大阪見物


改めて散策するとさすが良いとこわがまち大阪

 舌癌の定期検診で森ノ宮の成人病センターへ寄ったついでに入院中のピリピリ師を見舞う。勝手知ったる病棟へ上がると、太陽のさんさんと降り注ぐ談話室のテーブルで、師はひたすらCDをヘッドホンで聞きながらその歌詞を書き写しておられた。私が向かいに座っても気づきもせず、ただただひたすらにペンを走らせている。その姿は、何かに取り憑かれた著名な研究者のようでもあり、夢に現れた悪魔の旋律の消えぬうちに書き留めようとする偉大な作曲家のようでもあり、また、世の些事には無頓着にひたすら自己実現を希求する孤高の思想家のようでもあった。人を寄せ付けぬ風に背後からは後光まで射している、・・・しかし、・・・あのな、・・・おっさん、それカタカナやないけ。リンガラ語やねんからせめて・・・あ〜あ、単語の区切りがちゃうやん・・・しかも後光と思ったのは、配膳係が押してくるステンレスのカートや。食事は通常病室へ運ばれるものであるが、師は殆ど一日中このテーブルに座してペンを走らせておられるため、係は仕方なくここへ食事を・・・あ〜あ、おっさん朝飯まだ置いたあるやないの。ちゃんと食べて記録出してもらわな治療方針に・・と訴えかける係の鼻先に、「ほい」とチェックシートを差し出す。「食べてから書いて」鬱陶しそうに、師は朝食をがつがつと平らげ、その手で昼食もがつがつと平らげ、商売を邪魔された社長が苛立たしげに部下に決済書類を渡すように、チェックシートに何やら書きなぐって「ぽい」と捨てた。足許には二食の残骸・・・師はそれには何の関心も示さず、「ちょっとこれ聞いてみ」いうて私に耳くそだらけのヘッドホンを突きつける。古いOK JazzのSimarroの名曲や。それをネタに5曲ほど作ったから聞けという。「作った」て、あんた・・・「聞け」て? 師は密かに病室にウクレレを持ち込み、皆が寝静まった頃病室を抜け出して、無人のロビーや階段の踊り場で、出来た曲を奏でては歌い、録音する日々であるという。「まだ声が出るさかいな」何度か警備員に注意されたらしいが、何度言っても辞めないので仕舞に諦め、今ではすっかり彼のファンになってしまったとのこと、酒もタバコも抜け、三度三度の食事がきちんと供給されているため、顔色も艶も良く、まだ放射線治療の粘膜に及ぼす影響はみられず声も野太くでかい。昼間は昼間で持ち前の明るさで病院中に友達を作って回り、「おもろいやつ」と結構な人気者。私との対話の掛け合いはそこらの万才よりもテンポ良くどぎついため、たちまちのうちに談話室は爆笑の・・・とはいっても、入院患者のほとんどは喉を失っているので「笑うに笑えない状況」・・・と、これまたホワイトボードに書いてよこす。顔を見れば明らかにシロウトやない。夢が現か現が夢か、ここは地獄か天国か? いやいや両者は紙一重。しかし、師はそんなことにも頓着せず唾を飛ばしまくる。ううむ、成人病センターも、とんでもない夜行性動物を引き受けたもんや。まあ紹介状書くように仕向けたんは俺やけど。院内感染が、これ以上広がらんことを願うのみや。せやけど曲なかなかええ。だんだん良うなってきたやんけ。体温測定に訪れた看護士に向かって「いまのうちの俺の声を録音しろぉぉぉっ」て、訳の分からんことをほざきよる。腹減って来たから、地下の食堂で飯喰って上がって来たら、センセお昼寝や。改めて散策するとさすが良いとこわがまち大阪。


 そのあと、私は大阪城公園を経て中の島公園を経巡りつつ、大阪市役所へ行った。上の写真は大阪へ来たCaetano Velosoが記念撮影した場所や。なんで市役所へ行ったかというと、まあ5年近く前に、あるイベントのお手伝いをしたんやが、その経費の支払いをめぐってその主催者とずっともめ続けてきたんや。金額は深刻なほどではないが、捨てておけるような額でもない。しかもそれが大阪市の支援事業やったもんやから、私の飽くなき調査の範囲は、この大阪市役所の公文書館にまで及んでしもて、とうとうそのときの記録を見つけてしもた訳や。ところが、そこに書いてある明細が嘘八百・・・何百万もの水増し請求と、私の書いた文書の改ざんが含まれていたので、その件を主催者に申し渡すと、まあだいぶ巻き舌きかされたけど、結局解決の方向へ動くことになった。しかし、情報公開制度でその文書を閲覧しに行った時に、これが担当職員と差し向かいでやるもんやから、むこうかてピーンと来んねやろな、私がメモしてる相違点のことで聞きたいことがあるというから、日時を今日に合わせてもろて、再び面談ということになった次第や。まあ呼び出しがあったんで、一応自分の疑問点は全て箇条書きにして、裏付けもとって、証拠書類揃えて、不正金額の積算も建てて持って行った。そらそうや。たかだか100万程度の規模のイベントに、600万も使うたて誤魔化して300万近くを「支援」してもろてポッポないないにした上に、俺の立て替え経費まで踏み倒して散々罵倒し続けて来たんやから。それなりに痛い目に会うてもらわな世の中不公平ゆーもんや。私は黙って持って来た資料広げたんやが、職員みんな凍り付いとったな。まあこれで、あの辺りで鳴らしてたあいつと、名古屋の方で一時「時の人」になってたあいつと、その上で糸引いてた巻き舌のうまいあいつは、かなり痛い社会的制裁を食らうやろ。改めて散策するとさすが良いとこわがまち大阪。
 そのあと、その主催者のカンケイの人と会うて、立て替えてた経費の返済を受けた。この件では、アメリカ村のあっちこっちでいろいろ相談に乗ってもろたり世話になった人が多かったんで、その人らを全部回ってご報告と概略の説明を申し上げたんやが、まあみんな「やっぱりな」て感じやった。というのは、同じ「手」でやられてる奴は沢山おるが、みんな諦めてしもて泣き寝入りや。まあ言い出したらきりがないが、あいつらは俺の性格をわかってへんかったもんとみえる。ここまでやれば落ちてくるというのが知れたら、起き上がって調べ出す奴も出るんちゃうか。だいぶやっとるみたいやから、そのうち何人かでもばれたら再起できるかな・・・ちゅうことを話しながら、ひさしぶりのどんよりとしたミナミの夜の街をそぞろ歩きや。改めて散策するとさすが良いとこわがまち大阪。

Posted: 金 - 11月 2, 2007 at 12:28 午前          


©