西宮薪能


懐かしの甲陽園でひとときの寛ぎ

 毎年9/21は、曜日に関係なく西宮の甑岩神社で薪能がある。これには人間国宝級の著名な出演者があって、それを無料で見られる事で値打ちがあるのだが、場所が少し不便なためか、そんなに混む事がない。尼崎から甲陽園へ引っ越した10年前から、ほぼ毎年行っている。甲陽園に住んでいた最後の数年間、二コイチのボロ文化住宅に隣人があった。甲陽園の南斜面に建つため、大変住み心地もよく見晴らしも良いのだが、なにしろ震災をかろうじて持ちこたえた、築40年くらいの木造モルタル壁トタン屋根という、何とも危なっかしい物件であるため、震災以後借り手はなく、私が借りたいと申し出たときも家主はきょとんとしていた。この物件を借りるにあたっては、いろいろあったのだがまあ澄んだ事だから良いとして、長らく一人極楽を決め込んでいたところへ、不意に隣室に入る人が来た。ここだけの話だが、実はこの隣室へは、ベランダ伝いに容易に入る事が出来たので、私は一件分の家賃で、長らく2件を領有していたのである。まあこれも澄んだ事だから今となっては仕方がない。



 その隣人というのが、実はその斜め向かいの大きな斜面を買い取って、理想の大邸宅を建設するという、なかなか壮大な計画を持った人で、年は私より少し上と思われる。実業家として成功した人のようだが、奢ったところも高ぶったところもなく、人生を楽しんでいるというただひとつの共通点を以て、親しくおつきあいしていただいている。たしかお宅が完成したのは2005年の冬の事だったのではないかと記憶している。http://homepage2.nifty.com/creamhome/
 さて、昨年はそこのご一家を誘って「西宮薪能」を見に行ったので、今年は先方よりお誘いがあった。「よければ駐車がてらお立ち寄りください」やて、ほな遠慮なく、とれたての野菜を持ってお伺いした。一服した後、開演時刻も迫って来たので、山伝いに歩いて行く。着くと、まだ子供歌舞伎から仕舞にかかったところであった。私は能よりも狂言の方が好きである。なにより言ってる事がわかるし、立ち居振る舞いや、伝承された日本語の抑揚が面白い。今年の狂言は「空腕」といって、舞台は京の洛中である。主人が太郎冠者に、接待のため淀へ鯛を買い求めに行けと、夕暮れに命ぜられた。歩いて淀まで行かせるとは、なかなか殺生な話であるが、太郎冠者はあの辺は夜中に盗賊が出るから、用心のため刀を貸してくれと主人に希う。太郎冠者は名を受けて淀へ赴くが、すぐに日がとっぷりと暮れ闇に包まれる。ありもしない木の影を盗賊と思い込んでひれ伏し、主陣の刀を差し出して命乞いをする。主人が後をつけて行くと、何もない空に向けて平身低頭し、太郎冠者が刀を差し出している。主人がこれを扇子で打つと気絶し、刀を取り上げて先に帰る。つまり、この太郎冠者は、常日頃から腕力自慢を吹聴する癖があって、主人はこれをからかったのである。主人が家で待っていると、やがて太郎冠者が帰って来て言うには、道中多数の盗賊にあってこれと立ち回ったが、刀が折れたので仕方なく戻って来たと武勇談を吹聴する。主人が、では新しい刀を手に入れたので、ひとつ見立てしてはくれまいかとおだて上げると・・・という筋であって、その次の能の方は、殆ど寝てたのでよく覚えていない。
