ブータンの音楽


心癒される純朴な歌と踊り



 気を取り直して音楽を聴きに行く。精確にいえば昨日と今日、関西に来ているブータン伝統芸能団「Phuntsho Drayang」の公演を見に行ったのである。本来ならば、日本のチベット文書研究の第一人者にも譬えられんという私の連れ合いも同行するはずだったのであるが、なんと行き違いにブータンへ行ってしまったので、一人寂しく見に行った。ブータンは面白そうな国である。つい近年まで鎖国していたのだから、今が日本でいうと「文明開化」のとき、しかし「近代化はするが西欧化はしない」、GNP「国民総生産」ならぬGNH「国民総幸福」を目指すことを憲法にまで明記し、先代の王はその治世の絶頂期にあって敢えて息子に王位を譲り、国は立憲君主制に移行した・・・等々、100年に一度の不況に喘ぐ世界にあって孤高の道を行く国である。国民の全てが仏教、しかもチベット密教系の独特の教義を信じており、生活の隅々にまで信仰が生きている秩序だった生活をしている・・・という。いや、いまの日本人が「江戸時代が理想」だったと懐かしむその姿形が、そこに生きているということなのかも知れぬ。ヒマラヤ山脈に近いこの地域・・・つまりネパール・シッキム・ブータンは、チベットやビルマとの関わりが深い、というか、本来チベットの一部だったようである。従って、音楽もチベット仏教音楽に近い。むかし、中学か高校の頃、「世界の民族音楽」のエア・チェックに嵌っていた私は、あるときチベットの音楽に触れた。どんな音楽かと友人に訊かれて、「ぼぼぉぉん、ががぁぁぁん」と表現したところ大受けした。その「ぼぼぉぉん、ががぁぁぁん」を目の前で聞いた。ブータンの人の顔つきは、非常に日本人に似ている。美白や茶髪とは無縁、スレたところの微塵も感じられない若者の純朴なその「目」は、まっすぐにこちらを見る。真っ直ぐに音楽に、歌に、舞踊に向かい、真っ直ぐにお客様への敬意としてお届けされる。控えめな態度、はにかむ仕草の薄ら寒さは、今の日本の若者から絶滅してしまった風情である。例によって、観客には日本の若者は居ない。日本の民謡に酷似した素朴な歌と、盆踊りに酷似した所作の輪踊りの中に、招かれて駆け込んで行った日本のおばちゃんたちは、もうただただ嬉しくて嬉しくて、純朴な目をした青年に手を取られるのが嬉しくて、彼等の所作とはおかまいなしに、ひたすらタコ踊りを繰り広げる。なかには阿波踊りをするのもいる。しかし、それを見ていかにもおかしそうに手を口元に添えて笑うブータンの少女たちの、内から輝くばかりの美しさは、子どもの頃にすっかり忘れてしまった近所のお姉ちゃんの笑顔を思い出させる。そこには、言葉の違いとか、国際交流なんて、こともなく乗り越える関西のおばちゃんの、彼女ら流の草の根文化交流の姿が、そのままにあった。観客のおばちゃんたちは、輪踊りを踊ったのと全く同じ無邪気さで、終演後にしつらえられていた「ブータン観光物産展」の織物に殺到し、それこそ荒神さんの縁日のらくだの下着の安売りで繰り広げられる凄まじい格闘でもって、その売場をまたたくまに空っぽにしたのである。その一部始終を目の当たりにした私は、その場に自分をどう置いたら良いものかもわからぬ居心地の悪さで、あんぐりと口を開けたまま傍観するよりほかになかった。かろうじて手に入れたものは、下記のリンクであった。灯台下暗し・・・

 http://www.geocities.jp/bh_kurakuen/

 さて、それはそうと、上の写真は「dranyen」という、ブータンの撥弦楽器である。全体の長さは、写っている分の倍ほどあって、その先端には竜を象った糸倉がある。サズーに似た雫型の木製の胴体、表面も薄い木の板である。全体としては7絃であるが、特徴的なのは、そのうちの1絃が棹の途中から他の6絃の間に割り込んで来る構造である。写真に写っている緑色の糸巻きがそれで、ちょうど棹の全長の半分に位置しており、そこに巻かれた絃は、低い音つまり右利きに構えて上から2本目と3本目の間に姿を現すのである。棹を良く見ると、緑の糸巻きのあたりに、白い四角が見えるであろう。それに穴があいていて、そこから第7の絃が出てくる。勿論途中から出るから上のコマは立てられないので絃高は他の6本より極端に低い。しかし、ちょうど下のコマのちょっと上のあたりで、その下に挟んであるような短い棒で弦をはじくように弾くので、弾く時は7絃になる。調律は、途中から来る絃以外の6本は2本ずつの組で、「ド」・「ソ」・「レ」、つまり三味線でいうと「三上がり」になるが、一番低い絃が「ド」のオクターブ下になる。そして途中から来る絃は「ソ」のオクターブ上に合わせる。弾く時は、ほとんど腕を動かすことなく、ネックのあたりで間に合うようだ。従って、この特徴的な第7の絃は、インドや西アジア、さらにはヨーロッパのリュートと同じ位置に糸巻きがありながら、これらが弾かれることがないのとは対称的に、他の現に割り込む形で常に同じ音程で弾かれるという特異性を持っている。しかし、これを途中で押さえることは出来ないので常に同じ音を出していることから、半分は共鳴絃的な役割ともいえる、極めて特異な構造を持つ楽器といえるだろう。最近ちょっとおクラシックに馴染んどりざあますからねえ、こんなことにも目ぇがいきよりまんねん(`へ'っ)

Posted: 日 - 3月 15, 2009 at 11:41 午後          


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