浅草サンバ・カーニバル見物の旅


Mukuna Tshakatumbaワークショップと市川



 なんかこういう風景に「東京」を感じるんですなあ。翌朝、ぱうりんを誘って江戸東京博物館へ行く。蔵前の周辺は、流石に江戸情緒が色濃い。博物館そのものは、ガイドの知りにひっついて回ったおかげで、なかなか面白かったが、これも大阪の歴史民族博物館の方が印象は良い。ま、私が関西人だからでもあるが・・・



 さてこの日は、東京在住コンゴ人パーカッショニストの筆頭Mukuna Tshakatumba師の個人授業を予約してあったので、豊島区にある師のお宅へお邪魔する。Mukunaは、仕事では何度かご一緒させてもらったのだが、一度きちんとコンゴ風のコンガの「手」と、彼の出身地であるカサイ州の伝統音楽「Mutuasi」の伴奏に使う「Ditumba」というビビリ太鼓の正しい扱い方について詳しく教えて貰おうと思っていた。テクニカル・ディテイルは省略するが、要するにコンゴ風のコンガとラテン・パーカッションのコンガとの感じ方と手の使い方は、決定的に異なる。「Ditumba」については、1991年にカサイ州を訪れて垣間みただけで、きちんと手の使い方やフレージングなどを学んでいないから、私が安物のジェンベで代用した「Ditumba」もどきを私が叩いているあり方は、実は本物からほど遠い。彼の祖父は、村一番の太鼓の叩き手であった。祖父は近隣の村々の冠婚葬祭に引っ張りだこで、彼が病気になると、一切の行事が延期されるほどの名手だったのである。Mukuna自身も1990年に来日して以来、劇団四季の「ライオン・キング」の初代パーカッショニストを努めるなど、コンゴ人ではパリ在住のPapa Noelとならんで国際的にも認められた名演奏家である。幸いなことに、私の理解はほぼ正しく、彼は驚いていた。ただ、決定的に違っていて私が全く認識を新たにしたことがある。それは、「Ditumba」の構造だった。現地で私はそれを注意深く観察したつもりだったが、大きな点を見落としていた。それは、底が抜けていないということである。ジェンベなどのゴブレット型の太鼓は、底面が解放されているが、「Ditumba」はいわば杯のように閉じられているのである。しかも、なんとそこに水を入れて使うのだそうだ。その湿度で皮が弛み、あのような重い低音が出るという。そして皮の表面に塗る塗り物、これは主に音程の調節をするのだが、ゴム粉末をヤシ油でこねる。その硬さも概ねわかった。もちろん、胴体に開ける穴とそれに張る膜については先刻ご承知である。この、彼の故郷の誇り高い太鼓について熱心に訊いてくる日本人の私を、彼は喜んでくれた。本来のワークショップの値段で、お気に入りのコンゴ料理のランチと、彼の最新作のCDのおまけがついた。ご機嫌ご機嫌。



 参考までに、私の持っている「Ditumba」もどきのビビリ音発生部分、張ってあるのはスーパーのレジ袋。これで、低い「胴鳴り」に共鳴して「ブイーン、ブイーン」とビビる音がする。
 さて、その夜は市川へ行って「武藏屋」という酒店を訪れることになっていた。そこはかつてわれわれとともに日本でたったふたつしかないリンガラ・ポップス・バンドであった「Yoka Choc」の本拠地であった店で、ピリピリのセカンド・アルバムを委託してあったのを回収する目的があったのである。もちろん久しぶりにつもる話に花を咲かせたかったのもある。

http://www.ichikawa-wine.com/

 実はこのお店、かつてはごく普通の酒屋だったのが、今では日本を代表するワイン・セラーでありワイン文化を日本に紹介する地道な活動も続けておられる。しかも非常にレベルが高い。そして驚いたことに、なんと今私の住んでいる神戸市北区道場町にあるワイン・ショップ「にろや」

http://www.ceres.dti.ne.jp/~riki/

とは非常にご懇意であって、世界の良心的なワイナリーを巡っては、日本へ輸入してくる仕事を共同でなさっておられるということだ。なんと、リンガラ・バンドのみならず、ワインの道でも日本にふたつしかない両者の、かたっぽは知り合い、かたっぽはご近所て、これ、俺にワイン道へ進めってこと? そんなことに驚き盛り上がっていると、そこに、なんと、かつての我々のメンバー大室氏がやってきて彼の家に泊めてもらうことになった。稲毛海岸かどこかで車中泊を決め込んでいた私にとって、まさに救いの神だ。昔の仲間はいいもんだ。とくに市川の友達は、いつも大変良くしてくれる。ひさびさに深酒をして彼の家に転がり込み、瀑睡。

Posted: 日 - 8月 30, 2009 at 12:48 午前          


©