Victoria Eleison・BipoliとVeritable Victoria Principal
La Naissance de l'orchestre Victoria Eleison dans Kester Emeneya: Naya 1982 (CD, Ngoyarto NG079)
Naya (Emeneya Kester) |
http://www.kingkester.com/Conferencebxl.htm
「Victoria Eleison」は、1982年に「Viva la Musica」から分裂して結成されたグループである。正確には、結成当時の1982年に出されたシングルの名義は「Victoria」、翌年から「Victoria Eleison」を名乗っている。これはおそらく、Wendo Kolosoyのグループが「Vicrotia」をずっと前から称していたからであろう。その結成のいきさつは穏やかでない。「Viva la Musica」のリーダーであったPapa Wembaが、プロモーションの為に渡欧している留守中に、Emeneya Kesterが、歌手のBipoli、Debaba、Petit Prince、Emeneyaの弟Joli Mubiala、ギタリストのHuit Kilos、Tofla、Safro Manzangi、ベースのPinos、ドラムスのPatcho Starを道連れにして造反したということである。この引き抜きによって、「Viva la Musica」は一時的に活動休止を余儀なくされ、新たにLidjo Kwempa、Lusyana、Maray Maray、Fafa de Molokai、Fataki、Redy Amisiなどを歌手としてフロントにすえる「第二期」を迎えるきっかけとなった。 では彼等は何故「Viva la Musica」を脱退し、Emeneyaの許に結集したか。それはすなわちカネである。Papa Wembaは、1969年当時の社会の改革者であり、若者を因習から解放する急先鋒であった。Kinshasaにあった彼の家「Village Molokai」は、社会的因習から隔絶された治外法権的なコミュニティであり、「Viva la Musica」は、その理想郷において音楽を通じてライフスタイルを模索する場であった筈だ。
「Viva la Musica」に在籍したほとんどのミュージシャン達の言う事を信ずれば、実際にはバンドが売れて活動が活発になり、ギャラが入ってくると、Wembaは当然のようにそれを「共同管理」と称して自分の管理下に置き、ミュージシャンには分配しなかったという。「共有財産」としてVillage Molokaiに蓄積され、勿論プロモーションや、楽器や機材などの共有財産の購入などにも使われたが、やがて事実上私有化された。これは先進国から支援を受けて不正蓄財を重ねたどこぞの大統領とよう似てる。つまりPapa Wembaは、悪しき秩序からの解放者を称しながら、別なる悪しき秩序の中に共同体を置いただけであって、秩序そのものからの解放者ではなかったのである。大衆ちゅうもんは、こういう論理の罠にいとも容易く引っかかるんですな。
Emeneya Kesterは「Victoria」を結成するにあたって、リーダーを置かないバンド、全員の意思と合意によって形成されたグループを作ると宣言し、これに同調した上記メンバーたちが造反したのである。でもね、はじめはみんなそういうことを言う。Wembaだってそうだったし、Rumba Rayを再結成したときのMarayもそう言うてた。今でもWemba自身、自分が間違った事をしたとは思っていないだろう。ショウ・ビジネスは博打である。実際そうでもしないと組織がもたんのであって、博打を打ち続けるにはカネは要るからだ。結果的に成功したから、彼の許に蓄財されたのであって、初めからカネを山分けしてたら絶対成功なんかしなかったし、その後のVivaもあり得なかっただろう。俺だってそうしたさ、売れんかったけど・・・。
これは理の当然であって、社会の仕組みであって、人間社会が所詮ボスザル社会である以上、飯が喰えんのなら喰えるようにする。喰えんという事をお上の所為にして自分は何もせんというのでは、そらいつまでたっても喰えませんわなあ。そこんとこをわきまえた上で、オトナの対応をしたのがKoffi Olomideであって、かれはミュージシャン共同体に敵を作らぬように努めた。しかしEmeneyaはそうではなかったのである。どちらが最後に笑うのかは、今のところまだわからない。これは人生の価値観の違いであるからだ。
さて「Victoria」は、その1982年中に少なくとも数枚のシングルと4曲入りデビュー・アルバムを発表している。ザイールの音楽産業のトップ、「Editions Veve International」の全面的なバック・アップを得て、順風満帆の滑り出しであった。翌年、更に数枚のシングル・ヒットを重ねた後、成功を確信したEmeneyaは「Victoria Eleison」のプロモーションの為に、単身ヨーロッパへ赴くのである・・・ 人は何故、同じ轍を踏むのだろうか。Emeneyaの留守中、Bipoliという歌手が、Debaba、Petit Prince、ギタリストのHuit Kilos、Tofla、Safro Manzangi、ドラムスのPatcho Star・・・要するにVivaから引っこ抜いたほぼ全員を引き連れて造反し、「Veritable Victoria Principal」を旗揚げした・・・とされている。Emeneyaはそのときたぶん、幻の名盤「Willo Mondo」、Koffi Olomideとのセッション「Lady Bo」を録音する為に、パリでスタジオに入っていた筈だ。
