ピリピリ追悼の集い


えげつない、夫々にえげつない三つの会合

 

 2009/01/25 (日) ピリピリの友人たちによる追悼の集いが行われた。ピリピリのご実家は、豊中の旧家であり、政治家も排出したほどのお家柄であるとは聞いていた。いやしかし、行ってみてびっくりした。もちろんピリピリは、実家とのことを隠し続けていたので、お伺いしたのは、ピリピリが亡くなって、お母様と遺品の整理をしはじめてからである。ピリピリのご実家は、服部緑地の最南端のとある池に面した古い村の一角にある。村の中は、狭い路地が入り組んでいて、車では入ることは難しい。美しい村である。しかし、古い村であるので、人間関係は、都会にありながら都会とは思われぬほどに濃厚なものだったに違いない。家にお邪魔して、その空気をかぎ、「ああ、こらあかんわ」と思うた。別に、ご実家があかんわけではない。ご家族がアカン訳でもない。ピリピリが、ここで自分のやりたいことと、実家の長男としての社会的な役割とを、うまくバランスを取って行けるようなことが、非常に困難だっただろうなと察するのである。だから、困難に耐える前に、さっさと家を出たのであろうし、致し方のないことだっただろう。あの家の空気をかげば、即座にそう思うのである・・・「ああ、こらあかんわ」

 第一部: 14:00-16:00頃 奥田氏実家ご霊前にて法要・茶話会



 あのね、君らねえ、「事前にメールをください」て三回も案内したでしょ? しかも電車で駅に待ち合わせしてタクシーで行きます、て書いといたでしょ? ご実家は広さに限りがあるし、入り組んでて車で行かれへんし、準備やら事情やらあるからそうしたんや。事前に応答してくれてたんは8人やったはずや。それが、なんでこうなるのん? 当然この2枚の写真に入りきらんひとが、応接間や庭に・・・個人情報にも関わるから、直接連絡あったひとだけに限定しとんのに、「あいつ『行く』いうとったし、あいつについて行たらええわ」てネズミ講式に増えてこの状態や。しかも、車で近くまで来といて、「どこやどこや?」て、だからね、わざわざね、・・・俺かてね、ゆっくりピリピリを追悼したいんや。みんなの話を聞きたかったし、それを聞いてお母さんがどう言うか聞きたかった。そもそもこの会は、30年以上音信不通だったピリピリが、その間どうして来たかをお母さんに聞いていただく会やったんやから。せやのに俺なんで携帯電話持ってあっちこっち走り回りながらいちいち右やとか左やとか、手ぇ振ったりせんなんのよ? しかも何人も何人も・・・あげくの果てにはタクシーの運ちゃんかて「どこですか?」て、お前プロのドライバーやろ! 住所一発で捜して来んかいこのダボ! ・・・いや、もうええわ。そないやって、広く江湖からはるばる追悼のために来やはったんや。帰れ言うわけにもいかん。「来るものは拒まず、去る者は追わず、段取りはイタミに」て、おっさんよ、せやけどもうワシは疲れたよ・・・

