秋の甲陽園・西宮薪能


変わりゆく景観、見果てぬ夢・・・



 昨日、毎年西宮市の甑岩神社で行われている「西宮薪能」へ行くのにあわせて、かつて甲陽園に住んでいたときのお隣さんのお宅に泊めていただいた。「お隣さん」なんて気安く書いたけれども、上の写真に入りきらぬほどの大邸宅であって、わが愛車カリーナちゃんの隣に鎮座ましましているのは、名車ポルシェ様であって、ポルシェと言えば我が愛機Contax RTSの・・・いやいや、そんなことはどうでも良くて、その向こうにある車庫にはさらに複数の高級車が鎮座されているのである。




 その入りきらない上の部分がどうなっているかというと、このようになっているのであって、まさにヨーロッパの鷲ノ巣村の天上の古城、いや白亜の宮殿・・・下の写真のごとくリビングからは、眼下に大阪平野の広く見渡せる大邸宅なのである。で、どうしてこの家が「お隣さん」なのかというと、私がこの大邸宅の隣に、更にこれをしのぐ巨大邸宅を所有しているわけではもちろんなくて、そこから道路を挟んで斜め向かいの隣の隣にある二戸一のオンポロ文化の片っぽに住んでいたところ、あるときこの斜面を購入されたここのご主人が、新居の造成と建築のための仮住まいとして、隣の部屋を借りられたということなのである。




 なにを隠そう当時借りていた私の部屋からも、これとほぼ同じ景観を広く見晴るかすことが出来た。日夜変わりゆく眼下の風景を楽しみつつ気楽に暮らすこと8年あまり。外見のみすぼらしさから、私に「お隣さん」が出来たのは後にも先にもこのご家族だけだった。築40年は超えていたと思われるその建物は、阪神淡路大震災でかろうじて倒壊を免れたものの、岩盤の不当沈下に依って平衡感覚が時々おかしくなるほど建物が歪んでいた。建物の骨格もだいぶ緩んでいて、台風のときなどは突風で大きく揺れた。あるとき大雨を伴い暴風で、建物が揺れに揺れたあげく停電した。命の危険を感じて私は土砂降りの戸外へ避難したが、同じく飛び出してきた「お隣さん」のご主人と鉢合わせした懐かしい想い出がある。




 このご主人は私より一つ年上で、私と同い年のモデルのように美しい奥さんと、小学生の娘さんがおられる。この邸宅は、なんとご自分で建築されたのである。私は建築のことは全くわからないので、詳細は彼のHPに譲らせていただくが、購入から造成、建設、竣工、そしてお引っ越し・・・更に進む外構の充実など、その変遷をずっと見てきた。そしてこのたび、上の写真のようなプールとそれに隣接する場所にゲスト・ルームを作ったから、是非泊まりにいらっしゃいとのことだった。夢は狂おしく広がり、片っ端から実現されて行く・・・しかし、なぜこのような人が私のような馬の骨と分け隔てなくつきあってくれるのか、それはわからんのだが、このご家族には、甲陽園の山手一帯にお住まいの多くの近隣の人々のような突っ張った感じがない。実にひょうひょうと生きておられて、農業に転校して無職無収入で極楽とんぼを決め込んでいる私の話を面白く聞いて下さる。奥さんもまた外交的な人で、娘さんの友達の親御さんを引っ張り込んでホーム・パーティーをしたり、いろいろと楽しみは尽きないように見える。おそらく、このように性格のひとには、どんなひとでも優しくつきあえるのであろう。甲陽園という永年住み慣れた場所でもあるが、私はたびたび寄せてもらうこの家と、この家の人々が好きだ。

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 さてもっと書きたいことはいっぱいあったのだが、本題の薪能。これは毎年9/21に、つまり曜日に関係なく、また天候にも関係なく! 執り行われる名物行事であって、私も甲陽園へ引っ越してきた当時から毎年行くようにしている。甑岩神社は山手の住宅街の中にあるが、周囲の鎮守の森はいくらか残っていて、薪能はこじんまりとして間近に見られる良い催しである。あまり熱心に広報されてないから、観客も多くはない。今年は日曜日と重なったため混雑するかもと心配したが、悪天候が幸いして空いていた。プログラムとしては、たいてい「こども能」に始まって仕舞や薪の火入れ・市長やえらいさんの挨拶が続く。まあその辺はいつもやり過ごして、今年も遅れ気味に着いたら、ちょうど狂言「清水」の始まるところだった。狂言は、あの独特の口調と筋立てが好きなのだが、ことしのものはシンプルでわかりやすい分、少々物足りない感じがした。続く能は有名な「橋弁慶」で、これもわかりやすく、まあ一般受けを狙ってきたんでしょうな。一時期、筋立ての複雑な狂言や、ブラック・ユーモア、前衛的で難解な能が上演されたこともあったが、個人的にはそういう訳のわからんものの方が好きですな。この夜は、ちょうど牛若丸の登場あたりから大雨になって、客席には臨時の屋根が設けられていたので濡れはしなかったのだが、屋根を叩き付ける雨音と風音で台詞も音楽もかき消され、たいまつの明かりも激しく揺らめく中、場にふさわしい全く不穏な空気が偶然にも醸し出されたのであった。上の写真が揺らめいているのはフラッシュを焚かずにコンパクト・デジタルで撮っているため。私は夜の撮影にフラッシュは使わない。何年か前に、この薪能で厳かな場に似合わずフラッシュをタはまくる観客に大声で一喝するご老人がおられ、以後その意見は取り上げられてアナウンサーが観客にフラッシュを焚かないよう注意を促すようになったが、今夜も、弁慶の登場、牛若丸の登場、両者の対決と和解、そして退場の各場面要所要所にフラッシュの閃光が雨霰と降ったのであった。




 さて、お隣さん宅へ戻ってとりとめもなくいろんな話をし、お風呂も頂いた。もちろん全面ガラス張りで、夜景の中で湯につかる気分は格別である。その後、階下のゲスト・ルームで休むことになった。その部屋が、このように広大なフローリングの、全面窓ガラスの広間で、狭い部屋に住み着けた私は、ガラスの際に布団を延べて電気を消して横になったのだが、いやあ空を飛んでるような感じやったね。前の私の部屋の窓には格子が嵌ってたからこんな開放感はなかった。いや気持のよい久々の甲陽園の夜であった。




 翌日は気持よく晴れた。ベランダに出て風景を撮る。




 晴れたついでにかつての我が家も撮る。だいぶ蔦が這うて貫禄ですな。




 白とイタミーニョス・グリーンに塗り分けられた窓枠が、私の住んだ証。




 最後に、晴れの日の邸宅も心に刻む。訊けば、この邸宅の東側の斜面も長らく緑の林山となっていたのだが、このほど開発計画がまとまって36戸立てのマンションが建つらしい。舗装坂道を隔てたその隣の竹やぶにもマンション・・・甲陽園目神山町は一戸建てしか建てられないとの取り決めがあったはずなのだが、どうしたことか・・・つい先日、阪急電車には珍しい脱線事故を起こした甲陽園駅の周りにも駐車場が出来、高級料亭「はり半」も遂に解体工事が始まったという。私が引っ越してきた当初は、まだ駅の北には「大司教館」が深い緑の仲に静寂していたし、そのころからくらべると隔世の感がある。

Posted: 月 - 9月 22, 2008 at 10:16 午後          


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