混沌の南イタリアへ

08/17

 朝早よ目ぇ覚めた。Vincentと尚乃奥様に別れを告げて地下鉄に乗る。フィストンは俺が寝とる間に帰ったらしい。ロンドンへ来たら、皆がまずいまずいと言うてきかんイギリスの食いもんをぜひとも食うてみたい思うとったんやが、私は何を隠そう、かつてはイギリスのカンタベリー辺りを中心とした、繊細で情緒的な、美しいジャズ・ロックに入れ込んだ時期があった。Hatfield and the Northなんかベストやね。あれほどまでに美しい音楽を奏で、紅茶を愛し、なおかつ世界中の富を飲み込んで、今さら公開したら当時の残虐な手段がばれるから絶対に表沙汰に出来ひん宝物がわんさか詰まっとるという大英博物館を擁する国の料理が、まずいはずはなかろうと信じたい。空港へ行きしなに買って食うたスコーンは、これが実に旨かった。せやろ、世の中に、凡そ人が食するもんで、喰えんほどまずいもんなんかあらへんのや。

 ゆーてる間にフライト時刻の2時間前になったんで急いでロビーへ上がると、これまた大混雑や。混雑緩和のために、自動チェック・インの機械が備えられているが、私のは大韓航空発行のチケットなんで受付れへんかった。何度か列に並び直し、手荷物検査や出国審査が非常に厳しく、外側とは対照的にきらびやかな免税店街を横目に、遠い道のりを走って待合室に着いたのは、離陸10分前でまたしても滑り込みや。どうもうまいこといかんな。大体先進国のくせに能率が悪すぎるんや。大勢の客をさばくのに、なんで窓口がひとつやねん。しかも、一人が詰まったら、ほか開けて問題ない奴通さんかい。スキンヘッドのアジア人やと見たら呼び止めやがって、よう見たら詰まってんの非白人ばっかりやんけ。おまえらな、恨み買うからよけヤラレんのとちゃうん?まあええ、俺はイタリアへ行くんや。おまえらに用はない。ロンドンからナポリまでのフライトは、大韓航空が販促策として無料でつけてくれたもんや。ワシ大韓航空大好きや。これでSkypassのマイルもたまって、済州島豪華リゾートホテルへカップルで無料ご招待や。おう、誰ぞワシと一緒に済州島へ行かんか。スウィート・ルームでお待ち致しておりますんやと。

 テロ後のロンドンを敬遠してか、一様にロンドン発着の航空券は安く、しかも売れ残りが多かった。航空会社はブリティッシュ・ミッドランドちゅー聞いたことないとこや。せっかくイギリスまで来たのに、まずうて喰えんほどの食いもんにあたっていない私は不満を持っとった。このままイタリアへ行ったら、うまい食いもんしかないに違いない。ナポリ行きのフライトは3時間程やし機内食が出るやろ思て期待しとったら、なんと機内販売や。まあどっちでもええ。まずい英国の食いもんがあったらそれでええんや。

 メニュー配られたんで、一番まずそうなローストチキン・サンドイッチに目ぇ付けた。コーヒー付きで4ポンドやから800円くらいや。ロンドンで尚乃さんに、「何がまずいと言ってサンドイッチほどまずいものはない」と聞いてとったし大いに期待できる。サンドイッチをどないしたらまずう作れんのか、こっちが訊きたいくらいや。売りに来たスチュワーデスのおねえちゃんに、「このサンドイッチは旨いか」と訊くと、「Not so good」やという。訊く方も訊く方やが、言う方も言う方やな。コーヒー入れてくれる間ももどかしく袋を開けて食らいついた。あれ?・・・旨いやないか。旨そうに喰っている私を見て、ねえちゃんが「旨いか?」と訊きよったんで「Not so bad」やと答えたったら、笑て向こう行きよった。馬鹿にされたんやろな、たぶん。そんなやり取りをしているうちに、三人がけの隣二人のカップルが、派手な喧嘩をおっ始めやがった。イタリア語やけやりとりはわからんが、窓をたたいたり椅子を蹴飛ばしたりしてなかなか大変や。周りのイタリア人達がこぞってはやし立てたりなだめすかしたり、騒々しいことこの上ない。まるで初めてキンシャサへ行った時のカメルーン航空の機内みたいや。スチュワーデスのおねえちゃんはあきれた表情で眺めとる。たぶん日常茶飯事なんやろな。かれこれ30分くらい喧嘩しとったかな、しばらくしてなんか大人しなった思たら、なんと二人で愛撫しはじめよった。それもただたんに謝っとるとか打ち解けとるとかいうレベルやない。ディープ・キスから始まって、胸元に手を入れてまさぐり合いよがり声をあげ、果ては下半身を絡ませながら、上になったり下になったりの明らかな疑似性行為や。大らかというか傍若無人というかはしたないというか、隣で黙って座っとる俺どないしたらええねん。3Pプレイしよーぜ。もみ合っとる途中で降下しはじめたんでフィニッシュできひんかったようやが、あの調子やったらしまいにトイレ駆け込んどんで。「はろー」やて、今頃俺に気ぃついてどないすんぢゃこのイタ公。

