携帯電話のない生活


解き放たれた歓び



 「もしもし、あ・た・し・・・、イナイの? じゃ電話して (ガチャ)。」
 うぬぬぬぬぬ・・・名を名乗れ、名を・・・まあこういうことは携帯電話では起こりえなかった。相手の名が表示されるからだ。でも、固定電話では、「ナンバー・ディスプレイ」とやらに月々金を払わんことには、この手の電話の主が、誰だかわからんのだ。まあこの際、このような失礼な輩とのコミュニケイションもついでに解約してくれる。
 上の写真は、永年愛用していた懐かしの留守番電話である。この機種の特長は、おそらくカセット・テープが使えた最後の機種であるということだ。かかって来た相手のメッセージをカセット・テープに残す・・・また楽しからず哉・・・永年の連れであり名ギタリストであるカニヲさんなどは、わたしんちに電話をかけて来て留守と知るや急いでギターを構え、テープが回り出すと同時にイントロを弾き、用件を歌にして残してくれたものである。エンディングまでついている。毎回その調子であるので、その録音は長時間テープにダビングして、「留守番電話名作選」としてライブラリに遺されている。
 また、過去にその嫁はんを寝取ってしまったブルース・ギタリストの某氏の遺したメッセージもまた多く遺されていて、それらは講談調の重々しい口上に始まり、上方落語の軽妙な語り口を経て、ギター伴奏の音曲吹き寄せで終わるという、非常に凝った内容のものであった。彼等の芸に対して礼を失してはならぬので、こちらも90分以上のカセット・テープを用意して常に装填してあった。このようなことが出来たのは、媒体が汎用性の高いカセット・テープであったからであり、メモリやマイクロ・カセットでは、なかなかこうは行かない。
 この電話機は、1997年の阪神淡路大震災の時にアパートの下敷きになり、奇跡的に完動状態で掘り出された。以後、私が携帯電話を持つまで実用品であった。しかし、その後、固定電話の回線はパソコンのモデム直結となり、この電話機は8年近く飾り物になった。このほど出して来て電源を入れてみたが、電話機としては動作するものの、カセットの駆動と、留守番機能の動作はあやふやであったので、メーカーに修理を打診したが、やはり部品がないとのことで断られた。この電話機は、カセット・テープを使えたレアな機種として、私の家庭用電化製品産業遺産コレクションに加えられることになるであろう。
 さて新機種を捜さねばならぬ。現行モデルでは、何十秒かのメッセージをメモリに記憶させる方式が殆どであり、しかもそれを取り出すことは出来ない。買い換えの最大の条件が、「電波の出ないこと」であるので、親子電話も使えない。結局SHARPから出ているDA-Y500一機種のみであった。私の愛用した商品は必ず短命に終わるというジンクスがあるので、全国のメーカーさんよ、気ぃつけたほうがええで。やれやれ、留守番電話を使った上のような遊びももう出来ない。おもしろみのないことよのう。
 携帯電話を持たないということで最初にしなければならなかった作業は、携帯電話に記憶させてあった電話番号の書き出しである。勿論パソコンには同期させて持っているが、かつて上の写真のように、紙入れに入る小さなアドレス・ブックを使っていたことを思い出し、大きな文具店に行ってみると、デザインが変更されてまだ売っていた。その頃愛用していた小さなペンも売られていて、ちょっと懐かしかった。ただ、小さな字を書くのも読むのも苦痛になって来たことは、かなりショックではあったが・・・
 しかし、なによりの喜びは、いきなり震え出したり、着信が来ていないか、常に確認しなければならないような、びくびくした強迫観念から解放されたことである。携帯電話の功罪については、いろんなことが語られているが、まあ人によって向き不向きがあり、世の中の趨勢としては、携帯電話がなければ不便な方向へ進んでいて、これは留められない趨勢だが、私にはつきあい切れないということだ。