上のCDは、主に1982年の「Victoria」結成から、その「分裂」直前までに発表されたシングル集である。この時期の彼等は、Emeneyaのウェットな声を生かした幾分緩めのメロウな歌で始まり、一転してたたみかけるようなセベンに突入するスタイルを特長としていたが、これはEmeneyaの内包する黒いエレガンスと、BipoliやHuit Kilosの目指すアグレッシブなロックとのせめぎ合いであったと思われる。それはVivaのような勢い一発のロックではなく、両者の葛藤が粘度の高い溶岩となってどろどろと流れ落ちるかのようだ。CDの表記には1982年とあるが、「Naya」と「Benedictions」は、シングル盤現物によって1983年発表「Victoria Eleison」と判明している。
特に「Naya」は、私が思うにEmeneyaが最もEmeneyaらしい味わいを出し切った名曲名演でないかと思う。Vivaとは違って、はっきりと腰に低く来るダークなルンバ、のちに私が勝手に「失速寸前の低空飛行ルンバ」と名付けさせてもらうところの、独特の乗りが既に良くでているが、BipoliやHuit Kilosのおかげで一辺倒にならない健康なバランス感覚が生きているし、自由を得た喜びからか元気な演奏がとても良い。
続くHuit Kilos作の「Ekushu」、Bipoli作の「Bosey」と、Petit Princeの超絶な高音が聴ける「Jolie Masa」の3曲は、「分裂」前夜、Emeneyaの「Victoria Eleison」の演奏でありながら、まだ産まれぬ「Veritable Victoria Principal」のそれに聞こえてしまう。これらは逆に、EmeneyaがBipoli以下の勢いに押されて、淵の底に沈められているようでさえある。その「Veritable Victoria Principal」については後で述べるが、2007年現在のところLPでもCDでも復刻されていない。彼等の音の片鱗をうかがえるのは、まずはこの3曲より他にないのである。
「Ata Mpiaka」は、バッキングの音色と唱えられているダンス名からして、「分裂」後の1984年から1986年の間のものと思われる。この曲は、「Pompe Kinjection」期の比較的穏やかな8ビートで始まるが、1986年、出だしからDjudju-Cheの明確な16ビートのドラミングによるバージョンに変えられて、下に紹介するLP「Manhattan」に再録された。作曲者はMwani Zeaとクレジットされているが、おそらく「分裂」がらみで名義を分けたものであろう、Safro Manzangiの名曲中の名曲である。
最後の「Livre d'or」は、一瞬Lidjoの曲かと耳を疑うほどに、複雑で意外な展開を有する実に不思議な魅力に満ちた曲であり、これは演奏からして「分裂」前である。このSafro Manzangiという人は、ステージ上では、ギターを弾きながら踊り狂うショウ・マンであったが、そのリズム感覚、アレンジ能力、作曲能力は群を抜いていて、一旦はBipoliの誘いに乗って「Veritable Victoria Principal」結成に加わるものの、同時期の「Victoria Eleison」にも名前を遺しており、以下に紹介する「Manhattan」以降「Ntango ya "Deux Temps"」とよばれる緻密な構成と豪華なアンサンブルによる一連の作品を手がけ、「Victoria Eleison」の絶頂期を確実なものにした。われわれの間では「SafroのVictoria」とさえ呼んでいたほどの人物である。しかし、全く不思議な事に、彼のソロ・アルバムは実験的すぎてちっとも面白くない。
このCDは、Emeneyaの曲が1曲しか収録されていないが、結成当初の「Vicrotia」の音・分裂してゆく「Veritable Victoria Principal」の片鱗をうかがえる音源・その後の「Ntango ya "Deux Temps"」期をにおわせる音源の、三つの要素が聴かれる点で大変興味深い。2002年の復刻であるが、発給元のNgoyarto社が倒産しているので、もはや流通在庫のみと思われる。混沌に満ちた時期の「Victoria」の魅力を味わいたい方は、ぜひとも早めのご購入を。
初期「Victoria Eleison」と「Veritable Victoria Principal」の音源に関しては、
http://www.geocities.jp/earthworks1972/lingala/kinnostalgie.htm もご覧ください。
