Luken Basipamire 大阪公演


なぞのムビラが目の前に・・・



 「The Soul of Mbira」という、1978年に出版されたアフリカの親指ピアノを紹介した書物としてはバイブル的存在にも写真がでており、1971年にNonsuchレーベルから発売された「The African Mbira」というLPレコードにも親族が参加している、ジンバブウェを代表するMbira奏者のひとり、Luken Basipamire氏が来日して全国を回っておられる。この楽器については、土産物レベルではいくつか見たことがあるし、自分でも持っているが、どうもいろいろと腑に落ちないところがあったので、本物をその音とともに構造を詳しく見ておきたいと思って行くことにした。大阪公演は4/19ミナミのSound Chgannelだったが、ここはピリピリ追悼イベントの日にステージ周りを見ていたので、おそらくMbiraのような小さい音、しかも周囲を囲われている構造の楽器の音の増幅は難しいだろうなと思い、前日の尼崎公演の方へ行った。そこは喫茶店だったので、電気を使わない生演奏だった。Mbiraは、本体に共鳴器を持たないので、大きな瓢箪の半分に切ったものの中に入れて音を増幅する。それはわかっていたが、予想に反して非常に大きな音だ。極めて大きい。かなり大きな声で歌ってもちょうど釣り合うくらいの音であり、しかも本隊と瓢箪の周りにつけられたシズラー代わりのビール瓶の栓のだすバズ音の広がりがなかなかシビレル。演奏後、本体を見せてもらったが、わあ、俺の持ってんのと全然違うわ。鉄片はバネのように弾力がありながら、十分な厚さを持って硬いし、きちんと調律されたその状態はあやふやさが微塵もない。美しい。こんなに硬いものを良くあんなに長時間弾けるなあと思ったが、よく聞くと、リングを指先に取り付けて、それで弾くのだそうだ。マンゴー君も、爪の先にピックをつけていた。そらそうやわな。ピリピリ・コレクションにあった、壊れたMbiraをみせて、「なんとかなりますか」と訊いたら、「ああこれは、みやげもん用やけ、あかんあかん。」といわれてしまった。しゅん・・・
 さて翌日、集客の危ぶまれている5/1のイベントのチラシを配布がてら、終演後に再び会う。例の「The Soul of Mbira」を持参して、彼の18歳の頃の写真だという脇にサインしてもらって、その写真集のページを、まるで自分の家のアルバムのように「これはあんときにあいつとあいつが・・・」という長い話に大笑いしつつ、おもしろおかしく打ち上げに行った。そこには、タンザニアから帰ってきたての横山葉子氏も同席し、いろいろと盛り上がったのだが、なかなか興味深い話がでたので書いてみたい。つまり、私は1960年産まれ、音楽をやろうと思い、とくにあふりかおんがくに興味を持った頃、録音なんてほとんどなかった。たとえばカーリーをやっていた頃も、実際にザイール人たちの音源や映像が豊富にある訳ではなかった。われわれは、それがどんなものかを想像しながら演奏した。「リンガラ・ポップス」を聞いて、「リンガラ・ポップス」そのものをやりたいと思ったことは一度もない。あんなすごい音楽を自分たちの手で作ってみたいと思ったというのが実際のところだ。そこに我々はプライドさえ持っていた。しかし、彼女と話して、幾分考え方が変わった。我々は、自分でそう思って自分たちのオリジナルにこだわったというよりも、音源や映像がなかったから、自分たちで作り出す以外になかったのだという側面がある。「リンガラ・ポップス」そのものなんて、やろうにもやりようがなかったから、勝手に自分たちで、「これがリンガラや、おまえら良う聞け」と言うてしもたんである。世の中もまだおっとりしていたし、それで通用したし、第一誰も知らなかった。しかし、彼女らの世代になると、もう既に音源や映像は出尽くして検証された後である。ピリピリの言うてたことは、ほとんどが金魚をクジラみたいに言うてたということが明らかになって評価が固まった後なのである。我々は、極端に情報の少ないものをモデルに音楽を想像したから、迷いというものがないが、彼女らには学ぶべきことが多すぎる。「これがタンザニアのリンバや、おまえら良う聞け」と言うまでには、まだ何年もかかるのである。ニンゲンというものは、勢いに乗っている間は、本人の能力以上のことがいとも容易く出来るが、学習を積み上げて行くうちに、そうも行かなくなる。世界は混沌としているし、何事も用意ならざるものであるからだ。断定は出来ない。常に探求と検証が必要である。時間も労力もカネもかかる。「カーリー・ショッケール」が、あの勢いを持ち得たのは、誠に幸せなことであったが、もはや今の世の中には通用しにくいものとも言えるだろう。時代は変わったようである。いまごろなにゆーとんねん・・・

Posted: 月 - 4月 20, 2009 at 05:39 午後          


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