地歌 新娘道成寺
菊岡検校
(一説に石川勾当)
鐘に恨みは数々ござる
初夜の鐘をつくときは 諸行無常と響くなり
後夜の鐘をつくときは 是生滅法と響くなり
尋常の響きには 生滅めついりあいは
寂滅為楽と響けども 聞いて驚く人もなし
我は後生の雲晴れて 真如の月を眺め明かさん
(三下り)
言わず語らず我が心
乱れし髪の乱るるも つれなきはただ移り気な
ああどうでも男は悪性な 桜さくらと謳われて
いかに袂に分けふたつ つとめさえただうかうかと
ああどうでもおなごは悪性な 東育ちは蓮葉なものぢゃえ
(手事本調子)
恋のわけざと数え数えりゃ 武士も道具を伏し編み笠で
張りと意気地の吉原 はなの都は歌でやわらぐ
敷島原に勤めする身は 誰と伏見の墨染
煩悩菩提の鐘木町より 浪速よすじに通い来辻の
かむろ立ちからむろの早咲き それがほんに色ぢゃ
ひいふうみいよお 夜露雪の日下関路を
共にこの身を馴染み重ねて 仲は丸山ただまるかれど
思い染めたが縁ぢゃぇぇぇぇ
安珍清姫の物語の発祥地となった道生寺は、南紀御坊の近く和歌山県日高郡日高川町鐘巻にあって、正式名称を天音山道成寺といって、説によると起源700年頃、それまではたぶん道教のものであったと思われる施設を接収して仏教寺院となしたものとされる。その成立の経緯、「神の国」と言われる南紀の地にある事は、この伝説の内容に深く関わるものと推察できる。
その伝説であるが、これは伝承されたものであるので、そのオリジナルがどうだったのかは確定しにくい。しかし大筋において、起源930年頃、旅の修験者と土地の女が出会い、女が惚れて男が逃げ、川を渡れば来られまいと思ったが、女は執念のあまり蛇に変身して川を一跨ぎし、男は女人禁制の寺に転がり込んで鐘の中に匿われ、蛇と化した女がその鐘に巻き付いて男を焼き殺し、自分は川に身を投げて死ぬという、じつにおどろおどろしい話である。しかしこれは悲恋の物語ではなく、禊ぎや祓いの感性が、仏教説話の中に変容して取り入れられたのではないかという説がある。つまり、蛇に変わるほどの業を秘めた女があって、これを村としてはなんとかしたかったのだが、そこに都合良く旅の僧が現れて厄介払いしてくれたというのである。これは女の形をとってはいるが、村に取っての何らかの災いや喜ばしくないものであった可能性がある。似たような説話は、実は中国にもインドにも見られるのであって、なんと私の旅したコンゴ奥地でも聞いた事がある。それもほぼ同じ内容で、川を渡る女が火まみれの蛇に化けるところまで似ている。そして二人とも川に溺れて死に、村は清められたという内容なのである。しかし、その後彼らは蘇ってカトリックの教会に現れ、天国で仕合せに結ばれたというアホな落ちまで着いている。勿論その部分は、後になって宣教師たちか、それを私に語ってくれた目の座ったじいさんが付け足したものであろうが、実は道成寺のHPにも、その後蘇って実は彼等は熊野権現と観音菩薩でした、法華経のありがたい教えであるよと、まあこれも似たような落ちがついている。また、コンゴでは女性を爬虫類になぞらえるのは賛辞であって、曰く「カメレオンのように歩く」、曰く「ナマズのような肌」、日本でも現代女性が感じるほど悪い意味では使われなかったものと思われる。それはともかく、安珍・清姫というキャラクターが現れるのはずっと後の事で、そこへ至るまでに様々なバリエイションがあるのである。そして悲恋の物語というのも、女性を美化する風潮によって、この説派の趣旨が曲げられた結果と思われる。またこの説話には、その事件から400年後に、寺の鐘楼が再建される事になったのだが、その供養の際に清姫の怨霊が現れてその鐘を京都へ持ち去ったという「後日譚」もある。それはさておき、現在主流となって伝えられている、いわゆる「安珍清姫の物語」は、報われぬ悲恋を嘆く女に焦点が充てられていて、説話の本筋から大きく変質させられている。しかし本来の話は、先に述べたように、何らかの災いや汚れがその土地にあって、それをマレビトによって持ち出させ除去されるという話であって、女心とはなんの関係もない。
