地歌 舟の夢


菊岡検校作曲・酒井某作詞・八重崎検校箏手付

 つんとお高くとまってるように見えるが、地歌・箏曲という日本の伝統音楽は、様々な出自を持った楽曲の寄せ集めであって、そのときどきに生きた人々の流行歌であったり手慰みであったりしたものも多い。箏曲はさておき、三味線の組歌や端唄もの・小唄ものといわれるグループの曲の内容は、歌詞にさまざまな掛詞や隠喩が施されていて、男と女の情愛を詠ったものから、果てはどう考えても性行為の描写としか思われないようなものさえある。これらをまとめて「艶もの」とはよくいったものだ。地歌箏曲界に激震が走って 八重桜もはや散り初める今日この頃、その事件を巡っては、国の最高峰の芸を受け継ぐひとであるから、きっと新しい弟子を発掘するつもりだったのだろうとか、ゲイの達人に若い心と打ち響きあうところがあったのであろうとか、伝統と格式を重んじる業界内では、彼を擁護する弁論がまことしやかに語られているのであるが、いや俺はね、初めて顔を見た時から、「ああこの目は・・・」と直観したんよね。少年時代に、形而上学的な意味でのホモ・セクシャルには大変興味があったから、オトコの感でピンとくる。こいつはシロウトやない。その三味線をつま弾く指先、歌う声の張りと艶、綾の回し方・・・どれをとっても明らかに「ソレ」を指し示している。しかも事件の舞台は新宿二丁目であって、ここがどういう場所かというのを、お師匠様に説明してわかっていただくのはほぼ不可能に近い。しかしその場所はまぎれもなく、日本に於けるLGBTの聖地であって、多くの著名人や芸術家、政治家も関わりの深い場所であった。本来、遊郭と同じく、お座敷・・・いや、その「場」で耳にしたことは絶対に口外無用の厳しい掟のあるこの街で、事件としてすっぱ抜かれたのは、よっぽどのドジを踏んだのか、あるいは昔気質の街の規律が緩んでしまっているのかも知れぬ。まあそんなことはどうでもいい。これからの彼がどのように芸能活動を再開継続して行くのかはわからないが、私は塀の中の懲りない面々を愛する。これも芸の肥やしであって、ことさらに美化したり擁護したり、合理化したり覆い隠したりする周りの慌てふためき方の方が余っ程滑稽で仕方がない。まあ、そういう潔癖なサポーターが居るからこそ、この業界が飯を食えてるのも事実なんだから、清濁合わせ飲むようなことを無理強いしてもいかんやろ。さて、そんなおりに面白い歌を習った。

「舟の夢」

こがれこがれて あう瀬はひろふ 
たのしむなかに なんのその
ひとめ堤の あらばこそ
うれしき世界に 住み慣れて
流れ渡りの 舟のうち
それも浮き世ぞ かへるにも
しかじとなきて ホトトギス

(手事)

ゆくえいづくと 白浪の
衣のむしろに 想い寝の
夢を現に 驚かす
風は涼しき 梶枕

 多くは「船」と大きい方の字を充ててあるが、おそらくは商売の先の商船へ渡る小舟のことを指していると思われるので、ここは「舟」の字の方が適切であろう。大きい字を充てるのは、思うに表向きの読み方をとっているからであって、この歌も多くの地歌艶ものと同じく、掛詞や隠喩によって、全く別の意味が隠されている。表向きの意味とは、これも通例の通り単なる情景描写であって、気楽な舟の生活をさらりと涼し気に詠ってある。さて、そこに秘められた真意を歌に従って読み解いて行くならば、まあ私は根性がイヤラシいので、幾分こじつけの感もあろうが、これも地歌・箏曲の普及のためであって、そこにイヤラシい下心はない。・・・たぶん・・・

