ザイール・ヤ・バココ「第三の旅」


ルートほぼ決定




 旅のルートがほぼ決定した。当初、まずはLisboaへ飛び、そこから大西洋周遊のイメージでプランを立てていたが、去年の計画段階では就航していたいくつかの航空会社が倒産した事と、それによって代替の航空会社で周遊を組もうとすると、片道運賃を積算して行っても、往復チケットで片道を捨てる方法をとっても、どっちみちとんでもない金額になる事から、プランの変更を迫られた。南米大陸とアフリカ大陸を直接結ぶ航空会社が少ない事が主な原因である。ブラジル行きとアフリカ行きのふたつの旅行に分ける事も検討した。その方が少し安い。しかし最終的には、「Star Alliance」という航空連合が発行している「世界一周チケット」 で旅行するのが、最も安上がりである事に気がついた。上の図のような組み方で、本体価格35万程度である。「なにゆーとんねんこのヴォケ、ヨーロッパ往復で5万くらいから格安航空券あるやないかい知らんのかこのズダボ」という声もあるかと思う。が、それは有効期間が長くて1ヶ月程度のFIXでという条件で、出発日も限られる。3ヶ月程度のオープン・チケットでは、仮にふたつの旅行に分けたとしても、Kinshasa往復だけで軽く30万は越える。自由には高い代償を払わされるものだ。
 さてその「世界一周チケット」・・・これについて調べてみると、いろいろと面白い事がわかった。ルールについては、上のリンクを熟読して頂くとして、要するに実際のフライト・マイル数を積算して行って、その合計距離によって、4段階に料金が別れる。上のルートでは「Star 2」といって、ぎりぎり2番目に安いランクになる。実際に飛ぶ経路によってマイルが変わるから、ヨーロッパからの放射状のネットワークを持つ、メジャー系の航空会社で組んでしまうと、結構高くつく。しかし、アフリカや中東を拠点とする航空会社を交えて組む事が出来れば、横つながりでかなり短い距離で行けるのである。ここでも、ネックは南米大陸からアフリカに渡る経路であった。ブラジルとアフリカ大陸を結んでいて、しかもKinshasaへ就航している航空会社、これは南アフリカ航空しかない。Sao Paulo- Johanesburg- Kinshasa・・・音楽を志すものに取って、南アフリカ航空は、まさに天の救いである。Johanesburg・・・ここは近年アフリカのハブ空港として一段と躍進している。全ての空路はヨハネスに続いているという感がある。さてその南アフリカ航空が属している「Star Alliance」で、それ以外のルートがカバー出来るか・・・昔は、旅行代理店でしか出来なかったワールド・ワイドな検索を、自宅のパソコンで出来、しかもフライトの予約までして発券する事も出来るのである。まったく旅行代理店泣かせだろうが、隔世の感がある。みなさんも、上のリンクを使って、仮想世界旅行はいかが ? いまなら「世界一周チケット」が当たるキャンペーンやってます。僕も応募したけど・・・
 その検索機能を使って遊んでいると、とても面白い事がわかる。日本とアメリカの間のように、毎日何便も飛んでいる区間もあれば、どこかとあそこのように、一日一便・・・はおろか、週何便しか飛んでない区間もある。したがって、だいたい想定しうる旅程を組んでから、近接する出発日を、曜日を変えてあたって行くと、面白いところへ飛んで行く飛行機に巡り会う。当然、そこで降りる事が出来る。Johanesburg- Cairo間のエジプト航空がそれである。エジプトは、全く想定していなかったのだが、Frankfurtなどヨーロッパの諸都市経由が多い中で、ただひとつ中東へ行く。Cairoといえば、アラブ音楽のまさに伝統の中心地であって、帰り道にスペインからモロッコへ行ってアラブの音楽でも垣間みてみようかな、などと夢精していた甘っちょろいアタマにガツンと一発、核心を突いてきた。しかもヨーロッパ経由より飛行距離が短いからサーチャージも安くなる・・・となると、他の区間も安く出来ないかと、いろいろ試しはじめてしまう。そうなのだ。サーチャージや空港税などは、どの航空会社を使うか、どの空港に離発着するかで、数万円程度の差が出てくる。これは試さな損でしょ・・・ちゅうて、初めに組んだ、ざっとした世界一週プランから、実に12万円程度安くあげる事に成功した。それだけで、それこそロンパリ往復1週間でも行けるやん。
