス「Rumba Rock Frenchen」を大ヒットさせたのも、「大分裂」直後の1983年の事だった。一般の評価としては、この時期が彼等の絶頂期とされている。それは全くその通りである。

       

      Papa Wemba et Viva la Musica: Beau Gosse ya Paris
      (CD, Ngoyarto EPP20)

      Dido Senga (Papa Wemba)
      Zea (Papa Wemba)
      Suliya (Lusyana Demingongo)
      Kalisia (Edia Milos)
      Beau Gosse ya Paris (Papa Wemba)
      Sahel, Africa (Papa Wemba)
      Cherie Mazena (Djanana/ Orch. Isifi)

         このCDの初めの2曲は、1982年パリ録音のLP「Le Grand Maitre presente Papa Wemba Le Kuru Yaka et Les Djamuskets de Paris (LP, Pass01, 1982) 」からA面とB面の各1曲目、3-6曲目は1986年Kinshasa録音のLP「Papa Wemba et son Viva la Musica: Beau Gosse ya Paris (LP, Veve EVVI55, 1986) 」の全曲、最後に1976年のIsifiの古い録音が入っている。

         少しさかのぼる事1982年、Papa WembaはViva la Musicaのプロモーションのために、単身ヨーロッパへ旅立った。このCDの初め2曲はそのときにパリで収録されたものと思われる。その留守中にKinshasaでは大分裂劇が起こっていた事は既に述べたが、それを知ってか知らずか、実にソフィスティケイトされた美しい曲である。聞き所は「Zea」。この曲はそれまでと少し趣が違い、歌い出しから最後まで、実に繊細な美しさともの悲しさ、優しさで満ちあふれている。「第一期」最後に紹介した「Papa Wemba/ Clan Langa Langa: Zea, 1982 (CD, Sonodisc CDS6921)」のところで述べたように、この曲は、全く新しいイメージを持って完成される筈だった。ところが、現状のViva la Musicaではそれができなかった・・・おもしろかったけど・・・で、ヨーロッパへ移住したザイール人ミュージシャンの手を借りてこれを完成させようとし、それを成し遂げた。この録音では、Wembaの意図するところが、おそらく完全に表現されている。ギターのカッティングも、ベース・ラインやドラムのパターンでさえ、粘り着くフフのようにアクの強いものではなく、あくまでフランスのバゲット。決してスネアを連打したりなんかせず、オシャレにスマートに、ハイハットとスネアのコンビネーション・プレイでクールに決めている。その上で繰り広げられる熱いWembaの歌声とのコントラストは、アフリカン・ポップス史上まれに見る名曲といえる。私もこれで随分練習させてもらいました。

         さて、続く4曲は1986年のKinshasa録音。スタジオはVeve である。音が良いのに先ず驚かされる。4年前のパリ録音と遜色ないですね。それでいて空気感はちゃんと残ってる。その音の良さに支えられて、この4曲では、穏やかで美しいViva風「ルンバ・リンガラ」の世界が繰り広げられている。特にLusyanaの「Suliya」。この曲は「第二期」Viva黄金時代最後の金字塔のように思われる。ヨーロッパへ進出する事を夢に描く事で集中出来ていた彼等も、実現して以降、生活環境や音楽的環境の向上に伴って、逆に音楽的内実はどんどん拡散して行ったからである。ゆったりとしたテンポの上で朗々と歌い上げられるLusyanaの声がしびれる。曲調はかなりシンプルであり、前半のルンバから中盤のカダンスへ至るも、意表を突いたような展開はなく、ひたすら穏やかなトロピカル・ルンバの世界。真直ぐに華やかなセベンに駆け上がるストレートさが余裕満点。ダンスは「Se-Ya」。「Kalisia」もほぼ同じ世界。次の「Beau Gosse ya Paris」は、もとLPのタイトル曲で、非常にWembaらしい情感のこもった旧来型のルンバ。もとLPの曲順は、この曲と次の「Sahel Africa」がA面で、上の2曲がB面であった。

         

        Time International Production presente
        Papa Wemba et l'Orchestre Viva la Musica (LP, TIP02, 1983)

        Rhythm Molokai (Papa Wemba)
        Fleur Betoko (Papa Wemba)
        Ceci Cela (Lidjo Kwempa)
        Muan'ango (Papa Wemba)

         「第二期」黄金時代でCD化されていないもののうち、重要なものだけを紹介する。いずれもほぼ入手は難しいので、こういうものがあったという記録のつもりで読んでいただきたい。その筆頭は、なんといってもLidjo Kwempaの名曲中の名曲「Ceci-Cela」を含むこのアルバム。怒濤の音質を誇るKinshasa録音である。これをファンの間では「純金」と呼んでいる。

