現代に生きるコンゴのフォルクロール
Congotronics, Vol. 2: Buzz'n'Rumble from the Urb'n'Jungle (Crammed Discs CRAW29, 2005) Masanka Sankayi + Kasai Allstars: Wa Mulendu |
アフリカに限らず、いわゆる「世界の民族音楽」などを聴こうとすると、そのほとんどが学術的な目的で収録された声や楽器演奏の断片であって、そのグローバルなタイトルの割には、ごく限られた範囲で気まぐれに収録されたとしか思えない、雑把な音の寄せ集めであったりするものである。それらにはたいてい「なんちゃら村の少年の声」とか「ほんやら村の祭りの太鼓」とか、だからどーやねんちゅうタイトルが付けられていて、ほんの数十秒で終わったりする。しかし素朴な音楽というものは、往々にして単純なフレーズの繰り返しであって、学者さん達にとっては、一定の形式さえ認識できれば果てしない繰り返しに用はないかも知れんが、この繰り返しこそが伝統音楽の伝統音楽たる所以であって、果てしなく繰り返される事によって、演奏者や聴衆が非日常的な感覚に舞い上がって行って、いろいろな体験をする。われわれが伝統音楽を聴きたいと思う時、そこには音楽そのもののスタイルについての関心というよりも、音楽によってもたらされる効果を追体験する事によって、それに関わる人たちや社会がどういう感性を持っているのかを垣間みてみたい、あわよくばそのたぶんキモチノヨイ体験をともにしたいと思っているのではなかろうか。いや絶対そうだ。なぜなら21世紀初頭の日本という、このふざけた怒濤の情報化コピー社会よりも、ひとつのフレーズを繰り返し繰り返し演奏する音楽を守り通している社会の方が、はるかに幸せだという事は、誰の目にも明らかであるからだ。
であれば、このような伝統音楽のアルバムを選ぶ基準として、なるべく1曲の収録時間が長いもの、なるべく限られた狭いエリアで集中的に録音されたものを選ぶという尺度があって良いのではなかろうか。ひとつのバンド、あるいはひとつの場面について、一枚のアルバムが制作されたとあれば尚のこと良い。従って「現代に生きるコンゴのフォルクロール」と題するこのページでは、なるべく作品として鑑賞される事を目指したもの、研究用に収録されたものであっても収録時間が長いか、特定のテーマについて音を集めたものを紹介するようにした。
下に非常に大雑把なコンゴ(RDC)の地図を示す。コンゴの伝統音楽のうちシーンに浮上し、我々が聞く機会を与えられているものは、大雑把にいって赤い数字の6つである。以下、読者の便宜のために、アルバム・レビュー内に下記分類番号を付けさせて頂いた。もちろんコンゴは広大な国であり、これ以外にも素晴らしい伝統音楽はあるし、下記6つのカテゴリーの中でも、関係者としてはどうしても独立させたいジャンルもあるだろう。これは暫定的に分類したものであるとしてご理解いただきたく、これを面白いと思ったら、どうぞここに現れたキーワードを追って、コンゴの広大な大地に足を踏み入れて頂きたい。では数字の順番に概説する。
●1 Kononoで大ブレイク中のBas Congo州東部アンゴラ国境付近の16ビートの音楽。
●2 Bas Congo州西部Selembaoを中心に演奏されているのテンポの速い8分の6拍子の音楽。
●3 Swede Swedeと呼ばれる重く力強い8分の6拍子のEquateur州の伝統音楽。
●4 Mutuasiと呼ばれるKasai州からKatanga州に伝わる鋭いリズム感を持つ伝統音楽。
●5 Bandundu州に伝わる歌とコード展開が複雑で美しい濃厚な黒さを感じさせる伝統音楽。
●6 ピグミーのコーラスで有名なコンゴ北部の広範なジャングルの「森の民」の伝統音楽。
さて、前置きが長くなってしまい大変申し訳ない。「Congotronics, Vol. 2: Buzz'n'Rumble from the Urb'n'Jungle」CDとDVDのセットに豪華な装丁である。Konono No.1で大当たりしたCrammed Discsの敏腕プロデューサーVincent Kenisがものした、多民族国家コンゴの首都キンシャサのストリートにおける様々な伝統音楽グループの実況、上の分類で言うと、●1,2,4,5の地方の音楽を継承する8つのグループの演奏と映像が収められている。Congotronicsのウェブサイトには音源や映像のサンプルもあるので、どうか味わって頂きたい。
