ザイール・ヤ・バココ「第三の旅」


うれしはずかしコンゴの旅行

 コンゴを訪れるのは3回目である・・・とはいっても、前2回はザイール時代だったが。1回目は1989年。何も知らずに飛び込んでエラい目にあったが、毎日毎日飽くことなく音楽三昧に明け暮れて、レコーディングまでこなして来るというおまけ付きの、見事にツボにはまった旅であった。2回目は1991年。奥地への旅を強行してこれまたエラい目にあったが、伝統音楽を目の当たりに見て感性に刷り込む事が出来たのは、全く得難い経験であった。さて今回は、前回果たせなかった奥地への旅の続き・・・すなわちコンゴ盆地の中心部、「黒い水」をたたえるというMai Ndombe湖周辺が眼目である。
 7月半ばまでにはアンゴラを出国してMatadi街道にいたり、それを東進してKinshasaへ入る。このルートは先刻ご承知だ。バスもあればミニ・バスもあるし、鉄道も通っている。ひさしぶりに鉄道の旅なんて、全くすてきだ。列車を待つ為に1週間逗留しても良いほどだ。Kinshasaでは、7月は「FIKIN」という国際見本市の季節。工業製品もあるだろうが、やはり民芸品、そして音楽の総合展示会であって、これはぜひみておきたい。
 「FIKIN」に飽きたら奥地へ旅立つ。まずはBandunduを目指す。ここはなによりLidjo Kwempaの出身地であり、今も彼の家族が住んでいる。家族は代々音楽を伝承していて、今はLidjoの兄がグループを率いている。既に彼を通して私の訪問の意向は伝えられていて、BandunduからMai Ndombeまでの交通手段も確保された。そのBandunduへ行くには、KinshasaからKikwitへ向かうバスを途中下車するか、舟で川を遡行するかである。Lidjoは、内戦の影響で道路はかなり傷んでいるから、舟を使われるが良いという。私の大好きな歌手Ndombe Opetumが1976年にT.P.O.K. Jazzに残した名曲「Voyage ya Bandundu」に歌われる情景の数々を目にするのはいつの日か。遠く果てしないが、霧のような高原の美しい森たちと歌われたその道筋は、今は破壊されているのか。1991年奥地への旅の初日に、Kikwit行きの夜行バスの車窓から見た朝の明けやらぬコンゴの大地の雲海は今度も見られるか。雄大な風景と時間、透き通ったコロイドのような、石英を通した光あふれる森の雫。そこで人々が歌う、まろやかで豊かで深い、黒い歌・・・これこそが、永年私が求め続けて止まなかった「最も深い黒」である。最も黒い歌、世界で最も黒い湖、ここに身を浸す事そのものが、私の永年の夢だった。その為に何もかも犠牲にして来た。ここを訪れる為になら、たとえ命を置いて行けといわれても、決して惜しみはしない。死んでも良いとはこの事だ。それを人に説明する事は難しい。インスピレイション、すなわち心が大切に求め志向する、内なる声に導かれて道を進む、それを精霊と呼ぶ人もいるし言霊という人もある。音に、音色に、その空気に、肌触りに、すなわちインスパイアされる事。これに理屈も説明もない。ただ迷わずに、内なる音楽に導かれて、たとえ徒歩ででも、森と沼の中を進むのみである。音楽の神Tumba Massikinniに導かれて・・・
 実際、Bandunduまでの旅路はそう険しくはない。そこからMai Ndombeへ向かう旅路は、川と道路をまたにかけてゆくか、あるいはいくつかの川を遡行しながら行く。すなわちBandunduからKasai川をすぐ斜め対岸のBendelaまで渡り、Niokiまで陸路北上して、ふたたび湖から流れる川でKutuへ至る。ミシュランの地図によると、川と川をつなぐ道はかろうじて実線であるが、Lidjoの話にもある通り、内戦で寸断されている可能性がある。車は却ってトラブルが多いかも知れぬ。徒歩での旅行がどの程度可能なものなのか、仔細に検討する必要がある。7-8月は乾季であるので、さほどぬかるみの心配はなかろうが、沼沢地域を行くため、あるいは田んぼで使う股付き長靴が役に立つかも知れぬ。録音や撮影用の器材とかねあわせて、荷物の量と相談しなければならぬ。いよいよこの区間からが旅の本命である。どのような移動手段をとるにせよ、村々に立ち寄って人々と触れ合い、音楽を収録してきたいものだ。Lac Mai Ndombeは舟が縦貫していると地図にも諸々の資料にもそう書いてある。中心都市Inongoをはじめ、要所要所に宿泊施設のマークがあるので、まあ何とかなるだろう。ただ、舟で縦貫してしまっては音楽を聴く事が出来ぬ。出来れば沿岸の村々に立ち寄って、火を囲みながら音楽を鑑賞したいものだ。湖を北へ脱する街はBoliaという。この僅かな区間に出来るだけ多くの音楽を見たい。Boliaからは、すこし頼りがいのある道筋が北上している。紆余曲折を経てEquateur州の州都Mbandakaへ通じているが、その手前にある湖Lac Tumbaは是非訪れたい。ここには京都大学も協力しているという、アフリカの環境科学のフィールド・センターがあるといい、文化調査の一環として音楽も扱われているという。どんなものかはこれから調べるが、独裁と内戦と荒廃の中で、どのような活動をして来たのか、良く見てみたい。Mbandakaは、リンガラ・ポップスにとってBandunduに次いで重要な街である。なにより伝統楽器「ロコレ」の発祥の地であり、Swede Swedeの発祥の地であり、鬱蒼とした熱帯雨林と大河に満たされた街であり、全てが刺激的である。地図には植物園の記載もある。ここでのんびりKinshasa行きの舟を待ちながら、ロコレ職人の許でその作業を手伝いつつ、音楽を聞いたり演奏出来たりすれば、これ以上の悦楽はあるまい。そこからKinshasaまでの船旅は、運を天に任せるより他にないが、様々な旅行記があり映画があり、それらによると何艘も連結されたフェリーは、それ自体が水に浮かぶマーケットであり街であり生活の場であり、コンゴ中の混沌と活気と快楽と商売と、異に寄ったら地獄を詰め込んだような運命共同体であるという。無事に着くとは限らないし、いつ着くともわからない。順調に行けば一週間で到着するはずだが、一ヶ月かかったと聞いた事もあるし、沈没したと聞いた事もある。しかし船上では、連日連夜音楽が奏でられ、物が売られ、人がひしめき合い、にぎやかで活気に満ちている。リンガラ語を話し、コンゴの料理を食い、音楽を奏でる事の出来る私に、何の危険や心配があろう。初めてのKinshasaでの経験と同じく、全ては周りの心優しいコンゴ人たちが取りはからってくれ、守ってくれるであろう。こういう場所では、下手に意地を張らず、彼等の懐に身を預けるのが何よりだ。その要領は、身にしみて心得ている。あとは舟が無事に到着してくれるのを祈るばかり。

Posted: 日 - 1月 27, 2008 at 11:48 午後          


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