旧友家の引っ越し


岡山へ・・・



 中学時代からの長いつきあいの連れである。その頃からともにバンドを組み、彼が北海道大学へ進学した後は、毎年春休みに、その下宿へもう一人の長いつきあいの連れと一緒に、ひと月近く泊まり込んでは、誰に聞かせるアテもない音楽や詩を作って録音した。

http://homepage.mac.com/jakiswede/2music/21acts/211sapporo/2110sapporo.html

 私は4年で大学を卒業し、彼はさらに進学した。私はその後、様々な職を転々とし、音楽的な遍歴を積み重ねた。彼も、そのまま大学院から研究者への道を進めば、将来は約束されていただろう。しかし、中学の頃からともに培った反骨精神のなせる業か、彼は、その道のキャリアをかなぐり捨てて「現場」へ出た。岡山にある総合医療福祉施設「旭川荘」へ就職したのだ。これには正直、驚いた。専門分野は臨床心理学で、おもに発達障害と障害児教育にある。「現場」を知らずして学究の道に突き進むのを良しとしなかった彼は、そこに居を構えて教育現場に留まり続けることになる。

http://www.asahigawasou.or.jp/index.html

 そして何年か経って、彼は再び学問の世界に呼び戻される。語呂合わせではないが、北海道旭川市にある北海道教育大学である。そして教鞭をとりながら、発達障害という現在的なテーマに脚光があたるに連れて、講演会へ引っ張りだこの売れっ子学者となったが、それで稼いでおれば良いものを、やはり持ち前の反骨精神か、最近では講演会は全て断って、ひたすら研究と講義と、各種団体へのアドバイスに注力しておられる日本を代表する学者なのである。このような立派な人間を連れに持っていることを、私は大変心強く思う。

http://kensoran.hokkyodai.ac.jp/huehp/KgApp?kyoinId=ymigggggggy&keyword=

 もともと彼は兵庫県伊丹市の出身であり、われわれは関西に居並ぶ有名エリート中学校を受験して失敗した奴らが受けることで有名な、某準エリート中学で知り合った。そのときには宝塚市に住んでいた。札幌、岡山、旭川と転居を繰り返している。その宝塚の実家を売り払って岡山に居を構えたのだが、本人の旭川勤務が長期化するので、そこを引き払うことになったのである。この間に、彼には妻子が出来、先日見に行ったもう一人の腐れ縁の友の妻子とともに、私には感慨無量である。いやひとのことを言うてる場合やない。しかしすでに上の子は中三の娘、下の子は小学校5?年生の息子であって、まあ世間一般そんなもんやのう。この日は、休みを利用して、ドライブがてら、わざわざ旭川から車を駆って、まあ小樽から舞鶴まではフェリーだけれども、それでも遠路はるばる岡山の地まで走って来られたのだ。「引っ越しの手伝いにこい」というので、まあ力仕事と運搬と段取りやったらまかしとけとばかりに、まったく学術的でない私の本領が発揮される。ちょっとヤバいかなと思ったが、足掛け二日でなんとか片がついた。おまけに不要品というて電子レンジをはじめ、いろいろ役に立つものまで車一杯頂いて、おまけにずいぶん昔に売った覚えのある古のシンセ・ドラムまでもらって、帰りに総社におわすわが伊丹家の本家にも立ち寄って、従兄とその妻子にも初めてお目にかかり、名産の桃まで頂いて、実に実りの多い一日であった。



Posted: 木 - 8月 13, 2009 at 09:45 午後          


©