さて、キンシャサには、広大なコンゴ国内から、ありとあらゆる音楽の伝統をもった部族の人たちが来て暮らしている。しかし、首都へ来て彼等地方出身者が丸くなり個性を薄めるかというととんでもない。それどころか金属や電気が簡単に手に入るのを良い事に、楽器を工夫して自分の音楽に磨きをかけ、電化製品を改造して音を増幅し、ひずませ、微妙な音質にこだわって、隣の部族のグループとあらゆる意味で競い合いながら、ますます個性をエスカレートさせて行くのである。従って、キンシャサの下町の路地には、あらゆる民族の電化されたオヤジ連中が同郷のオヤジどもと、きっつい酒を酌み交わしながら、夜通し延々と拡声器に向かって演奏しがなり立てる姿がそこかしこに見られるのである。このアルバムに収録されているのは、そんな連中のほんのひとつまみに過ぎない。しかし、これをストリートの音をそのままにきちんとした録音と映像に残し、作品として世に問うた意義は大変大きい。なぜなら、彼等は自分たちで楽しむ場面では、このようにひずんだ音を好みシンプルでトラディショナルな演奏で踊るのであるが、ひとたびこれをレコーディングする、ましてやCDとして世界に売り出すという事になると、きちんとしたスタジオで奇麗な音で録音してしまうからである。「そのままの音で・・・」なんていっても、頑として受け付けない。それが礼儀だと考えているのだから仕方ないのだが、出来上がったものは当初の意図から大きく外れる事になる。そんなアルバムはなんぼでもあるのであって、だからこそVincent Kenisの一連の仕事は、大変に意義深い。ようやった。ほめて遣わす。
個々に見て行こう。都合1、2、4、6の4トラック収められているMasanka SankayiとKasai Allstarsは、●4Mutuasiを演奏を演奏するグループである。これはコンゴ中部から南部の鉱山地帯、東西Kasai州からKatanga州にかけての伝統音楽で、ガラスの空瓶をたたく甲高いリズムが特徴的。古くは堅い木片や竹なども使われたらしい。リズムは8分音符の前半や後半を半拍ずらしてアクセントをつけたリズムで、ブラジル音楽に精通された方ならタンボリンがたたくリズムといえばわかりやすかろう。私は楽譜の読み書きが出来ないので口で言わせてもらえば、「カンカンカンカカ・ンカンカンカカン」または「カカンカンカンカ・カンカンカンカン」、およびこれらのバリエーションであるといえば良いだろうか。使われる音階楽器は主に木琴や親指ピアノで、キンシャサではもちろんこれらは電化され、リード、コード、ベースに分れていたりもする。往々にして電気ギターも使われる。使われる音階は、なんと琉球音階の上からふたつ目を半音下げればよい。非常にエキゾチックなメロディ・ラインとハーモニーを持つ美しい音楽である。パーカッションのうち特徴的なものは、ditumbaとよばれる一種のビビリ太鼓で、ジェンベに似た形をしたくびれた胴に山羊などの柔らかい皮が張ってあり、これに練り物を付けて音程と倍音を調整する。皮の接着部のすぐ下に小さな穴が開けられていて、ここに膜を貼る。昔は蜘蛛の巣を貼ったが、今ではビニール袋の切れっ端を貼っている。空気の漏れないように密着させるのがコツで、ビーンビーンと唸るような低音が出て、これが呪術的な効果を産み出す。
順序は前後するが、8トラック目のBasokinも同じジャンル、●4東Kasai州のMutuasiを演奏するグループであり、2本の電気ギターとビビリ太鼓を含むいくつかの太鼓とガラス瓶が使われている。編成は地味だが、演奏は最もエキセントリックであり、私がキンシャサで入り浸ったKasaiの人たちの夜通しの演奏の濃密さそのまま、とくに演奏の後半の、2本のギターの絡みとうねりが果てしなく繰り返される同じフレーズによってもたらされる恍惚は何者にも代え難い。このアルバムでは、収録9曲のうち、以上5曲をこのジャンルに割いているが、実際キンシャサのストリートでも、Mutuasiを演奏するグループが多いように思う。音をひずませる、ビビらせる、唸らせるコンゴの伝統音楽の今のありようを伝えるこのアルバムのコンセプトに、見事にハマった選曲である。
さて3トラック目Sobanza Mimanisaは、●2Bas Congo州西部のSelembao地方の伝統音楽で、キンシャサにはこの地方出身者が多く大変ポピュラーな存在である。テンポの速い8分の6拍子の音楽で、どんなグループの演奏を聴いても、コード展開はほぼ同じであり初めは退屈するが、聴き比べて行くと味わい深い。有名なグループとしては、後で紹介するT.P. Zembe ZembeやAkwe Ditukaなどがある。
5トラック目のKisanzi Congoは、●1Kononoと同郷の音楽である。メンバーは若い。ディストーションが程よくコントロールされた不思議な音色の親指ピアノのイントロに導かれて、実に美しいコーラスがかぶさる。親指ピアノのリードの音のはじけ具合、加速して行くダンス・パートが絶品。しかし実際には、彼等も現代の若者であり、Papa Wembaをはじめとする「リンガラ・ポップス」を浴びるように聴いた世代である。明らかにその影響が見られるフレーズが散らばっている。
7トラック目のBolia We Ndengeは、●5Bandundu州北部のMay Ndombe(黒い水)地方の伝統音楽を継承するグループである。私は個人的には、この地方の音楽に、なにかアフリカで最も深い黒さ、ブルー・ノートのセンスはいうに及ばず、北米といわず南米といわず、およそ世界中の黒人が演奏する音楽の全てに共通する根源的な「なにか」を感じるのである。このエリアは、哲学的な歌詞と摩訶不思議なメロディで、コアなルンバ・ロック・ファンの腰を骨抜きにしたViva la Musicaの名歌手Lidjo Kwempaや、Victoria EleisonのドンEmeneya Kestertなどの故郷であり、そこらにいるガキどもの鼻歌にさえ往々にして驚かされる事がある。収録曲にはコンゴの古いスタイルのアコーディオンの一種が使われ、北部の音楽の影響からか、木製のスリット・ドラム「ロコレ」の見事な伴奏が聴かれる。