BipoliとVeritable Victoria Principal (1983-86)
さて、先にその「Veritable Victoria Principal」を結成したBipoliという男について触れておこう。実は私は1991年にパリで彼と会っている。「Viva la Musica」の練習を見学していたら、そこに現れたのだ。曲はセベンに入ったところだった。彼の姿を認めると、歌手たちは一斉に、彼の在籍した頃の調子で、「ビーポーリーェェェェッ!」と叫んで彼を迎え入れた。華やかな男である。色気がある。彼は歌手の間に割って入り、往年の張りのある声で「AyeAyeAyeAyeAyeAyehhhh...」と煽り立てるアニマシォンを披露してくれた。思わず当時のダンス、「Eza」がコールされ、スタジオ内は一気に10年をタイム・スリップした事を覚えている。
Bipoli na Fulu (Bipoli Mfumu Ntaku) は「Viva la Musica」の創立メンバーである。名曲「Conseil Amisi」と、「Karawa Musica」名義で「Zengo」という曲を遺している。これは同じViva創立メンバーであったKisangani EsperantやJadot le Cambodgeを中心に、Vivaの名リード・ギタリストに成長するMilosson、Rigo Star、ドラマーはたぶんPatcho Star等が集って結成されたバンドである。この曲は、まるで往年の「Yoka Lokole」が、Bipoliによる「Veritable Victoria Principal」の夢を現出してみせたようなもので、これを聴くと、つくづくBipoliとEmeneyaは反りが合わんかったんやろなと実感する。BipoliはVivaの人である。
その後1982年に、彼はVivaから名曲「Ami Kapangala」を、続いて翌年「Bipoliと彼のアンサンブル」という個人名義で「Edingwe」という一風変わった曲を遺している。Edingweとは「moto na ngenge」、すなわち「魔の男」、間男かもね。いやいや、彼はザイールを代表した国民的レスラーであって、25年を経た現在もなお現役で活躍し、人格者としても知られていて、自分は質素な暮らしをして余剰の収入は、コンゴ (RDC) 国内の主に戦災孤児を救済する施設の運営に充てているという。何故「魔の男」と呼ばれていたかというと、リングにキャッサバ芋の葉を持って現れ、相手に呪文を唱えて指一本触れることなく倒すという、まあ本当か嘘かわからないような伝説を持って恐れられていた人物である。Isifi Lokole/ Yoka Lokoleの3枚組LP「Manifestation 1974/76 (3LP's, P-Vine: AC-10023-25, 1987日本盤のみ)」のインナースリーブに、彼のリング上での写真がある。この曲は、他のどんな曲にも似ていない。6/8拍子の重厚な歌から始まり、ほぼ全編を分厚いホーンが埋め尽くしているが、これはおそらく「Fanfare Confidence」というMatete地区出身の軍楽隊のホーン・セクションであろう。Stukas-Bipoli-Veritable Victoria Principalと連なる一連の人脈はMateteを本拠ととしていたし、Fanfare ConfidenceのプロフィールにもEdingweへの言及が見られるからである。
さて、「Veritable Victoria Principal」は、たった7枚のシングルを遺して消えて行った謎のグループである。Bipoliが「Victoria Eleison」から引き抜いたDebaba、Petit Prince、ギタリストのHuit Kilos、Tofla、Safro Manzangi、ドラムスのPatcho Starらのミュージシャンに加え、StukasからFimbo JerryとギタリストのDodoli、のちにRumba Rayに参加する歌手のFaleなどが相次いで集って結成された。実は個人的には、最高に「ごきげんな」リンガラ・ポップス・バンドだと思っている。「Victoria Eleison」ゆずりの腰を直撃するような緩いルンバのニュアンスを残しつつも、より激しいロック的な演奏に傾倒した。しかし、おそらく経済的な理由で、バンドは長続きしなかった。まずは、「Veritable Victoria Principal」結成までのBipoliと、その関係者の曲データを記しておこう (表記は「number unknown」とあるもの以外は原盤の通り) 。ほとんど復刻されていないものばかりであるが、この辺りの音が、私は最も好きだ。
「Veritable Victoria Principal」名義の7曲を、演奏などから類推して成立順に並べると、おそらく以下のようになる。
