
これは1984年頃、三宮にあったレゲエ・バーのジャマイカ系アイルランド人のマスターが、店を畳んで帰国する際に、備品整理を手伝ったので譲ってもらった、1970年代のLP社製のファイバー・コンガである。このコンガは、アフリカン・ルンバ用に低くチューニングするため、それに適した厚手の牛革を張ってある。もちろんフラットなものを自分で張ったのである。今ではフラットな牛革というものが入手しにくいようだが、アフリカン・ルンバを目指す人は、是非厚手のものを手に入れられる事をお奨めする。LP社製の既製のものは、ラテン音楽に最適化されているため、低くチューニングしても音が緩むだけで、なかなか太くならない。
フラットな皮を求めたら、まずは握力の強い作業員少なくとも一人と、パワー・ペンチかやっとこを人数分確保する。同時に本体のサイズに合った輪っかを手に入れておく。これはLP社のパーツにある。皮は、一昼夜以上、水に浸けて十分に柔らげる。におうので夏季はお奨め出来ないが、あまり寒い季節も作業がしにくい。ぶよぶよのとろとろになったら、水を拭いて本体にかぶせ、輪っかを嵌めるのであるが、皮が水を含んでパンパンに膨らんでいるから、嵌めるといって嵌るものではない。写真がないのでお見せ出来なくて残念だが、毛布をコンガにかぶせたような状態になる。皮越しに見た本体のエッジの輪郭が真ん中になるようにまずは乗せる。皮は水気が減ると次第に縮み、厚みも薄くなってくるから、水を絞るようにしながら、少しずつ少しずつ手繰ったり折ったりしながら、皮が出来るだけ均一に本体に巻きつくように引っ張りつつ、その上から輪っかを押し沈めて行くのである。その際、本体のエッジとの平行を維持しておかないと、均一なチューニングがしにくくなるし、見栄えがすこぶる悪い。二人いれば、対角線上に少しずつ引っ張り合いながら作業を進める事が出来るが、一人だと、一カ所引っ張れば対角線上は必ず跳ね上がるので、どうにも始末が悪い。ゆっくり時間をかけて、水を絞りながらやっていると、自然に皮が馴染んで薄くなり、なんとか本体に沿うようになってくる。
輪っかが5センチ程度沈んだら、その上からリムを同心円上に乗せる。しかるのちに、輪っかの下から皮の端を持ち上げて、リムの内側を通すのであるが、そんな事はまず出来ないので、水気を絞りつつ絞りつつ何度も輪っかのところで折り返していると、やがて次第にこなれてきて輪っかとリムのわずかな隙間を通るようになる。この「こなれてきて」というのが、天然の皮にとって大切な事であって、そうしているうちに、伸びるべきところは伸び、手繰ったり折ったりした皺も消えて、あるべき姿に沿ってくれるのである。なんとかして皮の端を全部出し終えたら、テンション・ボルトを均一にかける。そしてパワー・ペンチでリムから出た皮の端を渾身の力を込めて引っ張り、引っ張ってはテンション・ボルトを均一に締め、さらに皮の端を渾身の力を込めて引っ張り、引っ張ってはテンション・ボルトを均一に締め、さらに皮の端を渾身の力を込めて引っ張り、引っ張ってはテンション・ボルトを均一に締め、さらに皮の端を渾身の力を込めて引っ張り、引っ張ってはテンション・ボルトを均一に締め、さらに皮の端を渾身の力を込めて引っ張り、引っ張ってはテンション・ボルトを均一に締め上げるのである。この際、作業員は安定した台に乗ってやった方が、力のかかり具合が良い。わたくしどもは公園のベンチに乗ってやった。また、くれぐれもリムとエッジの平行を維持しつつ、均一に締めること。体力の限界まで絞り上げると、屈強な男が二人掛かりでも、2本で多分丸一日かかる。
締め上がったら、これを取りあえず放置するのであるが、体力を使い切って休むのであれば、濡れ雑巾を均一にかけておくと良い。というのは、乾燥するにつれて皮は収縮するから、長時間そのまま放置すると、皮が破れたり、最悪の場合本体が壊れる可能性がある。余力があれば、その夜は寝ずの番をし、皮の状態を観察する。天然の皮は均質ではないから、筋や脂肪の入り具合によって硬軟のムラがある。皮が乾燥しはじめると徐々にテンションが上がって行くから、よく注意してリムとエッジが平行になる程度に次第にテンション・ボルトを緩めて行く。「次第に」と書いたが、この調整は誠に微々たるものであって、乾燥した季節であればおそらく一晩程度、皮を叩いて音を確かめながら、自分の求める音色に仕上げて行くのである。加減は、湿気の多い日ではちょっと見当がつかない。この仕上げが緩すぎれば、高い音が欲しいのに大幅にチューニングを上げなければ鳴らなかったり、逆にキツすぎれば皮が思ったように緩まず、低音が伸びない結果と鳴る。こうして張った皮は、何年もの酷使に堪えるから、一晩くらい一緒にいて、ぽんぽん叩きながら念入りに調整すれば、自分だけの愛用品が出来上がる。
最後に、胴とリムと皮の、それぞれの同じ位置に目印を入れておくと良い。エッジやリムは必ずしも真円ではなく、皮も不均質で、その上馬鹿力がかかっているので、はじめにセットした位置で、三者が馴染んでいるからだ。清掃や部品交換のために皮を外した時は、この目印に合わせて組み立てるのである。ちなみにこのリム、最近では「コンフォート・リム」という、手に優しい丸みを帯びたものが主流になっているが、私の耳からすれば、この古い形のリムの方が、圧倒的に音の抜けが良い。