9トラック目のKonono No.1の紹介は次項に譲るとして、付属するDVDには、上記以外にTuluというグループの映像が収録されている。これは●5Kwilu川中流域Bandundu州から西Kasai州にまたがる、KikwitからIdiofaあたりを中心に居住するBambundaという部族の人たちの音楽で、オイル・サーディンの空き缶を利用した(ブラジル風にいえば)スプリング・ヘコヘコ、2本のビリンバウ、大きなヤシの実にパイプをさした楽器(低い声を出して唸る)、竹製のスリット・ドラム、膝に乗る程の小型のカホンが使われている。演奏は極めて素朴。ブラジル北東部のアンゴラ風カポエイラに使われるビリンバウの音楽に「バブンダの歌」というのがあり、これは彼等の部族をさしていると思われる。楽器といい楽曲といい、ブラジルと密接な関係を連想させて、とても興味深い。
そこで、私も1991年にKinshasaと当時のザイール奥地を旅したときに収録した、電気仕掛けの伝統音楽の音源を少し紹介してみたいと思う。重くなるが一度聴いてみられたし。
Nsanga Lubangu (●4: Mutuasi, 5.9MB)
Lusombe Madimba (●4: Mutuasi, 7.0MB)
Swede Swede de Kintambo (●3: Swede Swede, 11.5MB)
Congotronics, Vol. 3; Kasai Allstars (Crammed Discs CRAW44, 2008) Quick as White |
Congotronics, Vol. 1; Konono No.1 (Crammed Discs CRAW27, 2004) Lufuala Ngonga |
●1さて、いまや飛ぶ鳥を落とす勢い、「コンゴの電気オヤジ」の異名を取るKonono No.1の、記念すべきワールド・ワイドなデビュー・アルバム。もちろん、キンシャサでは何枚かレコードやカセットが出ているが、内容は打ち込みが多用され奇麗に厚化粧されたもの。しかし、このアルバムは現地の路上バーの空気をそのまま詰め込んでくれている。このリリースを知った時、私は正直言って大変びっくりした。1989年と1991年に、彼等の本拠地である当時のザイール共和国の首都キンシャサを訪れ、この手の電気伝統音楽オヤジグループを山ほど見て来たからである。キンシャサの下町では、この手の酔っぱらいが、本当にひと辻ごとに縄を張っていて、まったくそこらじゅうで夜通し轟音を響かせている。
使われる楽器は、コンゴでは「Likembe」という親指ピアノやマリンバを電気仕掛けにしたもの、電気ギター、コンガ、カウベルなどである。増幅器には自動車の廃品が使われ、スピーカーは電柱に吊るような巨大な拡声器である。なかにはいちいちバラすのが面倒くさいってんで、廃車になったトラックのカーステレオを改造して荷台でがなってる奴らもいる。従って、いわゆるオーディオ・システムのような済んだ音は望み得ず、音はひたすら割れざるを得ない。いや、どれだけ割れているかを競っている感さえある。さながら無法地帯。日本でやったらたちまち苦情の嵐になって、十把ひとからげにブタ箱行きや。
Konono no.1・・・彼等は、ごまんとあるそんなバンドのひとつに過ぎない。「コノノ・ヌメロ・アン」と読んでくださいね。日本盤の帯に「ナンバー・ワン」なんて書いてあるけど、コンゴはフランス語圏ですよってに。この名前は、まるでバンド名であるかのように伝えられているが、「Konono」というのは、私の理解では本来スタイルの名前である。キンシャサのすぐ南からコンゴ川沿いに大西洋岸にかけてはBas Congoという州であり、その南はアンゴラに接している。ここらへんは、もともとの「コンゴ」の人たちの古代コンゴ帝国の中心地であったところで、伝統的にKononoはこの地方の民謡の名前である。
ベルギーのCrammed Discsがリリースしたのだが、切り口が大当たり。世界中のクラブ・ガキどもを席巻しているらしい。リリース直後からワールド・ツアーに出て、いろんなグループとセッションしているという・・・と聞いてまたびっくりした。セッション? たぶん、相手の演奏そっちのけで、自分らの演奏やっとんねやろな、だってこの人たち、自分らの伴奏と歌メロが合ってなくても全然お構いなし。ずれたらずれたままで突き進む。聴いていると、いつしかそれにも慣れて来るから恐ろしい。それはこのアルバムを聞いても健在。クラブ向けに低音を持ち上げてなんとかしようとしているのだが、そうはさせまいとのしかかって来るがなり声に、思わず涙が出る程の懐かしさを感じたのでした。2006年8月来日。
