ザイール・ヤ・バココ「第三の旅」


旅の装備・デジタル化の多大なる恩恵


 私の旅は、音楽を訪ね、写真も重要な要素となる旅であるから、録音機材と撮影機材に、かなりのスペースと重量をとられる。上の写真で、右側のしきものの上に乗っているのが、ほぼ前回の機材関係の主だったものを再現したものである。カセット・テープ50本にデッキ、電源ユニットに集音マイク。カメラは当然フィルム・カメラに望遠レンズ、フィルムも50本ばかり持って行った。しかも、バック・パック用のザックに回すカネなんてなかったから、丈夫な帆布製のズタ袋に全部押し込んで、ひたすら担いで旅をした。奥地への旅の間は、いくらか現地で仲良くなった人に預かってもらったとはいえ、その重量たるや、裕に30kgは超えていたと思われる。しかし行くしかなかった。ヤルしかなかった。重いなんて思わなかった。なにしろ、憧れの土地に行けるんだから。その格好で、夜盗の襲撃から逃れ、暴動間近の地方都市で「後ろを見るな。走れ」と言われてひたすら走ったのである。悪路を、赤土の砂煙にむせ返る風の道を、そしてスコールとともに濁流と化す谷間の峠道を、ときには体調を崩した現地の旅人に肩を貸し、トラックから落ちた荷物を担ぎ上げ、スタックしたトレーラーの車輪に潜り込んで梃をかましたりしたのである。片方の肩が赤く晴れ上がったが、その帆布の方が先にくたばった。折よくKinshas行きのヒコーキに乗る間際だった。その同じ分を、なんと今では写真の左手の分量で、それ以上をまかなえるのだ。MP3レコーダ−1台あれば、それこそ一生かかっても聞き尽くせないほどの録音をとる事が出来る。デジカメにはフィルムはいらずSDカード何枚かで充分だし、バッテリーも薄い。その容量と重量の違いは、それこそ天と地の違いである。すばらしいことだ。デジタル化の恩恵とはいえ、技術の進歩は、単なるコピーの蔓延だけではなく、このように使われなければならないはずだ。しかも、今では日本人の体格に合わせて作られた、丈夫で使いやすいザックや、バック・パッカー用のあらゆる製品が、昔では考えられないほどの廉価で売られている。これだけ楽に旅が出来るなら、コンゴの森の徒歩旅行など楽勝パックであろう。

Posted: 土 - 2月 2, 2008 at 05:07 午後          


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