         まずはザイールの主要な伝統音楽のリズムを組み合わせてアレンジし、Viva往年の名曲のヒット・ダンス・メドレーとしてコンサートの初めに良く演奏された「Rhythm Molokai」で幕開け。この曲は、「ルンバ・ロック」に使われるあらゆる楽器の様々な技法の総合展示場みたいなもので、これを聞き込んで練習すれば、どんな変化にも対応出来るほど、全てが凝縮された名曲(経験者談) 。Bongo Wendeが名を呼ばれて、思わず「Kalidjogo」のフレーズを弾きはじめると、もう明日の仕事を棒に振りたくなる。

         2曲目以降は、まさに王道の「ルンバ・ロック」のオン・パレード。Papa Wembaの「Fleur Betoko」は、彼お得意の伝統音楽のロック化とめまぐるしい展開が凄みある一曲。アレンジや作り込みよりも、少々リズムやコードがずれてても、皆で突っ走る、勢い優先のロック路線が素晴らしい。

         そしてB面は、ルンバ・ロック・ファンが、異口同音に永遠の名曲に挙げる聖典ともいうべき名曲中の名曲、1982年加入のLidjo Kwempaの「Ceci-Cela」である。どうすればこのような歌詞を考えつき、このような複雑怪奇な構成と曲調を編み出せるのか、Lidjo Kwempaにしか作り得ない難曲である。歌詞は非常に長く、いわば口説き節。のたうつような節回しに応じてコーラスが絡み、要所要所のキーワードでバックが決めを入れる。そこから展開するかと思いきや、もとのコードに戻って延々と口説きが続き、内容の盛り上がりに連れてコーラスや演奏が盛り上がったり鎮まったり、あるときはコーラスの一人が歌詞を引き継いでリードに回ったりLidjoがコーラスに回ったり、そのあと掛け合いになるかと思えば合唱に入る。コーラスといっても、音階の平行移動ではなく、それぞれが別のメロディを歌っていながら全体としてはハーモニーをなしているという、まさにアフリカ的融通無碍なコーラスが聴けるのである。割り算と掛け算で譜割り出来る曲では決してなく、言葉の意味、韻と抑揚に連れて変幻自在に歌い回され、全体としては徐々に盛り上がり、恰も粘度の高いマグマに狂おしく身悶えする火山のように、イキそうでイカせずに惨々ジラされた挙句、弾け飛ぶようにセベンに突入する。その阿吽の呼吸、集中力、演奏の醍醐味、どれをとってもこれ以上の曲に未だ出会ったことがない。この曲は一時上の黄色いジャケットのベスト盤CD (Papa Wemba & L'orchestre Viva la Musica: 1/4 de Siecle de Success, ACP001) に収録されていたがそれも入手困難。この名曲を埋もれさせておくのは音楽史に対する犯罪である。ダンスは「Rumba Rock Frenchen」。

         最後は、Papa Wembaによる、従来型のKinshasa風王道ルンバ・ロック「Muan'ango」である。みんな一緒の横並びコーラスで、全員が目一杯発声した時にマイクの段階で見事に歪むのが持ち味のKinshasa録音の本領発揮。佳曲だが、「Ceci-Cela」を聞いたあとでは、どうしてもくすんでしまう。LP全体を通して、これこそまさに「第二期」Viva黄金時代の「王道ルンバ・ロック編」である。中古で出たら絶対買い。

         

        Orchestre Viva la Musica: Ceci-Cela
        (LP, P-Vine AC10026, 1987日本盤のみ)

        Ceci-Cela {autre version} (Lidjo Kwempa, 1983)
        Etat-Civil: Muzingile (Lidjo Kwempa, 1984)
        Eliana (Papa Wemba, 1983)
        Petite Gina {autre version} (Papa Wemba, 1985)

         日本盤のみのリリースである。タイトルの通り「Ceci-Cela」の別バージョンを収録する為に編集されたもので、A面Lidjo Kwempa、B面Papa Wembaと分けられている。その「Ceci-Cela」、上のものとどこがどう違うといって指摘は難しいのだが、歌のストーリーがこっちの方が自然で、その盛り上がりと決めのからみのタイミングが絶妙、演奏の力の抜け具合やこなれ方もこのバージョンの方が自然な感じがする。ほとんど一緒やねんけどね。