「Veritable Victoria Principal」の曲を厳選するとすれば、BrazzavilleのスタジオI.A.D.で録音されたToflaの「Blanche Neige」とBipoliの「Modite Santa」であろう。特に前者は、前半の軽快な歌から、6/8拍子のちょっと重た目の中間部に入り、そこからHuit Kilosの弾けるようなギター・ソロに導かれてセベンが加速していく疾走感など、これぞリンガラの醍醐味という感じで非常に良い。アクが強すぎないし淡白すぎない、軽快なところと、楽しんでやってるところが、例えばVivaだとハードすぎたり重厚すぎたりするし、Victoria Eleisonはテンポが緩すぎる。Choc StarsもZaikoもこの時期セベンへの加速性能に重きを置いていなかったので、こういうちょうどいい感じの「ごきげんな」セベンが、ありそうでないのだ。
さてその前に書いてある「Deux Temps」と「Wanduka Top Secret」の2曲は、極最近になってその存在を知ったのだが、いずれも、BrazzavilleのスタジオI.A.D.で録音されたと思われる。演奏のきっかけやアニマシオンからして、たぶんToflaの「Blanche Neige」と同じ時期か、少し前に録音されたようである。特にSafro Manzangiの「Deux Temps」は、後にドラマーのDjudjuchetを得て展開された「SafroのVictoria」の世界、「Ntango ya "Deux Temps"」(「Deux Temps」の時期 )という言葉まで産んだ1987年の名曲が、その緻密なアレンジごと既にこの時出来上がっていたのは、全くもっての驚きであった。
「Edingwe」や「Santa Naleli」のBipoliのクレジットに「Mfumu」というミドル・ネームが見える。Emeneyaの初期の代表曲に「Okosi ngai Mfumu」というのがあって、・・・ま、知りたければリンガラ語勉強してください。その「Santa Naleli」はKinshasaのBobongoスタジオでの録音だが、面白い事に「Eh, en direct de Studio Bobongo, 8 pistes」と声がかかる。1985年当時でも、プロが使うレコーディング・スタジオのミキシング・コンソールが、たったの8トラックだった事が垣間見える。もちろんI.A.D.やVeveはそんな事はなかっただろうし、1989年にRumba Rayで使った時には24トラックあったことをBobongoの名誉の為に付け加えておこう。まあいろいろ楽しめますな。
こうして振り返ってみてつくづく感じる事は、Zaiko大分裂以来、1982年の「Viva la Musica」解散までの音や、分裂までの「Victoria Eleison」の音は、要するに、この「Veritable Victoria Principal」を結成するこの面々が奏でていたという事実である。これは全く偏った私見なのだが、キンシャサ・ロックとは結局彼等の音だったのではないか、たった7曲を遺して消えていった「Veritable Victoria Principal」こそが、もっとも「ごきげんな」リンガラ・ポップスだったのではないかと、永年聞いて来た感覚で思うのである。シングルだけで埋もれさせておくにはあまりにも惜しい。それだけに、彼等の事は何らかの形で記録に留められるべきだと思う。
「Pompe Kinjection期」・・・失速寸前の低空飛行ルンバ (1983-86)
Les Milleurs Success de Victoria Eleison, Vols. 1-3 FDB30092: FDB30093: FDB30102: |
さて、「Victoria Eleison」に話を戻す。結成された1982年に4曲入りデビュー・アルバムを発売した後から、1986年に「Manhattan」を発表する前までを、私は「失速寸前の低空飛行ルンバ (1983-86)」期と勝手に命名している。この時期の音源は、LPとして輸入されて来た頃には、実は混乱を極めたのである。これは、Kinshasaの版元「Editions Veve International」 (EVVI) が現地で発売したLPと、それをフランスの「Rhythm et Musique」 (REM) がディストリビューションしてパリで発売したLPがあって、その際にジャケットを変更したり使い回したり、曲を入れ替えたり重複させたり、ラベルを貼る面を間違えたり、流通段階で中身が混じり合ったりしたうえに、日本の熱心な輸入レコード店が、Kinshasaにもパリにも仕入れルートを持っていたものだから、両者が国内でも混じり合った事に原因がある。われわれは手分けしてなるべく全部を買うようにしたが、フランス盤のジャケットからザイール盤が出て来たり、どうみても同一の盤から別バージョンの演奏が聴かれたりした。最も多かったのは、「Pompe Kinjection」のアニマシォンのコールと同時にハンド・クラップの入るものと入らないものの存在であった。これはのちの現地調査で、Veve Centerの出荷段階で、レコード・レーベルにつけられたアルファベットの一文字だけで区別されており、他はジャケットもレコード番号も同一なのが原因である事がわかった。LPの種類とその相関関係については下の表に整理する。左手がザイール盤、右手がフランス盤のジャケットと番号であるが、ザイール盤には、一部に、その「ハンド・クラップ入り」が確認されている事を付記しておこう。いずれにせよ鑑賞して決定的な違いがあるわけではない。以下の8種類のLPと、デビュー・アルバムは、上の3枚のCDに網羅されているので、それを購入されれば充分である。