 さて、NapoliのCapodichino空港は、非常に小さな空港やった。EU入国なので審査があるはずやが、「よーこそいらっしゃりませー」て感じでほとんどフリーパス状態や。ええぞ。ナポリの人大好きや。こっからフェスティバルの行われるAriano Irpinoまではバスの旅や。長距離バスのことを、イタリアではプルマンという。ガイドブックには、プルマンは空港を背にして左手のターミナルから発車すると書いてあったが、乗り場に行き先表示がないのでわからん。インフォメーションで訊いても、ターミナルの職員とおぼしきおっさんに訊いても、Arianoや途中のAvellino行きなんか知らんとぬかしよる。心は焦り、30分程うろうろしとったら、タクシーの運ちゃんが、「前の道をまっすぐ行けば青いバスが来るからそれに乗れ」と、なんとも頼んないことこきやがる。しゃあないし行ってみたら、ほんまに青いバスが見えた。

Napoli CapodichinoのAvellino行プルマン乗り場

 果たして、Ariano方面へ行くAutoservizi Irpini (AIR)社のバスは、空港を背にしてまっすぐ延びる太い道の突き当たりのロータリーになった三叉路の、向こう側の車線に右手から来て停まる。バス停も何もない。ただ人が集まっていて、そこに停まるのである。これは初めての者には絶対わからん。イタリアでは、バスなどのチケットは、バーやタバコ屋であらかじめ買っておくもんやゆうさかい、そこら中のバーやタバコ屋で訊ねてみたが、売っているところはない。そうこうしとるうちに、右手から次のバスがやって来たんで、急いで道渡って運転手に訊いてみた。「ええから乗れや」やて。バスはエアコンの効いた立派なモンや。はじめて見るイタリアの大地はなだらかで優しい印象を受けた。Vesuvio火山を右手に見て、バスは高速道路を快調に飛ばし、東の丘陵地帯に入って行った。NapoliからAriano Irpinoへ行くには、列車もなくはないがAutoservizi Irpini (AIR)社のバスが最も頻繁である。このバス会社は、Avellinoと県内の各町、AvellinoとNapoliその他の主要都市を結んでいる。Napoliを発着するバスの多くはCapodichinoを経由するので、空港から直行することが出来る。NapoliからAriano Irpinoへ行く直行バスはなく、一旦Avellinoで乗り換えとなる。Avellinoからは、Ariano Irpinoへ直行するバスと、途中のGrottaminardaという町で接続するものがあり、Ariano中心部へ乗り入れずに、Ariano Autostradaという遠い自動車専用道のバス停で終わるものがあるので注意を要する。