Konono No. 1: Lubuaku (TERP AS-09, 2004)
Zeyisalangayizama |
●1「L'orchestre Tout Puissant Likembe」すなわち全能の親指ピアノ楽団と冠するそのKonono No.1、2004年オランダでのライブである。私はこっちの方が好きですね。ベースを持ち上げてない分、キンシャサのストリートの匂いが、ムワッと咳き込む。自分たちが売れて、嬉しいのと戸惑いの両方が感じられる、恥じらいのある演奏。それでも上のスタジオ録音と比べて、ずっと自由奔放にやっているのが良い。途中で「Zaiko Wawawa」の替え歌が出て来て、これまた伴奏と歌メロが全然合ってないのにお構いなしで突き進む。ええぞええぞ。
V.A.: Ocora/ The World Music, No.35: Zaire; Musiques Urbaines a Kinshasa (CD, Ocora C559007HM65, 1987) Rhythme Kuatankuaka (Orchestre Sankai) |
Konono Molende: Lufua lua Nkandi (??)
Matadi yo |
●1さきほどKononoはスタイルの名前だと書いたが、こちらはKonono Molendeと称する別バンド。私の見聞したところでは、こっちの方がKonono No.1より格は上だったように思う。親指ピアノその他はあくまで伴奏に徹しており、力強い歌とコーラスが主役となっている。音質・音階・かけ声や決めごとその他全てにおいて非常にまとも。ジャケットにデータの記載はおろか、レコード番号もないので、たぶんあとで捜そうにも辿れないと思う。今のうちに買っておくべし。Konono Molendeは、フランスのOcoraから出ていた「Zaire : Musiques Urbaines a Kinshasa」という編集盤に、確か片面全体に渉るライブ録音が残されていて、それは1980年代の録音だったと記憶するが、自由奔放かつエネルギッシュで楽しい演奏だった。震災で埋もれたんですよね、惜しい事したな・・・。そのOcora盤の長い録音もそうだが、このアルバムもKonono No.1に比べてのびのびした演奏が聴かれる。曲調に変化がある、というか、語っているエピソードが変わるときに別の曲になるのだが、いちいちタイトルを分けてないのでメドレーのように聞こえる。その緩やかな変化がなかなか良い。河内音頭と思えば良い。さらに、Konono No.1の捉えられ方が、どちらかというといわゆる「リンガラ・ポップス」(ルンバ・コンゴレーズ)と一線を画するかのような切り口で語られているのに対して、この演奏を聴くと、そのリズム、フレーズ、コール・アンド・レスポンスの内容や入り方が、むしろKononoが「リンガラ・ポップス」の成立の大きな基礎になった事が伺われて面白い。Kononoが好きな人には自信を持って勧めたい。入手先については、上のリンクを参照。
Various Artists: Musique Folklorique de Bakongo de l'Angola (Kaluila REF/KL0178, 2005)
Mu Mbata wa Lombele Dioko |
●1タイトルに見られるように、「アンゴラからコンゴのキンシャサに難民として逃げ込んだコンゴ人(わかります?)の伝統音楽」という、日本の一般人にとっては「なんやねんそれ」、でも私にとっては涙ものの編集盤です。内容はKonono。これはアコースティックな演奏で、よりトラディショナル。CDにデータその他の資料が全くないコンゴレーズ仕事なので、とりあえずVarious Artistsと書いてみたが、たぶん演奏は全部Konono Molende。タイトルと考えあわせてみると、彼等のルーツは今のアンゴラ領内にあるということかも知れない。「コンゴ」人の本当の故郷は、いまのアンゴラ領Zaire州Mbanza-Kongoという古都。歴史を振り返ると、長かった植民地時代、「コンゴ」の人々はベルギーとポルトガルの陣取り合戦の結果、その版図をまっぷたつに分けられ、さらにモブツ大統領の独裁時代、東西代理戦争の戦場と化した当時のザイールとアンゴラは敵対関係に陥ったために、彼等はその最前線に立たされた。しかし、「コンゴ」人達は非常に祭り好きの明るい性格で、祭典用の音楽が盛んであったという。この地方の伝統音楽は、非常にプレーンな16ビートのリズムを持っており、連打される細かいリズムや太鼓のオープン・トーンの使い方は、その一側面がそのままブラジルのサンバに合わせても違和感がない。また別の側面は、そのままコンゴの「リンガラ・ポップス」の骨格としての体裁を既に整え、アンゴラのSembaやKizombaのうちテンポの速い演奏への影響が濃厚に感じられる。この近辺の音楽が、もっと数多く発掘されて行くにつれ、大西洋に隔てられたふたつの音楽大国の溝も埋まって行くかも知れない。
Debonheur & Le Groupe Zembe Zembe: dans Selembao, Folklore Bakongo (Bantandu) (Ngoyarto NG065/ATB14) Nganes |
