ロンドンへ

08/16

 5時起床。旅立ちの日である。まあ先進国の旅やさかい、赤子の手ぇひねるより容易いわ。関西空港へは阪急西宮北口駅6:30発の直通バスで行く。電車を乗り継ぐより早いからや。念のために思うて乗り場には6:15に着いたんやが、なんと既に満席で乗れんという。定員が決まってて立席はあかんのやて。次のバスは一時間後、待つか電車にするか迷てるうちに、更に何人も客が来る。このバスは阪急西宮北口駅を出ると、JR西宮駅と阪神西宮駅で客を拾てから、阪神高速湾岸線に出て関西空港を目指しよる。無線で途中駅にも客が集まっていることが伝えられる。中には既に切符を買っている客もあるという。始発で満席である以上、途中からの客なんか乗せられへん。みんなで「どないすんぢゃこらあ」て係員に詰め寄ってたら、増便の手配がされることになった。だいぶ巻き舌上手なってきたわ。なんせこれからイタリアやしな。30分遅れの出発や。一年に一度あるかないかのことやて。まあええ、俺の旅の幕開けとしては上出来や。

 関西空港はごった返しとった。私は海外旅行のノウハウもよう知らんくせに個人旅行ばっかりしとんので、個人でチェック・インしたことはあるが、今回はロンドンまでは団体旅行に便乗の扱いやった。そんなこと知らんとチェック・イン・カウンターに45分並んで、そこで「団体受付」に並ばされ、どうにか搭乗券を手に入れたのは離陸の15分前や。例によって出国審査の長い列をごぼう抜きにして免税品店街を横目で見ながらゲートを捜す。大韓航空ソウル行きの登場ゲートは遠かった。ほとんど空港の端から端まで走った程や。ゲートが見えて来た頃には、搭乗券を切るおねえちゃんが小躍りして手招きしとった。なんか「ヨカ・ショックと行くパリ・南仏8日間の旅」みたいや。滑り込みセーフ。どないしたんやろ、楽勝の旅のはずやのに。

 前回ソウルに来た時は金浦空港やった。今回は新しいインチョン空港や。きれいなんはええねんけど、到着ゲートからトランジット経てロンドン行きのゲートがこれまた遠い。ほんまに空港の端から端まで走った。なんで走ったかいうたら、今朝早う起きすぎて、十分に排泄しとらんで、機内食食うて冷たいもん飲んだらなんかもよおして来たんや。せやけど短いフライトやさかいすぐに高度下げはじめよるやろ。せやし着いてからにしょ思たんや。空港のバーでオレンジ・ジュース頼んで喫煙コーナーで一服してロビーのソファーで「朝の儀式」の続きしてんけど、ちょっと手違いがあってスイッチ入んのに時間かかって、それからトイレに並んで出てきたらいつのまにか離陸15分前や。また走ったがな。

 ロンドンまでの12時間程のフライトは、非常出口の席で、対面になった美人スチュワーデスと見つめ合いながらの空の旅やった。美人ちゅうのんは、なんでこないに奇麗に出来たあんねやろな、と考えてもしゃあないこと考えながら、仕事なんかエエからそこへ座っとれて言いたかったけどそうもいかん。機内食は2回。大韓航空名物わかめ入りカップラーメンも出た。俺これ大好きやねん。前乗ったとき大西は「なんちゅうもん出すねん」てえらい怒っとったけどな。

 ロンドン・ヒースロー空港は、英国を代表する空港にしては古くて粗末でわかりにくい。つぎはぎだらけの通路や物置の横を曲がりくねってひたすら歩く。爆弾テロがあったあとだけに入国審査は結構時間がかかり、到着から30分程でようやく外に出ることができた。出口は両側にロープが張ってあってその中を進むようになっている。出迎えの人がロープの両外側に並ぶ。そのなかにひときわ大きな唇で待ち受けとったんがFistonや。「イヤァ、イタミ!」なんやこいつ、英語になっとる。あたりまえか。

 Fistonというのは、1991年、当時のザイールへの二回目の旅で、奥地への旅の伴侶となった人物である。実に14年ぶりの再会やけ、「行くぞ」というこちらからのメールにも「空港まで迎えに行く。市中引き回しの刑に処する。」との回答を送ってよこしとった。彼は、あれからザイール国内を転々とし、タンザニア国境を伺いながら、ケニアへ脱する機会を探った。ウガンダへツアーに来たSamba MapangalaのOrchestre Virungaに合流して、まんまと彼等の本拠地であるケニアのナイロビに達することが出来た。そこで演奏活動をしながら金を貯め、チャンスをつかんでロンドンへ来たという訳だ。イギリスには、手厚い移民保護政策があって、働かいでも生活は保障されとる。ほんでパリやブリュッセルと並んで、ロンドンにはコンゴ人が多い。何故ロンドンやったのかという話をしているうちに酒も回って、とりあえず移動しょうかいうことになって、地下鉄に乗って名物の赤い二階建てのバスを何本か乗り継いで、まずはFistonが現在住んでいるアパートへ、そこでビールを数本嗜んだあと、Net Radioの「Nostalgie ya Mboka」を主宰するVincent Luttman氏のアパートへと場を移し、積もる話は限りなく、8時間の時差を飲み込んで、起きてから24時間後には泥沼のような黒い眠りの中に、意識は居汚く崩れ落ちて行った。こうして長い長い旅の初日は終わる。

 


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