携帯電話を解約する


振り回されるだけのおもちゃに飽き飽き



 世の中に「こんなものなくなってしまえばいい」と誰もが思っていながら、決してなくならないばかりか、今では老若男女ほとんどの人が持っているものの代表に携帯電話がある。私はこれが嫌いだ。本当に嫌いだ。大嫌いだ。これが普及する前はポケベルが流行った。これも大嫌いだった。その前は遠隔操作の出来る留守番電話だった。これは便利に使っていた。その頃、女性と懇ろになって誘い出すには、殆どの場合彼女の実家に電話する必要があった。当然家族が出るので、先ずは家族の印象を良くし、良好な関係を構築することが、女性とのステディなカンケイを維持するのに不可欠だった。待ち合わせにはアクシデントがつきものだったので、自分の留守番電話を公衆電話から遠隔操作して、彼女からのメッセージが残されていないかどうかを確認するのが、最もトレンディなデートのあり方だった。ポケベルで呼び出されても、結局話しているのは公衆電話と固定電話。つまり、コミュニケーションは、あくまでも能動的だったのである。それが携帯電話の普及で、呼び出しは予期せぬ時に不意にやってくる。
 私が携帯電話を持つことになったのは、仕事の都合である。すなわち世の中の流れの要請に逆らうことが出来なかった訳だ。私はフリーランスで、主に食品メーカーと契約して営業活動を請け負う営業代行の仕事をしていた。始めたのは1987年なので、もう20年も前のことになる。当時はまだ携帯電話ではなく、高級乗用車に物々しいアンテナのついた「自動車電話」が最先端だった。巨大な本体が運転席と助手席の間のボックスにあり、重いトランシーバー型の電話機がスパイラル・コードで本体と接続されていた。高級車でないと収まり切れない寸法だったのが面白かった。ビジネスも今と違って実におおらかなもので、「マーケット」は荒野だった。エリート路線に合流することに汲々としている「社員さん」に代わって、販路を開拓してくるのが任務だった。
 最初の仕事は、某酒造メーカーが新たに売り出そうとしていた飲料をもって食品業界に新規参入する仕事だった。このような仕事のあり方は、まだあまり知られていなかったが、開拓の仕事にはリスクがつきまとうので、社員の手は汚させず、我々のような一匹狼が重宝される時勢だった。契約の条件は、たいていコミッション制で、実売に対してマージンが支払われる仕組みだった。従って給料ではなく人件費ではない。最初の数ヶ月は、ほぼ坊主だった。しかし努力の甲斐あって、半年後にはほぼ当時の初任給並、一年後にはその倍の収入を得た。クライアントは酒造メーカーであるので食品業界の知識は皆無。ひたすら名刺一枚での飛び込み営業の毎日だった。問屋をめぐり、チェーン・ストアと渡り合い、根まわしして企画を同時に実行し、物流倉庫からの出荷を確認してギャラを要求する。全てに神経を尖らせていた。そのかわり、自分のテリトリーで何があっても即座に対応出来るほど、マーケットを熟知していた。クライアント先への報告は全て夕刻の定時連絡のみで、野放しが基本だった。いや、「野放し」は、我々の自由の証であり誇りであった。その仕事は二年後に、ほぼ安定した結構な売上予算付きで、クライアント社内に新設された飲料事業部に成功裏に譲渡され、我々はにんまりしながら任務を終えた。
 我々の間でポケベルを「持たされる」ことを「鈴をつけられる」といった。鈴をつけられた飼い猫は、音に気づいたネズミに逃げられる。ビジネスというものは理屈や条件ではなく、ハートでありタイミングであり、こつこつと体を張って積み上げた極めて繊細で微妙で強靭な人間関係と力関係の産物である。鈴の音は、その緊張の瞬間をぶちこわす。そればかりか、その瞬間に臨む直前に鳴り響くことがある。おかげで極めて重要な商談を逃すことも多かった。まだまだ商談の場は、個人の力量の問われる世界だった。管理の手が、我々フリーランスの仕事人にも伸ばされようとしていた。しかしそれでも、ポケベルが鳴ったとしても、電話する主体はあくまでこちら側にあった。事務所に電話をすると、そこには有能で麗しい営業事務の女性がいて、彼女をデートに誘いたい欲求を抑えつつ用件を伝える。話はそこで一旦整理され、各方面にまとめられた上で、的確に伝えられた。彼女らは、その上で売上管理から物流管理までをこなしていた。仕事はビジネスとして繋がっていたのである。