         続く「Etat-Civil: Muzingile」はこのLPが初復刻で、Lidjo特有の摩訶不思議な臭いのぷんぷんする名曲である。錯綜するアイディア、複層的に絡み合う曲調、錯綜する歌詞を、敢えて単純な2コードに押し込んだ感じの、極めて実験的な曲ではなかろうか・・・そこまで意識したかどうかはわからんが・・・でも、執拗に同じ2コードで延々と口説き文句聞かされてブレイクが来たから、さばセベンで解放か・・・と思ったらまた同じ2コードに収束するその不思議さかっこよさ、同じコードの上で蝶のように舞い、蜂のように刺す歌、歌、歌・・・奇妙な取り方でずれ行き、最後にぴたっと合うギター・フレーズ、何もかもが仕組まれ、極上の大麻の紫煙がもたらす酔いにひたすら責め苛まれ・・・全てが終わるまでぶっ飛んでいたい・・・。

         さて、B面「Eliana」は、上記「Mwana Molokai」所収のものと同一バージョンだが音質が劣る。続く「Petite Gina」 は「Ma Bijoux」所収のものとは別バージョン。雑音が少し多いが演奏の尺は同じなので、もしかしたらこっちがベーシック・トラックで、上のものがリミックスかもしれない。要するにほとんど一緒。やはり聞き所はLidjoの2曲。ジャケットは、一応Papa Wembaの顔を立てて、彼の写真の方を表にし「Papa Wemba et Orchestre Viva la Musica」としてあるのが、ザイール風の気遣い。裏ジャケは、全く同じ構図と配色でLidjoの写真をあしらい、タイトルも「Lidjo Kwempa et Orchestre Viva la Musica」としてあるところが芸の細かいところ。この写真がまたかっこええんだ。全曲「純金」。

         

        Papa Wemba Ekumany
        (LP, MOLMOL ML002, 1985)

        Lize Paradis (Reddy Amisi)
        Arc de Triumph (Papa Wemba)
        Zura (Joe Fataki)
        Dipanda (Lidjo Kwempa)

         「純金」録音の穏やかで美しいViva風「ルンバ・リンガラ」健在を実感する1985年の名盤。LPの紙製内袋に簡単に2色刷しただけのジャケット。おそらく現地では、シングルが売れれば、4曲まとめてこのような形でコンスタントにLP化されていたのだろう。それらのうちで売れたものを順次、われわれが手にしているようなアルバムにしているのかもしれない。さて内容だが、Wembaの語り節で展開のない「Arc de Triumph」以外は、軽快で明るく楽しい王道のリンガラ・ポップス。作り込まなくても、展開に頼らなくても、さらっと演奏して充分聴き応えのある曲ばかりである。ダンスは「Se-Ya」。なかでもLidjo Kwempaの「Dipanda」は、軽い中にも彼らしい凝った作りが聞かれ、セベンの印象的なギター・フレーズと合わせて、重く思索的な印象になりがちな彼の曲に、カラッとした風を送り込んでいる。ちなみにLidjo Kwempaにはこのほかに、「Mystique」という、これもとらえどころなくかっこいい名曲があって、これも復刻されておらず、私はカセット・コピーしか持っていない。「Zura」はおそらく、FatakiにとってViva名義では初作品であろう。このあと、Viva la Musica主要メンバーはヨーロッパに拠点を移し、翌1986年ワールド・ツアーの足で、初の来日公演を果たすのである。

         

        Papa Wemba de Viva la Musica/ Poete Efonge Gina du Clan Langa Langa: Union (45TMaxi, G.W.G.8601, 1986)

        Rivila (Gina wa Gina)
        Soyons-Humains (Gina wa Gina)

         この頃のから、ザイールのバンドやセッションものの作品が矢継ぎ早にリリースされるようになり、こっちの財布がなかなか追いつかなくなるのだが、これだけは思い入れのある作品なので紹介しておきたい。A面1曲B面1曲のマキシ・シングルである。Gina Efongeは、1971年にZaiko Langa Langaに参加、1977年に自ら主催する「L'orchestre Libanko」を結成して「Namileli Djakarta」という名曲を遺しているが、その後は浪々の身となり、おもにZaiko関係やVivaのバック・メンバーを借りてソロ活動を続けていた、渋い声が持ち味の歌手である。ルックスからなにからとにかくかっこいい。たぶん生き方が無頼漢なんでしような。このアルバムはPapa Wemba個人名義のセッションもののひとつだが、バッキングはほぼViva la Musica。大概のセッションものは、ファンの好奇心を煽ってカネをとるだけのくだらんものが多いのだが、これは非常に出来が良い。Ginaのいぶし銀的な声とWembaの抜けるような高音が対照的で、それを固めているコーラスがLusyana・Lidjo・Celeという豪華メンバー、バッキングも正真正銘の一軍Vivaである。Zaikoで揉まれた彼独自の美学とWembaのロック精神が、渡欧したばかりの「純金」製の一流ミュージシャンのおかげで、見事な華となって咲いた。渋い・・・ひたすら渋い、ホレボレするような男の世界である。

         

        Viva la Musica dans Gallilee
        (45TMaxi, Gillette d'or, GO34, 1986)

