Leonard Jacome y Cuerdas Barro Presion


ベネス選ぶんか週間2009

 ベネズエラの音楽といっても、Ensamble Gruffio/ Camerata CriollaのCDを2枚持っているだけで、それで十分にぶっ飛ばされてしまったのであるが、とにかく変幻自在のメロディとハーモニーの応酬、全てがリード楽器的に動きまくり、全体が混沌の渦を巻きながら怒濤のように奈落の底へ流れ落ちて行くような迫力、それでいてきちんとアンサンブルが出来上がっていて大編成のオーケストラでもきちんと交響曲になっている。こんな生きた音楽があったのかと思った。今回の来日メンバーを見ていて驚愕した。そのEnsamble Gruffio/ Camerata CriollaのCDで、神業的に鳴り響く鋭い音を響き渡らせていたマラカスの神様Ernesto Layaの名前を見つけたからだ。そのビートとリズムの綾は、オーケストラの全体を屋台骨を背負い、全ての展開、全ての表情、情感を的確に導きだし、次のフレーズに繋げて行く。ドラマーが手足を駆使してやる事を、あんなに小さな楽器でやってしまっている。しかも超絶技巧。マラカスでサスティーンを出すなんて・・・どんな人がどんな風に演奏しているのか、前々から見たいと思ってた。「ベネズエラ文化週間」なるものが毎年行われているのは知っていた。しかし、あの神様が来日するとは、しかもChove Chuvaで、こんな至近距離で見られるとは思いもよらなかった。演奏は来日用のユニットで、アルパ・クァトロ・ベース・マラカスの4人編成に女性ボーカル。これが凄まじいコンビネーションで、いきなり聴衆を奈落の底に突き落とす。凄まじい音の奔流であった。リンガラ・ポップスが、アカデミズムに則った一切の権威を拒否してひたすら下町をゴロつくヤクザものの美学の到達点だとしたら、この音楽はアカデミズムと技巧を飲み尽くし、さらに天を突き破ろうとするミュージシャン美学の到達点である。とんでもないものを見てしまった。とくに神様・・・あんた、マラカス持ってなかったらただのそこらへんの色黒のにいちゃんやんけ、でもマラカス持ったらすごい。マラカスそのものは、特に変わったところはない。強度を高めるために取っ手の心棒が上部まで貫いている。従って、普通に振ると、中のタネが心棒に当たってばらけてシャープな音にならないから、心棒を持って上下に振るのである。そしてサスティーンは、なんと玉の内面にタネをスムースに滑らせる音だった。その組み合わせによるグループに、頻繁に挿入される霧雨のようなプレス・ロール・・・ふつう打楽器において、このようなトレモロ的な音は、楽器なりスティックなりをバウンドさせてこそ得られるものなのだが、彼は小刻みにマラカスをふるわせるのみ。つまりギミックなしで全ての音をマニュアルに操っていたのである、あの霧雨のように粒立ちの全てを !! そして極めつけは、放り上げられ宙を舞うマラカスが小刻みに振動して鳴り響く・・・誰もが目と耳を疑ったのである。

http://www.chovechuva.com/live/page000293.html

http://www.latina.co.jp/html/liveinfo/veneweek2009



Posted: 土 - 11月 21, 2009 at 11:33 午後          


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