 第二部: 17:00-21:00 さサ華林 肥後橋 http://www.j-policy.co.jp



 第二部は、プロジェクターでピリピリの古い映像でも眺めつつ酒を飲み、古い音源でも聞きつつ涙を流す会という趣向で、その点、コッチはまあ気楽で良かった。広さにゆとりはあるし、演し物もある程度考えてあったから。せやけど、「レンタル・スペース」て明記してあんのに、「どんなことするんですか?」て会場に訊くな。しかもオープンする間際のごたごたしてるときに電話なんぞかけて来やがって、ほんまに世の中の仕組みのわからん奴らが多て困る。・・・いや、まあええ。ピリピリそのひとがそもそも、世の中の仕組みとは無関係な生き方を貫いた人なんやから、そのひとを追悼しようとして集まるひとに、改めて世の中の仕組みを教えるなど「馬の耳に念仏」ちゅうもんや。せやけど、どこの馬の骨かわからんでも、夫々に個性があって、世の中にないと困る一定の視点を与えてくれるのも事実や。ピリピリが口癖のように言うとった。「音楽はキモチや」まあこれをどの程度言葉通りにとらえるかは解釈の別れるとこやが、いずれにせよ、技術も鍛錬もなく、かっこいいからやってる、気持いいからやってる、おもろいからやってる、もてたいからやってる・・・という不純な動機だけでコンゴのトップスターを前に立てて歌わせたんは、日本広しといえども我々だけや。この結果は、一つの形や。形になった音楽を再現するのであろうと、全く一から作るのであろうと、その根底にあるのは「音楽の力」や。その「力」を演奏で表現するためには、「形」をぶち破って、そこから先に進まなあかん。そない思うて音楽やって来た奴らとか、少なくともそれに一定の理解を示す奴らが集まってたからこその、ただならぬ殺気と淀んだ空気・・・ でも懐かしい映像が大映しにされた時の、会場のどよめきは感動的やったね。当然やが、みんな若いし、ピリピリなんか体全体でギター弾いてる。またツボを押さえてて非常に上手い。決して派手さがないから、よくよく聴かなわからんし、目立たんねんけどね。当時は未だ僕自身、リンガラ風のドラミングのツボがわからんで四苦八苦しとったから、ピリピリのギターなんか聞いてへんかったな。こんなにかっこいいこと弾いてたんや。この味がわかるようになって来たのは、ひととおりコンゴの音楽も聴いてしもて、他の音楽でも修羅場くぐって、あっちこっちちょっかい出して火傷して・・・まあそんなことがあったからやろうかねえ・・・

 第三部: 19:00-朝まで Sound Channel アメリカ村 http://www.sound-channel.jp



 いやあ、100人は軽く超えとったでしょうね。ここから先は、ピリピリの最近の新しい人間関係、すなわち「若手を養成せなあかん」と、ギター担いでクラブなんかを渡り歩いてるうちに仲良くなった連中が企画してくれた、ライブとDJのイベントである。いわば、ピリピリの遺志をもっとも瑞々しいセンスで、澱みなくアグレッシブに、要するにそのまんま受け継いで、しかもその精神を換骨奪胎し、自分なりの表現に日々落とし込み、生活している若い人たちの演奏がメイン・テーマの、濃い濃い夜のイベントである。その殺気と空気の濃厚さは、第二会場の比ではなかった。手前のバー・カウンターには、なかなか味のあるピリピリの写真が飾られていて、壁の大型モニターでは、奥のライブ・スペースの映像が流されるようになっている。DVDもかけられるといふので、持参した古い映像を流しはじめると、このように全員直立不動であった。なかには涙を流してる奴までおる。ううむ、我らの知らんピリピリ・・・こんなにも多くの人たちに親しまれていたのか。マメにあちこち顔を出し、その拙い歌とギターでハートを掴んで来た証であろう。それを暖かく迎え入れてくれた彼等こそ、まぎれもなくピリピリの本音を直感的に理解して、他の音楽にない「力」を感じ取り、自分たちで伝えようとしている真の継承者であるのかも知れない。・・・と気がついたのもつかの間、連日の段取りと、年甲斐もなく入り込んだ夜の街の毒気、タバコの煙とあまりにえげつない空気に当てられて、さすがに体は疲れを訴え、喉は腫れ上がって息も苦しい状態にまで立ち至ってしまったので、「Soul Fire」か「Red Red Mohican」の演奏中に、すまんけど這々の体で逃げ出してたのでした。
 「イタミ・・・もうおうちへ帰るんか、なさけないのう、まだまだ夜はこれからや。地獄を見んかい地獄を・・・」
 と、ピリピリの声が天から舞い降りるのを聞き流し、「アホ、俺はもうたくさんや・・・」と、自転車を駆って家まで帰って来たら、雪がちらついてました。澄んだ空気にほっと一息、翌朝は一面の銀世界・・・



 さて次は、2009/03/28 (土) Fandango 大阪十三 http://www.fandango-go.com/ ピリピリ縁のミュージシャンたちによる、オールスター・ライブや。いまんとこだいたい行けそうなのは、もちろんKarly Chockers一夜限りの完全復活・なんとNonstop Caimanほぼ復活・または後藤ゆうぞうとワニクマほとんどオールスターズ・マルタニカズ・カオリーニョ藤原・KAJA・シーラグ・できるかなNkosi Africa・いけるかなSwede Swede Osaka・・・まあ、そんなとこですな。

Posted: 月 - 1月 26, 2009 at 04:54 午後          


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