さて、このコンガには実に頑強なスタンドがついている。これは、互い違いに支え合う3本の支柱からなるスタンドで、それぞれが3本のボルトで位置と高さを調整出来る。しかも重量があって安定しており、演奏中にコンガが「歩き出す」事がない。ラテン音楽のコンガの叩き方は、「ヒール・アンド・トゥ」といって、掌の技が中心であるので、比較的コンガにかかる揺れは少ない。しかしアフリカン・ルンバの場合は、下腕全体で叩く事が多く、やわなスタンドでは持たないのである。同じLP社でも、今ではこれほど信頼出来るコンガ・スタンドを製造していないから、こんなものは鉄工所に設計図を持ち込んで、さっさと作ってもらうのが良い。高さは自分の身長に合わせてしまって、末広がりの三本の足を互い違いに支え合うように作ってもらえば、中途半端なスタンドにカネかけるよりも、よっぽど安くて良いものが出来上がる。

さてコンガに限らず、ジェンベのように掌の倍くらい直径のある太鼓を手で叩く場合、その「手」が出来ていないと、「音」が出て来ない。細かい技術は、それぞれの伝統やジャンルに立脚した要素であるからここでは於くとして、少なくとも上の手の形だけは体得してほしいと思う。「掌から完全に力が抜けているのに、掌がまるで板のように平らな状態」・・・これである。
パーカッション教室やワークショップへ行くと、コンガならコンガの、難しいパターンやら音楽用語はたくさん並ぶのだが、生徒に「手」を少しも指導しない光景をよく目にする。プロの人でも「手」の出来ていない人は非常に多い。「先生」に至ってはなおさらである。まあお教室というものは、生徒に継続的に金を使わせるのが商売だから、「手」を先に教えてしまったのでは、さっさと生徒が自立してしまって儲からん。しかし真実は教えるべきである。
上の写真を見てほしい。実は「叩く」といっても、皮を叩いてはいない。これは、コンガの奏法でいう「オープン」の形、すなわち最も単純に、ぽーんと音を鳴らす時の手の形であるが、掌の付け根はエッジに当たっている。手の力が完全に抜けていれば、慣性で掌は手首を支点にして皮を打って跳ね返るであろう。その際、手が十分に平らであれば十分な音量が得られるのである。皮を十分に鳴らすには、皮に手が触れているのは一瞬でなければならない。空手でいう「寸止め」が最も破壊力があるのと同じ事である。これが、「掌から完全に力が抜けているのに、掌がまるで板のように平らな状態」をいちはやく体得すべしという根拠である。
普通は、力を抜けば手はだらんとなり、平らにしようと思えば力が入る。初めは致し方がないが、そこが鍛錬である。「掌から完全に力が抜けているのに、掌がまるで板のように平らな状態」をイメージし、ひたすらそこに近づこうと努力する。技術や知識ではなく、こうありたいというイメージをしっかり持って練習する事が大切である。まずは叩いてみる。初心者は指先が先に皮に着くであろう。ポーンという澄んだ音ではなく、倍音が多く含まれている筈だ。この場合、指に力が入りすぎている。あるいは、指の皮がコンガの皮に当たる「ペタっ」という事が聞こえるかもしれない。この場合、手首に力が入りすぎている。修行はまだまだ足りぬ。何度も叩いているうちに、たまに「ポーン」と、よく抜けた音がする。それを大切にして、なるべくその音をイメージするのである。「手」は、一枚の板である。それが、まっすぐ皮の奥に突き抜けて行くかのように叩き込むのであるが、あくまで掌の付け根をエッジに当てるのみである。掌と手首の力が十分に抜けていれば、慣性で掌の板は皮を打ち、反動で瞬時に跳ね返る。この「手」さえ出来てしまえば、音色の叩き分けはすぐ出来る。それを耳で体得してしまえば、演奏を聞けば、タタントントントントンタントントタトタ「ああなるほど」・・・それだけのことである。お教室やワークショップなど不要である。これが音楽の本来の楽しみであって、パターンやら音楽用語なんか先に覚えたら邪魔。私はすぐにこういうことを言うもんやから、プロの人や「先生」にいやがられんねけどね。