EVVI39
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REM370
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Vol.2: Mabala Commission (EVVI39, 1984) Zenobi (Malanda Cartouch) *Surmenage (Emeneya Kester) Makele (Malembe Chant) Sango Mabala Commission (Petit Prince) Sango Mabala Commision (REM370, 1984) *印の1曲と曲順が相違している。
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EVVI42
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REM500
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Vol.1: Surmenage (EVVI42, 1984) = Victoria Eleison (REM500, 1984) Explosion (Emeneya Kester) Surmenage (Emeneya Kester) Ngambelo bis (Emeneya Kester) Balingi ngai {Balingaka} nazwa te (Patcho Star) 内容・曲順は同じだが、アルバム・タイトルが相違。
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EVVI46
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REM600
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Kimpiatu (EVVI46 = REM600, 1986) Kimpiatu (Emeneya Kester) Isbond (Tofolo Tofla) Mobali ya Ngenge (Emeneya Kester) Soiree Dansante (Bongo Wende) 全て同じ。
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EVVI56
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REM610
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Wabelo (EVVI56, 1986) Wabelo (Fatima Lolae) Jamaica (Koyongonda) Presser te (Patcho Star) Mensonge (Temba Pinos) Presser te (REM610, 1986) 内容は同じだが、アルバム・タイトルと曲順が相違。
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1982年に発売された「Victoria」の4曲入りデビュー・アルバムは、上記CD1枚目 (FDB300092) の頭から4曲に収録されている。分裂前でありながら、Emeneyaの個性が強調され、他のメンバーは抑えられている感がある。最初のCD「Naya」(Ngoyarto NG079) と比べて重く静かであり、テンポも緩い。これはVeveのプロデューサーであったDenewadeが、販売戦略上Vivaとの差別化を明確にする為に、あえてそのようなアレンジにさせたものだと言われている。この路線は、その後の「Victoria Eleison」に引き継がれ、彼等の一貫したキャラクターとなった点では正解であった。LPに収録されていた4曲とも、それに先んじてシングル・バージョンが出ており、それらの演奏はCD「Naya」のような、よりロックっぽい演奏であったと記憶する。
さてこの後、先に述べたように、Emeneya渡欧中に地元Kinshasaで分裂劇が起こったとされているのであるが、私はこの分裂劇は、ファンの間で強調されている程スキャンダラスなものではなかったと思う。というのは、ToflaやPatcho Starなど「Veritable Victoria Principal」のミュージシャンが、「分裂後」の「Victoria Eleison」の録音に参加したり、解散後に縒りを戻したりしていると思われるからである。その時期に出された4種類のLPが、1984年と1986年に集中している事、また、分裂した筈の「Veritable Victoria Principal」の録音も、ほぼ1984年と1986年に集中している事がそれを物語っている。