 さて旅の内容である。世界一周にした事で、大西洋周遊プランの場合とかなり彩りが鮮やかになった。先ずはアメリカに渡る。何度も海外旅行してるくせに、アメリカを知らんのである。やっぱりあの国は一度経験しておきたい。SanFranciscoには、古い写真家の友達がいて、郊外でのんびり暮らしているという。アメリカの田舎暮らしも是非見てみたい。それにNew York・・・世界最強の国の世界最強の都市、ラテン・アメリカの首都・・・その空気を是非味わいたい。アメリカには、現在Ohio州Kent市に、Ethnomusicologistでブラジル北東部音楽とアフリカのバントゥー音楽の研究で名高いコンゴ人学者でメル友のKazadi wa Mukuna 大師匠がお住まいであって、「アメリカに来る事あれば必ず立ち寄られたしゆめゆめ過する事勿れ」ときつく言われていたのであるが、そっち行くとマイルが上がって5まんえんくらい余計にかかるんよね。ちょとそれ辛いし、こらえてもろた。Sao Pauloへ安く行くにはWashingtonへ出るのが良い。しかしこの区間で空路を使うとチャージが結構高いんで、いっそのこと鉄道の旅・・・どうせSao Paulo行きの直行便は深夜出発なので、途中Philadelphiaでも見物しながら、のんびりアメリカ鉄道の旅とシャレ込んでみよか。空路チャージより安い事やし・・・
 ブラジルである。ここももちろん初めてである。カーニバルの前の方が、期間中よりも音楽的には面白いという。始まってしまうと、街中ごった返してしもて、音楽もなんもわからんというのである。もともとSao PauloやRio de Janeiroに長居するつもりはない。でも、RioでBossa Novaなんてちょっと聴いてみたい気もする。まあチャンスあればの話である。目指すは北東部・・・その前にちょっとPort Seguroというヒッピー村みたいなとこで一休みしてから、Salvador- Recifeと核心に迫ってゆく。まだ情報収集中であり、一切の手配はしてない。Recifeにはカーニバル一週間前には着いておきたい。そこでカーニバルを見物するか、始まる前にとっとと大西洋を渡るかはまだ考えてない。せっかくだから見ておこうかとも思うが、先の長さを考えると、早めにアフリカへ渡っておく方がゆとりが持てる。Recife- Sao Paulo間はTAM航空で2万円弱である。
 アフリカへ渡る。Johanesburgは、おそらく旅行者にとって世界で一番危険な都市のひとつであろう、特に空港がアブナい。アフリカのハブ空港としての役割を持っておきながら、空港から市内へアクセスする安全な手段がない。事前にホテルの予約を取るか、知人に連絡して迎えにきてもらう必要がある・・・らしい。どんな情報筋にあたっても、その見解だけは一致しているので、ここは素直にしたがっておく。中級クラスのホテルを調べて予約し、迎えにきてもらおう。ここはまた、Joseph Nkosiの家族の住む街である。彼に訊くと是非寄って行きたまへというので、これは行かなあかん。Sowetoのなかでも特にミュージシャンの集まって住んでいるエリアがあるらしく、そこは外国人も音楽を目的に入ってくるから、みんな連帯して治安が良いという。実に魅力的な話ではないか。
 3度目のKinshasa、前回訪れた時から、はや19年も経っている。日本の19年とコンゴの首都の19年とでは、えらい違うでしょうな、19年前はガキ共の伝令ネットワークというか、ほんまに飛脚みたいなんがなんぼでもおったけど、いまや携帯蔓延、ネットカフェ林立で、なんぼでもメール来るもんなあ。それでいて固定電話がない・・・いや、ないからこそ携帯電話が普及するんやな。設備投資少のうて済むし・・・まあKinshasaでは楽器の調達とAngolaへのVisa取得の目処だけつけて、Bandunduへ旅立つ。たぶん船になる。そこからは全く情報がないので、行ってみんとわからん。コンゴの有能なミュージシャンを多数輩出したBandundu- Mayi Ndombe- Mbandakaというエリアは、それこそまさに黒い水の通う、最もディープなコンゴの心臓部である。入って行けるか、どこまで行けるか、どのくらいかかるか・・・いや、生きて戻れるかもわからん、なんにもわからん世界である。情報は、全くない。Mbandakaまでたどり着ければ国内航空の便があるが、それとて頻繁に欠航する。途中のInongoという街にも空港はあるが、機能していない様子である。コンゴの航空機は、慢性的な整備不良で、上空を通過する事を拒否する国も多く、ヨーロッパへの就航も禁じられている。彼等一人一人は、一生懸命やっているのだろうが、仕組みとして、国として、動かないものは動かないので、なかなか上手く進まない・・・全てにおいてそういう国である。予定では、Mbandakaからは、「地獄の黙示録」の舞台ともなった雄大なコンゴ河の河下りである。