さて、コンガはラテン音楽の楽器であるが、その元となる一例をアフリカのコンゴに求め、その演奏スタイルを紹介したいと思う。「conga」という用語はCongo (Kongo)の女性形である。しかし、これは現在の両コンゴをさしているのではなく、漠然と「母なるアフリカ」というほどの憧憬がこもった、ラテン・アメリカならではの呼び名である。コンガは、アフリカから渡った様々な筒長型の片面太鼓が洗練されて出来た形であって、アフリカの特定の太鼓がコンガの直接の原型になったわけではない。南米に渡った同形のアフリカの筒長型の片面太鼓の有名なものとしては、ブラジルの「アタバキ」があげられるだろう。
コンガは、コンゴにも逆輸入されて、今では伝統的な筒長型の片面太鼓の代わりに使われている。コンゴでのコンガの奏法は、キューバをはじめとするラテン音楽でのそれと大きく異なり、極めてシンプルである。これは、コンゴの伝統的な太鼓の奏法そのままでコンガを叩いているからであって、多くの場合それで十分だからである。上の写真を見てほしい。これは、キンシャサのとある教会でのミサの風景であるが、太鼓の奏者の手は、それぞれに近い太鼓に置かれている。師匠、ちょっと指先に気合い入りすぎてまっせ。
すなわち右利きの場合、右手は右側に置かれた低い音の太鼓を、左手は左側に置かれた高い音の太鼓を叩く。リズムの叩きはじめは普通は右手、つまり低音からスタートし、リズムの頭をトーン、トーン、トーン、トーンとオープンで叩く。左手は、主にクラーベのニュアンスで、高い方の太鼓をアクセント的に入れる。高い方を連続的に叩きたい時は、臨時に右手が左手を補助するが、すぐに所定の位置に戻る。左手で偶数拍にミュートを入れる事が多く、その時は掌の付け根で皮の中心を押さえ込んでしまい、その慣性で指が皮を打つ。つまりミュートは皮の奥でやるのである。キューバ音楽のコンガの基本的動作が、左手の高音側のヒール・アンド・トゥから始まり、低音の方はあくまでも補助的に使われ、連打する場合はダブル・ストロークやパラディドルにより、皮の手前でミュート音を出すのとは全く異なる。
このように、コンガの奏法は一通りではない。アフリカ中の同じような形をした楽器の種類だけ、またそれらが中南米に渡って出来た、コンガになる前の途上的な楽器の種類だけ、すなわち無数に演奏法はあると考えた方が良い。コンガはそれらを全て取り込んで洗練されてきたからこそ、現在のコンガ足りうるのであって、そんなことも知らん日本人の音楽教室の若造が、手の形も出来てへんくせにパターンやら音楽用語やら並べ立てて、俺に向かってあれこれと指図出来る筋合いのものではないのである。