録音に参加しているメンバーのうち、バッキングはほぼ同じメンツである。彼等は、言われているように本当に分裂したのか、あるいは歌手のBipoliとDebabaなどの部分的な離脱で、DodoliやFimbo Jerrys、Faleらを除くバッキングは共同していたのではないか。彼等はEmeneya向けとBipoli向けに演奏のニュアンスを演じ分けていたか、「Victoria Eleison」の1984年の2枚のアルバムを録音した後に「Veritable Victoria Principal」を結成し、それが1986年に解散した後「Victoria Eleison」に戻って1986年の2枚のアルバムを録音したのではないのか。あるいは、それまで録り貯められていたものをランダムに収録して、1984年と1986年に分けてリリースしたのか・・・、なぜなら、これら4枚のLPに収められている音は、2年のブランクを隔てたとは思われないくらい良く似ているからである。「Pompe Kinjection」というアニマシォンも同じだし、ハンド・クラップも同じように入るし、ギターやドラム・セットのチューニングまで同じだからである。本当に分裂してしまって、二つの「Victoria ...」が存在していたのであれば、「Victoria Eleison」の方は1984年から1986年の間、どこでどうしていたのか・・・疑問は尽きないのである。まあ下世話な詮索はおいといて、この4枚に収められた16曲のうち、作品として主だったヒット曲を見ていく事にしよう。CDでいうと、Vol.1の5曲目以降である。
「Sango Mabala Commission」 Petit Princeの、脳天から突き抜ける高い声を十二分にフィーチャーした名曲である。彼の声は、CD「Naya」における「Jolie Masa」、さらにさかのぼる事Debabaの「Abidjan」でも発揮されているが、かき口説くような男の歌いっぷりに、当時のザイール女性はかなりイカれたという。その高音は耳をつんざくほどに声量があり、往々にしてEmeneyaの声を凌駕した。しかし、音程が確かで聞き苦しくなく、はっきりとした高い声で彩られる「Victoria Eleison」の数々の歌は、聴くものを別世界へ誘うのである。
「Surmenage」 Emeneya Kester率いる「Victoria Eleison」の、失速寸前の低空飛行ルンバ「Pompe Kinjection」期の幕開けを飾るにふさわしい名曲名演である。前半の重いルンバに続き、「セヤァ、セヤァヤァヤァ、セヤァ・・・」と華やかに展開されるカダンスに亘って、ウェットなEmeneyaの声と飛び抜けるようなPetit Princeの高声のコントラストが絶妙、更に続くセベンにおけるBongo Wendeのソロも、軽く流れすぎずリズムの粒をきちんと押さえてあり、親分Patcho Starのドラムとの呼応もぴったり。
「Ngambelo bis」 Emeneya Kesterの名曲、1982年「Victoria」時代に録音された「Ngabelo」(45T. VV365, 1982) の再録である。オリジナルは勢いに任せた部分が多分にあって、それはそれで良いのであるが、録り直したという事は、Emeneyaとしては、もう少しクールにやりたかったのであろう、こちらのバージョンは、まさに緩いテンポの上で朗々と歌い上げるEmeneyaの歌唱に、Petit Princeの高声がこれまた絶妙に絡み付く。
「Balingaka nazwa te bis」とクレジットされているが、歌詞は「Balingi ngai nazwa te...」と歌われており、1982年にそのタイトルでオリジナル・バージョンが録音されている、Patcho Starの名曲である。これもオリジナルよりぐっとテンポを落として再録音されていて、演奏のニュアンスもクールである。歌詞に連れて譜割りの変わるタイプの口説き節であり、文句に応じて複雑に決めが入るところはリンガラの醍醐味。「低空飛行ルンバ」期の「Victoria Eleison」であればこそ、その展開に重みが増す。
「Kimpiatu」(Emeneya Kester)・・・「低空飛行ルンバ」期から次の「Ntango ya "Deux Temps"」期への先駆けとなった「Pompe Kinjection」期「Victoria Eleison」の最高傑作。それまでの、どちらかというと暗く思い感じの曲調から一転、非常にポップで明るい曲作りである。コミカルで軽快な出足でありながら、彼等らしいクールなエレガンスはきちんと押さえてある。Emeneyaのファルセット・ヴォイスとPetit Prince以下のコーラスとの絡みが華麗。ファンク・ビートとそのアレンジへの傾倒がはっきりと現れている。続いて現れるセベンの軽やかな繰り返しは、明らかに「Ntango ya "Deux Temps"」期の演奏に近い。
「Wabelo」 Fatima Lolaeという人は知らないが、この時期の彼等の演奏にあって、最も失速寸前の演奏が聴かれる。個人的には一番好きな曲である。センチメンタルな旋律を持つ暖かいコーラスの歌から始まって口説き節になり、舞うようなギター・アンサンブルの絡みがとても美しく、とりたてて目立つ演奏ではないが、そこはかとなく味わいの深い曲である。
