トーク・イベント「コンゴ民主共和国・無視され続ける世界最大の紛争」


「その沈黙に、一石を投じようじゃないか」

 大阪大学グローバルコラボレーションセンター (GLOCOL) 主催のイベントであった。私は「リンガラ・ポップス」にハマって苦節20余年、ザイール共和国からコンゴ民主共和国への、いわば明るい面や楽しい面を主に見て来た気がする。しかし、この国の東半分は、いまでもキンシャサの中央政府の力の遠く及ばないエリアであり、恰も国は分断されているかのようだ。その発端となった1994年のルワンダでの大量虐殺による死者数は100万人を軽く超えるとんでもない数字だった・・・くらいのことしか知らない。「反政府民主化」運動によってモブツ大統領が追い出され、国名がザイール共和国からコンゴ民主共和国 (以下、「コンゴ」) に変わったあたりのいきさつについては、私はリアル・タイムで情報を追っていたから、それをここ にまとめた。しかしその時も、主にやり取りしていたのは、紛争から遠く離れた首都キンシャサや、北東部のキサンガニの友人たちとであった。なにより第二の故郷であるキンシャサのことが心配だったので、やがて新政府が国の西半分を制圧してなんとか安定すると、キンシャサからは「大丈夫だ」の情報が寄せられて、それなり安心してしまった感がある。それ以後も、時折コンゴでの紛争が伝えられた。確かに情報が少ないことは気になっていた。新聞も、日本語によるウェブサイトも、英米のニュース・サイトでもあまり報じられなかったので、まあ大丈夫かなと思っていたが、やはり違ったようである。