 「リストラ」は、そうした有機的なビジネスのあり方を分断し、中央からの直接の管理下に置くことによって中間管理職を排除し、現場担当者にすべてをしわ寄せすることによって彼等を無気力にしていった。それまでコミッション制が当たり前だったフリーランスの我々も「契約社員」の名の下に管理され、ギャラはポケベル付きの年捧制になった。仕事も、徐々に自分の裁量でものを動かせることは少なくなり、私に言わせれば「ぱしり」同然のものに成り下がっていった。あるとき鈴の音を忍ばせて食らいついた大きなビジネス・チャンスがあって、その内容を詰めるために、苦労して取った先方の重役との商談のアポをクライアントの重役がすっぽかしたことがある。激怒した私は、彼の携帯電話に「この意気地なし!」と怒鳴り倒したのが、私が携帯電話と関わった最初だった。当然、暴言の咎で私はクビになったが、その話は業界内に即座に伝わり、私の最後のクライアントの目にとまることになった。仕事は途切れなく続いたのである。
 携帯電話が使われるようになって最も変わったことといえば、皆が約束を守らなくなったということである。ビジネスの場に於いても、事前に綿密に打ち合わせ、あらゆるリスクを検討し、相手の出方を予測し、競合他社の寝首を掻く段取りを慎重に立てたものだが、それが現場でいとも容易く変更されるようになった。打ち合わせ通りに任務をこなした人間は、変更されたことを「あなたは携帯を持っていないから」知らされず、そのために不当に評価されることになった。ビジネスのテンポが速くなっていた。いつまでも綿密に検討してかかることが難しくなっていた。当時の仕事仲間のうちで、私は最後まで携帯電話を持つことに抵抗した人間だが、代理店の懇願もあって、泣く泣くこれを契約した。
 はじめは携帯電話を持つということは、常に電話に出られることを意味すると思っていた。固定電話なら、不在で出られないということがあり得るが、携帯している本人が出られない筈はない。実際、車の運転中に出られなかったことをクライアントから手厳しく咎められたことがある。それほど厳しいものだった。しかし、着信音を選べるようになったあたりから、相手を選別したり居留守を使えることが、セキュリティ対策の名目のもと、機能として公然と盛り込まれるようになった。はじめは嫌な友達には出ないという程度だったが、今では不得手な得意先の電話には出ない奴もいる。かからない電話の方が多いくらいだ。ならばどこに携帯電話である意味があるのか。
 携帯電話の普及と同時に、交通アクセスの整備も急速に進んだ。大阪から姫路全域を荒し回ってくるのに、かつては出張が認められたものだが今では冗談だ。末端の営業担当者の携帯電話は既にただの電話機ではなく、携帯端末といって合理化されたパソコンである。ビジネスのテンポは、もはや人間のハートが考えるのを待っていられないほど速くなり、極めて刹那的、瞬間的、同時多発的に様々なことが起こる。トラブルも、かつては人の気持ちと気持ちのぶつかり合いであったものが、今では訴える人も忙しいから、詫びをメールで入れといてくれてなことになる。会社の方針もめまぐるしく変わり、方針やアクション・プランにコード・ネームがつけられ、定期的にアップ・デートされて、昨日やったこととは相容れないことでも、今日はやりに行かねばならない。理念など、どこの世界の話かというくらいだ。常にネットワークにアクセスしていなければ、ビジネスが成り立たなくなって来た。
 一方で、携帯電話が身に危険を及ぼすこともあり、公共の場や電車内などでは控えるようにと社会的にはされている。しかしこんなことを守っているのはごく少数で、たとえば阪急電車では「携帯電源OFF車両」というのがあるが、それは「ほかよりすいている」という意味である。よく車掌が見回りにくるが、早弁の中学生でもあるまいに、本やパソコンで隠したり、上着をかぶったりして逃げ隠れする。そうしないと彼のビジネスが繋がらないからである。これはいったいどうしたことだ。
 最近では、携帯で電話することは殆どなく、だいたいがメールのやり取りである。中学生時代の古い連れと、十何年かぶりに飲みにいく約束をするのに、互いのメール・アドレスを教え合った時ほど屈辱を感じたことはない。メールのやり取りは、相手の顔が見えないからついつい過激になる。メールばかりが横行して頻繁にメールのやり取りをしていると、操作に疲れてその内容を忘れてしまい、却って記録の残らない通話で話し合ったことの方が、記憶によく残っていたりする。一時は、ジャンク・メールで携帯がビビりっぱなしのこともあった。
 携帯電話のビジネスというものほどわかりにくいものはない。ジャンク・メール騒ぎのあったとき、対策としては悪質な送信もとを規制するものだと思っていた。ところがとられた対策は、パケット通信の値下げだった。つまりメールの総量を規制するのではなく、それは温存してユーザーが負担する経費を下げることによって不満を封じ込めようとしたのだ。さらにオプションとして、有料の迷惑メール防除フィルターのサービスが開始された。つまりジャンク・メールの多くは広告が入っていて、そのクライアントの利益のためにユーザーの迷惑を犠牲にした上で、有料のオプションをつけることで更なる利益を上げようとした訳である。