 私は、常に誰かと繋がっていることで安心するというタイプではない。むしろそれは煩わしく、特に何かに集中したい時に、不意にかかってくるメールや電話ほど苛立たせられることはない。しかも何かに集中している場面が日常生活の中で多いので、基本的に電話やメールは、こちらからアクセスして初めて確認出来る場所にプールされていることが望ましい。そんなあり方というものが、世の中の趨勢の中で、どれだけ通用するものなのか、段々息苦しい暮らしを余儀なくされて行く自分に、つくづく嫌気もさすのではあるが・・・
 コミュニケーションのあり方というのでちょっと考えてしまった。かつてキンシャサを旅した時、彼の地には電話もなく郵便の宅配制度もないのに、口コミネットワークで、瞬時にして情報が共有される。個人的なメッセージもかなり正確に伝わるし、道を歩いていて知らない人からふとメモが渡されることがある。「その先で待ち伏せしている奴らがいる。気をつけろ。」もう18年も前のことだ。その頃は、誰もが能動的に情報を取りに出て行ったものだ。そのキンシャサにも、今は携帯電話が氾濫しているという。子供から大人まで、ピンと張り詰めたアンテナを研ぎすましていたからこそ成り立ち得た口コミネットワークは、いまどうなっているのだろう。また、それを支えていた人たちは、いまどうしているのだろう。
 ちょっと田舎に引っ越して来て、集落や、隣保や、農協という、都市生活では縁のなかったネットワークが身近にある。私は農協に加入してはいないが、借りている家の家主さんが加入しているので、農協ではその名前をいうだけでどんなものでも買えるらしい。まだ実際にやったことはないが。家主さんは土地の名士であるので、その支所の全員が彼を知っているからだが、まあ民間企業では考えられないことだ。でも、その方が紙やデータに頼るより確実なのかもしれない。両者が善意で仕事をしていればという前提付きだが。
 こうした古くからの関係の延長として、電話はあった。仕事をするにも遊ぶにも、直接当人に話す前に取り次いでもらう必要があって、正しく取り次いでもらうには信用してもらう必要があって、そのためにはきちんとした社会性が要求されるから、少なくとも言葉遣いくらいは覚えて、そうして直接のコミュニケーションの相手以外にも広がりがあって、それが更につながりを生んだものだ。携帯電話は、常に多くの人と繋がっていることを前提としているから、それが進化したミコュニケーションの姿としてある筈なのに、かえって閉鎖的な人間関係の中で、さして重要とも思えないコミュニケーションに時間と金を割いているこの実態は何だ?
 携帯電話とは何だったんだろうなと最近つくづく思う。あったから便利だったか、というとそうでもない。なくて不便か、といわれると、これもそうでもない。ほとんどの場合、かかって来た電話には手が放せなくて出られないから、結局こちらからかけている。先方の用足しにこちらが金を払っていて、それが積もり積もって毎月一万なにがしかの通話料になる。いったいなんだったのだろう。さっぱりわからない。しかも一台しか買っていないのに、複雑怪奇な料金体系の中で、4台も買い替えたくらいの金を払ってしまっている。それに見合うだけのメリットを、携帯電話は与えてくれたか?「浮かれてた」としかいいようがない。
 こういうセンスが少数派であることは自覚している。「異常」呼ばわりされたこともある。非難のメールも来た。携帯電話という道具が悪い訳ではない。交通事故で毎年何千人も死んでいるのに、自動車をなくしましょうという話には絶対にならないのと同じだ。本当は、自動車もなくすべきなんだが、諸般の事情によりそうも行かない。運転者が不充分であったのと同じように、私の度量が足りないのだ。私はそれに堪えられないのだ。ほっといてくれればいいのに、好きなようにさせてくれればいいのに、なかなかそうもいかないのだ。だから、つかの間の息抜きが欲しい。いずれ、携帯電話を持つことが強制されるような世の中がくるであろう。全員の居所が管理され、行動が監視され、経済活動もそれによって行われる。いずれまた持たざるを得なくなる。

Posted: 日 - 11月 11, 2007 at 04:06 午後          


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