ボンゴは楽しい楽器である。なんといっても股に挟めるほど小さいし、キンキンに張りつめた皮の、突き抜けるような高音が実にキモチヨイ。ボンゴは、よく通るこの高音が身上であって、皮を極限まで張りつめるため、高音側の皮の寿命は非常に短い。ボンゴ奏者は、まだ使わない皮を何枚破いたかを競うのが「粋」というものであって、新品を張っている最中に破ってしまった奴を複数知っている。しかしこの高音を十分に鳴らし切るには、そのテンションに堪える十分な耐久性を持った胴を選ぶ必要がある。写真のボンゴは、LP社のセカンド・ライン「Matador」というブランドのボンゴである。これを選んだ理由は安かったからに他ならないが、LP社の最も高級なボンゴが、あまりにも重たくて股に挟みきれなかったためでもある。音も重く、リムの厚ぼったいのも気に入らなかった。ボンゴは、江戸っ子のようにさっぱりしてて軽快であるべきだ。複数のボンゴ奏者の意見を総合すると、胴はMatador、皮はLPで揃えるのが良いという意見で一致した。近年、安さを売りにした粗悪なボンゴが多数売られているが、到底高音のテンションに堪えるとは思えない。女子供のお遊戯や置物程度ならいざ知らず、まず実用性はないと思った方が良い。

ボンゴは上のように構える。テンション・ボルトが足を圧迫して痛い場合には、ボルトを緩め切れば、胴と上下のリムはフリーになるので、回して足に収まりの良い位置に変えれば良い。正しいキューバ風の様式では、ボンゴ奏法の手順は非常に厳密に規定されているが、案ずる事はない。音さえ奇麗に出せるようになれば、あとはフィーリング次第で好きなように叩けば良い。なにより楽しい音色であるから、楽しげに演奏すること。そのためには、奏者が楽しくなければ意味はない。おもろかったらそんでエエんや。ブルラッカッカッカッカ、ポポポポ・・・どうしてもキューバ音楽をやりたければきちんと習いに行くべきであるが、音色を楽しむ程度であれば、下の「指」を身につけてしまえば、非常に広範囲な音楽に対応させる事が出来る。「指」の基本はきっちり、あとは楽しむ・・・これがボンゴ演奏の極意だと思う。

これが、ボンゴを叩く際の基本的な「指」である。私は、中指の第一関節より先で叩いている。ボンゴは、その鋭い高音を強調するために、高音側は一本の指で叩く事が望ましい。コンガの場合と同じように、指の第一関節と、その先の力が十分に抜けていれば、第一関節でエッジを叩いた場合に、指先は慣性で皮を打ち、反動で跳ね返る筈である・・・筈であるが、実はこれが大変に痛い。早く上達しようなどと考えない事である。楽しみながらぼちぼちやんなはれ、ヤリすぎて骨折した奴がなんぼでもおるから。

サンバを聴いていると、リズムを大きく二拍子で取って行った場合の、二拍目によく伸びる低音で、・・・・ドーン・・・・・ドーン・と低い太鼓の音が鳴っているのが聞こえるであろう。これはサンバに特長的な「スルドゥ」という大太鼓の音であるが、小編成で演奏する場合、好んで用いられるのが、この「へボロ (Rebolo)」という楽器である。もう少し胴の長いものに「タンタン」というものがあるが、使い方は同じ。多くの場合、この楽器にはプラスチック・ヘッドを極薄のゴムでカバーした「ナバ・ヘッド」というものが張ってあるが、私は本革の使用をお薦めする。へボロは、よく伸びる低音が身上である。「ナバ・ヘッド」は、全面を膜で覆うことによってヘッドが発する倍音を押さえ、その材質を極薄のゴムにすることによってサスティーンを妨げるのを最小限に抑えている。生かさず殺さずの発想で、誰が叩いても一定の低音は出せるが、それ以上どうする事も出来ない。その点、ヘボロ用の本革は極薄で、タッチに敏感に反応する。「手」が出来ていなければ、余計な倍音を除ききれずに中途半端な音色になるが、熟練すれば、「ナバ・ヘッド」などとは比べ物にならない切れ味と伸びを味わう事が出来る。

