月 - 12月 28, 2009

Ortiz Consort 忘年会




 日本の古楽演奏の最前線、奈良に拠点を置く「Ortiz Consort」のメンバー全員が揃う事がなかなか難しいのであるが、今夜はその忘年会。ただ一度参加させて頂いただけにも関わらず、こうして親しく呼んで頂けるというのは、まさに光栄の至りであって、私のようなどこの馬の骨ともわからん輩を暖かく迎え入れ、ともに楽しく音楽を奏でて過ごして下さるという事は、皆様まことに実直で心の広い・・・もおええて・・・とにかく、日本に広く名を知られるクラシック音楽の演奏家の方々が、このように沖縄料理をつつきながら、三線に合わせてViola da Gambaで即興演奏、むこうでは師匠である坂本氏が、これまた珍しや、捜して捜して漸く手に入れたという沖縄胡弓の試し弾き。私も「なんか持ってこい」と言われてたんで、ぽろぽろのDafをもてこれに乱入、沖縄とも、ルネサンス時代のヨーロッパとも、中東ともつかぬ不思議な音の重なりも、いつしかこなれて摩訶不思議な音世界・・・そして踊りだすクラシックの演奏家たち・・・いやあ、こういうものを見られる、というかその末席に連ならせて頂けるという事自体、誠に光栄至極・・・などと感慨に耽っとったら「ええやんかええやんか」の声に、ワレも忘れて泡盛の深酒・・・ううむ、今年はいろいろと幸せな一年であった事よのう・・・

 Ortiz Consort・・・http://www4.kcn.ne.jp/~ortiz/ortizprofile.html

 ああ失礼失礼、この沖縄料理店の事も特筆に値する。料理がうまい !! マスターの人柄がええ !! 歌と目と声が優しい !! 寺田町の夜・・・なんてクラシックに似つかわしくないシチュエーションなんやろ・・・と思てる自分が、実は先入観の固まりだったりして・・・

 沖縄料理「清ら島」・・・http://www.nomo-2.com/churashima/

Posted at 12:51 午前     Read More  

日 - 12月 27, 2009

手作りパイプ・オルガンお披露目会


 Forro Oceloteというバンドでアコーディオンを弾いている小野田君という人がパイプ・オルガンを自宅に作っているらしいという事は風の噂に聞いていた・・・「予定より遅くなってしまいましたがようやく完成の目処がたってきましたので『オルガン披露会』を開催します。・・・是非お越しいただきたいのですが、ご都合をお聞かせください。」ふんふん・・・えっ??・・・パイプ・オルガンが完成ぃ ?? ほんまかいな、また金魚をクジラほどに言うやつの大袈裟な話やと思うてた。でも、小野田君は実直で心の広い人物である。どのくらい実直で心の広い人物であるかというと、ピリピリの、あのやりにくい2枚目のアルバムに2曲もアコーディオンを入れた !! ばかりか、そのうちの1曲は、明らかにピリピリがリズムの取り方を間違えてギターを弾いているにも関わらず、なんとその間違いを活かして実に見事な伴奏を入れた・・・それほどに実直で心の広い人物なのである。その実直で心の広い人物である彼が大袈裟な法螺話でひとを誘う事などあり得ない・・・すると、ついに自宅の壁をぶち抜き、二階の床をたたき落として荘厳なカテドラルでも建造したか、そこまでいかずとも吹き抜けの玄関に礼拝所でも建てたか・・・なにしろ全然想像もつかなかったのである。「いや、木製1列パイプの簡単なものです。リードオルガンの上にパイプが並んでいる姿をご想像ください。」やて、それがまた全然想像出来んのや・・・




 じゃーん、いやあかわいらしい、なんともかわいらしい・・・しかし緻密な・・・まことに根気のいる仕事であったろうことが想像出来る。とても私に真似の出来ない、というか、私の最も苦手とするところである。小野田君は木工の達人であって、2階に見事な工房がある。工作機械や工具が多種取り揃えられていることはいうにおよばず、それらがいつでも使用出来るように工房内が見事に整理整頓されている。とても私に真似の出来ない、というか、私の最も苦手とするところである。このパイプ・オルガン、どうなっているのかというと、足踏み式のふいごがあって、足下にふたつのペダルを交互に踏むと、鍵盤の下にあるふいごに空気が供給される。ちょうどアコーディオンのような蛇腹になっていて、空気が入って行くとどんどん持ち上がる。ふいごの上部は重しになっていて、ふいごの出口は鍵盤の下の空間に繋がっており、鍵盤のキーを押すと、それに接続されたパイプに空気が入るようになっていて、それで音が鳴る。いわば雅楽で使う「笙」のような原理である。しかし、それが59鍵 (だったっけ??) の鍵盤にひとつずつあり、それぞれに厳密に規定された音程を発するパイプがついているのだから、その忍耐たるや、まったくとても私に真似の出来ない、というか、私の最も苦手とするところである。
 さてこの日は、実は私のところで味噌・キムチ用薬念醤・干し芋作りをして一年納めのFarminhosにする予定だったのだが、こんなお誘いを受けたのでイベントごと出張したのである。小野田君としては、万事整えたあとで客を迎えたかったのであろうが、いきなり私のようながさつものが強引にイベントを出張させると言ったものだから、断るに断りきれなかったのではなかろうか、それでもいやな顔ひとつせずに面白がってくれるところがまた、彼の実直で心の広い人物たる所以である。