 さて、生きて無事にKinshasaへ戻れたら、AngolaのM'banza Kongoへ行く段取りに取りかかる。これが非常にハードである。日本でのVisa発給は絶望的だ。去年の段階では、まだちょっとめんどくさいが、ウラ技を駆使すればなんとかなる程度だった。しかし、そんな奴が他にもいて現地でドジでも踏んだのか、いまでは、現地在住アンゴラ人の紹介状・現地旅行会社の発行する旅程表・現地宿泊先の予約確認書・入出国するための航空券・黄熱病予防接種証明書・預金通帳のコピー・写真何枚か忘れた・・・しかも前三者はポルトガル語で表記のうえ予め現地からFAXしたのちに原本を取り寄せて後4者とともに、本人が直接出向いて申請するようにとのことである。その上で審査に入るので、発給は2週間程度かかり、これも本人が取りに来るようにとの事であった。ここは神戸、向こうは東京である。ではその旅行代理店は紹介してもらえるのかと問えば、できないという。つまり、彼等は、できないことをやれと言っているのだ。これは、要するに「来るな」という事であり、アンゴラという国は一般の観光客に興味はない。いまアンゴラは内戦からの復興景気に沸いており、首都Luandaの物価は、東京の2倍に迫る勢いである。現地の多数の情報筋によると、首都での宿泊施設は、ただでさえ少ないうえに現地法人に押さえられていて全く不可能、地方に至ってはほぼ皆無、南部へのアクセスはまだしも、北部へのアクセスは危険極まりなく絶望的・・・等々。しかし例えばGooglemapなどに投稿された写真などによると、実に美しい町づくりがなされていて、とても危険な雰囲気など感じられない。本当に危険ならば、破壊されて略奪されるであろうものも、堂々と屋外に設置してあったりする。つまりこういうことではないかと思う。現在アンゴラは復興の途上である。観光客を受け入れたいのはやまやまだが、復興インフラの整備のために多くの企業や人員を誘致していて、そのための需要に応えるのが精一杯、とても観光客に回すゆとりはなく、従って観光Visaは制限せざるを得ない。しかし、しかしである。たとえばYahooのトップに広告張ってるエミレーツ航空 なんか、Luanda便の新規就航を記念して観光キャンペーンなんかやってる。どないやって行けちゅうんやろな・・・
 というわけで今回は、断腸の思いでLuanda行きは断念したのである。しかし、古代コンゴ王国の首都であったM'banza-Kongo、またの名をSao Salvador do Kongo (!!!) 、その名を聞けば、コンゴ音楽ファンならずとも、ブラジル音楽ファンでさえ、イキたくなるであろうが。古代コンゴ王国の城跡がUNESCOの世界遺産に指定されようとしている。コンゴ音楽を愛するものとして、ここはぜひとも参りたい。Kinshasaからタクシービスでほんの2時間、Songololoという街から南下して国境の街Luvoへ、そこからほんの片道50kmばかりのところである。なぜにこの街がアンゴラ領なのであろうか、なぜにそのために多大な苦難と金子を持ってこの若き情熱を徒に浪費せねばならぬのであろうか、ここは現地交渉あるのみ、あかずんば強行突破である。
 つまりもう一度生きてKinshasaに帰って来られる確率はかなり低いのである。もし幸運にして戻って来られたならば、そこからは悦楽の境地、Johanesburg経由でCairo。ここは観光で成り立っている国だから、まあ行けばなんとかなる。Visaも空港で簡単に取れる。アラブの伝統音楽やきれーなねーちゃんのベリー・ダンスのええやつをハイソなホテルかオペラ座で見た後、さらにLisboa、ここもポルトガル系アフリカ音楽の演奏される場所の調べはだいたいついているので、3月の最終週末をここで過ごし、週明けにはIstanbulへ。世界三大料理のひとつトルコ料理で自分に祝杯をあげながらバザールを散策し、現地工房のシンバルでもお土産に買って帰るとするか・・・生きてたらね。

Posted: 火 - 10月 13, 2009 at 10:46 午後          


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