ザイール・ヤ・バココ「第三の旅」


旅の計画ブラジル編



 田畑の冬支度もほぼ目処がついたし、ここ数日雨続きなので、毎日楽しく旅の構想を練っている。調べてみると調べてみただけ、いろんな事がわかってきて本当に面白い。今はインターネットがあるから、20年前のコワいもの知らずの飛び込みの旅と違って、街の様子や押さえるべきポイントまで、まるで手に取るようにわかる。偶然に行き当たるのも旅の醍醐味だが、調べ上げて押さえて行く旅のあり方も、音楽という目的のある旅なので有意義と思う。もう若くないし、体力的にも時間的にも、ある程度組み上げてから動いた方が、良い結果が得られそうだ。
 さて、旅のメインはブラジルのcarnavalとコンゴ (RDC) 奥地への旅である。順を追って、どこで何をしようとしているか、自分のアタマの整理もかねて書き出してみたい。
 1/22 (金) に伊丹空港を出発する。伊丹空港から海外旅行に出るというとこがええんや。なんか廃止も検討されてるみたいやから、あるうちに乗っとこ。
 SanFranciscoで昔の写真家の友達に会うのは、ちょっと先方の都合もあって流れそう。しかし、アメリカそのものを見てみたいという気持は昔からあって、このあとNew Yorkへは行くので、それ以外のアメリカとアメリカ人を見てみたい。だってアメリカ人の友達いないもんなあ。
 New York、世界最強の国家の世界最強の都市。ラテン・アメリカの首都。ここも旧友に会うのが目的だが、New Yorkについて調べて行くと面白い街だ。いろんな人がいて、いろんな考え方があって、それら全ての需要に応えようとする実に多様なものがそろってる。「トレンド」と一言に行っても、日本の全員右へならえ的な流行ではなくて、様々なスタイルがあって、しかもそのバラエティが実に広い。数日の滞在なので、もちろん十分に感じとれるわけではないが、そのうちのごく一部を切り取って、旅の記憶にとどめたい。宿泊先は手配してないが、チャイナ・タウンかリトル・イタリー辺りで、ちょっと古びたビルを改装した安宿なんかに泊まりたい。屋上に上がれて、マンハッタン方面を遠望出来たら最高だ。寒くてたまらんかも知れんが・・・しかし、ホテル捜してて実感したけど、New Yorkのブディック・ホテルの洗練のされ方はただもんやないね、あたりまえといやあたりまえなんやが、まるで映画。しかも一泊$600くらい平気でするし、そんなとこに泊まる人がいるんやからすごい。こっちは$60でも顔しかめてんのに・・・まあ最悪ドミトリーで$15ちゅうのんもまた、アメリカらしくてええね。New Yorkでは、ブラジル生活8年を経たBossa Novaの美女ピアニストに夜遊びにつき合ってもらい、同い年のジャマイカ系アメリカ人と結婚した、これまた絶世の美女のお宅へお邪魔する。こちらはBrooklynの下町、日曜日には朝から住民が着飾って教会へお祈りに行く光景が見られるという。彼女はその教会のゴスペル歌手、そのバック・バンドが大変上手いらしい。観光旅行では決して得られない体験が出来そう。
 翌1/25 (月) にはTime's Squareとか、まあ観光地をちょっと回って、AmtrakでWashingtonへ。今回の旅では、まともに鉄道旅行を楽しめないので、ここでその欲求を満たしとく。もちろん各駅停車でPhiladelphiaとか通りつつ、6時間ほど掛けてWashingtonへ行く。WashingtonではAmtrakの駅前が大規模商業施設になってるみたいで、まあいうたらアメリカン・ドリームかな、それを抜けるとL'enfant Plazaというところがあり、そこから空港行きのバスが出てる。Washington発は深夜。いよいよブラジルへ・・・
 1/26 (火) ブラジルSao Paulo着。そのままGOL国内格安航空でRio de Janeiroへ。ところがこのGOLの予約がスムーズに行ってない。非常にわかりやすい英語版のホームページがあって、そこで予約も支払いも出来るはず・・・なんやけど、クレジット・カードの認証が全然出来なくて、メールで問い合わせると、オン・ライン・ヘルプがチャットでできるというから、そこへアクセスしてもパソコンがフリーズ・・・しかしもしうまくいけばこの航空会社、多分バスより安い。
 予定では同日昼過ぎにRio着。いよいよ旅の本題の始まりだ。Rioには1/31 (日) まで滞在する。その実質5日間で、したい事は山ほどあるが、carnaval前という事でかなり制限されるだろう。事前情報では、ライブハウスの通常営業はほぼやっておらず、特にBossa NovaやChoroは壊滅状態、街中がサンバ・パレード用の八釜しいブロコに占領されるであろうとの事。まあしかし希望は捨てるまい。独自に調べてみたところ、ブラジル人だサンバだと一言でいっても、実に様々な人たちや考え方があるのであって、一色に完全に塗りつぶされるということはないはず。これは、この時期にパレードを見に来るひとが、それしか見ないからそう見えるのであって、Rioはもっと奥深いと思う。