AvellinoのAIR社バス・ターミナル

 そんなんは後で解ったこっちゃ。Avellinoに着いた私は、当然のごとくAriano Irpino行きのバスを捜したんやが、これも旅行者にはわからんでしょうな。バス・ターミナルは広場になっとって、頻繁にバスが発着する。広場の一角にオフィスがあって、切符の販売と時刻は教えてくれる。しかし、広大なターミナルに停車しとるどのバスがどこへ行くのかは、オフィスでは関知してへんようや。料金表や路線図や時刻表なんかも貼り出されてへんし、いちいち訊かなわからん。いや英語が通じひんし訊いてもようわからん。しゃあないからAIRのホームページからプリント・アウトした時刻表を示して、自分はAriano Irpinoへ行きたいからと、身振り手振りで説明しはじめたら、なんと、職員がたくさん集まって来て、プリントを珍しそうに回し読みしはじめよった。あろう事かアイスクリームまで取り寄せて、輪になっての談笑タイムになってしもた。「良かったらお前も喰わんか」て、ええい、つき合うてられるかってんで、そいつをふんだくって、広場へ出て一台ずつ訊いて回る。ううむ、おおらかなんは結構やねんけどね。あんまり時間ないねん。そのAriano Irpinoて、どんな大きさの街かもわからんしやね、バス停からフェスティバルの会場までどんなけあんのか、予約したホテルがどこにあんのかも、着いてから捜さんなんのでね。すんまへんなお楽しみのとこ。

 片っ端から訊いて行くと、行き先表示が煌煌と点っているバスがあった。ArianoのAの時も書いてなかったが不公平があっては失礼と思い、念のために訊いてみたら、つっけんどんに表示を指差しよる。「失礼しました」・・・ちゅうわけで、表示のないバスだけを訊いて回ることにしたら、案内所のおっちゃんが言っていた時刻を回ってしもた。一台のバスが、すうっと出た。それを指差して、広場のアイスクリーム売りのおっちゃんが「あれやあれや」というジェスチャーをした。追いすがったが行ってしまった。ううむ、オンナにもなんべんもこのパターンで・・・いやいや、そのバスは「Avellino」と表示されとったんや。ちゃんと表示されとったし訊いたら失礼や思て訊かんかったんや。「あいつ切り替えんの忘れとんや」やて、ええかげんにしてくれや。急いどんぢゃこっちは。こんなことを、この広場で更に2回も繰り返し、3時間を無駄にした。何故2回も繰り返したかと言うと、大体頻繁にバスが発着するから、到着した全てのバスにこれからの行き先を訊かんなんかったのと、時刻より遅れることをもって当たり前のイタリアで、時刻より早くバスが出てしまったので気づかんかったこと。さらには、途中のGrottaminarda止めのバスの運転手に「Arianoへ行くのか」と訊いたら、にっこり笑って「No」と言われたので、他のバスを捜しに行ったことなどによる。日本のように、「ならばこれに乗って終点で乗り換えるが良い」などと親切に教えてくれる人はいない。それは自分の仕事ではないからだ。「ああ、なんということだ」という大袈裟な身振り手振りの感情表現も、ちょっとはイタリア風になって来た。では、どうして一般の客が間違えずにバスに乗れるかと言うと、これも後で解ったことやが、つまり客と運転手はみんな顔見知りやから、自分の乗るバスは、運転手の顔と車体の形でわかるんやて。そんなもん旅行者はお手上げやんけ。どうやら彼等には、こうすればわかりやすかろうとか、こうすれば便利だろうとかいう、工夫するという感性が欠如しとるようや。ならばそのつもりでつき合わねばなるまい。

 どんどん陽が傾いてゆく、不安が焦りを喚び、次第に冷静な判断を狂わせて行く。今日のフェスティバルの出し物は、Cabo Verde出身の歌手Teofilo Chantreのコンサートであり、私が今回の旅行で最も重要な目的のひとつに位置づけとったもんや。前もって調べた情報では21時開演。しかし時刻は既に19時を回ってしもた。Arianoまでどのくらい時間がかかるかと訊いたら、まあ一時間半やという。タクシーを捜す。しかしArianoは遠いからあかんと言う。おまえら仕事をなんやと思とんぢゃ。こんなとこで足止めは絶対ごめんやで。おまえら全員いてこましてでもイッてもらうからな・・・失礼。持参のイタリア語会話集で「俺はAriano Irpinoへ行く。どのバスに何時何分に乗ったら良いのか、きちんと教えろ。」という文章を組み立て、会う職員すべてにまくしたてた。すると、さすがに何時間も同じことを叫んでうろうろしている日本人を見かねたのか、ある運転手が、私を自分のバスに連れて行って、乗れと言う。行き先表示には別の地名があった。念のためにもう一度さっきの文を繰り返すと、「Si, Si」と繰り返すばかりだ。信用せなしゃあない。

