高槻ジャズ・ストリートとダンスリー定期公演


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 高槻ジャズ・ストリートへ行くと、必ず衝撃の演奏にであう。特に、ここ阪急高槻市駅高架下広場では、たまたま通りかかって、おそらくこのイベントの最高の出演者の演奏に巡り会うことがよくある・・・というか、毎回必ずであうのだ。ここは、金を払わなければ見られないアーティストの演奏をカネなど払いたくても払えない状況のもとで、間近に見ることが出来る。特に、北西側のバック・ステージは、ドラマーの手足の捌きを目の当たりに、しかもステージ・モニターの聞こえ方などもドラマーと同じ条件で体感出来る、ドラムを志すものに取っては絶好のスポットだ。やったことのないひとにはなかなか理解してもらえないことだが、ステージ上では、ドラマーは実に孤独である。フロントで何が起こっているのか、実のところほとんどわからない。モニターの具合もたいていリハーサルとは異なるから、先ず聞こえないと思っておいた方が良い。つまり、たいていのライブでは、ドラマーというものは、靴の上から足を掻くどころか、スキー・ブーツごしに水虫を掻こうとするような焦りに襲われる。ある時は耳を圧する無秩序な轟音の中で、またある時は狐につままれたような静寂の中で、ひどいときにはおでこと後頭部を代わる代わる小突き回されるような反復するこだまの中で、そのときそのときの曲調を把握し、的確に対応し、またきっかけを出さなければならない。この日は「川島哲郎&木畑晴哉トリオ」にLarry Marshallというドラマーが加わったセッションだったが、いずれも招聘アーティストである。ジャズほど抽象的で、エモーショナルで、何が起こるのか本当に分からない音楽もない。しかも、多くの場合音量の小さなピアノやウッド・ベースに対して、サックスやドラムという大音量の楽器が混じっている。この位置で聴いていると、音楽の要であるベースが案の定全く聞こえない。ピアノも、ほとんど何を弾いているのかわからない。辛うじて、フロントのサックスの抑揚と観客の反応が伺えるだけだ。従って、多くの観客にはこの位置はほとんど魅力がない。しかし、私にとっては絶好の場所だ。もちろん私もまがりなりにもステージの場数は踏んで来ているし、様々な修羅場をくぐり抜けて来たので、上のようにほとんど状況のわからない状態でも、心の耳で曲を把握することは出来る。しかし、自分たちの曲を演奏している時でさえ、モニターの状態が悪いときには、余計な手出しはせずに必要最小限の演奏にとどめる。誰かが核にならないと演奏が散乱してしまうからだ。多くの場合、それはドラマーの役回りである。しかし今日の演奏はすごかった。ジャズは本来的にそうなのだが、お互いの演奏がお互いの演奏に影響されあっていて、それがトリオであれば三つ巴、クァルテットであれば井桁組、クィンテットであればペンタコン・・・というぐあいに相互依存性を増して行くものである。その依存というか、駆け引きというか、呼応というか、バトルというか、まるで喜怒哀楽をそのまま音楽という生き物にしたような、あてどのない、摩訶不思議な、とらえどころがなくて生き生きした・・・言葉では言い尽くせない演奏だった。決して威圧するのでなく、かといってヤワ過ぎない・・・しかも、おそらくお互いにお互いの演奏はよく聞こえていないはずだ。ジャズのミュージシャンたちの何がすごいといって、環境に左右されずに、あるもので自分たちの音を作り上げてしまうことだ。これぞ即興演奏の極意である。すばらしい。



 今日のもうひとつのお目当ては、「Sister Daisy」といって、さきに「なおことぱうりんの情宣写真」として紹介したデュオである。いずれも良いお友達であって、とくにぱうりんは、かつてカーリー・ショッケールが現役だった頃、よくFandangoで対バンしてもらった「Body」のキーボード奏者であった。その頃は面識というほどのものはなかったのだが、思えば長い長いつきあいである。このひとの曲がまたええんだ。年齢を重ねて、いろいろあって今は独りの男の哀愁・・・俺も年齢を重ねて、いろいろあって今は独りの男なんやけど、ぱうりんみたいにやさしい心を持ち合わしてへんから、ついつい地獄巡りばっかりやっとる。いやあ、堪え難きを耐えて、今は飄々と生きる男のさりげない歌に涙。