●2さて、同じBas Congo州には「コンゴ人」という大きなグループの中にBantanduという小さなグループに属する人々が住んでいて、彼等の音楽は「Selembao」と呼ばれている。これは非常にテンポの速い8分の6拍子で、たいてい3つのコードが循環して行く展開を持っている。このコード展開は、古くはブルー・ノートの形成に多大な貢献をしたのではないかと思われる程、酷似しているのだが、ちょっと想像が過ぎるかも知れぬ。キンシャサには、この「コンゴ人」が最も多く住んでいるので、Selembaoは大変ポピュラーな伝統音楽であり、レコードやカセットが多く販売されている。ラジオでも頻繁にかかる。そのうちの一枚であるこのアルバムは、おそらく最も変化に富んだ内容で、音質的にも潤いがあって聞きやすいもののひとつであろう。トラディショナルというものは、関わりのない人にとっては無味乾燥に聞こえるものだから、なるべく聞きやすいものを紹介しないと要らぬ誤解を招く。このCDは前半がLe Groupe Zembe Zembe、後半が表には書かれていないが、Akwe Ditukaというグループの演奏である。音質からして、いずれもLPレコードからの盤起こしと思われる。しかし、内容はなかなか良い。キンシャサの心優しき友人Antabelの仕事である。
Classic Swede Swede: Toleki Bango (Cramed Discs CRAW1CD, 1991) Nalanda te |
●3「Classic Swede Swede」と書かれているが、正しいグループ名は「Swede Swede de Boketshu Premier」という。実はKonono No.1を見いだしたCrammed Discsの記念すべき1枚目。1991年の作品である。「Swede Swede」というのもスタイルの名前で、コンゴ川をキンシャサから遡って行くとMbandakaという街がある。Equateur州の州都であり、コンゴ川交易の要衝であり、深いジャングルの中である。ここは木の音が良く響くので、木製のスリット・ドラムである「ロコレ」という楽器が通信手段として発達した。Swede Swedeは、このロコレとコンガをリズムの軸にし、木琴やハーモニカなどで伴奏する伝統音楽である。リズムはミディアム・テンポの8分の6拍子で、非常に重く硬質な感触を持つ。残念ながら、純粋なSwede Swedeの伝統的な演奏の録音は手に入れていない。あるいは、もともとそんなに古い音楽ではないのかも知れない。このCDの演奏は、ドラムとロコレ、コンガ、ハーモニカの伴奏に、男らしいますらをぶるコーラスが乗る力強い音楽である。演奏はリズムがほとんどであり、何本ものコンガがメロディアスに鳴り響く様子は特筆もの。ほとんどリズムと歌のみで展開されるシンプルな演奏が素晴らしい。最近みなくなったので、捜しておかれるべし。
実は、私は1991年にキンシャサで彼らに会っている。当時、ザイールはモブツ独裁体制がほころびはじめ、経済的な破綻が日に日に社会に混乱を招いていた。不穏な空気は、能天気にルンバなどを聞いている場合ではないという深刻な風潮を醸し出し、欧米でHip Hopが流行するのに歩調を合わせるかのように、このSwede Swedeに火がついたのである。若者を中心に、Papa WembaやEmpire Bakubaなんか屁とも思わんくらいに流行していた。ときとして、日本でも河内音頭が脚光を浴びるような感じで、このSwede Swedeは、伝統音楽としての繰り返しの多い伴奏の上に、ラップのように時事放談をいくらでも乗せて行く。ひとしきり口説き終わると演奏が加熱してゆき、場はダンスの狂乱になる。しかししばらくするとそれも冷え、再び別のラッパーが現れて聴衆を煽って行く。それはまさに、ややもすると宗教的な洗脳、あるいは政治的な煽動、音楽が現実的な力を持つアフリカならではの光景をこの目で見たのである。
Swede Swede de Boketshu 1er: Mokili Etumba (Umwe Records, CD9401, 1993) Molangi Ya Pembe |
●3そのBoketshu 1erのセカンド・アルバム。内容は前作の延長線上にある、骨太のリズムとアジテーションに似たボーカルやコーラスが身上で、研ぎ澄まされて来た分、力強くとても良い内容である。しかしながら彼等のトラディショナル路線もこれまで。これ以降の彼等のアルバムは、ギターやシンセサイザーで厚化粧された、ヘビー・デューティーな過剰装飾へと変質して行く。成金が高級外車に金色のエンブレムを付けて喜ぶようなセンスだ。われわれは日本人。コンゴの音楽に自分勝手な期待など込めても無駄。このアルバムが素晴らしいだけに、その後の展開が、尚のこと惜しい。
Lozizi Poster ya Mpaka: Prophetie (Sanis J.M. Productions S.N.91087) Nzete ne Niara |