 (写真は小野田氏)

 小野田邸のキッチンがまた実に素晴らしく、まるで使った事もないかのように全てがピカピカなのである。とても私に真似の出来ない、というか、私の最も苦手とするところである。ご覧のテーブルやカウンター、その他家具調度はおそらく全て小野田君の手によるものと思われ、工作精度、細部の仕上げなどホレボレするほどのできばえである。とても私に真似の出来ない、というか、私の最も苦手とするところである。そんなところへがさつで埃だらけの、あろう事か土塊さえ目にとまるような、私んとこの調理道具などを持ち込み、先ずは味噌作りからと大豆を煮ては吹きこぼし、写真のごとくキムチ用薬念醤をミキサーにかけてはそこらを汚し、ほんの数十分で小野田キッチンに生活臭をなすり付けたのであった・・・が、さすが実直で心の広い人物、ささっと手早くそこらを掃除し拭き浄め、直後にはまるで使った事もないかのように全てがピカピカな状態に戻ったのである。とても私に真似の出来ない、というか、私の最も苦手とするところであることよのう。


 (写真は小野田氏)

 さてこの日の小野田邸のメイン・イベントは、実はForro Oceloteの忘年会であった。ちょうどこの日はChove Chuvaの納めのライブと忘年会、さらにリオから帰国した熊本尚美氏が天満でライブをしているというよるである。そんなひにここでこうしていて良いのであろうか・・・まあ楽しいからええやん。
 そのForro Oceloteのサイト・・・http://blog.livedoor.jp/ocelote


 (写真は小野田氏)

Posted at 12:40 午前     Read More  

土 - 12月 26, 2009

ウタサエアレバイキテイケル


Dos Sones de Corazones大阪ツアーの本文が、原因不明の理由により表示されませんので、このツアーについてお知りになりたい方は、 までメールでご連絡ください。ただし勝手ながら、対応は1/20 (水) までとさせていただきます。

2010/01/15(金) @ SUNHALL (アメリカ村06-6213-2954) http://www.sunhall.com/
カオリーニョ藤原presents『ウタサエアレバイキテイケル』HOST : カオリーニョ藤原 GUEST : マルタニカズ/キング堀内/
Yuumi/松原里佳/岩本ミチ代 19:00開場 / 19:30開演 前売 ¥2000/当日 ¥2500(1drink¥500別)

Posted at 11:41 午後     Read More  

Dos Sones de Corazones大阪ツアー



Posted at 11:33 午後     Read More  

冬野菜加工




 ジャガイモはなくなった。カボチャと冬瓜も残り少なくなって来た。冬瓜・・・文字通り確かに冬まで保った。



 こぼれタネか、軒下のコンクリートの脇から発芽した大根。もう10年以上前の事、たしか相生市内の住宅地で、歩道のアスファルトを突き破って実った大根が「ド根性大根」として話題になった事がある。ちょうどその噂が広まる前、その現場は国道2号から相生市街地へショート・カット出来るルートに当たっていたため、頻繁に底を仕事で往復していた私はある日ちょっとした人だかりを見た。野次馬根性だけは幼少の頃より旺盛であって、すぐに適当に車を止めてその現物を見た。この大根とは比べ物にならない、もう一踏ん張りで売り物にもなりそうな立派な大根が、確かにアスファルトを突き破って青首を20センチ近く突き出している。脇には「温かく見守ってやって下さい」と小さな看板が添えてあった。どうせすぐにうれしがりが引っこ抜きにくるだろうと思っていたら、案の定話題になった数日後の新聞の片隅に「こころないもの」を非難する記事が載った。