基本動作としては、大きくとらえた二拍子の一拍目はミュートである。これは、上の写真のように利き手の指を若干立てるようにして皮のほぼ中心を押さえつけ、詰まった低いミュート音を出す。他方の手は胴に添え、適宜空いた拍を埋めて行く。私はこの手にシェイカーを持ったりブラシを持ったりしていろいろ楽しんでいる。

オープンを叩く直前の構え

手首を中心に素早く回転させて、親指の第一関節で皮を叩く。叩く場所は、かなりエッジに寄った「スウィート・ポイント」である。エッジに寄り過ぎると倍音が多くなり、中心に寄り過ぎるとサスティーンが短くなる。また、皮を「叩く」のではなく、回転する親指がたまたま皮に当たったというのが望ましい。親指に力が入ってないのは勿論である。輪郭のはっきりした澄んだ長いオープン音を出すためには、この奏法が適している。掌をそのまままっすぐ皮に当てる人が多いが、その奏法だと、オープンとミュートが複雑に絡み合う、ブラジル音楽特有のリズム・パターンの叩き分けがやりにくくなる。本革では、手の状態やタッチの違いが音にはっきり出てしまうので、かわりに無難な「ナバ・ヘッド」が珍重されるのであろう。

ブラジル音楽の演奏については、私は現地の演奏を見ていないので、私のやっている事は見よう見まねである。私が良しとする叩き方と、専門家が良しとする叩き方とでは、いくぶん違いがあるように思われる。ただ私の考えとしては、ブラジル音楽であろうがなかろうが、澱みない心でもって音楽を聴き、素直な敬意と柔軟な感性でもってこれに対応するのであれば、全ての音楽は万人に開かれている筈である。専門家のご意見は、まずは敬意を払って受け止め、学ぶべきは素直に学ぶ。しかし、それを咀嚼した上でどのように行動するかは、専門家でもブラジル人でもなく、あくまで自分自身である。
しかしこういう態度というものは、なかなか日本では受け入れられないものであるが、日本以外の世間一般では当たり前である。その当たり前で対応した結果、どうしても自分の演奏が、ほかの合奏者たちに違和感を与えるというのであれば、残念ながらその人たちとは演奏できないと判断するまでの事。つまり本来は、どんな音楽でも、それを素材に、自分がどういう演奏表現をしたいか、という事が問題である筈なのだが、日本では、いかに本場らしく演奏するか、という事が問題なのであって、それに合意する人たちが集まってシーンを作っているのが現状である。従ってその暗黙の合意を踏み外した者に対しては、極めて排他的で非情な仕打ちが影に日向に課せられるのである。
またそのシーンの中にあってさえ、日本に於けるブラジル音楽愛好家達の間には、実に様々な意見の対立や派閥争いがあるのが実情であって、同胞で凝り固まり、異なる考え方を排除しがちであり、互いの違いを認め合って楽しむという心意気に乏しく、他所の音楽をやって来た者が入りにくい空気を強烈に漂わせている。これは、どのような音を出せば「ブラジル音楽らしく」聞こえるかというところに主な価値があり、そこに論争がある事の現れであって、当のブラジル音楽にとって大変残念な事である。何故ならブラジル音楽こそ、アフリカやインカやヨーロッパやアジアなど、実に様々な音楽要素を柔軟に取り入れて来た、世界的なフュージョン・ミュージックだと思うからである。しかも、演奏するのは、専門家でもブラジル人でもなく、ブラジル音楽を聴いて楽しいと思った日本人である。
であればこそ我々のすべき演奏は、いかに自分が楽しいかを表現する事であって、いかにブラジル人のように演奏するかではない。楽しみには人それぞれに違いがあって、多様性を含んでいるからこそ楽しみが増幅される、その結果世界は安定するのであって、音楽は常に新鮮な要素を取り込んで、持続可能になるのである。専門家がこう言うからとか、ブラジル人がそう演奏していたからとかいう理由で、我々がそう演奏しなければならない筋合いや、違った演奏の仕方を非難する権利など、どこにもない。全てを取り込んで、その先にあるべき境地を目指すのである。・・・まあすぐにこういうことを言うもんやから、プロの人や「先生」にいやがられんねんけどね。すぐに言うたらいかんよね・・・