 http://www.samba-choro.com.br/

 こういうサイトがあってね、ブラジル中のライブハウスでいつどんなアーティストが出るか、店のオフィシャル・ホームページもあるものは掲載されている。むろん、あまりブラジル音楽に精通してないので、アーティスト名だけでわかる事には限界があるんやが・・・コレを出発間際にチェックして最終決定。いまんとこ毎週火曜日に、つまりRio到着日にはGamboaという地区にあるライブ・ハウスでChoroが行われているはず。街全体がcarnaval気分で盛り上がっているのは間違いないと思う。私は、あんまり八釜しいのは好まないが、ensaioという、パレードの公開練習が、そこかしこで行われているというので、それは見ておきたい。また、せっかく来たのだからRioの貧民窟などと呼ばれているFavelaを本拠としているほんまもんのEscola de Sambaはゼッタイ見たい。これも調べて行くといっぱいあるが、心から敬愛するCartolaの創立した、かの有名なMangueiraのサイトに運良く行き当たったので紹介しておこう。ついでに日本人旅行者の日記も・・・

 http://www.mangueira.com.br/site/conteudo/index.asp

 http://homepage1.nifty.com/~ishigooka/bamboo-mangueira1.html

 Favelaについていろいろ調べて行くと、なんていうかね、確かに麻薬組織があったり窃盗団が根城にしてたりするから、懐にカネもった日本人旅行者が、のこのこ入って行ったら身ぐるみ剥がされるのは、あり得ることでしょうな。でも、写真や動画や、旅日記を見てると、それだけではない、なんらかの原因で窮乏し、不法占拠とは知りつつそこで生活せざるを得ない普通のひとが大多数であって、そこへ彼等の暮らしや音楽に敬意を払いつつ入り込んで行く気持があれば、むしろ雑踏に揉まれる観光地よりも安全であると多くの経験談は語っている。私も同じ事をKinshasaの下町で日常的に感じていた。経済的に貧しい人たちは正直で善良である事の方が、圧倒的に多い。しかし、ごく少数の輩が悪さをするとはいっても、そこへのこのこ入って行く日本人は明らかにターゲットであって、敬意を払いつつも気をつけることは当然のことである。などと調べて行くうちに、全くユニークな宿泊施設を見つけたので、早速予約した。