●3さてキンシャサのSwede Swedeシーンには、もうひとつの大きなグループがあり、名を「Swede Swede de Kintambo」という。Swede Swedeを名乗るグループは、例えばSwede Swede Osakaのように、その活動の本拠地を名前に付ける習わしになっている。Kintamboとは彼等の本拠地の名前であり、キンシャサの街の建設が始まった最も古い地区である。LoziziはKintamboの中心メンバーでありキーボード奏者。このソロ・アルバムは、伝統的なSwede Swedeのスタンダード曲を網羅しているので、ここに紹介する事にした。曲が良いので安心して聴けるが、若干「化粧」が濃い点は我慢しなければならない。
Percussions Elima et Maitre Nono Manzanza: Kinkungu (Cobalt/ Melodie 09355-2, 2002)
Vamulolo |
キンシャサには伝統音楽を教える教室や学校がいくつもあって、いわばブラジルのEscola de Sambaのような活動をしているところがある。この「Percussions Elima」もそのひとつで、Nono Manzanzaという師匠が代表を務め、主にコンゴのコンゴたる楽器、すなわち「コンガ」のアンサンブルを追求している。コンゴ国立伝統音楽団にも優秀なミュージシャンを多数輩出しており、次に紹介するBana KinのリーダーであるSimolo Katondiも卒業生の一人である。日本ではアフリカ音楽というと、とかくジェンベをイメージされがちであるが、むしろジェンベは西アフリカの乾燥地帯の楽器であり、あの音色はコンゴの熱帯雨林には似合わない。ラテン・パーカッションとして、最もポピュラーな楽器がコンガである事をとってみても、その原型であるコンゴのコンガ、リンガラ語では形状に応じて「tumba」または「mbunda」などというが、この太鼓の魅力については、もっと知られて良いと思う。このアルバムは、音をミュートしながら全体のアンサンブルを形成して行くコンガの第一級のアンサンブルが聴かれる、非常に質の高い作品である。パーカッションを志す人に、じっくりと聴いてほしい。
Bana Kin (DOM CD1095, 1998)
Bololo Blues |
そのPercussions Elimaの卒業生であり、コンゴ国立伝統音楽団のメンバーであり、Bana Kinを率いて来日も果たし、かつてはRumba Ray、La Nouvelle Generation、Koffi OlomideのQuartier Latinなどの、ドラムやパーカッションのポストを渡り歩いた優秀な演奏家であり、私の良きアドバイザーであり友人であるSimolo Katondi率いるのコンガのアンサンブル。Elimaが伝統を継承する事に重きを置いているのに対して、このBana Kinは、より広くコンゴ全域からリズムを集め、更に若い感性でロック的な解釈、ダンス・パフォーマンスとの連動などを試みている。これもパーカッショニストにお奨めのアルバムである。
Historical Recordings by Hugh Tracy: Kanyok and Luba, Southern Belgian Congo 1952 & 1957 (CD, Sharp Wood Productions, SWP011/ HT05, 1998) http://www.asahi-net.or.jp/_xx3n-di/ |
Historical Recordings by Hugh Tracy: |
●4Mutuasiをまとめて紹介したいと思う。まずは「Historical Recordings by Hugh Tracy」という、1940-50年代に録音された一連の現地録音の復刻シリーズから、コンゴの中南部の伝統音楽を集めた2枚。この一連のHugh Tracyの歴史的録音の最も大きな価値は、まだ運搬可能な録音器材が出初めであった困難な状況の中で、アフリカの奥地にまで深く入り込んで、多くの貴重な録音を残した事である。すなわち、これ以前に行われた録音は、あったとしても地方の村人を都市のスタジオへ連れて来て録音したものであり、これ以後のものは、電化製品とくにラジオの急速な普及によって、独自の伝統音楽が複製され次第に他の要素と混ざり合い薄められて行く過程にあったと思われるからである。フィールド録音というものが、アフリカの最深部で最後にキャッチし得た、深い伝統の要素を残した録音である。シリーズの全容については、上のリンクを参照されたし。ここでは、コンゴの中部から南部に広く分布するKanyokとLubaと呼ばれる部族の人たちの音楽と、南コンゴの興味深いギター・ミュージックを集めた2枚を紹介しておきたい。特にMutuasi色の強い前者の録音には、村の広場で子供達が歌い興ずる様子や、母親達が料理をしながら歌っている様子などが、実に微笑ましく残されていて、特にアフリカ民俗音楽などといわなくても、音を楽しむその気持ちひとつで、十二分に楽しめる内容である。また、後者も大変牧歌的な演奏が収録されているが、やはりタイトルにあるように、ギタリストの方には強くお奨めしたい。特にキューバ音楽、アフリカ音楽がキューバに与えた音楽的影響や、逆にルンバがアフリカに与えた音楽的影響などに興味のある方、ルンバ化される以前のコンゴの伝統音楽の片鱗、それがキューバ音楽に影響されて行くプロセスなどを聴く事が出来る。実に興味深い編集である。1950年代の写真、詳しい解説など、学術的価値も大変高い。