インドネシア製のイミテーションのジェンベに見えるであろう。実はその通りである。しかしこれはただのイミテーションではない。コンゴの中南部にカサイという州があって、その地方の伝統音楽に「ムトゥアシ」というものがある。その音楽に特長的なパーカッションとして、ビール瓶の次に上げられるのが「ディトゥンバ」という、いわゆるビビり太鼓である。
コンゴの「Konono No.1」というグループが、電気仕掛けで音をビビらせた親指ピアノで一儲けしたのは記憶に新しいが、そのシリーズの第2弾として発売された「Congotronics 2」というアルバムを聴けば、この地方の音楽、いろんな仕掛けでシビレル楽器の演奏がたくさん収録されていて、その辺りの詳しい事は、サイト内の別項「現代に生きるコンゴのフォルクロール」に詳しいからここでは於くとして、かねてからその方面の伝統音楽に甚くシビレていた私は、1991年の2度目のザイール(当時)渡航でその現場を求めてカサイを目指し、命と引き換えに虫のわいたディトゥンバをもらって帰って来たのであるが、その経緯はサイト内の旅行記『ザイール・ヤ・バココ』に詳しいからここでは於くとして、そいつが1995年の阪神淡路大震災で異境の大地に木を埋めてしまったので、その音が忘れられずに作ったのがこれである。
ディトゥンバは、西アフリカで「djembe」と呼ばれるゴブレット型の片面太鼓の一種である。この形の太鼓は、下に挙げる「darabuque」のある西アジアが発祥と考えられていて、広くヨーロッパやアジアに分布しており、皮の響きを胴に伝え、その共鳴音との使い分けでリズムを出す太鼓である。ディトゥンバの特長は、胴体に開けられた穴に張られた薄い膜が、低い胴鳴りの音に合わせて甚くシビレることにある。古くは薄いクモの巣が用いられた。これはマリンバやバラフォンなど、ほかのアフリカのシビレる楽器と同じ原理による。現在ではビニール袋が多く使われており、なかにはペット・ボトルの首の部分をラッパに見立てて拡声したものもある。

あまり高価なジェンベの土手っ腹に風穴開けて失敗したんでは泣いても泣ききれんので、インドネシアの業者の方には失礼とは思ったが、私の経済事情に鑑みて安価なこのジェンベを、とある大型複合商業施設のエスニック雑貨店で購入したのである。皮が汚れていたし、ジェンベにしては皮がたるんでいたので、その分値切ったのは言うまでもない。ディトゥンバは、低音の伸びる音にビビり音を加える訳であるから、全体のチューニングを、様子を見ながら落としていく。皮に濡れ雑巾をかぶせては紐を締め、濡れ雑巾をかぶせては紐を締めて、皮を緩ませる。やり方は、2本並んだ紐に短い棒を突っ込んで、全ての紐を同じ回数だけ回してゆく。乾いてからこれを外すと、皮は緩んでいる。
開ける穴は直径3センチ程度、上の写真のような位置である。これを膜で密封する。空気が漏れると胴鳴りが起きないから、注意深く密閉するのである。やり方としては、私は、スポンジ入りの両面粘着シートをドーナッツ状に切って穴を囲っている。これはホーム・センターでパネルなどを貼る用に売られているものである。そこへスーパーのレジ袋で良いから、上のように切って、隙間なく貼る。レジ袋はシャラシャラに薄すぎてもボリュームが出ないが、バシャバシャに厚すぎてもサスティーンが良くない。中庸のチャラチャラした奴が良かろう。まあいろいろ試してみられる事である。貼る時はなるべくピンと張って、叩きながら真ん中を指で押して、少しずつ緩ませる。そうするとバゥゥゥン、バゥゥゥゥンと、面白く鳴る頃合いがあるから、それを捜すのである。
演奏の仕方としては、ジェンベで胴鳴りの低音を出す時のように、掌全体を使って、皮の真ん中を、どーん、どーん、とやれば、サスティーンの良くきいた印象的なビビり音にシビレる。次に、少し手を丸めて、皮の真ん中を抑えるようにミュートすれば、スネアドラムのようなタイトなビビり音に、これまたシビレるのである。倍音を期待して、スウィート・スポットをいくら責めても反応しない。ブルラカカッ、ブルラカカッ、バゥバゥババゥバゥゥゥゥン・・・