 「焦がれ焦がれて 逢瀬は卑陋」 「漕ぐ」と「焦がれる」・「あう瀬」(向こう岸) と「逢瀬」・「広い」と「卑陋」(いやしいこと) が掛けられており、特に「卑陋」については、あまりに表現が露骨になるためか、本によっては「苦労」とされている。
 「たのしむなかに なんのその」 キモチのイイことをシテもシテもまだまだ不足で・・・
 「他人目慎みの あらばこそ」 「堤」と「慎み」をかけることによって、人目を気にする堤が近くにある訳ではなく、ここにはひと目がないのをいいことに、その度合いといったら人目をはばかる様子などあったものではない・・・
 「嬉しき世界に 住み慣れて」 こんな嬉しい世界に住み慣れてしまって・・・
 「流れ渡りの 舟の中」 ここらで一寸、状況説明が必要であろう。つまりこの歌は、江戸時代まで主な海運を担っていた千石船などの商船が、風待ちで留まる主な港で、水夫たちの身の回りの世話をしていた女たちのことをうたっているのである。彼女らは、港から小舟に乗って商船まで行く。もちろん港には、公然と春を鬻ぐ宿もあったが、そうではないプライベートなプロスティテュート・ウーマンもようけおった。まあ、新宿二丁目には公然の遊び場もあるけれど、そこに入れない立ちんぼもようけおるのとおんなしことですな。で、そういう最底辺の遊女たちはその小舟の中で水夫を相手にするわけですわ。
 「それも憂き世ぞ 帰るにも」 小舟の中やし、浮いて不安定でごそごそとキモチがええ・・・てんではなくて、生きるためとはいえ、こんなことまでして身を持ち崩してしまって、今更もとに戻ろうと思っても・・・
 「しかじとなきて 不如帰」 どうにもならないと観念して、泣く泣く荒くれの抱愛に身を任せるわれとわが身を、帰るに如かずと書いてホトトギス・・・そのままやんけと自嘲しているところが日本のブルースである。篭の鳥ならばまだ良い。ホトトギスは、古来より様々に取り上げられ、多くの歌にも詠まれ、漢字も充てられた。「不如帰」と書くのは、古代中国の「蜀」・・・というから、中国が秦王朝によって統一される遥かはるか以前の春秋時代、紀元前の6世紀から7世紀くらいの、今でいう四川省やから当時は中原から遥か遠く、晴天に上るよりも困難な最果ての国の杜宇という王・・・というか、当時は戦国の世の中で、近隣諸勢力と覇権を争っていたから、その中で彼はいち早く「帝」を名乗ったので、皇帝かも知れないが、周辺諸国はこれを承認しなかったので・・・いや、そんなことはどうでもええ。その王様が農業に力を入れて国は豊かになって、前のブータンの王さんみたいに、国が安定して栄えているうちに王位を次に譲った。譲ったからには国を出るのが掟やったから、これ「帰るに如かず」というて泣いたのを鳥が聴いてて同じように鳴いたのがホトトギスやったとかなんとか、まあいろんな伝説が残ってて、チベットの文化圏では、そういうメンタリティが昔からあったのかなと・・・思いを馳せながら手事に突入すると、これが大変に難しい。
 特に中盤にさしかかって、三の糸の10とか14とか9とか8を、掬うたり弾いたりの混在して進むメロディが超絶技巧で、ここができんためにお師匠様の逆鱗は何度も私のほおを掠めつつ後の壁に突き刺さったのである。「あんたなんかに毎週来られたら、壁何枚あっても足らんわ」と激怒されるその恐ろしさに、心を水のごとくに平静に保ちつつ、澱みなく挑戦を続けるのであるが、所詮でけんもんはでけん。漸く曲調が徐になったかと思うと、これマタ遠いツボを往復びんたの中散らし、終えて始まる手事の続き、さては鎮めと思いきや、突如連なる下のツボ、私の三味線鳩胸細竿、なんぼ数字で書かれても、空で空切る二十一、さらにはじけぬ中の糸、一の糸とてままならず、何度も間違う同じ場所、乱れ撃ち来る象牙の刄・・・
 「行方何処と 知らぬ波の 夜の筵に 思い寝の」 「知らぬ」と「白波」、「夜」と「寄る」・・・てねえ、心を必死に平静に落ち着かせながら歌える歌とちゃいまっせ。
 「夢を現に おどろかす」 まあ、怒濤の悪夢から覚めたようにここで手が易しくなるので、ふとお師匠様のお顔を盗み見ると、メロディに惚れて晴れやかな笑顔である。ううむ・・・それはまるで、悪人を何十人も成敗した後の桃さんのようなすがすがしさで、
 「風は涼しき 梶枕」 かじまくらとは、舟の舵を枕にすることから隠喩的に遊女の偲び寝のことを言うのであるが、「楫」の字を充てることもある。字はどれを使っても同じ意味である。それにしてもこの最後の纏め方、夜通しの激しい性行為のような手事を済ませた翌朝の、けだるい朝日に冷め渡る風のような見事さである。脱糞。

Posted: 金 - 4月 10, 2009 at 03:24 午後          


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