このように、日本で一千年余の永きにわたって語り伝えられてきた説話であるので、もちろん時の芸能にも多く取り入れられて、能や、その謡の部分が独立して出来た謡曲、古典邦楽、歌舞伎、文楽にも、何らかの形でこの伝説に関わる演目がある。これらを総称して「道成寺もの」と呼ぶ。謡曲の「道成寺」の歌詞の内容は、上に述べた説話の本編、すなわち蛇と化した女が鐘に巻き付いて男を焼き殺すまでであるが、能の「道成寺」の筋立ては「後日譚」の方である。つまりもともとは本編で能も作られたのだろうが、その謡曲だけが生き残って、現在伝えられている能は後日譚になってしまっている。その謡曲からは、三味線組歌と長唄にいくつかの曲が伝承され、この伝説の概略や一部を取ったもの、さらに座敷歌として聞きやすいように内容を変えたものなどが見られる。地歌の「新娘道成寺」は、1800年代前半に活躍した菊岡検校、または同時期の石川勾当の作曲といわれ、その題名は、謡曲の「道成寺」を「古道成寺」とするのに対して「新」とし、内容を郭話に置き換える事によって、女心の儚さに話の重点を置いた事から「娘」をつけられたものと思われる。地歌の世界には、「新娘道成寺」の他に「新道成寺」というよく似た古曲があって、それは謡曲の「道成寺」をほぼ踏襲している。しかし、「新娘道成寺」の方は、「新道成寺」のごくサワリだけを枕において、あとはひたすら郭話に終始している。ここまで読んでもらってこういうのもなんだが、この「新娘道成寺」という歌は、道成寺伝説とはほとんど関係がない。
さて、歌詞は謡曲の「鐘に恨みは数々ござる・・・」から始まっている。「艶もの」だからといって、次の「初夜」を愛する男との初めての夜と勘違いしてはいけない。そのほうが下腹が暖まって良いのであるが、これは夕刻から夜半までのことを言い、鐘を打つのは亥の刻午後8時である。そこから「真如の月を眺め明かさん」までは謡曲からそのままとられていて別に色気も何もないのであるが、まああえて文字を深読みすれば様々に暖まる事も出来よう。つまり、この歌で道成寺伝説と直接関わりがあるのは、この前歌の前半までである。ちなみに、「新道成寺」の方は、謡曲そのまま話の流れに沿い、涅槃経の四偈、道成寺の縁起に続いて、それにまつわる古今和歌集の歌や唐詩を連ね、最後は女が鐘に巻き付いて鐘楼を焼き落とす場面で終わっている。
「三下り」から雰囲気はがらっと変わり、ここからが「女心・新娘道成寺」の面目躍如たる部分である。様々な掛詞によって歌詞は二重三重の意味をはらみながら、郭で働く篭の鳥の身の上の儚さを儚んでみたり、男の移り気を恨んでみたりしている。この部分の最後に「蓮葉な」という表現が出てくるが、これは現在でも女性を蔑視していう「はすっぱ」の語源である。蓮の葉は盆のお供えにしか使えないから役に立たず粗悪であるというニュアンスがあって、それが浪速の商家で上客の身の回りの世話をさせる女性が、しばしば客の性の相手もさせられた事から「蓮葉」を性的に軽いという意味に転じて使われるようになり、それを言い捨てるように「はすっぱ」という言い方がされるようになったという。ちなみにこの部分、長唄では「東育ち」ではなく、「都育ち」と謳われている。
この次に再び本調子に戻っての「手事」がある。技術的にそう難しいものではないが、何か所かに意表をついた短い転調が見られる。その後、さらに歌は露骨に掻き口説く。「恋のわけざと数え数えりゃ・・・」と、割り切れるはずのない男と女の気持の行き違いを嘆く。そのなかで各地の遊郭の場所を織り込んでいるのが何とも面白いというか、なんなんだが「思い染めたが縁ぢゃぇぇぇぇ」で締めくくられているのだが、これでは歌い初めの「鐘に恨みは・・・」とも道成寺伝説ともおよそ関係のない終わり方といわざるを得ない。そこへいくと長唄の方では、歌詞はさらに延々と続き、たしかに座敷歌の即興遊芸が織り込まれているが、最後の最後に「花の姿の乱れ髪、思えば思えば恨めしやとて、竜頭に手をかけ、飛ぶよと見えしが、引きかついでぞ失せにける」と、謡曲「道成寺」の末尾をほぼ踏襲して結んである。
Posted: 木 - 10月 2, 2008 at 01:04 午前