ザイール・ヤ・バココ「第三の旅」


旅の構想・コンゴ編



 コンゴへの旅の目的は、首都Kinshasaで毎年行われている国家的博覧会「FIKIN (La foire Internationale de Kinshasa) 」の見学と奥地への旅であり、今回の旅の主眼である。前回の旅は1991年、モブツ体制のザイール時代であった。その時の奥地への旅は、カサイ州の入り口まで入ったところで、政情不安と交通の遮断によって頓挫し、現地音楽のMutuasiの探求も志半ばで中断、更にそれらの記録は出国時に空港で没収され、かろうじて持ち帰ったもののほとんども1995年の阪神淡路大震災で喪失してしまった。あるのはその記憶ばかりである。震災はそればかりでなく、折しもその年の夏に計画していた「第三の旅」の全ての準備資料を私から奪い去り、自立復興による三年間の停滞と忍耐を余儀なくされた。全てを立て直した1998年には、なんとザイールでクーデターが起こり、内戦状態に突入して、私の夢は再び挫かれた。それから10年が過ぎ、コンゴは安定したものの、こちらの方が不景気や様々な事情で、なかなか現地を訪れる機会が得られなかった。いわばこの計画は「三度目の正直」である。思い入れは誰よりも激しく深い。話がそれてしまったが、今回の奥地への旅の主眼は、「黒い湖」という意味のLac Mai Ndombe周辺への旅行である。この湖を挟んで南側の都市Bandunduと北側の都市Mbandakaは、それぞれコンゴの音楽にとってこの上なく重要である。まずBandunduは、Lidjo KwempaをはじめEmeneya Kesterほか、コンゴの「味わい深い」ほとんどの作曲家やミュージシャンを輩出した土地であり、ここの伝統音楽の旋律やハーモニー、リズムはコンゴの音楽を演奏する上で欠かす事が出来ない。また、北側の都市Mbandakaは、大河コンゴ河に湎し、古リンガラ語を話す「ンガラ人」の故郷であり、コンゴの代表的伝統楽器「ロコレ」の産地であり、重厚にして過激な伝統音楽「Swede Swede」の発祥の地である。そして、その中央に位置する巨大な湖「Mai Ndombe」こそ、彼等が歌の魂と呼ぶ自然の景観をたたえている。非常に多くの歌曲にその名が登場し、コンゴ人やリンガラ・ポップスの心の故郷とでもいえるであろう。そこを訪れる事は、コンゴの音楽のみならず、世界中のアフリカ系の音楽やブラック・ミュージックの核心を突く事になるであろう。私の半生の音楽遍歴の中で、全ての「黒い」音楽表現は、ここを指し示していると思えてならないからである。心の内なる声に従って、私は湖を渡る。そしてMbandakaよりコンゴ河をフェリーで南下する。これこそ、「地獄の黙示録」の構想の源となった、アフリカで最もスリリングな船旅である。船はほぼ1週間をかけて首都Kinshasaへ到達するであろう。その頃には、もはや所持金も底をつき、心身ともに疲れ切っているであろう。首都Kinshasaからは、Bravo AirlinesでVeneziaへ出国する。これも日本からの手配は不可能なので、コンゴ大使館と交渉した結果、陸路での入国と移動経路や旅の目的を明確にする事を条件に、観光ビザの取得が認められた。
 さて、ヨーロッパ側の出入国をLisboaとVeneziaにしたのは、ポルトガル航空とBravo Airlinesが就航し、なおかつ日本から往復航空券が購入出来る数少ない都市だからである。まだ6月以降の運賃は発表されていないが、Alitalia航空が、この2都市間をオープン・ジョーとする関西空港発着の一年オープン往復航空券を設定している。3月時点ではコレが最も安い。しかし価格と条件によっては、ヨーロッパ内発着地を変更するかも知れない。いずれにせよ、大まかな構想と実現の可能性としては、コレでアウトラインは出来上がった。あとは、やるのみ・・・

Posted: 水 - 1月 9, 2008 at 11:51 午後          


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