 秋に試し植えしてみたジャガイモ。しかし結果はご覧の通り、秋ジャガの栽培は甘くない。



 ここ数日の強い冷え込みのせいか、ソラマメの様子がおかしい。葉が黒ずんで茎に元気がない。原因を調べるが、早速試験的に半分の苗には不織布のトンネルを施した。



 取り残しのレタス類から分蘖した株。千切って千切って食べて行けば、延々と穫り続けられる。



 とはいうものの、ええかげん畑のやりくりに支障を来すようになったので、一部は撤去して大量のグリーン・カレーになって頂いた。



 先日作ったチキン・カレーを解凍して二種類のカレー、付け合わせに久しぶりのレタス・サラダ。

Posted at 10:02 午後     Read More  

木 - 12月 24, 2009

なんの予定もないクリスマス・イブ




 巷はクリスマス・イぶということらしいが、私はすっかり出不精になってしもて、特にナニするアテといってないから、ひたすら保存食作りに精を出しておる。すると国産みの尊も、NPOのイベントで薫製作りを企画したのは良いが、やはりクリスマス・イブで子どもたちが色気づいて集まらんらしく、独りで庭木の剪定などをしながら薫製を作っておられた。私の方は、昼間ッから酒を飲みながら相変わらずせっせとキムチを漬け込んでいる。昨日Novos Naniwanosのケンイチ氏から、Skah Shahの幻のアルバムをCDにやいてもろたんで、それを大音響で聞き倒しながらいい気分に包丁を使っていたら、彼等のごく初期の名曲の別バージョンがかかった。若い頃にハマり込んだ彼等の音なら全部身に付いてしもてて、ちょうど大根を千切りにしとったんやが、その曲のキメがたまらんカッコ良すぎて包丁一本ぢゃ足らんから二本持って、まな板の上でタカタカタカタカとキメを入れたら全部ドンピシャに合うとった。いやあ幸せ幸せ。



 平和で静かなイブであった事よ。


Posted at 11:02 午後     Read More  

火 - 12月 22, 2009

今日は、休み !!




 ジャガイモが終わりかけて来たんで、最後に冬野菜のチキンカレーをしてみる。夏野菜を整理したときに出たピーマンやシシトウも全部入れた。大根と人参もたっぷり。



 うっかりメシ炊くん忘れとったんで、裏の保多木から椎茸摘んで来てジェノバ風スパゲッティとカボチャのポタージュ。寒い時はこれがまた美味いんや。



 冬の魚といえば、やっぱり鰤でしょ。豆蔵に揚げ出し豆腐を入れたすまし汁、大根のあっさり煮、大根の葉のおひたし。


Posted at 10:50 午後     Read More  

日 - 12月 20, 2009

味噌作り・干し芋作り・キムチ薬念醤作り




 丹波の黒豆も、ええ具合に干し上がって来た。ここのところ天候不順で、さらに夜霧朝霧も多く湿度の高い冬の日々であった。こういう冬は百姓泣かせである。まず干して保存すべきものにカビが生える。秋のうちに鋤かなかった田んぼは、いつまでも水を含んで天地返しも出来ない。



 鶴の子大豆と早稲の黒枝豆を使って味噌作り。レシピは、乾燥大豆 : 乾燥麹 : 塩 = 1 : 1 : 0.5。大豆は前夜より三倍以上の容積の水に浸けてふやかし、翌日大鍋で煮る。煮汁を利用するので、あまり水が多いと旨味が少なくなるが、逆に水が少なすぎると十分に柔らかく煮えない。私は大豆の容積の2倍の水で煮ている。指で潰れる程度になったら大豆をザルに取り、煮汁は鍋に残す。分量の塩とよくほぐした乾燥麹を、別のボウルでまんべんなく混ぜ、煮汁の温度が人肌くらいに下がったら、少しずつそれに加える。注意すべきは、麹菌を殺さぬように、充分に温度を下げる事である。麹菌は35〜36゜Cくらいが最も良く、60゜Cを超えると死滅すると言われている。煮汁はしばらくすると乾燥麹に吸い込まれるので、徐々に煮汁を入れて乾燥麹が柔らかくふやける程度にする。指で潰れる程度になったら、煮上がった大豆とまんべんなく混ぜてしばらく置く。しゃもじでつついてネチャネチャする程度が良い。煮汁を入れ過ぎると傷みやすいので、硬いくらいにしておく。実際に使う煮汁は微々たる量である。残りは「豆蔵」にしたり、ご飯に炊き込んだりお澄ましやみそ汁の水替わりに使うと、これなかなかよい出汁になる。なじんだら上のようなミンサーにかける。壷に入れて、味噌に密着するようにラップをかけ、冷暗所で保存して、一ヶ月ごとに天地返しをすると、三ヶ月目位から食べられる。



 干し芋を作る。品種は「タマユタカ」で、粘り気が多く、通常の調理法では甘みが少ない。これを皮のまま蒸す。私の経験上、上のような大きさのもので3時間半程度、4時間以上蒸すと、柔らかくなりすぎて取り出す事さえ難しくなる。包丁の先で皮に切れ目を入れると、そこから綺麗にはがれる。