 さて、高槻を早々に出て、阪急電車に乗って甲東園へ行く。阪急も久しぶりや。京都線なんて、中学高校時代には毎日通った道やけど、いまはもうほとんどその頃とは違ってしもた。阪急電車にあっては、京都線は、その生い立ちから神戸線や宝塚線とは大きく異なるから、同じ鉄道会社でありながら、独特の匂いを持ってたね。でも、いまはもうない。その匂いの最たるものは、僕の時代では2300系という車両に象徴されるように思う。もちろん2800系という、阪急で初めての特急専用車が花形を浴びていた時代やけど、2300その生みの親、ほんらいは神戸線用の2000系と同じ系譜やけど、やっぱり違うね。なにが違うというて、モーターの音が違う。2000系のどぎつい発進音とは対称的に、2300系のものはまろやかで穏やかで、他のどんな車両とも違う気品がある。その特性を生かすためかどうかは知らんけど、発車してから実に穏やかに加速する。その走り方がまたええんや。でも、いまではインバーターの派手な音が五月蝿い電車ばかりが行き交い、嵐山線で余生を送っていたオリジナルで唯一の2309Fの4両編成が4月1日で引退してしもた。思い入れの深い車両やったから、一時2800系最後の残存車両を組み込んだ唯一の編成2305Fも撮りそこねた悔しさから、2309Fだけは撮っておきたい撮っておきたいておきたいきたいい撮撮って撮っておき撮っておきたい撮っておきたいと思っていたのに引退してしまいよった。鉄道写真には縁がないということや。まあそこで、こないだ案内した写真家のサイトを再度ご紹介しておきたい。ほんまにこのひとのセンスはええで。電車の魅力を良く伝えてはる。

http://www.ab.auone-net.jp/~azm01/page055.html

 そんなことを書くつもりやなかったんや。夕方からは「ダンスリー・ルネサンス合奏団」のコンサートや。これはいわずと知れた日本の古学演奏のパイオニアで、結成は非常に古い。私は、確か中学生の頃に「絆」という2枚組のLPを発表され、金持の友人をそそのかして買わせてカセットにコピーした想い出がある。そんなもん当時の小遣いでは買われへんかったからね。もちろん当時はロック少年であった訳だが、イギリスやヨーロッパのロックに関心を持つに連れ、ブリティッシュ・トラッドから古楽へ興味が進むのは早かった。当時のカセットの中に、NHK-FMの「現代の音楽」という番組を録音したものがあり、その中に古楽が取り上げられていたことをよく覚えている。当時からそれほど「古楽」は、新しい感覚の音楽だったのだ。去年、トルコ民俗舞踊団が来日して、それを見に行った会場で「ダンスリー・ルネサンス合奏団」の、実質的なマスターであらせられる坂本利文氏と知り合う機会を得て、彼の率いる「Ortiz Consort」に参加させていただくことになった。その関連で、今日は招待券を貰っていたのである。さてそのDiego Ortizというのは、16世紀のイタリアで活躍したスペイン人の作曲家・演奏家・音楽理論家であって、のちのバロック音楽の時代に、フーガの技法、あるいは遁走曲などとして確立される、クラシック音楽の様々な音楽技法が産まれる要因として、ひとつのテーマを繰り返し繰り返し演奏しているうちに様々な変奏が産まれ、それが何百年ものあいだ伝えられ、淘汰され、洗練されて来た経緯があるのだが、つまりひらたくいえば、もともと音楽はシンプルなものであって、それを繰り返し演奏しているうちにいろんな遊びが産まれて、「お?、おもろいやんけ、それワシもやろか」というてるうちに広がって伝わって今のピラミッドが出来た。だから、当時のものは楽譜もほとんど残っていないか、極めて簡単にメモされているものだったりして、そんな歌や曲の断片を拾い集め、ひとつの曲集に纏めようとした最初の人物が、Diego Ortizといわれているのである。彼の曲集を学ぶとき、そこには楽器や演奏法についての堅苦しい指定はなく、演奏者の即興にまかされている部分が非常に多く、そこから先は、演奏者自身がそれまでの音楽的な経験をもとに曲の中にブチ込むことを要求されている。このことを「探求」すなわち「research-ricercare-recercada・・・」などと申し、それが「フーガ」のもとになった。「Ortiz Consort」は、日本でも第一線の演奏家集団でありながら、そのような、音楽のシンプルで自由な側面をより大切にして、当時のヨーロッパ音楽の持っていた遊び心や感じ方を伝えようとしておられるのだが、なにより、極めて美しいViola da Gambaのアンサンブル・・・これには練習のたびに涙が出るほどであって、どうしてこのような演奏家の皆様が、私のような、ほんまにどこの馬の骨ともわからん、ましてや音楽の専門教育も受けず、誰に師事したこともない者を仲間に入れて下さったのであろうか、それが不思議でならんのであるが、まあ呼ばれた以上は一生懸命に、は、つとぉぉぉめぇまぁぁしょぉぉぉぉっと。で、本家本元のダンスリーの方はというとね、これはもう手慣れた名人芸の境地やったね。

 音楽三昧・・・

Posted: 日 - 5月 3, 2009 at 12:46 午前          


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