地歌 茶音頭 または 茶の湯音頭


菊岡検校作曲・八重崎検校箏手付 六下がり・平調子

世の中に すぐれて花は 吉野山
紅葉は龍田 茶は宇治の 都の辰巳 それよりも 
郭 (さと) は都の 未申 数寄 (すき) とは誰が 名に立てし
濃茶の色の 深緑 松の位に くらべては 
囲といふも 低けれど 情は同じ 床飾
飾らぬ胸の 裏表 帛紗さばけぬ 心から
聞けば思惑 違い棚 逢ふてどうして 香箱の
柄杓の竹は 直ぐ (すぐ) なれど そちは茶杓の 曲み (ゆがみ) 文字
(手事)
憂さを晴らしの 初昔 昔噺しの 爺婆と
なるまで釜の 中さめず 縁なくさりの 末長く 千代万代へ

 最近あまり色っぽい歌を習わなかったのでご無沙汰イタしておりました。おまちかね、日本古典音楽エロ・・・失礼、艶ものの名曲でございます。底本は、菊筋に伝わる写本ですので、作曲者菊岡検校の直伝と思われます。内容は、郭につとめる遊女の心の悲哀を詠ったものですが、曲調が上品で、それでいてしっとりとした色気を感じさせる、ぞくっとする程よい曲です。そのように演奏して歌う事が出来れば良いのですが・・・
 さて歌詞の解説を試みますと、冒頭の二行は枕でございまして、「世の中に何が優れているかというならば」と問いかけて、花は吉野山、紅葉は龍田川、茶は宇治などと当たり障りのない事を並べて、話題を京都へ振っております。その宇治という場所が京の都の辰巳、すなわち南東の方角である事に対して、未申すなわち南西の方角に何があるかというと、などとここでもかなり勿体を付けておりまして、次の「それよりも」からが本題です。ここへ来るまでに5分ぐらいかかる。で、宇治よりも優れたものが京都の南西にあると言っているのだが、「郭」という字を「さと」と読ましているように、ここには古く島原の遊郭がありまして、その辺の事については「出口の柳」 のとこでさんざん書いたからここでは省略しますが、なるほどそれは確かに茶よりもキモチ良さそうや。
 ほいでここからがまあ、女がくどくどとああでもないコーでもないちゅーて掻き口説いてるのを、掛詞や隠喩によって様々に粉飾してあるのですが、まあお稽古やさかい逐一解読して参りますと、「数寄」と漢字を充ててあるが、要するに「好き」な男への想いと我が身の悲しさを様々に歌い継いであるのであって、それを風流に「数寄」と気取って茶の湯を点てる。本人の胸の内は、もっとドロドロに煮えたぎっとるはずや。せやけどあくまで一貫して茶の湯をモチーフに歌は進められて行く。すなわちそのように茶の湯や生け花など風流をたしなむことを「数寄」というのであるが、どんな偉い人がそのような遊びを「数寄」と言い立てたのか、妾は「松の位」すなわち太夫にはとても及ばぬほど身分の低い者であるけれども、情は濃茶の深緑すなわち生娘と同じくらいの美しさを、あなたを迎える夜の褥を美しく飾って待ってるわ。でも飾らぬ胸、つまり「本心」は、帛紗つまり茶巾のように裏や表を即座にさばききるように割り切れてる訳ぢゃないのよ、ああ、切ない心から貴方に訊いてみれば、貴方の考えは違ったのね、そうねそうよね、貴方は身分の高いお方、そして決まった女もおいででしょう、キモチのすれ違いはまるで茶室の引き違いの棚のように見事だわ、笑かしよるで、逢えば別れがこんなに辛い、逢わなきゃ夜が遣る瀬ない、逢ってとくと話してみれば、貴方の話はまっすぐに筋が通っていて、自己完結して一人几帳面で、まるで茶道具の香箱の柄杓のようだけれど、それはな、よう聞けコラ、おんどれの中で辻褄合うとんか知らんが、そら自分勝手ちゅうもんやで、なんぼオンドレからみて真っ直ぐでもな、それは茶杓みたいに微妙に曲折しとって、妾の心をえぐりよるんやぞコラ聞いとんのかワレ、そんなもんわしおまえそない言い張るんやったらワレ独りで無人島へでも行ってとっととサメにでも食われて逝んでまえこのガキ・・・とは書いてないねんけど、この女の人の煮えたぎる胸の内を代弁すると、まあこのくらいにはなるでしょうな。ほいで、手事の前が「曲み文字」で締められてるんやが、これがわからんかったんで調べてみると、徒然草でしたな、まあ細かい事は長くなるので割愛しますが、「こひしく」という4文字を暗に示しているらしくて、そんなに邪険にされてても私はあなたが好きなのよ・・・なぁんて、結局どうやねん、好きやったらなんでも耐えられるんかこのアマ・・・て、まあそんなことどうでもええねんけどね。
 ほいで、このあと長くて技巧的で情緒たっぷりの「手事」と「チラシ」があって、そのあと「三下り」に調弦を直すのです。ちなみにここまでは「六下がり」という珍しい調弦で、これは本調子の1の糸と2の糸に、2の糸のわずか1音だけ高い音に3の糸を合わせるやり方で、ほかに大阪の名所を詠い込んだ「住吉詣」などがこの調弦ですな。
 歌詞に戻りまして、まあ憂さ晴らしに茶を飲んだはりますねんけども、「初昔」というのは新茶の事でして、なんでかというと、「昔」という漢字をバラして書くと、廿(20) + 一(1) = 21 (日) を意味していて、茶の収穫期である「八十八夜」の前後10日間に八十八夜当日の一日を加えた21日間の事を表している。この間が茶葉を収穫する適期とされていて、そのうち前半の10日間に収穫されたものを「初昔」、後半に収穫されたものを「後昔」と銘名したからである。ほんでまあ、そんなエエ茶でも飲みながら、昔話に出てくるじいさんばあさんみたいに、私たちの縁が、そんな歳になるまで、冷めない釜の中の湯のように、末長く千代も万代も続くものであってほしいものよのうと、寝言を言うとる訳ですな。まあこの歌を聴いてみても解るように、誰かさんの歌のように、「男と女の間には、暗くて深い河が」あるのであって、真っ暗闇の中に船をこぎいだすのだけれども、うまいこと出会うかどうか解らんちゅうことですなあ。

Posted: 水 - 6月 18, 2008 at 01:45 午前          


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