ザイール・ヤ・バココ「第三の旅」


集めた書籍資料



 人伝に頼んだり、ネットで手配した資料が、ほぼ手許に揃ったのでまとめて紹介しておきたい。まずはコンゴ人Ethnomusicologistでメル友のKazadi wa Mukuna教授の著作「Contribuição Bantu na Música Popular Brasileira: Perspectivas Etnomusicológicas, 3rd edition (São Paulo: Terceira Margem Editora, 2006)」・・・全223ページ、内容は全部ポルトガル語なのでさっぱりわからんが、それでも図版をつき合わせて行くと興味深い内容である事がわかる。タイトルは、さしずめ「ブラジル大衆音楽に於けるバントゥー人の貢献」とでも訳せば良かろうか。内容の一部に、私が睨んだ通り、ブラジルのバイーア州からマラニョン州に至る広範囲な地域に連れて来られたアフリカ人奴隷たちの大半は、現在のアンゴラ・両コンゴ・ガボン周辺の出身であって、その音楽用語にも彼等のバントゥー語が残され、そのいくつかは例示されている。これは、私の主たる研究テーマであって、今回の旅の目的のひとつでもある。一方、象牙海岸以西の出身者、とくにヨルバ人たちは、ブラジル中南部・ベネズエラ・カリブ海地方・北米大陸に多いとされている。ブラジルに多く残るアフリカ起源の民間宗教などは、こうした民族の流れを追うと掴みやすいかも知れない。まだ精読していないので確定出来ていないが、ブラジルとコンゴに残る多くの伝統的な歌の比較研究もなされていて、ポリ・リズミックに絡み合うリズムのアクセントについても、楽譜上で詳細に開設されている。このような研究は、ブラジル音楽の様々な影響の一部、それも非常に重要なファクターを、客観的に読み解くキーワードになりうるだろう。現在のブラジル・アンゴラ・コンゴの音楽は、当然ラジオの普及やキューバ音楽の影響などによって、インタラクティブに影響し合っているから、ひとつの特徴をもって、他の関連性を議論するのは危険である。しかし、この本の資料探求によると、例えばキューバからアフリカへのルンバの輸入、つまりアフリカ的な音楽センスの逆輸入が起こる以前の文献から説き起こされている場面があって、これは、あきらかにバントゥー音楽が、南北アメリカ大陸に伝播した頃はどうだったのかを探求する、この著書の眼目と言える部分である。はよポルトガル語をマスターしてこれを精読し、教授にメールを送らねば・・・



 これはAngolaの公用語Kimbunduの文法書である。1889年の発刊で、全172ページの、比較的簡素な内容である。去年資料探索していた頃には、大阪の国立民族学博物館付属図書館など、日本には数カ所にしか所蔵されていなかった。現物を見せてもらったが、今にも崩れそうな革装丁の本だった。それが、なんと今年2009年9/28にアメリカでリプリントされている。まさに今回の旅の実現に光が射した数日後の事だ。すぐに注文を入れると即座に送られて来た。中身は極めて実用十分、リプリントであるから、要するにコピー製本である。原盤の汚れや書き込みがそのまま残っている。しかし、文字は十分読める。これで2千いくらかだったと記憶する。まさに驚異、運命的な出会いである。これも本分はポルトガル語であるが、ありがたいことに単語やフレーズには英訳がついている。これは非常に役に立つ。リンガラとスワヒリは、ほぼ頭に入っているので、内容はその類推で十分読める。すなわた名詞の種類・複数形の作り方や動詞の活用など、ルールはリンガラ語とほとんど同じである。もちろんリンガラ語との同音異義、全く異なる単語はたくさんあるが、全く同じものも多い。Kimbunduの文章を読んでみても、何通りかのバントゥー的な言葉のバリエイションで意味はおぼろげながら通じるところとなる。同時にポルトガル語との対訳も出来るわけだから、まさに一石二鳥。しかし考えてみる。何故こんな稀少な本が、今年になってアメリカでリプリントされたのか、Kimbunduは、アンゴラにおいていわばエリート言語なのである。アンゴラという国は、アフリカの他の国と同様に、その国境線が民族の分布を全く反映していない。植民地争奪戦時代のポルトガルとベルギーとフランスの勢力範囲を示しているに過ぎない。現在のアンゴラ領内には、北部にコンゴ人、南部にOvibundu人など、多数の民族が同居していて、それぞれに言葉が違う。そのなかで、首都Luanda周辺に分布していたMbundu人の言葉が共通語として採用され、Kimbunduを解さないアンゴラ人は出世出来ないという構造が産み出されている。イデオロギーの仮面をかぶった利権争いの内戦が終わったら民族紛争・・・よくあるパターンだ。しかしアンゴラに埋蔵されている地下資源、特に原油と希少金属は厖大。これを頼みの復興事業は、狂おしいまでにふくれあがり、かつては黒柳徹子が地雷除去を訴え続けた「かわいそうな国」アンゴラのイメージはほど遠く、今や立派なハイウェイと綺麗な建物がどんどん出来て中国人や韓国人の労働者が国づくりに協力している。ところがこのKimbunduについて書かれた書物は、おそらく世界にこの一冊しかない。1889年に出版された、革装丁の重々しいこの本しか、徹底的な私の探求の結果出て来なかったのだ。アンゴラには埋蔵資源がほぼ手つかずで残されている。アンゴラに取り入るにはKimbunduを習得する事が有益である。そしてこの本しか文法書はない。・・・だからリプリントされたのだと、私は思う。以下に紹介するアンゴラのガイドブック、UAEのエミレーツ航空がLuanda便をこの10月から就航させ、観光キャンペーン・・・これらは、生き残りをかけた新たな戦いの伏線である。それに敏感な国や組織は先手を打つだろう。いわば資源獲得の泥仕合の、一番ホットな部分に、私は偶然手を触れてしまったような気がする。それに乗るか乗らんかは別として、知らんという事は情けないで。