これは、キンシャサの路傍のバーでのスナップである。カサイの伝統音楽「ムトゥアシ」を演奏するNsanga Lubanguというおっさんのバック陣である。写真手前の太鼓が「ディトゥンバ」。皮には小麦粉をロウで解いたものを丸めていぶした奴を真ん中から貼ってゆき、チューニングすると同時に倍音を抑えて行く。振動するものの中央に重みをかけて行けば周波数が下がり、その範囲を広げれば倍音が減るということを、彼等は経験的に知っているのである。おっさんの手を見よ。これぞまさに、「掌から完全に力が抜けているのに、掌がまるで板のように平らかな状態」である。お顔の表情からしても、身体や頭脳からも完全に力が抜けて、実に平らかな状態で演奏に臨まれているのがよくわかる。一番後ろのにいちゃんなんか、完全に目ぇイッてまんな。
ブルラカカッ、ブルラカカッ、バゥバゥババゥバゥゥゥゥンて、もちろんムトゥアシで演奏するのが一番合うてますねんけどな、親指ピアノやマリンバを使った、アフリカの伝統音楽には割と馴染みやすい。形としてはジェンベの仲間やから、ジェンベのアンサンブルのひとつにくわえてみても良いのではないかと思う。何人もの人間が同じ楽器を、同じように、同じトーンで、同じタイミングで、アホみたいにパカパカパカパカやってても面白くなかろう。ひとつぐらいちゃう音でジェンベの音をかいくぐって行ったら、音の広がりが出てさぞかし面白かろうに・・・またすぐにこういうことを言うもんやから、プロの人や「先生」にいやがられんねんけどね。すぐに言うたらいかんよね・・・

ジェンベの紐をほどいてみて構造がわかったので、近所の古道具屋に埃にまみれて転がっていた太鼓を修理してみた。東南アジアのものだそうだ。左がもとついてた古い皮、新しい皮は大阪のわが敬愛するジェンベ・マスターより端材をいただいた。皮をセットする要領はコンガと同じだが、紐の使い方は結構難しかった。やってみて、ジェンベの皮をあんなに強く張る事、しかも均一な状態をただの一本の紐でコントロールする事の難しさに、目を見張りました。脱帽。

ギリシャやアラブ世界に多い「darabuque」である。甲高い高音と胴鳴りの低音のコントラストが魅力で、呼び名は、ダラブク・ダラブケ・ダラブカ・タラブッカなどいいろ。右手のものは紐締めでチューニング出来ないが、左に寝ているものは、プラスチック・ヘッドで六角レンチでチューニングする。構え方はいろいろあって、座って脇に構える、座って横に構える、立っても座っても肩に担ぐ、と三種類ほど見た事がある。北アフリカでは、皮の表面に細い紐を渡してわずかに音をビビらせる事がある。皮は張りつめるのが普通である。中央を大きく叩けば、皮の振動が胴に伝わって低いサスティーンが得られ、スウィート・スポットから外側を叩けば、鋭い高音が得られる。その使い分けによって、西アジアからバルカン、アラブ世界特有の複雑な変則リズムを出す。

コンゴでは、太鼓の事をリンガラ語で「mbunda」と総称している。皮を叩いたときのオープンを「ンブン」、ミュート音を「ダッ」と音写した事からこの名がある。これはそのうちの、かなり伝統的なスタイルのゴブレット型の片面太鼓である。もちろん、現代のコンガの元になったような、筒長型の「mbunda」もある。皮は下のように固定されているので、火にくべて皮を収縮させてチューニングする。特に音色が豊かな訳ではなく、djembeやdarabuqueほど演奏に技術を要求されない。ほぼ、オープンとクラッシュのみでリズムを出すのである。ただ、彼等の「手」からたたき出される音は、独特のニュアンスを持っていて、ミュートがクラッシュに近いほど破壊的な音がする。