 上のようなゆで卵カッターのでかい奴を自作して、蒸し上がった芋を上から押し付けてスライスし、それをザルに並べて干物カゴで干すのである。産地の茨城県などでは、冷たい空っ風のおかげで10日ほどで干し上がるそうなのだが、夜霧朝霧の多いここらでは、2週間程度で上手く干し上がるものもあればボロボロのものあり、中にはカビてしまうものもある。



 キムチ用の薬念醤を作る。餅米を少量量っておいて、これと同量の乾燥米麹を用意する。餅米の5杯の水で濃いめの粥を作り、粗熱が除れたら予め量っておいた麹と混ぜてミキサーにかける。ここでも注意すべきは、麹菌を殺さぬように、充分に温度を下げる事である。麹菌は35〜36゜Cくらいが最も良く、60゜Cを超えると死滅すると言われている。滑らかな糊状になったらボウルに開けて、先ずは旨味材料を練り込んで行く。私は、かつをぶしのこれ以上削れなくなった奴を細かく折ってふやかして刻んでおいて、餅米とともに煮てしまう。また、アミエビやイカの塩辛、北海道の連れが送ってくれた珍味の残り、柿の熟れすぎたものや柚子の皮、ショウガとニンニクのおろし、鰯を一ヶ月くらい塩漬けにしたものをミキサーでペースト状にした奴・・・まあときによっていろいろである。それらを混ぜ込んだら、先ずは粗く敷いた乾燥唐辛子を混ぜてゆく。これはもちろん韓国産のものが適度に甘みがあって良いが、日本・中国・ブータン・ウズベク・インド・スリランカ・タンザニア・コンゴ・カメルーン・ベネズエラ・ブラジルなど、どんな国の唐辛子でも、やってみると面白い。この段階で再度ミキサーにかけても良いと思う。十分に混ざったら、韓国産の極細粉末唐辛子を混ぜ込み、練り上げてゆく。耳たぶよりも堅い粘土ほどの固さになるまで、丹念に少しずつ粉末唐辛子を加えて練り込んでゆく。もうええやろというところまで練り上がったらポリ袋で密封して、さらにシール容器に入れ、冷蔵保存する。ひと月ごとに取り出して全体を良く混ぜる。その際、白いカビが出ていたら混ぜ込んでも問題ない。ただし青や緑や黒いカビが出たら、なるべく大きく切り取って痕を焼酎で消毒し、混ぜずに新しいポリ袋に詰め替えて様子を見る。たいていはこれで解決する。三ヶ月ほどで完成する。



 さて、来年は早々に旅立ってしまうので、畑の大根や白菜は、かなり残して行くのである。勿体ないから、なるべくキムチにつけて行こうと思う。白菜は、要らない葉を取ったら、水洗いする前に重量を量っておく。その15%の塩を用意する。白菜は丸ごと塩漬けするのが良いのであるが、なかなかそれは難しいので、私はバラして漬けている。葉にまんべんなく塩をすり込む。まんべんなく均一にすり込むコツは、全体をいくらかに分けておく事である。たとえば500gずつに分けて、塩も75gずつ分けておく。葉の白い根元から順にすり込む。一度やってみると、だいたいの塩の加減は指で覚えられるので、次からは目分量で行ける。それを出来るだけぴっちりと瓶に詰めて、白菜の倍以上の重石をして数日置くと、白菜が三分の一くらいの容積になるまで水が上がる。これを数回水洗いして軽く塩抜きをし、良く絞ってザルにあげておく。本場の白菜のキムチは、使われている韓国産の白菜の味が日本のものと決定的に異なるため、日本の白菜を使って本場の味を出すのはおそらく無理である。そこで開き直って、日本の材料を使った、自分の好きなようなキムチを漬けるのである。大根と人参とニラを用意する。大根と人参は千切りにする。薬念醤は、濃いだしや鰯エキスなどで少しずつ伸ばす。揉んでいるうちに手に馴染んで柔らかくなる。これに大根と人参とニラを入れて良く混ぜ、しんなりするまで置く。塩漬け白菜の葉を一枚ずつ取り出して、薬念醤をなすり付けて重ねて行く。ある程度まとまったら、一塊にして瓶の底に押し付けて行く。それを繰り返して瓶一杯になったら、さらに倍量の重石をして冷暗所に保存する。上の写真は、去年の薬念醤で漬け込んでいる。私のところでは、薬念醤を作ったら一年置き、翌年の白菜の漬け込みに使う。瓶は密封せず、蓋が外れる方が良い。というのはキムチが醗酵して、往々にして吹き出すからである。従って瓶の下に、バットなどを敷いて保存するのが良い。吹いた漬け汁は大変おいしいので、回収して調味料にしたり、次に漬けるキムチの薬念醤を戻すのに使ったり、ペットボトルに取り分けておいて、夏にキュウリの浅漬けに使うのも大変よろしい。たいてい12月に漬け込んだら、2月頃に吹き出す。まあ今回はその頃私は、RecifeかJohanesburgかコンゴの奥地で頭から脳みそを吹き出している事であろうが・・・