 これはなんとアンゴラのガイドブックである。2009年の10月に初めて出版された。驚く勿れ全280ページ豪華カラー・グラビュア入りの充実の内容である。アフリカのガイドブックといえば、「ロンプラ」すなわちLonely Planetの独壇場であったのだが、そのロンプラにさえアンゴラはなかったか、あっても数ページだったはずである。もちろん日本にはアンゴラのガイドブックなど存在しない。このBradtというイギリスの出版社は、今回アンゴラの旅行情報を集めている過程で初めて知った。このガイドブックの計画があるとの記述を見て、すぐに予約を入れた。2千円ほどである。内容は実に素晴らしい。Mike SteadとSean Rorisonという二人の著者の実録による最新のガイドブックである。Angola国内はほぼ網羅されている。非常にわかりやすい英語である。そして、実際に歩いたジャーナリストの目から見た情報であるので、非常にリアリティがある。単なる読み物としても大変面白い。私の最も関心の深いM'banza-Kongoについても詳細に記述されている。また、基本情報として、Visaの取り方や、国の状態、移動手段や宿泊施設の一般的な傾向など、旅行者に極めてわかりやすい良心的な編集がしてある。複数の情報筋から得られた通り、首都Luandaの物価はロンドンの倍近く、つまり東京の三倍ほどになる。バブルである。アンゴラは開発途上の国であり、日々刻々と変化し続けているので、ウェブサイトにアップデータが蓄積されているから、必ずそれを参照するようにとの配慮まで示されている。血の通った会社である。すばらしい。その姿勢に敬意を表して、アップデータのURLはここには書かない。知りたいひとは先ずこの本を買うべきである。さて、アンゴラのVisaは日本では絶望的だと前に書いたが、やはりアフリカ以外では同じ程度に困難な様子である。しかし近隣国へ行けば、比較的簡単に取れる。特に国境を接するコンゴ民主共和国ならば、首都Kinshasaよりも、直接道が繋がっている港町Matadiの国境検問所がよろしいようで。しかし、M'banza-Kongoへ行くならばそこから越境するのではなく、Kinshasaへ半分ほど戻ったSongololoから進めと書いてある。頻繁にタクシー・ビス、すなわちワン・ボックス・バンによる乗り合いバスが往復しているとの事。私の睨んだ通り、現地人がメールで教えてくれた通りだ。このルートはしかし、度重なるコンゴ人のアンゴラへの不法出稼ぎ労働者のブローカーが暗躍しているので、誘拐事件が多発しているので注意すべき事、またアンゴラ当局により比較的頻繁に国境が閉鎖される、または検問や追随しての取り調べもあるので注意、ここで注意というのは、アフリカの多くの国同様、警察官が最も注意すべき対象である事を意味している。しかし、アンゴラ当局は、首都Luandaやその周辺の観光地への観光客の誘致には、実は力を入れていて、さらに南部の自然の豊かに残る地方は、どこも大変素晴らしい事が、表紙写真のようにありありとした、美しい多くの写真とともに示されている。Matadiから海岸沿いにN'zeto- Luandaを直通する路線バスも運行されているという。アンゴラの海岸線は、ほとんど未開発の自然なビーチが続いていて、南部のナミビアから北上してくる南アフリカ人も多いらしい。ナミビアまでは、日本でも人気のアフリカ観光コースである。ちょいと越境する勇気を持ってくれたらね、僕もそのツアー買ってもええねんけどね。ともかく、地下資源とともに観光資源としても、ほぼ手つかずのものを抱えていて、これからがアンゴラ観光が本格化するという予測の基にこのガイドが書かれている事は、先ず間違いない。



