ピリピリのカメラ・コレクション


師匠の意外な側面



 カメラを整理しています。ピリピリは、写真を撮るのが大変好きだった。のみならず、沢山のカメラを集めている。彼のコレクションを見ると、コンパクトで自動化されたプラスチック製カメラが多いことに気づく。頑丈なカメラを一台買って、それを末長く使うというよりも、寿命の近い中古のカメラ、自動露出とオート・フォーカスのついた初期のものを次々と買って、飲み友達を片っ端から撮り、壊れたらそのまま、といった感じである。これは、一見すると、カネと物を粗末にしているようにも見える。しかし、私が考えるに、彼の「物」にたいする姿勢がここによく現れているように思えるのである。つまり、物に対する執着がない。彼にとって写真とは、何かを記録したり、芸術的な作品に仕上げたりという対象ではない。ただ単に「ウケ」を狙う、ぱっと撮ってみんなでわっと盛り上がる、刹那的なものだったのだと思う。だから、カメラはただ単に写真を撮る道具に過ぎず、それにこだわる気持はなかったのではないか。あるとき、彼に写真の撮り方を聞かれたことがある。私は、そのとき持っていた機械式のシンプルな一眼レフを使って、一通り露出や感度やピントのことを説明しようとしたが、既に彼は聞いていなかった。つまり、頑丈でシンプルなカメラは、操作にある程度の知識や熟練を要する。かといって自動化された新しいカメラは、高い。なにもそんなことに金を使う必要はないのである。中古で安く出回っている、自動化された初期のカメラなら、電子部品などの劣化により寿命の尽きかけているものは、レンズ付きフィルムと同じくらいの値段で買える。それで何本か余計に撮れたら、その分安上がりだという感じである。彼のカメラ・コレクションを見て、そう思った。

Posted: 日 - 2月 22, 2009 at 10:12 午後          


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