・・・という具合に、うまいこと良い曲がちりばめられているので、結局全部買うはめになるのだが、とすれば、この選曲やリリースの怪は、Veveのしたたかな販売戦略だったのかも知れぬな・・・。
Kester Emeneya (LP, Feel Sound F.S.001, 1985)
Willo Mondo (Emeneya Kester) |
1982年のデビュー・アルバム発売後、Emeneyaはプロモーションのために単身渡欧し、ベルギーのFeel Soundというレーベルからこのアルバムをリリースした。彼の個人名義のアルバムである。収録曲は、全て既存曲の再録で、Viva時代に録音された名曲「Ata Nkale」も含まれている。Vivaの録音とは正反対に、非常に静かに始まり、Wembaのような高い声でわめく事なく終わるのである。Vivaから反旗を翻し、大資本のVeveの後ろ盾を取り付け、デビュー・アルバムもリリースして一年、Emeneyaは自信の絶頂にあった。BipoliやHuit Kilosなど、相反する個性を持ったメンバーに邪魔されず、純粋にクールなEmeneya自身のリーダー・アルバムを制作して、Vivaとは正反対のVictoriaの方向性を明確化しておきたいという意図があっても不思議ではない。それは理解出来る。しかしこのアルバムの内容は決して良いものではない。録音は明らかにリハーサル時のものと思われ、Emeneyaのボーカルとともに、オペレーターやミュージシャンに指示を与えているフランス語やリンガラ語が入っている。演奏と歌との兼ね合いもちぐはぐで、とても完成された状態とは思えない。オリジナルのKinshasa録音の方が、演奏は遥かに良い。しかしこのLPは、当時日本にたったの18枚しか入らなかった頗るつきの稀少盤であった。レア度に惑わされる事なかれ、1994年にDyndo Yogoが「Victoria Eleison」に加入したことを記念して発売されたCD「King Kester Emeneya & Dindo Yogo: Willo Mondo & La Congolaise (CD, Flash Diffusion FDB300239, 1994)」に全曲再録されているので、それで充分である。
「Ntango ya "Deux Temps"」(1986-1990)
Verkys presente Emeneya et le Victoria Eleison: Manhattan (LP, Editions Veve International EVVI70, 1986) Manhattan (Emeneya Kester) |
1986年発売のこのアルバムは、「失速寸前の低空飛行ルンバ」からー転、「Ntango ya "Deux Temps"」と呼ばれる一時期を確立するきっかけを作ったアルバムである。Safro Manzangiがアレンジメントのすべてを担当した、いわば「SafroのVictoria」のデビュー作。それまでとうってかわって、曲の出だしから非常に緻密でタイトな演奏が際立っている。特に「Ata Mpiaka bis」は、先のシングル集「Naya」収録のオリジナル・バージョンの焼き直しではあるものの、鳥肌の立つすさまじい名演奏である。特にこの曲の収録にこだわった執念がうかがえる。Bongo Wendeのソロ・ギターと、Djudjucheの粒建ちの良いタイトなドラムのコンビネーションは、この時期のVictoriaでしか聴かれないものだ。全曲緊張感満点。緻密なリズムの上に、何本ものギター・アンサンブルが舞い、Emeneyaのウェットなヴォイスがたゆたうようにメロディを紡ぐという、絶妙のコントラストが堪らん快感である。曲間に洗剤メーカーの「C.P.A.」のCMが入っているのも楽しい。復刻CDは、なんと全く性格を異にするAnti Chocとの2 in 1 (CD, Editions Plus de Paris EPP23) 。
Kaluila presente Victoria Eleison: Deux Temps Deux Temps (Safro Manzangi) |
SafroのVictoria本格始動、「Ntango ya "Deux Temps"」期を確立したアルバムである。この時期の彼等は話題に事欠かない。まず、かつて「Veritable Victoria Principal」へ寝返ったメンバーのほとんどが正式にクレジットされて戻っている事、バンドひとそろい揃ってBruxellesで録音をした事、その直前にたまたまビザの延長かなにかで帰国していた「T.P.O.K. Jazz」のかわりにFrancoを助けて、マキシ・シングル「Attension na Sida」(CD, Sonodisc CDS6856所収)の収録に参加した事、その返礼に「T.P.O.K. Jazz」のホーン・セクションを一時譲り受け、このアルバムの録音に使った事、またこのアルバムのタイトル曲「Deux Temps」にオリジナル・バージョンがあり、しかもそれがかつて袂を分かった「Veritable Victoria Principal」の演奏であった事などなどである。