 結局、そのバスはGrottaminardaを経由して、更に別の方向へ行くバスだった。しかも高速道路を通らずに、付近の町々に立ち寄っては目的地を目指すローカルな路線バスである。そのわずかな旅路は非常に印象深い。気は焦るばかりであったが、夕闇迫り、赤く弱々しい陽射しに照らされて、夕闇の中から現れては消えていく小さな町の数々は、筆舌に尽くしがたい程美しかった。れんが造りの家々にともるタングステン球、ほんの素朴な目抜き通りにテーブルを出し、ろうそくを点してビールを飲み談笑する男達、宝石のような光景が薄明かりの中を流れて行った。どうせ帰りにまた同じ道を通るのだからと、写真も何も撮らなかったことが心から悔やまれる。実際、帰路は大変なことになって、全く別のルートで帰ることになったからだ。次回は是非ともゆっくりとした気持ちで訪れたい。運転手はGrottaminardaに着くと、「降りてあそこのベンチで待て」と言い残して先へ進んだ。しばらく待つと、「Ariano Irpino」とはっきり輝くオレンジ色の表示灯を点したバスが現れた。

 Ariano Irpinoの街に着いたんは、かれこれ21時やった。初めて降り立つ街の、右も左もわからん状態で、地図にある道と自分が立っている場所とを比較検討しながら、目の前のバーに飛び込んだ。息せき切って駆け込んだ日本人を見て、バーのマスターは親切に道を教えてくれた。なにか注文しようとした私に、「Prego, Prego」つまり「ええから行かんかい」と言って進むべき方向を指差した。Teofilo Chantreの出番は1時間程おしとった。ステージは、予告されていたFolkstageではなく、広場にあるPiazzastageに変わっとった。開演まで1時間。ステージ脇にいた警官に予約したホテルの住所を示して、どこにあるのかと訊いてみたら、なんとここから4kmも離れていて、歩いて40分はかかると言う。道を訊いたがとても教えられるもんじゃないらしい。しかし、今チェック・インしとかな今夜は路頭に迷うことになる。大体どのへんかと地図を出して訊いてみたが、やれやれという感じで大雑把にしか教えてくれへん。ともかく、言われた方角に向かって街を降りて車道へ出た。しかし既に真っ暗で、とても太刀打ちできそうにない。仕方なく戻り、中心部にホテルはないかと捜しはじめたが、これが全くない。事実、Ariano Irpinoという街の中心部にはホテルは一軒もない。そんなこと誰が予想する?私の予約したホテルが、ほとんど唯一の選択肢であったのだ。しかもそれは、街から歩いて1時間程のところにある。とんでもないところに来てしまった。もうええ、私は今夜は路頭に迷うべきものと腹をくくり、ステージ脇のバーに入った。開演まで約15分。

 なんと、そこで信じられないことが起こった。そこで起こったことの全てが、私のAriano滞在だった。私は出発前に、このフェスティバルに来ることを、フェスティバルのホームページを通じて主催者にメールで知らせていた。入場料金やチケット予約について問い合わせたかったからだ。英語で書いたためか返事は直前まで来なかった。しかも来た返事はイタリア語だったので、私には理解できなかった。しかし、日本人がこの街にやって来るという噂は、半信半疑のまま街中に伝わり、関係者はおろか、街の主要なバーや店の主には既に知れ渡っていた。まるで私がそのときバーに入って来ることが彼等にはわかっていたかのように、関係者一同が私を出迎えたのである。場は一転した。私は南イタリアの、おおらかで際限のない歓迎の渦の中に、いきなり放り込まれることになった。ビールが何杯も並べられ、パスタや肉料理が供された。まさに宴は始まったばかりだった。訳のわからぬまま何度も繰り返される乾杯のかけ声に合わせてビールを飲み干しているうちに、通訳として、ひとりの女性を紹介された。私は目を疑った。目の前に立っていたのは、肌の色は褐色で、彫りの深い顔立ちの、まさに美術の教科書から抜け出して来たかのような、情熱的な美女だった。どぎまぎするばかりの私に柔らかでほっそりした手を差し伸べ、その両手で包み込むような握手をしてくれた。じっと見つめる瞳の色は薄い水色で、その色は海の青さに似て、男を遠い波の彼方に運んで行ってくれそうな魔力を持っていた。要するに私は、蛇に睨まれたカエルだった。