 http://www.favelinha.com/en/index.php

 RioのFavelaのなかで、もっとも規模の小さなものに"Pereira da Silva"という2000人程度の地区がある。そこもかつては麻薬組織が暗躍し、勢力争いで殺人事件が横行していたが、2004年に警察による組織壊滅作戦が成功し、現在は住民によってFavelaそのものを観光資源として、少しずつ観光客を受け入れ、その文化や経緯などを理解してもらうという取り組みをしている。もちろん、そこにはミュージシャンも多くいて、日常的にそこら中で音楽が演奏されているので、その中に敬意を表しつつ入って行くのは得意中の得意、これこそまさに私のためにあるような世界である。このPoussadaを見つけるまで、なかなかRioでの旅の「核」が見つからなかった。Rioは世界有数の観光地であって、宿泊施設は星の数ほどあるが、手の出せる安宿はちょっと自分の心境には能天気すぎるように思われた。しかし、これによって大きくRioが近づいた。サイトの中には、Favelaの中をこのPoussadaまでたどり着く道順を撮影した動画が収められている。確かにFavelaであるが、非常に懐かしい風景だと思ったら、神戸の山手とよく似ている事に気がついた。観光都市神戸も、トア・ロードから西は、ぐっと庶民的な街である。特に山手は、東側の異人館の賑わいとは対称的に、狭い路地の入り組んだ坂の多い斜面に、小さな家が貼り付くように建っている。固有名詞は出さないが、兵庫区にかけての山手一帯は、一昔前まではそれこそ山口組の末端組織が、その下街の遊郭を牛耳っていたのである。何人かの友人が住んでいるのでよく知っている。彼曰く、住み慣れた家なので手に入れたいが、権利カンケイがややこしすぎて購入は出来ないとの事。とりあえず「家主」らしき人に家賃さえ払っておれば、自らは安泰らしい。その動画に現れた映像は、全く彼の住む界隈とそっくりだったのだ。まあ、一昔前の普通の街である。神戸には、もっときついところも残っていて、これも固有名詞は出せないが、山奥へ抜ける古い街道筋の谷筋にへばりつくように伸びている地区があって、そこは学校関係者なら誰でも知ってる・・・もうやめとこ。Rioでの滞在は、昼はFavelaで過ごし、夜な夜な音楽の中心地であるLapa地区へ通うという日々になる事であろう。
 ブラジルでは、日曜日は観光地でも商店が閉まるというから、長距離移動は日曜日にしようと思う。ただ、バスのチケットは現地でないと買えないので、この点はいささか流動的。特にcarnaval前という、特異な状況にあるので、到着したらすぐに次の移動手段だけは確保しておく必要があるだろう。その点、いささか気ままな旅からは外れていくのはやむを得まい。
 1/31 (日) にRioからSalvadorへ発つ。バスで24時間かかるので、到着は月曜日である。翌火曜日のSalvadorは「イェマンジャーの祭」であって、バントゥー・アフリカ音楽研究家の私としてはこれを見逃すテはない。Salvadorの音楽の中心地はPelourinho広場と言い切ってしまって良いだろう。最も有名で写真によく出てくる石畳の広場である。この広場に面した古い建物の一角に、シングル個室付きの安宿を見つけたので、これは早速予約した。しかしそれまでが長かった。この宿をネットで見つけたのはええが、どうせ英語でメール送ってもあかんやろと思うて、英語で文面作ってからオンライン翻訳でポルトガル語に訳して、マチガイがあったらいかんと思うて両方ペースとして送ったんや。ほいだらブラジル人には珍しくすぐ返事が来た。なんせ、日本との時差がサマー・タイムで11時間ある。ちゅうことは、向こうのオフィス・アワーが始まる頃にはどん百姓の私はもうオネムや。それまでに私が送ったメールを見て、向こうが返事くれるのんは私が寝てる間。ぼちぼち起きようかなと思う頃には向こうは仕舞いかけとる。起きてメールに返事しても、それ見るのはその夜私が寝てから・・・ちゅーわけで、段取りが二倍かかる。せやけど、ここの担当者はいつ寝てんのかてきぱきとメールくれる。やる気元気や。でもね、俺と同じように、自分はポルトガル語で書いて、それをオンライン翻訳で英語に直して送ってくるから、これがけったいな英語なんや。でも、ちりばめられた単語を繋いでみたら、何となく言いたい事がわかる。