その「Deux Temps」、極めて緻密なDjudjucheのドラムで幕を開け、朗々と歌い上げるEmeneyaのヴォーカルとの見事な対比という構成は変わらず、演奏が一層こなれて一体感が出て来ている。それは「Amelo」のスリリング演奏で一層研ぎすまされ、そのセベンの疾走感は、それまでの「低空飛行ルンバ」を否定するのではなく、それを内包したようなトルクの太いスピード感が腰にくる。この快感はほかに例えようがない。そのアレンジの実現には、当時のドラマーのDjudjuchetの尽力が大きい。彼のドラミングは、ツブの細かいプレス・ロールを多用しながらも、実に大きなうねりを出すことに成功している。つまり、リズムの刻みを細かくしつつも、全体の緩やかなテンポを決して損なわないのである。その独特のスピード感を持つ演奏の上に、重くてファンキーな、ため気味の歌が乗る。そのコントラストが、実に気持ちよいのである。私個人としては、この時期が「Victoria Eleison」の絶頂期であったと見ている。復刻CDは、「Emeneya Kester & Victoria Eleison (CD, Sonodisc CD 9601)」、ダンスは「Kwassa Kwassa」。
Kaluila presente Jo Kester Emeneya: Nzinzi (LP, Kaluila KL-04, 1987) Nzinzi (Emeneya Kester) |
「Victoria Eleison」は三たび変貌を遂げる。「Deux Temps」と同年に発売されたEmeneyaのソロ名義のこのアルバムは、我々を驚愕の淵に陥れた。なんと全編打ち込みである。クラーベのパターンは維持しながらも、「リンガラ」的ニュアンスを極端にまでそぎ落とし、しかも非常にポップでわかりやすいメロディとシンセサイザーの多用、プログセミングされたファンク・ビートとヒップ・ホップへの傾倒、それでいて、特有のどっしりした緩さが、タイトなリズムの上で際立っている。一説に寄るとSafro Manzangiのアレンジによる、純粋培養のEmeneyaの世界である。この延長上に現在の「Dream Team」があるのかも知れない。「Nzinzi」は、アフリカ全土で空前のヒットを記録し、翌年の来日時にも演奏された。「Victoria Eleison」の定番レパートリーとなった。もちろんバンド演奏である。コンサートでは、大所帯のダンス・チームが組織され、統一されたユニフォームを着けて、一大スペクタクル・パフォーマンスを繰り広げた。 それまで、単なるロック・バンドのひとつであった「Victoria Eleison」は、アフリカを代表するポップ・オルケストルのひとつにのし上がった。
EVVI present Le Dr.Emeneya et Victoria Eleison dans Mokosa (LP, Editions Veve International EVVI120, 1990) Mokosa (Emeneya Kester) |
その「Nzinzi」路線をさらに押し進めたのが本作である。ここでは、バンド演奏とコンピューターによる打ち込みのコラボレーションが試みられている。デモ・テープが我々の間に出回ったときには、驚愕を通り越してあきれ果てる奴もでた。しかし、あの「Victoria Eleison」特有の混沌とした世界が、まるでピンで射止められた蝶のように、一瞬にして結晶したような輝きを、このアルバムは持っている。Safro Manzangiがなしえた、彼一流の美学の到達点である。「Mokosa」は空前の大ヒットを記録した。他の3曲もSafroらしい特別の味わいがあって愛おしい。その翌年、新しいダンス「Ysankele」を持って彼等は来日した。そしてプログラミングされた部分を人間が演奏する事によって得られる新しいグルーブを、彼等はわれわれの前に実演してみせた。2度にわたってファンの予想を裏切る作品を発表したことで、沈滞するシーンに渇を入れうるのは彼等だけだと誰もが思った。しかし、このアルバムを最後にSafro Manzangiは「Victoria Eleison」を離れ、ソロ活動にはいる。名アレンジャーを欠いた「Victoria Eleison」は魂の抜け殻になり、もはや新しい試みを提示することはできなかった。過去の自分たちの演奏を模倣するか、キカイとスペクタクルに頼り切った作品作りに終始している。発売されたVictoriaのアルバムのうち、これ以前のものは全て良いが、これ以後のものには全く興味が持てない。「Nzinzi」と「Mokosa」は、カップリングで復刻されている 「Kaluila presente Jo Kester Emeneya (CD, Kaluila F-170, 1992)」。
資料収集にはBonobo氏にご協力を頂きました。ここに心よりの謝意を表させて頂きます。
http://www.geocities.jp/earthworks1972/lingala/kinnostalgie.htm