ザイール・ヤ・バココ「第三の旅」


アンゴラ旅行情報の少なさ

 一般に、アフリカ大陸は旅行情報が少ない。特にアンゴラやコンゴは顕著で、唯一のガイドブック、Lonely PlanetのAfrica編でも、総ページ数600あまりのうち、両国ともわずかに数ページずつ。両国の面積を合わせればアフリカ大陸の何十%にもなるのに、また文化的重要性は遥かに大きいのに、その情報の貧弱さは桁違いである。いまではインターネットというものがあるから、様々に手を尽くすのだが、ほとんどヒットして来ない。アンゴラは特にない。なさ過ぎる。アフリカ大陸をまたにかけて旅行するバイク野郎も、何故かガボンから南アフリカまで空路を使っているし、そうしたいきさつには全く触れられていない。コンゴは未だいくらか情報があるが、アンゴラに関しては、そこだけ触れてはならぬ暗黒地帯のように、情報が抜け落ちている。内戦下のアンゴラを取材した写真家のホームページは、明らかに隠し撮りとわかる腰からの目線の写真が多く、そのほとんどはピントが合っていない。写真家をしてカメラを構えるのを怖れさせるほどの国。友達の歌手が、昨年アンゴラの大使から招聘されかけたのだが、勧誘の為に接待された散財ぶりは全く常軌を逸していたという。ゴージャスを極めた駐日アンゴラ大使館。東京の何倍もするという物価・・・どんな国なのか、全く想像がつかない。私が初めて当時のザイールへ行った時には、勿論若かったのもあるが、情報なんてそもそもなかったし、行きたいと思えば、何も考えずに、ただ飛んで行くものだった。行ってみなければ何もわからなかったし、秘められていたからこそ、得られたものも多かった。いま、こうして毎日情報収集している自分をふと顧みて、一体自分はなにをしているのだろうと思う事がある。行くのが怖いというのも正直なところ。情報があふれていて、居ながらにして大抵の事はわかってしまうのも事実。実際、私がザイールへ行ったのは、当時ザイール盤のレコードを手に入れるには、現地へ行くしかなかったからでもある。今の音楽ソースの情報量は、当時とは全く桁違いだ。私が持っているアンゴラの音楽のCDは、いずれも現地でリリースされているものの、ほんの一部であるはずだ。しかし、本来多彩であるはずの様々なアーティストの音が、かなり画一的に聞こえるのは何故だろう。数年まで内戦に明け暮れた不幸な国という認識が一般的だが、ではなぜアンゴラ大使館はあんなに立派なのか。内戦は、地下資源をめぐる東西両陣営の代理戦争だったというのが一般的な認識だが、それほどのものを内蔵している国の、音楽シーンの庶民感覚とはどんなものだろう。想像もつかない巨大な利権があるからこそ、代理戦争が起こったのだろう事は、容易に想像出来るし、それが集結して、新たに国づくりが始まったというのは、日本で何も知らない一般市民が想像するような微笑ましい事ではなくて、アンゴラに投資を呼び込む為のイメージ戦略に、音楽が国家事業として使われている可能性がある。私の持っているアンゴラ音楽から受ける画一的でゴージャスすぎるイメージ、ほんの僅かずつ漏れ聞こえてくる情報をつなぎ合わせてみると、ザイールで体験したような、平和で楽しい音楽的体験が出来るかどうかはわからない。こんな想像をしてしまうのも、信用出来るような出来ないような、憶測情報が乱れ飛んでいて、確たるものが何もないからだ。アンゴラ大使館には電話しても繋がらないし、アフリカ専門の旅行代理店に訊いても、専門家を自認しているくせに情報持ってない。なんとか、信用出来る情報源を得たいものだ。
 不安要素は置いといて計画を進めよう。Luandaはどうやら安住出来る地ではないらしい。音楽の聞ける状態でなければ、さっさと旅立つ。先ずは大西洋沿いに北上するが、公共交通機関は望めないだろう。ヒッチハイクか車を借りる、あるいはトラックの荷台に便乗する。ミシュランの地図ではN'zetoという街まで太い線が繋がっているので、移動そのものは大した事はあるまい。途中、Ambrizという街周辺は国立公園になっているようだ。キャンプ・サイトのマークもあるが、果たしてどうだろう。現地の人が撮影したと思われる写真を掲載したサイトがいくつかあるが、建物や道路は立派で美しいし、電気もたいてい通っている。海岸ではリゾート風のヴィラで楽しむ人々も写っているし、ザイール・コンゴよりもずっと平和な印象を受ける。ただ、N'zetoからM'Banza Congoを目指す道のりは、地図でも少し心もとない。もとより舗装道路は期待していないが、ザイール奥地を旅した経験上、おそらく苦難の道であろう。M'Banza Congoの街そのものは、古都の遺跡を保存しているくらいだから、わりときちんとした印象を受ける。問題は、日本人に対する国民感情だが、このエリアは既にザイール州であり、多くの人はリンガラ語を解するというから、なんとかなるのではないか。何より、古代コンゴ王国の首都の遺跡を訪れ、バントゥー音楽の最も濃い要素を司る音楽の神に祈りを捧げてくる事は、きもちとして厳粛な思いがする。あとは、そこからコンゴ (RDC) 側への国境が、無事抜けられるかどうかだ。まあ賄賂は当然として、逮捕投獄や襲撃の危険が最も高いのがこの辺境地帯であろう。距離にして、約600キロ、4輪駆動車をチャーター出来れば数日で到達出来る。しかし、音楽を見聞するという旅の目的に照らせば、じっくり2週間程度かけて歩きたいところである。宿泊をどうするか、移動手段をどうするか、その辺りの情報は、今のところほぼ皆無である。

Posted: 木 - 1月 24, 2008 at 10:09 午後          


©