Posted at 10:38 午後     Read More  

木 - 12月 17, 2009

カホンNo.8




 いずれ車で楽器を運ぶ事が出来なくなる時が来る。そうなってもユウミちゃんとデュオを組めるように、這ってでもセットを運べるカホンを作る事にした。外形寸法は、前作のペダル・カホン3号機と同じである。大きな違いは、前作のバスレフ方式をやめて通常通りサウンド・ホールを背面に設けた代わりに、上部を開閉式にして収納機能を持たせた点にある。これによってシンバルとハイ・ハットと小物楽器はカホン内に収納出来るので、あとはスタンド・ケースを担ぐだけで移動出来る。自転車にも積めるし、キャスターに載せて歩く事も出来る。シンバル類を借りられるライプ・ハウスなどへは、それらの代わりにボンゴも持参出来る。通算8号、ペダル・カホンとしては4号機である。







 響き線は、スネアのものを半分に切って、上面から打面へ圧着するという、実に安直な方法を取った。前作は外面あたりとしたために、非常に豊かな響きであったが、こちらはぐっと枯れた味わいの音になった。



 もうひとつの特長は、かつて住まいしていた「立花のガウディ」こと、先日解体されてしまった「松浦アパート」に入居していたメタル・アート工房「Curio」の陳列棚板を再利用している点である。建物の白壁の質感を出した表面とロゴが映える。

Posted at 09:42 午後     Read More  

水 - 12月 2, 2009

Raflesian Complex, Vol.10


急ですが、ひさしぶりにライブのお知らせです。前売りと当日で値段が異なりますので、見てみたい方はメール にてご返信ください。

Raflesian Complex, Vol.10
2009/12/17 (木) @ 中津Vi-CODE
18:00開場/ 19:00開演
前売 ¥2,000/ 当日 ¥2,500 (1 drink 別途必須)

出演: レス ザン ゼロ・すっぽんぽん'ズ・田中一寿・岡田夏奈・ユウミ・Itaminhos Jackey Longomba・サントス・キタバヤシジュン・キング堀内・カオリーニョ藤原・マルタニカズ 音楽的乱交脱糞脱国境パーティーです

中津Vi-CODE: 大阪市北区中津3_1_9 阪急中津駅高架下京都線側十三方すぐ
 電話06-6371-6559
 http://www.vi-code.com

Posted at 12:09 午前     Read More  

火 - 12月 1, 2009

ザイール・ヤ・バココ「第三の旅」




 人伝に頼んだり、ネットで手配した資料が、ほぼ手許に揃ったのでまとめて紹介しておきたい。まずはコンゴ人Ethnomusicologistでメル友のKazadi wa Mukuna教授の著作「Contribuição Bantu na Música Popular Brasileira: Perspectivas Etnomusicológicas, 3rd edition (São Paulo: Terceira Margem Editora, 2006)」・・・全223ページ、内容は全部ポルトガル語なのでさっぱりわからんが、それでも図版をつき合わせて行くと興味深い内容である事がわかる。タイトルは、さしずめ「ブラジル大衆音楽に於けるバントゥー人の貢献」とでも訳せば良かろうか。内容の一部に、私が睨んだ通り、ブラジルのバイーア州からマラニョン州に至る広範囲な地域に連れて来られたアフリカ人奴隷たちの大半は、現在のアンゴラ・両コンゴ・ガボン周辺の出身であって、その音楽用語にも彼等のバントゥー語が残され、そのいくつかは例示されている。これは、私の主たる研究テーマであって、今回の旅の目的のひとつでもある。一方、象牙海岸以西の出身者、とくにヨルバ人たちは、ブラジル中南部・ベネズエラ・カリブ海地方・北米大陸に多いとされている。ブラジルに多く残るアフリカ起源の民間宗教などは、こうした民族の流れを追うと掴みやすいかも知れない。まだ精読していないので確定出来ていないが、ブラジルとコンゴに残る多くの伝統的な歌の比較研究もなされていて、ポリ・リズミックに絡み合うリズムのアクセントについても、楽譜上で詳細に開設されている。このような研究は、ブラジル音楽の様々な影響の一部、それも非常に重要なファクターを、客観的に読み解くキーワードになりうるだろう。現在のブラジル・アンゴラ・コンゴの音楽は、当然ラジオの普及やキューバ音楽の影響などによって、インタラクティブに影響し合っているから、ひとつの特徴をもって、他の関連性を議論するのは危険である。しかし、この本の資料探求によると、例えばキューバからアフリカへのルンバの輸入、つまりアフリカ的な音楽センスの逆輸入が起こる以前の文献から説き起こされている場面があって、これは、あきらかにバントゥー音楽が、南北アメリカ大陸に伝播した頃はどうだったのかを探求する、この著書の眼目と言える部分である。はよポルトガル語をマスターしてこれを精読し、教授にメールを送らねば・・・