http://stealthconflicts.wordpress.com/

http://www.friendsofthecongo.org/

http://www.congoweek.org/

 情報が少ないのには理由がある。それは、コンゴ紛争と呼ばれているものに関与している勢力が多数あり、夫々に利害関係が錯綜していて、勧善懲悪の二元論では割り切れず、全体像を伝えにくいことである。しかも、夫々の勢力と利害関係のある諸外国の中には先進国も含まれていて、情報を伝えれば伝えるほど、その国の利害と対立するからである。しかし、紛争の実体は実はシンプルなことである。私もカサイ州で逮捕監禁されて身にしみたのだが、コンゴの埋蔵資源は膨大で豊かで、特に先進国の現代生活になくてはならないものであって、この紛争は、単純にその権益を巡る勢力争いだということである。石油だけではない。パソコンや携帯電話に使われる鉱物も非常に多く産出する。そこにはブローカーが介在し、日本企業も彼等から資源を買っている。当然我々に身近な家電製品の中に、それらは多用されている。コンゴの鉱山地帯へ行くと、日本の貧富の差なんて消し飛ぶくらいの壮絶な貧富の差を目の当たりにする。どす黒い欲得のオーラが街にうごめき、カネを巡る仁義無き戦いがそこら中で繰り広げられている。利害関係の網の目は、荒れ地を這う雑草の根のように錯綜していて硬く結ばれあつている。このような諸勢力の力関係を議論することは、この際あまり意味がない。独裁者が安泰であった頃には、同じ利権をめぐって「東西」の「陣営」とやらが、現地人を使って殺し合いをさせていたし、独裁者が鳴りを潜めた今、それが拡散されて複雑に絡み合った編み目の中で殺し合いをしている。世界中で、いち、にの、さんで、全ての資源を使うことをやめれば彼等は死なずに済むが、そんなことを誰がする? 畢竟、報道すれば議論はそこへ行き着かざるを得ないので、誰もが沈黙するのである。その陰で、この紛争で死亡した人数は、資料によると540万人、統計の取り方に疑問はあるが、例えば配布された同じ資料によると、イラク戦争やアフガン戦争では夫々50万人、ボスニア紛争6万人、コソヴォ紛争1万人、イスラエルとパレスチナの永年の戦いでも8千人とされている。これには統計の取り方に疑問がある。しかし、数字の桁数が余にも違いすぎるため、そこを議論することもあまり意味がない。日本や国連が援助している数字や、国際的な報道機関が取り上げた頻度は、数字など待たなくても実感でわかっている。これはまさに「無視され続ける世界最大の紛争」であることには間違いがない。
 さて、このトーク・イベントでは、この「紛争」に対する原因・発端・歴史・現状・影響・対応について、限られた時間で要約して語られた。出席者のほとんどは、失礼ながらほぼこの「紛争」については知らないと思っていいだろう。統計の取り方に疑問があるとい先に書いた。このようなシンポジウムにはつきものであるが、知らない者にとっては、与えられた情報から出発するしかない。イベントは、若い頃に貧困問題に接して国際協力の仕事に関わる中から「さらなるアクション」をと行動を重要視する研究者がコーディネイトし、世界で最も規模の大きな紛争は何かと調べていたら「コンゴ紛争」だったので関わることにしたという「紛争研究家」と、紛争下のコンゴ東部国境を取材した写真家とのコラボレイションという形で進められた。上のような概要説明の後、質疑応答があり、思った通り血気盛んな社会運動家の専門的な質問が相次いだ後、友人でコンゴ人唯一の参加者であったRobert Yawadio氏がコメントした。「初めから聞いていると、なんだかコンゴはとんでもない国のように思われる。もっといい面も一杯あるよ。どうかそういう面もきちんと伝えてほしい。」これは、なかなかに同感であった。休憩時間中に、コンゴは紛争だけの国ではないことをよく示すために、コンゴの日常の風景や音楽が紹介されたが、なんとそれはケニアのものだった。それが悪いとはいわないが、コンゴへ行ってコンゴの音楽が聞こえなかったというのは、やはりバランスを欠いているといわざるを得ない。なぜならコンゴはアフリカ随一の音楽大国であり、アフリカ中がコンゴの音楽であふれていて、その弊害を説くひとさえあるくらいだからだ。イベントの最後を締めくくったのは、報道しないジャーナリズムに対して「その沈黙に、一石を投じようじゃないか」の意思表示と、「さらなるアクション」のために、みんなではがきを書こう、メールを出そう、情報を伝えようという意志の確認であった。はがきも配られた。
 私は受け取らなかった。よくわからない聴衆を前に要約した話を聞かせ、その場で行動へ導こうとするイベントのあり方に好感が持てなかったからだ。そうせざるを得ない実情はわかるが、提示された要約には恣意的なもの、特に熱情的な何かを感じる。そのことを帰ってからメールでその研究者にしたためた。問題の解決方法にはいくつかあって、対立や葛藤に於ける緊張を助長する方法と緩和する方法があり、イベントとして多数のひとに提示する場合には、両方のバランスを取ることが求められるのではないか、行動に向けて「一歩を踏み出す」には、平静な精神状態が保証され、自発的で多面的な検討の機会があって、さらに個々のひとに、自分の生き方と共感するような内省的な衝動が必要だ、イベントでは明らかに即座に行動を煽る部分が最後に用意されていたが、慎重にした方が良いのではないかといった内容である。しかしそれに対して返って来た返事は、全く驚いたことに猛然たる反論の言葉であった。曰く、「私は過去7年間、日々大学生・大学院生と接し、彼女・彼らの正義感、無力感、志、逃げたさ・・・その多様さに接し、それと取っ組みあってきました。」・・・「ご自身が音楽好きで音楽でアプローチをしている、そういう話ですよね?」・・・「今回は一貫して、自分に何ができるかを問う、というテーマからブレずにやってきました。」・・・私は彼等のやっていることを一度も否定したことはないつもりだったのだが、そうは受け取られなかったようだ。この激しい口調が全てを物語っている。しかし残念なことに、彼等の研究費や生活費は我々の税金でまかなわれているのだ。もちろん、研究の自由は保障されるべきだ。しかし、ひとに飯を食わしてもらってる分際でこの独りよがりは、傍迷惑以外の何者でもない。あまりにもひどすぎる。すくなくとも、音楽にしみじみと感じ入る心の豊かさくらいは、持っていてほしいものである。これ以上、返す言葉を持たない。残念なことだ。10月には「コンゴ・ウィーク」という大掛かりなイベントを主催なさるそうだ。楽しみにしている。

Posted: 日 - 4月 19, 2009 at 04:54 午後          


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