 薪能であるから、本来は薪の照明のだけで行われるものである。しかしなにかと現代の世の中であるので、ある程度照明は使われている。しかしこれを見に行った初めの頃は、あまり照明もなく、音響設備もなかったと記憶する。しかしその方が、ある意味幽玄であった。ある年、この幽玄な能の見せ場で、観客が盛んにカメラのフラッシュをたく場面があった。私はかねてから、夜の撮影にフラッシュを使う事を苦々しく思っていたのだが、出し物が全て終わり、司会者の挨拶も済んだ時、ある老人が突然立ち上がって、大きな声で「能は幽玄の時間であります。かくも厳かな芸術の場に写真のフラッシュを焚く行為は、その雰囲気を著しく損ねる行為であります。その事に想いを致して頂き、今後このような場面では、そのような事のないようにお願いしたい」と諭され、次の瞬間、客席から多くの拍手が起こったのである。全くタイミングを得た、見事な一喝であった。その声も言葉も、確固たる自信と正義に満ちあふれていて、久しぶりに頑固オヤジの正論に触れた想いがした。さぞかしフラッシュを焚いた人は、恥じ入ったと思ったのであるが、今年は司会者自らが、フラッシュ撮影は自重して頂けるようにとアナウンスされていた。しかし、能が始まった途端いくつものフラッシュが瞬き、見せ場ごとに時折光ったのである。まあ、去年も今年も、カメラを持ってくるような人は大して変わらないだろうから、去年の人も恥じ入ったとは思われない。ヤル人は絶対やるよな。
 同じ事は、先日の「風の盆」になるともっとひどかった。夜の流しは、暗い夜道をしっとりと歩くから風情があるのであって、そのような催しに、まるで戦場へ出かけるかのように、カメラマン・ジャケットに巨大な望遠レンズのついたカメラや三脚脚立などを抱えて乗り込んでくる輩が多いのには全く信じられない。世の中、信じられない人間がたくさんいるから戦争があるのであって、お前ら本領発揮したかったらそういうとこへ乗り込んだらどやと進言したいところだが、ある年、わがお師匠さんは「最後の流しですから、どうかフラッシュは焚かないでください。フラッシュが光った時点で演奏を終わらせて頂きます」と言って始められた。しかしなんと初めのワン・フレーズの途中で強烈なフラッシュが光り、ブーイングとともに本当に演奏は終わってしまったことがある。当然、それを光らせた戦闘服の男は取り囲まれて非難されたのだが、「フラッシュ焚かねえと写らねえぢゃねえかよ」と開き直る。当時私はお師匠様のお伴をして差し上げていたので、その争いに割って入り、ノー・フラッシュで撮影したお師匠様の写真を見せて、「このようにすれば撮れますよ」とお教えしたのだが、それには目もくれず、なにか汚い言葉を吐き捨てるように私に投げかけて、脚立を担いで他所へ行ってしまった。やるひとは、どうあってもやるもんだ。夢うつつの中でそんな事を思い出していたら、能が終わった。
 我々は再び山伝いに甲陽園へ戻ってきた。今夜はサンマを焼いてごちそうしてくださるらしい。邸宅へ戻り、眼前に広がる雄大な大阪平野の夜景を見ながら食うサンマの塩焼きというものは、なかなか乙なものである。大理石の床、斜面に建つガラス張りの白亜の邸宅・・・ここまで快適な家をご自分で建てられるのには、さぞかしご苦労が多かったであろうと推察しながら、いろいろと思い出話をする。彼の苦労など全く知らずに、私はのほほんと気楽な貧乏暮らしをしていたが、あるときボロ家に台風が来て、家中かなり揺れた事があった。私はいつでも逃げ出せるように玄関先にうずくまっていて、ピシャッドッカーンという音とともに表に転がり出たのであるが、見るとお隣もずぶぬれになって玄関先にうずくまっておられる。「いやあご機嫌いかがですか?」世の中にはいろいろな人がいるものだが、私はこういう人が一番好きですね。という話をしていたら、奥さんが「お風呂に入っていらっしゃいよ」と仰るので、ご自慢の展望風呂で、大阪平野の夜景を眺めながら、汗を流したのでありました。前のボロ家でも、ちょっと背伸びすれば、夜景を見ながら入浴は出来たけどね・・・

Posted: 金 - 9月 21, 2007 at 11:57 午後          


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