        Gallilee (Papa Wemba)
        Bana Viva Fungola Ngai {Love Kilawu} (Papa Wemba)

         1986年のワールド・ツアーを終え帰国したViva la Musicaが、Kinshasaで録音したヒット曲2曲を収録したマキシ・シングルである。私の知る限り正しいKinshasaの臭いのする「純金」製Viva最後の作品。この2曲は下のLPにて再演されているが、1982年の「Zea」の例と同じくこのシングルでは、不慣れなテンション・コードやリズム感覚をザイール風に消化した、何とも奇妙な演奏を聞く事が出来る。もちろん、それがゾクゾクするほど良い。「Gallilee」は、本来タイトでクールな歌にしたかったのだろうが、そこへStynoやReddyが分厚いコーラスを入れて、往年のVivaの甘ったるい世界を現出したものだから、そこからサクッとマイナー調のカダンスへ移行したかったのに、砂糖がべとついて切れが悪く、堪らなくミス・マッチな快感が醸し出されるのである。また「Bana Viva Fungola Ngai」は、下のアルバムで「Love Kilawu」というタイトルで再演される曲だが、主旋律の歌詞が口説きながら進んでいくコールに、短いレスポンスがひたすら繰り返される構成を持っている(ちなみにその文句がタイトルの「fungola nagi ehh ngoh」)。その寄せては返す波のような掛け合いのやり取りに使われている本来のコードに、やはり微妙なテンションがかかっていて、どうしてもザイール風のコーラスでは収まりが悪い。ところがその不協和音すれすれの音をずっと聞いているとなかなか目が回って感慨深いのである。来日して東京の武蔵野でコンサートをしたのがよっぽど良かったのか、2曲ともセベンにコールされているのが「ムシャシノ・シンジュク」という、多分この2曲でしか使われなかったアニマシォン。「ムシャシノ・シンジュク、ムシャシノ・シンジュク」と続けたあと「アリガト」・「アサマデ」・「サヨナラ」と続くのが懐かしい。ちなみに、「ムシャシノ」というのは当時大流行していたウェストポーチの事で、これは3年後にKinshasaを訪れた時、既に一般名詞と化していた。

         

        Papa Wemba Ekumani et Viva la Musica : Love Kilawu
        (CD, Sonodisc CDS8438/ LP, ESP8438, 1987)

        Love Kilawu (Amour fou) (Papa Wemba)
        Vivi (Papa Wemba)
        Galilee (Papa Wemba)
        Yende-Ingi-Boi (Papa Wemba)

         そして翌年発表されたアルバムがこれである。名義は「Orchestre Viva la Musica」となっているが、バッキングは歌手を含め全てパリ在住のザイール人。コーラスの重みが決定的に足りず、全てにアクが足りないのだが、Ping Pongに支えられたRigo Starのギター・ソロが天空の星の瞬くように美しい。リズム・セクションもViva la Musicaとは全く異なる洗練された味わいがある。いわば「第二期」Vivaの美しく優しい歌に世界基準の技術的裏付けが出来、明確にそのイメージを形にして提出したのがこの作品といえるだろう。そういう意味で、私にとってはViva la Musicaというグループの最後の到達点がここであり、ここで彼等は終わったのである。

         ここから先は、Papa Wembaのインターナショナル路線が先ずは活動を開始し、そこへ徐々に旧Viva la Musicaの歌手たちが合流してくる。ヨーロッパ組のVivaも人数が増えていくつかのユニットに別れ、歌手のソロをVivaがバッキングした作品をリリースしてみたり、パトロンの名を冠した金策アルバムをリリースしてみたり、意表を突いた組み合わせによる色物ネタのアルバムをリリースしたりしている。またKinshasaでも独自の動きがあって、いくつもの「Viva la Musica」名義のアルバムが乱発されるようになった。内容は言わずもがなである。

         さらにKinshasaでは1988年に「Wenge Musica」がデビュー。モブツ大統領の政治腐敗から社会不安が急速に高まって、ルンバの勢いは衰え、伝統音楽に基づいた過激なラップや、ひたすら神を賛美し祈り続ける宗教音楽が、ポップスとして大流行するようになった。Kinshasaの音楽シーンは新しい時代に入り、旧来型のかき口説くような叙情艶歌の世界はお呼びでなくなった。Papa Wembaは、1969年当時は時代の改革者であったが、20年後には立派なおじさんだったのである。もはや、これ以後の彼等には私は興味を持つことができない。

         さて、Papa WembaとViva la Musicaは2007年現在も、活動を続けている。Papa Wembaの公式サイトのディスコグラフィーは、上の「Love Kilawu」から始まっているので、あとはご自身にお任せする事にしよう。

         http://www.papawemba.fr/site.html

         


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