 これはAngolaの公用語Kimbunduの文法書である。1889年の発刊で、全172ページの、比較的簡素な内容である。去年資料探索していた頃には、大阪の国立民族学博物館付属図書館など、日本には数カ所にしか所蔵されていなかった。現物を見せてもらったが、今にも崩れそうな革装丁の本だった。それが、なんと今年2009年9/28にアメリカでリプリントされている。まさに今回の旅の実現に光が射した数日後の事だ。すぐに注文を入れると即座に送られて来た。中身は極めて実用十分、リプリントであるから、要するにコピー製本である。原盤の汚れや書き込みがそのまま残っている。しかし、文字は十分読める。これで2千いくらかだったと記憶する。まさに驚異、運命的な出会いである。これも本分はポルトガル語であるが、ありがたいことに単語やフレーズには英訳がついている。これは非常に役に立つ。リンガラとスワヒリは、ほぼ頭に入っているので、内容はその類推で十分読める。すなわた名詞の種類・複数形の作り方や動詞の活用など、ルールはリンガラ語とほとんど同じである。もちろんリンガラ語との同音異義、全く異なる単語はたくさんあるが、全く同じものも多い。Kimbunduの文章を読んでみても、何通りかのバントゥー的な言葉のバリエイションで意味はおぼろげながら通じるところとなる。同時にポルトガル語との対訳も出来るわけだから、まさに一石二鳥。しかし考えてみる。何故こんな稀少な本が、今年になってアメリカでリプリントされたのか、Kimbunduは、アンゴラにおいていわばエリート言語なのである。アンゴラという国は、アフリカの他の国と同様に、その国境線が民族の分布を全く反映していない。植民地争奪戦時代のポルトガルとベルギーとフランスの勢力範囲を示しているに過ぎない。現在のアンゴラ領内には、北部にコンゴ人、南部にOvibundu人など、多数の民族が同居していて、それぞれに言葉が違う。そのなかで、首都Luanda周辺に分布していたMbundu人の言葉が共通語として採用され、Kimbunduを解さないアンゴラ人は出世出来ないという構造が産み出されている。イデオロギーの仮面をかぶった利権争いの内戦が終わったら民族紛争・・・よくあるパターンだ。しかしアンゴラに埋蔵されている地下資源、特に原油と希少金属は厖大。これを頼みの復興事業は、狂おしいまでにふくれあがり、かつては黒柳徹子が地雷除去を訴え続けた「かわいそうな国」アンゴラのイメージはほど遠く、今や立派なハイウェイと綺麗な建物がどんどん出来て中国人や韓国人の労働者が国づくりに協力している。ところがこのKimbunduについて書かれた書物は、おそらく世界にこの一冊しかない。1889年に出版された、革装丁の重々しいこの本しか、徹底的な私の探求の結果出て来なかったのだ。アンゴラには埋蔵資源がほぼ手つかずで残されている。アンゴラに取り入るにはKimbunduを習得する事が有益である。そしてこの本しか文法書はない。・・・だからリプリントされたのだと、私は思う。以下に紹介するアンゴラのガイドブック、UAEのエミレーツ航空がLuanda便をこの10月から就航させ、観光キャンペーン・・・これらは、生き残りをかけた新たな戦いの伏線である。それに敏感な国や組織は先手を打つだろう。いわば資源獲得の泥仕合の、一番ホットな部分に、私は偶然手を触れてしまったような気がする。それに乗るか乗らんかは別として、知らんという事は情けないで。