 こちらは、同じBradtから2008年3月に初版された両コンゴのガイドブックである。1991年に当時のザイールを旅行したときには、「ロンプラ」の「Central Africa」という本があって、これにはザイールについて十数ページの記述があった。しかし、それは統合されて「Africa」になり、記述も数ページに縮小されてしまった。600ページを上回る辞書みたいな分厚いガイドブックなんて、しかもアフリカ全域なんて全く実用性のない代物で、値段もたしか8戦円くらいしたと思う。立ち読みしたが、ほんの御座なりなことしか書いていないから、とても買う気になれなかった。それがBradtでは堂々全328ページの内容である。しかも「Angola」の項で紹介したSean Rorisonが執筆、特に一般情報に於ける、内戦後の首都と地方都市の状況や、移動手段、気候と疾病、通貨の変動などが、緻密に記載されている。ただ、惜しむらくは、私が訪問しようとしているBandundu- Mayi Ndombe- Mbandakaにかんする著述がほとんどなく、簡潔なものに終わっている点である。下痢でもしていたのであろうか、ほな私が行て詳細に調査して情報提供したろ。この部分については情報収集の過程で、現地の環境保護団体「CARPE」と連絡がつき、かなり詳細な情報を得ているので、あまり心配はしていない・・・というか、心配しても仕方がない事がわかった。運があったら生き残るでしょ・・・



 ベルギーのTervurenにある王立中央アフリカ博物館 (Royal Museum for Central Africa = RMCA) 所蔵の楽器を集めた図録、2009年7月の初版である。この博物館は2005年に訪問した が、あきらかに視点がベルギーからの「上から目線」である。野蛮なコンゴ人もベルギーのおかげでこんなに洗練されましたという脈絡で博物館は構成されている。そのあからさまな姿勢には流石に辟易したものだが、個々のパーツを見てみると、これがまたベルギー人の国民性なのか、実に保存状態も良く、見やすく、きちんと分類して並べられている。弓から作ったシンブルな楽器の上下が逆さまだったのはご愛嬌だが・・・そしてミュージアム・ショップで買い求めた図録や写真集の美しさは、本当に驚嘆に値する。RMCAの、特に植民地時代に撮影されたモノクロ写真は、撮影の見事さもさることながら、現像・プリント・印刷に至るまで、実に適切で繊細で美しい。この図録も、ほとんどが旧ベルギー領コンゴの伝統的な楽器を分類して収録したものだが、その見せ方、光のあて方、撮影から印刷までが美しい。さらにその楽器を演奏している場面を撮影したものなど、古い時代のものにありがちな、現像の管理の不徹底さから来る粒子の荒れや流れやムラがほとんどなく、古いレンズの特性を生かしきった見事なプリントである。これは楽器に興味のないひとでも、美しい写真に興味のあるひとは、是非RMCAが発行している様々な写真集を手にしてみられるが良い。ネットでも手に入る。手には入るがこのショップ、クレジット決済がめんどくさいのだ。注文の希望をメールで送ると、注文書に明細を記入したものがメールに添付されて返ってくる。それにカード番号を入れてプリント・アウトし、署名して国際Faxか郵送で送らなければならない。さらに自分たちのコレクションにはこだわるくせに、こっちからの注文に対する対応は鷹揚だ。この本と複数のCDをまとめて注文したのだが、住所が変わったから注意せよと明記したにもかかわらず前の住所に送って返送されてしまい、こっちは知らんから何ヶ月待っても来ないし問い合わせたところ「送った」の一点張り、郵便局で記録をたどってもらってやっとの事番号を突き止め、返送されてるから探し出せと言ってもなかなか出来ず、改めて送って来たは良いが送料を請求され、なにゆーとんねんお前が間違うて送っとんのにタダにせんかいの話が通じたのが、やく4ヶ月後という有様。まあいろいろあって私の所蔵になったのも良い想い出。ほぼ、コンゴの楽器に関する私の知識に間違いがなかった事もわかってハッピッピー。

Posted: 火 - 12月 1, 2009 at 09:32 午後          


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