かつて「Bana Kin」という、コンゴのパーカッション・グループを日本に喚んだ事がある。彼等は、コンゴの筒長型の「mbunda」を13本と、その他様々な楽器を持って来た。それらを使って、実にメロディアスな音色を出すのであるが、下の写真のように、皮は釘付けにされている。チューニングは、電気ストーブに当てる時間で調整したのである。場内の熱気や湿気で皮が緩んで来たら、順次メンバーが抜けて、一本ずつ交代でストーブに当てに行く。その間、演奏が止まる事はなかった。

ウガンダの「ngalabi」という大トカゲの皮を張った細長い太鼓である。ジェンベに近いが、より瑞々しく輪郭のはっきりした、伸びのある音がする。楽器としての品質もさることながら、この端正な美は、芸術的でさえある。チョコレート色の胴体に絡み付く白いバック・スキンは、カモシカのような彼等の足を思わせる。

大トカゲの皮

ウガンダの「ngoma」。「ngoma」という言葉は、スワヒリ語で「太鼓」一般をさし、バントゥー系の諸民族に、同じ名前を持つ太鼓があるが、形はさまざまである。この太鼓は、下半分を毛皮で覆われ、実に細かい工作で打面と数多くの紐で結ばれている。ウガンダという国には行った事はないが、日本にいるウガンダ人や美術工芸品などから判断して、非常に丁寧で勤勉で、センスのよい、芸術を愛好する人たちであると思われる。

紀元前数千年から資料に現れるフレーム・ドラムの一種で、古くから世界中に広がり、しかもほとんど形を変えなかった珍しい楽器である。左のものは、人からもらったのでどこの何という名前の楽器かはわからない。モザイク状の装飾があり、非常に薄いおそらく羊皮が張ってある。枠にピンでとめてあるので、チューニングは出来ない。皮が薄いため、晴れの日か乾燥した季節でないと、日本では使い物にならない。周囲に取り付けられたジングルは非常にルーズであり、タイトなリズムを打ち出すというより、タンバリン本来の賑やかさを演出するのに向いている。主に縦に構えて皮の横っ面を払うように演奏すると良い音がする。
右二つは、ブラジルのパンデイロである。特長としては、チューニングが出来る事と、ジングルがタイトにつけられており、タンバリンとは違って凹面同士を向かい合わせにしてあることである。片手でこれを持ち、片手を実に器用に動かして、サンバ独特の早いリズムを打ち出すのは到底至難の技であり、私にはこれを演奏する事は出来ない。真ん中のものは、なんとかこれを克服しようとして、持ちやすく軽くなるように加工したものであるが、素人による安易な加工は、あとで後悔する事になる。オープン・トーンは、上の「Rebolo」の奏法と同じである。ミュートするのが一般的とされているが、私は本革に粘着テープでミュートを施すという事は好まない。せっかくの味わい深い「音」を殺してしまう事になるからである。どうしてもやるなら、放射線状ではなく、同心円上に施すべきである。そんな事をしなくても、「音」は十分コントロール出来るのだが、サンバ特有のあの「手順」は、私にはちょっとどうも・・・

「udu pot」は、もともとナイジェリアで穴の開いた壷を叩いていたら良い音がした事から広がった楽器で、決まった形というものはない。これも現代風にアレンジされたもの。穴全体を塞ぐように叩くと、圧縮された空気の振動によって低い胴鳴りが伸びる。一方の穴を開けたり塞いだり、手を近づけたり遠ざけたりしながら他方の穴を叩く事により、さまざまな音程が出る。壷の表面を叩く事により甲高い音がする。

であれば、紅茶の缶や花瓶でも良かろう。

アフリカ各地に分布する親指ピアノである。鉄や竹などで出来たリードの一方をフリーな状態で固定し、その部分を親指ではじく事によって音を出す。これを複数並べ、フリーな状態の部分の長さを調節する事により調律する。音を増幅するために共鳴箱の上に設置したり箱のなかで演奏したり、最近では電気的に増幅する事がある。多くの場合、リードや本体にビビり音をつけるための金属片などがついており、最近ではこれを電気的にひずませたりする。日本で容易に手に入るものは、エスニック雑貨店で売られている、上の箱形のものである。これらは価格も安く音も安定しており、調律も容易であって、大々的に推薦しうるところのものである。Mbila、Limba、Sanza、Likembeなど、いろんな名前がある。