ザイール・ヤ・バココ「第三の旅」


旅の構想・アンゴラ編



 アンゴラの首都Luandaへは、Rio de Janeiroからアンゴラ航空 (TAAG) のみが飛んでいる。このチケットは、Rioの旅行会社を通じて日本からは手配出来ないので、現地調達となる。アンゴラの観光ビザ取得の条件としては、やはり入出国の往復航空券の提示が求められているが、これも在日本アンゴラ大使館との直接交渉によって、旅程と入出国の経路の明示だけで良い事になった。旅の構想としては、首都Luandaから大西洋岸沿いに北上し、N'zetoという街から内陸へ進路を取り、古代コンゴ王国の首都M'banza Congoを目指す。ここは、全てのコンゴ、コンゴたるコンゴの発祥の地であり、その古代王国の首都の遺跡は、世界遺産に登録されようとしている。コンゴの精神を研究するものとして、ここはぜひとも訪問しておきたい。その後更に北上してLuvoという国境の街からコンゴ民主共和国 (RDC) へ出国する。本来、陸路での出国は歓迎されないのであるが、これも私の旅の意義と目的を詳しく説明し直接交渉した結果、経路を明確にする事を条件に許可される事になった。
 アンゴラの旅の目的は、置き忘れられた宝石のような美しさと繊細さを秘めるアンゴラのポピュラー・ミュージックの実際を見聞する事である。これはもともと一昨年の「愛地球博」で、アンゴラのナショナル・デーに出演したトップ・アーティストのPaulo Floresとの話の中で出たものだったが、アンゴラの音楽には、コンゴの音楽にない微妙な哀切の表現があって、それは、ポルトガルのファドの影響が根底にあるとも、永らく内戦下にあった事と関連があるとも、その首都を実効支配していた勢力を支援していたキューバから多くのミュージシャンが移った為だともいわれているのであるが、実際のところ彼等がどのような感覚で演奏しているのかは、ミュージシャンと交流してみないとわからない。わからないものはいつまでたってもわからないのであって、想像をたくましくしすぎて妄想に陥っては危険である。従って、大西洋を渡るのである。首都Luandaで、現地のポップ・ミュージックを堪能した後は、手つかずの自然が豊かに残る奥地への旅である。大西洋岸の道は、ミシュランの地図によると快適そうである。のみならず、コレは首都とは反対の南側の話だが、ザンビアからビーチ・リゾートを楽しみに上がってくる観光客も多いという。しかも、北側には、部族としてはコンゴ人に当たる人々が多く、リンガラ語が通じる事がわかっている。N'zetoから先は少し心もとないが、音楽への気持ちとリンガラ語さえあれば、後はなんとでもなるであろう。

Posted: 土 - 1月 5, 2008 at 11:20 午後          


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