 これはなんとアンゴラのガイドブックである。2009年の10月に初めて出版された。驚く勿れ全280ページ豪華カラー・グラビュア入りの充実の内容である。アフリカのガイドブックといえば、「ロンプラ」すなわちLonely Planetの独壇場であったのだが、そのロンプラにさえアンゴラはなかったか、あっても数ページだったはずである。もちろん日本にはアンゴラのガイドブックなど存在しない。このBradtというイギリスの出版社は、今回アンゴラの旅行情報を集めている過程で初めて知った。このガイドブックの計画があるとの記述を見て、すぐに予約を入れた。2千円ほどである。内容は実に素晴らしい。Mike SteadとSean Rorisonという二人の著者の実録による最新のガイドブックである。Angola国内はほぼ網羅されている。非常にわかりやすい英語である。そして、実際に歩いたジャーナリストの目から見た情報であるので、非常にリアリティがある。単なる読み物としても大変面白い。私の最も関心の深いM'banza-Kongoについても詳細に記述されている。また、基本情報として、Visaの取り方や、国の状態、移動手段や宿泊施設の一般的な傾向など、旅行者に極めてわかりやすい良心的な編集がしてある。複数の情報筋から得られた通り、首都Luandaの物価はロンドンの倍近く、つまり東京の三倍ほどになる。バブルである。アンゴラは開発途上の国であり、日々刻々と変化し続けているので、ウェブサイトにアップデータが蓄積されているから、必ずそれを参照するようにとの配慮まで示されている。血の通った会社である。すばらしい。その姿勢に敬意を表して、アップデータのURLはここには書かない。知りたいひとは先ずこの本を買うべきである。さて、アンゴラのVisaは日本では絶望的だと前に書いたが、やはりアフリカ以外では同じ程度に困難な様子である。しかし近隣国へ行けば、比較的簡単に取れる。特に国境を接するコンゴ民主共和国ならば、首都Kinshasaよりも、直接道が繋がっている港町Matadiの国境検問所がよろしいようで。しかし、M'banza-Kongoへ行くならばそこから越境するのではなく、Kinshasaへ半分ほど戻ったSongololoから進めと書いてある。頻繁にタクシー・ビス、すなわちワン・ボックス・バンによる乗り合いバスが往復しているとの事。私の睨んだ通り、現地人がメールで教えてくれた通りだ。このルートはしかし、度重なるコンゴ人のアンゴラへの不法出稼ぎ労働者のブローカーが暗躍しているので、誘拐事件が多発しているので注意すべき事、またアンゴラ当局により比較的頻繁に国境が閉鎖される、または検問や追随しての取り調べもあるので注意、ここで注意というのは、アフリカの多くの国同様、警察官が最も注意すべき対象である事を意味している。しかし、アンゴラ当局は、首都Luandaやその周辺の観光地への観光客の誘致には、実は力を入れていて、さらに南部の自然の豊かに残る地方は、どこも大変素晴らしい事が、表紙写真のようにありありとした、美しい多くの写真とともに示されている。Matadiから海岸沿いにN'zeto- Luandaを直通する路線バスも運行されているという。アンゴラの海岸線は、ほとんど未開発の自然なビーチが続いていて、南部のナミビアから北上してくる南アフリカ人も多いらしい。ナミビアまでは、日本でも人気のアフリカ観光コースである。ちょいと越境する勇気を持ってくれたらね、僕もそのツアー買ってもええねんけどね。ともかく、地下資源とともに観光資源としても、ほぼ手つかずのものを抱えていて、これからがアンゴラ観光が本格化するという予測の基にこのガイドが書かれている事は、先ず間違いない。



 こちらは、同じBradtから2008年3月に初版された両コンゴのガイドブックである。1991年に当時のザイールを旅行したときには、「ロンプラ」の「Central Africa」という本があって、これにはザイールについて十数ページの記述があった。しかし、それは統合されて「Africa」になり、記述も数ページに縮小されてしまった。600ページを上回る辞書みたいな分厚いガイドブックなんて、しかもアフリカ全域なんて全く実用性のない代物で、値段もたしか8戦円くらいしたと思う。立ち読みしたが、ほんの御座なりなことしか書いていないから、とても買う気になれなかった。それがBradtでは堂々全328ページの内容である。しかも「Angola」の項で紹介したSean Rorisonが執筆、特に一般情報に於ける、内戦後の首都と地方都市の状況や、移動手段、気候と疾病、通貨の変動などが、緻密に記載されている。ただ、惜しむらくは、私が訪問しようとしているBandundu- Mayi Ndombe- Mbandakaにかんする著述がほとんどなく、簡潔なものに終わっている点である。下痢でもしていたのであろうか、ほな私が行て詳細に調査して情報提供したろ。この部分については情報収集の過程で、現地の環境保護団体「CARPE」と連絡がつき、かなり詳細な情報を得ているので、あまり心配はしていない・・・というか、心配しても仕方がない事がわかった。運があったら生き残るでしょ・・・