 彼女の名はRossana。英語が話せるというので、私の専属の通訳をするようにと仰せつかったとのことだ。周囲から際立って洗練された女性だった。私の滞在期間中、彼女は私のために不自由のないように全てを取りはからってくれた。そればかりではない。私が会うことを目的とした全てのアーティストと面談する機会と、雑誌や新聞・テレビというマスコミ取材のセッティングをこなしてくれたのも彼女だった。彼女がいなければ、私の旅の目的は全う出来なかったに違いない。その美貌、理知的で機敏な行動、思慮深さと大胆さ、仕草・表情・醸し出す雰囲気のあでやかさ、どれをとっても私と時間をともにするには過ぎた女性であった。当然のごとく私は彼女に強く惹かれたが、所詮短期の滞在。望んでも仕方のないことである。

 飲み進むうちに、とあるアジア風の青年を紹介された。動きの派手なイタリア人の中にあって、控えめで内気そうな態度が逆に際立っていたが、温和な笑顔が印象的な青年だった。ぼそぼそと英語で対話するうち、「いや、実は今から演奏するんです・・・」と恥ずかしそうに言う。なんと、それはTeofilo ChantreのバンドのヴァイオリニストであるKim Dan Le Oc Machというヴェトナム人だった。彼のヴァイオリンは、Teoの繊細な音楽に、アジアチックな奥行きを与えていた。私は、日本人である自分がアフリカの音楽に惹かれ、それを演奏する意義について考えていたときに、ひとつの答えを出してくれたのが彼の演奏だったのである。TeoはCabo VerdeのMornaやColadeiraという種類の音楽を演奏している。非常に繊細な音楽ではあるが、そこはやはり乾燥した気候のアフリカの音楽なので、どうしても大味にならざるを得ない。Kimのヴァイオリンは、そこに湿潤な気候のヴェトナムの感性を持ち込み、繊細さに潤いと深みを醸し出すことに成功していた。今やTeoの音楽に、彼の音色がなければ成り立たないくらい、かけがえのない存在になっていた。Teoのバンドが見れるなら、是非彼とその辺りのことについて話し合いたいと、かねてから考えていたのだが、まさかこういう形で実現するとは思わなかった。そのときは出演のスタンバイでそれ以上話すことは出来なかったが、大体の感触は得た。これもRossanaがいてくれればこそである。

 あわただしくコンサートは始まった。1時間以上おしていたから当然のことだ。しかし観客は大らかに飲み食いしながら陽気に待っていた。こういうところがイタリア人の良さなのであろう。ステージは、広場に仮設で設けられた簡単なものであった。演奏は素晴らしかった。それまで陽気に開演を待っていた観客の熱気を一気に吹き飛ばす冷気。Cabo Verde独特の、燃え上がるような恋をした夏の終わりの寂寞感のような、けだるくて切ない、クールな繊細さを持つ上質のMorna。編成は、Teoのボーカルとギターに、ヴァイオリン、チェロまたはベース、アコーディオン、ドラムスの5人編成である。CDにはない即興的な部分も多くあり、非常に楽しめる内容だった。演奏は約2時間に及び、イタリアからすれば明らかな異国情緒をカテドラルの前に充満させて、午前1時過ぎにようやく終わった。私は持参した器材で録音を始めたが、どうもエラーばかり起こす。何度やっても同じことだった。原因は日本で解決したはずなのに、また別の不具合が出たのか。しかし、不思議と取り乱したりはしなかった。酒も回っていたし、イタリア人はご機嫌だし、演奏も素晴らしいし、なによりミュージシャンと十分話し合える機会を得たんだから、録音なんかどうでもいいじゃないか。記録するなんてマニアに任せておけば良い。

 


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