Fonti Musicali: Anthologie de la musique Congolaise (RDC); Vol. 1, Musiques des Lunda du Katanga (Fonti Musicali fmd401, 2004) |
Fonti Musicali: Anthologie de la musique Congolaise (RDC); Vol. 4, Musiques des Salampasu (Fonti Musicali fmd404, 2005) |
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Fonti Musicali: Traditions du Monde; Tombe Ditumba, Musiques des Luba- Shankadi du Shaba, Zaire (Fonti Musicali fmd204, 1994) |
Fonti Musicaliというワールド・ミュージックの総合レーベルと、ベルギー王立中央アフリカ博物館とのタイ・アップで出版された、コンゴ伝統音楽アンソロジーから、同じ●4Mutuasiを扱ったもの。fmd400番台は、博物館の所蔵する研究用音源を復刻した新シリーズで、博物館のホームページにネット・ショップがあり、そこで購入できる。200番台は旧シリーズで、やはり博物館が監修しているが既にカタログにはない。さすがコンゴの旧宗主国ベルギーの王立博物館が監修するだけあって、学術的にも音楽的にも、非常に興味深いアンソロジーである。Congotronicsの電気仕掛けのビビリ音にしびれた人は、是非これらのアルバムでナチュラルなビビリにもしびれて頂きたい。こうした音色の美感はアフリカ中にあり、特にマリンバ類の共鳴箱に膜を張ってビビリ音を楽しむ事は良く知られている。ほかにも、親指ピアノの鉄片や胴体にラフに取り付けられた金属片、太鼓の皮に渡された細い枝による障り音、更にはシェイカーとして使うひょうたんに入れる豆や砂の大きさや量を調整して絶妙の音色を編み出すなど、ありとあらゆる工夫をして音を楽しむ彼等の姿が目に見えるようで、大変面白い。心を無にして聴いていると、いつしかこの音世界に慣れて、空気のように親しみがわいて来る。録音時期は、いずれも1970-73年。シリーズの全容については、上記リンクを参照。
Fonti Musicali: Anthologie de la musique Congolaise (RDC); Vol. 5, Musiques des Tshokwe du Bandundu (Fonti Musicali fmd405, 2005) |
●5コンゴ中部のBandundu地方、Tshokweと呼ばれる部族に属する人たちの音楽である。先にも書いたが、この地方からは、コンゴに限らず世界的に活躍しているミュージシャンが多く出ている。また、親族がこの地方出身だというミュージシャンも多い。実際に旅してみると、遊んでいる子供達や中庭で料理しているお母さん達の鼻歌に驚かされる。特に、コンゴを代表する歌手にこの地方出身者が多く、歌やコーラスの美しさは別格。このCDでも、それを良く心得た編集がなされていて、器楽演奏よりもヴォーカルに重点を置いた選曲がなされている。素朴な伝統音楽と思いきや、実に洗練された展開を持つメロディとハーモニーの美しい曲が多い。私は1991年に、この地方の主要都市であるKikwitを経由してカサイ州に入ったのだが、Kikwitで聴いた様々な音楽は今も心に残る。特に、matangaと呼ばれる葬式の儀式の音楽は、コンゴではその地方の特色を色濃く反映する事で知られていて、私の聴いたmatangaの音楽は、ビビリ太鼓を含む大小様々の太鼓、人の身長程もある長いギロ、人が馬乗りになるほどの大きさの低音クイーカ、長短のビリンバウ、ヤシの実の半分に皮を張ったハープ状のギター、それらの素朴な伴奏の上に、実にメロディアスな歌が踊っていた。録音は1981年。
Polyphony of the deep rain forest, Music of the Ituri Pygmies, Congo (Victor VICG60334, 2000)