 ベルギーのTervurenにある王立中央アフリカ博物館 (Royal Museum for Central Africa = RMCA) 所蔵の楽器を集めた図録、2009年7月の初版である。この博物館は2005年に訪問した が、あきらかに視点がベルギーからの「上から目線」である。野蛮なコンゴ人もベルギーのおかげでこんなに洗練されましたという脈絡で博物館は構成されている。そのあからさまな姿勢には流石に辟易したものだが、個々のパーツを見てみると、これがまたベルギー人の国民性なのか、実に保存状態も良く、見やすく、きちんと分類して並べられている。弓から作ったシンブルな楽器の上下が逆さまだったのはご愛嬌だが・・・そしてミュージアム・ショップで買い求めた図録や写真集の美しさは、本当に驚嘆に値する。RMCAの、特に植民地時代に撮影されたモノクロ写真は、撮影の見事さもさることながら、現像・プリント・印刷に至るまで、実に適切で繊細で美しい。この図録も、ほとんどが旧ベルギー領コンゴの伝統的な楽器を分類して収録したものだが、その見せ方、光のあて方、撮影から印刷までが美しい。さらにその楽器を演奏している場面を撮影したものなど、古い時代のものにありがちな、現像の管理の不徹底さから来る粒子の荒れや流れやムラがほとんどなく、古いレンズの特性を生かしきった見事なプリントである。これは楽器に興味のないひとでも、美しい写真に興味のあるひとは、是非RMCAが発行している様々な写真集を手にしてみられるが良い。ネットでも手に入る。手には入るがこのショップ、クレジット決済がめんどくさいのだ。注文の希望をメールで送ると、注文書に明細を記入したものがメールに添付されて返ってくる。それにカード番号を入れてプリント・アウトし、署名して国際Faxか郵送で送らなければならない。さらに自分たちのコレクションにはこだわるくせに、こっちからの注文に対する対応は鷹揚だ。この本と複数のCDをまとめて注文したのだが、住所が変わったから注意せよと明記したにもかかわらず前の住所に送って返送されてしまい、こっちは知らんから何ヶ月待っても来ないし問い合わせたところ「送った」の一点張り、郵便局で記録をたどってもらってやっとの事番号を突き止め、返送されてるから探し出せと言ってもなかなか出来ず、改めて送って来たは良いが送料を請求され、なにゆーとんねんお前が間違うて送っとんのにタダにせんかいの話が通じたのが、やく4ヶ月後という有様。まあいろいろあって私の所蔵になったのも良い想い出。ほぼ、コンゴの楽器に関する私の知識に間違いがなかった事もわかってハッピッピー。

Posted at 09:32 午後     Read More  

夏野菜用の土作り




 この二畝は、来シーズンのナス科の畝である。十分に時間があるので、雑草を積み上げた堆肥や、乾し草の切り藁・米糠・生ゴミ堆肥など、畑で穫れたもので養分になるものを鋤き込んで、春まで腐蝕させる。



 生ゴミや雑草を積み上げたものだが、下の方は堆肥になっている。



 燃えるような紅葉と、十五夜の月。



 毎日のように大根を煮て食っているが・・・うまい。

Posted at 09:00 午後     Read More  

土 - 11月 28, 2009

Salt & Uribossa




 奈良で「Salt & Uribossa」のCD発売記念ライブが行われたので、行って来た・・・というか、邪魔しに行ったようなものである。瓜ちゃんとのデュオはずいぶんさせてもらったが、池本さんとの三人で正式にやるのは初めて。池本さんは学校の先生との事で、歌詞にも大人の立場から子どもを見つめた内容が多い。ボサノバというより、ボサノバ風の日本のフォーク・ミュージックという感じで、いたるところに「奈良的」? センスが散らばっていて楽しい。全員アラフィフということで、時代背景も考え方の傾向も、似通っていて肩が凝らない。ほんのローカルな活動だが、こういう音楽を地道に続けて行けたらと思う。

Posted at 08:44 午後     Read More  

金 - 11月 27, 2009

冬野菜の観察




 秋に植えたジャガイモが、はよ土寄せをせんかいと主張している。霜が心配なので、不織布をかけている。この分だと、来シーズンの種芋が穫れそうである。



 ふだん使いの菜っ葉類も順調に生育している。



 キャベツも、虫にやられながらも結球始まる。



 丹波の黒豆も収穫期。なかにはまだ生のものもあるが、穫って干せば乾く。

Posted at 08:54 午後     Read More  

水 - 11月 25, 2009

丸瓢箪の乾燥




 先日中身を取り出した大型の丸瓢箪 (右) 、ひとつはいい具合に乾いて来たが、もうひとつはまだ果肉が硬いので、暫く水を満たしておく。


Posted at 08:49 午後     Read More  

















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