まあホテルの予約だけやしそう問題はない。しかしこのcarnavalシーズン、ここSalvadorも5連泊以上キャンセル不可予約金必須であって、意向は伝わっても金をブラジルに送るのが至難の業や。まずは先方の銀行名・口座名義人・口座番号を聞き出す。せやけどあんたね、固有名詞まで英語に翻訳したらあかんやん。なんぼ調べてもそんな銀行あるかいな。それ指摘したらやっとわかってんけど、こんどローカルなブラジルの銀行に、日本の銀行から送金しようと思うたら、間に何社も仲介する金融機関が介在してるから、その数だけ手数料取られる。たった数千円の予約金送るのに何万円も手数料かかる計算になって諦めた。ほな、かわいそうに「予約金はもういいです。必ず来て下さいね。」やて、なかなかかわいいとこあるやん。滞在は2/01-07の実質6日間である。Salvadorの、というかBahiaの音楽というのが、実はよくわからない。いろんなジャンルがあって、それらはそれらなりにいろいろであって、ただ、打楽器奏者のくせに太鼓軍団というものが大っキライな私が、なんでcarnaval前のSalvadorへ来んねん、て確かにそうやねんけどな、袋入りの加工食品が作り立ての本物とは比べ物にならんくらい不味いんと同じように、やっぱりナマで聞いたら目から鱗落ちるかなと思うて・・・それに、Salvadorには我が国産みの尊のご親戚もお住まいとの事であるので、日系ブラジル人のお宅へお邪魔するのも得難い経験かなと思うてね・・・まあわからんだけ楽しみや。
 2/07 (日) Salvadorを発ってRecifeへ向かう。Recifeが一番ようわからんのですよ。でも周りのひとが強く強く奨めるので、ここでcarnavalを迎える事にしたのです。carnavalは、Rioのものは、パレードを観客席で見るカタチ、しかも内容は音楽的というよりは、完全に観光化されすぎて大掛かりで毒々しいお祭り騒ぎに成り果てたのに対して、Salvadorのものは良くも悪しくも参加型、しかも大半は太鼓部隊。これらに対してRecifeのものは、レギュラーで音楽活動を続けているミュージシャンやバンドが、あちこちの会場や路上や広場でライブをするというカタチ、らしい。アフリカ色のより強い北東部で、一度にまとめて沢山のアーティストのライブを聴けるから音楽的にはhighly recommended。それを知ってる客がどっと押し寄せて、いまや宿泊施設が足りず、しかもcarnavalの行われる旧市街はさらに少なく、国際的に予約出来るのは、かなり離れたビーチ沿いの高級ホテルがほとんど。しかも私の到着するcarnaval一週間前から宿泊料金は高騰し、carnaval期間中は4-6泊必須のパッケージ価格で、しかも通常価格の6倍などという極悪非道条件。調査を始めた10月時点ですでに中心地から遠いビーチのホテルで一泊$200前後、2/18まで滞在予定やから10日でホテル代だけで・・・えーかげんにせえよお前ら根性タタキ直したるわゆーてもね、ないもんはないんやしどもならんわな。と、思うてたらまさに救いの神。なんとわが国産みの尊の天理教がRecifeに教会持ってるちゅうことで、幸運な事にそこの教会長がたまたま天理の本部へ来ててこれから会いに行こうという。会ってみたら実に気さくなええひとで、「なんぼでも泊まって行って下さい」やて、いやあ、これは働かなあかんでしょうね。$200 x 10日分。ただで泊めてもろうて、遊びほうけて午前様はいかんでしょ。でも考えようによったら、天理教という宗教団体の施設の中で暮らす人々の様子を一緒に暮らしながら見るのも、これまたまことに得難い経験や。
 さてと、2010年のcarnavalは2/13-16であって、翌17日は「灰の水曜日」である。その日を狙ってわざと公演するへそ曲がりがゼッタイおるはずなんで、出発は翌18日にした。これまたGOLのSao Paulo行きやが、これはもうそろそろおさえとかな後の旅程が長いからね、ここで狂うとちょっとめんどくさい。でもその支払いがうまくいかず、まだ予約出来てない。まあそれも数日中に解決するやろ。ブラジル・・・はじめてやし、こんくらいにしといたるわ。

Posted: 土 - 11月 14, 2009 at 11:07 午後          


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