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●6最後はコンゴ北部の「森の民」の音楽である。ピグミーのコーラスは、はやくから世界の音楽ファンが注目し、数々の録音が発表されている。そのうち私が最も愛聴しているのが、なにを隠そう、日本人のフィールド・ワークによってなされた、「密林のポリフォニー」と題するこのCDである。このアルバムのすごいところは、なんといってもIturiの森の奥深くにまで入り込んで、偶然の機会を見事に作品にしたところである。実は、ピグミーを取材した作品の多くは、森の外あるいは周辺部で取材したり、街へ出て来てもらってスタジオ録音されたものが多い。しかしこのアルバムは、森の最深部まで入り込んで行きながら、森を移住する彼らと偶然の接触をし、そこで録音を果たしたものである。ぜひとも購入して、ライナーを読んで頂きたい。彼等のポリフォニーももちろん素晴らしいが、取材した日本人との心の通ったポリフォニーも、また素晴らしい。部族の名前はMbuti、1983年の録音である。
Louis Sarno: Bayaka; The extraordinary music of the Babenzele Pygmies, Book and CD (Ellipsis Arts CD3490, ISBN 1-5596-313-0, 1995) Women Gathering Mushrooms |
●6CDブックである。録音されたのは中央アフリカ共和国の西部Yandoumbe村なので、厳密に言えばコンゴではないのだが、そこは限りなくコンゴに近い一続きの森であり、同じPygmieの、しかも内容が非常に素晴らしいものであるので、あえて掲載する事にした。これも森に深く分け入ってなされた現地録音が基礎になっているが、更に作品としてのまとまりを持っている。あたかも夢か映画を見ているようだ。各曲は緩やかに重ねられ、途切れなく聴く事が出来る。全体を包むのは、森で録音されたと思われる、虫や鳥の声、草木のざわめき。それらの上に、長年彼等と時をともにしたLouis Sarnoがなし得た、様々な場面における彼等の歌や演奏、音楽以前の声の集合体が、実に注意深く、敬意を持って、効果的に重ねられている。従って、これは生のままの現地録音ではなく、編集され、リミックスされたものである。しかし彼の言葉にあるように、そうした音は常に森を包んでいるのであろうし、マイクを近づけて音楽だけを主体的に録音されたものとはまた異なる独特の空気感を醸し出している。それがこの作品の最も重要なところである。美しい写真が多く配された96ページのブックレットを読むと、この音楽が、芸術家の音楽としてあるのではなく、狩りに出るとき、獲物を捕らえる時、子供達が遊ぶとき、また、ただ歩くときなどに、まさに呼吸するかのように出て来たものであることがわかる。写真に写った彼等の表情を見ると、彼がいかに信頼関係を築いて行ったかが伺われる。探検して獲得された音ではなく、温かな信頼関係のもとに許された録音を聴く・・・そんな贅沢が楽しめる。しかし、ブックレットの最後で編集者が指摘しているように、こうした楽園は、グローバリゼイションと拡大する都市化の波に飲み込まれて、世界中から急速に消えつつあり、このことはすなわち、人類の音楽的ルーツが着実に喪われている事を表わしている。ウェブサイトを見ても、もはやこの作品はリストにない。それが暗示でない事を祈るばかりである。
Historical Recordings by Hugh Tracy: On the Edge of the Ituri Forest; Northern Belgian Congo 1952 (CD, Sharp Wood Productions, SWP009/ HT03, 1998) |
Historical Recordings by Hugh Tracy: Forest Music; Northern Belgian Congo 1952 (CD, Sharp Wood Productions, SWP016/ HT10, 2001) |
Fonti Musicali: Anthologie de la musique Congolaise (RDC); Vol. 3, Musique du pays des Mangbetu (Fonti Musicali fmd403, 2005) |
Fonti Musicali: Traditions du Monde; Musiques des Mangbetu du Haut- Uele, Zaire (Fonti Musicali fmd193, 1992) |
Fonti Musicali: Anthologie de la musique Congolaise (RDC); Vol. 2, Songs of the Okapi Forest, Mbuti, Nande and Pakombe (Fonti Musicali fmd402, 2004) |
●6Hugh TracyとAfrica Museumのシリーズから「森の民」の音楽を集めて・・・特に、最後の「Songs of the Okapi Forest」はお薦めである。後半に15分近くに渉るフィールド録音、おそらく祭りか楽しみの儀式、あるいはかなり大掛かりな遊びを思わせる、なんとも不思議な浮遊感に満ちた音世界が繰り広げられる。