 こうした姿勢は、携帯電話事業者の料金体系に見事に凝縮されていて、私の一台目の端末が、厨房でコロッケを揚げている最中に、手が滑って180度の油に落ちて素揚げされてしまったのを買い替える際に説明された、「0円携帯」のからくりをみてもよくわかる。端末機は、その機能にもよるが3-6万円程度の実勢売価になる筈である。ところがこの多くが0円で新品に交換出来る。販売店は、携帯電話事業者から販促金をもらっていて、これを売価から差し引いて0円にして交換するのである。事業者はこの販促金を、当然ユーザーの利用料金から回収している。その塩梅は、ユーザーはほぼ2年ごとに端末を交換するであろうという予測のもとに算定されている。
 わたしも仕事柄こういうからくりには五月蝿い。「ほなたずねるけどな、潰れるまで一台を使い続けた場合、その販促金分は返してくれるのか」おうむ返しの返答しか出来ないカウンターの姉ちゃんが泣きわめくまで何度も何度も詰問していると、後ろからエラそうなおっさんが出て来て言うには、「永年機種変更せずに使い続けると、年々割引率が高くなっていきます。それで平等に保たれております。」「ほんまやな。」「ほんまほんま。」京都の人が「ほんまほんま」と二回言った時は、それは嘘である。最近携帯電話事業者は、料金体系を見直すという。つまり公には認めていないが、端末を頻繁に買い替える人と比べて、買い替えない人の方が明らかに不利だからである。私はこの端末を8年使っているが、彼等の基準からすると4台買い替えた分、最も安い端末で12万円を、買ってもいないのに利用料金の中で支払ったことになる。ノート・パソコンが一台買える金額である。
 携帯端末ショップの前には、買い替えられて下取りされた古い機種が、ダミーとして無料で山積みされている。しかし、これは日本の半導体技術の粋を結集した集積回路であり、液晶画面であり、立派な端末機器であるのだ。それが2年に1台買い替えなかった人たちのおかげで、これだけ無惨に廃棄されようとしている。こうしたビジネスのあり方が健全である筈がない。売ってもいない商品の料金を、麻酔みたいに利用料金の中に溶かし込んで、ユーザーのポケットからだまし取るようなビジネスのあり方が、健全である筈がない。そうして、このようなビジネスのあり方しか生き残ることの難しい社会が健全である筈がなく、そのような時代の流れに従うことが、健全である筈がない。したがって、携帯電話を使用し続けることそのものが、健全である筈がない。なぜなら、それは私の時間に土足で踏み込んでくるからである。
 踏み込まれる最も具体的かつ顕著な例は、端末が発する電波が音響機器に及ぼす雑音である。私は、音楽的自由を求めて、しばしの養生のためにここへ来た。毎日のように様々な音楽を鑑賞し、感動し、または演奏してそれを録音したり編集したりしている。しかるに、この携帯端末から発する電波は、部屋の隅からでさえ、私の音響機器に雑音を及ぼし、それを防ぐことが出来ないのである。電源を常に切っておくのでは、もはや携帯電話の意味をなさぬ。支障のない時に電源を入れて、それまでに来た通信をチェックするのにはサービス料がかかる。事業者の料金体系の思うつぼである。それに与することが、健全である筈がない。
 農業への転身を決意してここへ引っ越して来て一年、すなわち以前の仕事から足を洗って一年、この携帯端末は仕事用でありながら、その便利さにかまけてこれを維持して来た。携帯電話というものは、公私をわきまえない。クライアント先はともかく、その得意先に公表された電話番号であるため、不意の電話がよくかかる。これらにも対応出来るものは無償で対応して来た。ギャラの要求のしようがないからである。もう、一年という周知期間も充分であろう。「あると便利」なものは、「ないと不便」になり、「なくてはならない」に変わるのは時間の問題である。しかし、これがなくなることは必定であって、「なくてはならない」ものが「ある」ことを前提に物事を広げてしまっては、それが本当になくなった時に身を持ち崩すであろう。「あると便利」なものは、どんなに便利でも、なくなることを前提にしておかなければ、取り返しがつかなくなる。そうならないために、私は携帯電話を解約する。

Posted: 金 - 10月 19, 2007 at 09:22 午後          


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